第19話 自分の気持ちに素直になること

「ただいまー」

「おかえり、兄さん」


 が沈み、空が藍色あいいろに染まる頃。

 直斗が授業を受け終えて帰宅すると、玄関で出迎えてくれたのは、ピンクの水玉模様のエプロンに身をつつんだ雪穂だった。

 その姿はまさに天使。

 おしとやかさも相まって、エプロンは雪穂のために存在しているのとさえ思えてしまうほどに似合っていた。

 すると、雪穂は安堵したように息を吐く。


「ん、どうした?」

「良かったです。兄さんが一人で帰ってきてくれて。また楓さんが来るものだとばかり思っていたので」


 どうやら雪穂は、直斗がまた楓を家に連れて帰ってくると思っていたらしい。


「ははっ……流石にそんな毎日は来ないって。楓もああ見えて芸能活動で忙しいから」


 それに、楓と約束を交わしたのだ。

 直斗が妹達の気持ちにしっかりと向き合えるようになるまで、二人で会うのを極力控えると。

 もちろん寂しいけれど、直斗が優柔武断なまま付き合っても上手く行かないと楓が判断したのだ。

 直斗がすべきことは、妹達としっかり向き合うことだから。

 そこで、ふともう一人の妹がいないことに気が付く。


「あれっ、そういえば秋穗は?」

「秋穗は今日から部活本格始動だそうです」

「あぁ、そうだったのか」


 秋穗はスポーツ推薦で都内の大学に進学した。

 まだ新生活が始まって数日だというのに、秋穗は部活動に精を出さなければならないらしい。

 ちなみに雪穂は、美的センスに優れていることもあり、都内の美術大学へ通っている。

 将来は美術系の仕事に就きたいそうだ。

 そんな二人に比べて、直斗はというと、将来やりたい目標も特になく、平凡な日々を過ごしている。

 こんな情けない兄なのに、どうして妹達はこんなに直斗のことを慕ってくれているのだろうか?

 加えて、好意まで寄せてくれているなんて……。


「兄さん、そんな神妙な顔をしてどうかしましたか?」


 卑下ひげの感情を心の中で抱き始めていたところで、雪穂が直斗の顔を心配した様子で覗き込んでくる。


「何でもないよ」


 直斗は首を横に振り、適当にあしらいつつ靴を脱いだ。


「何か手伝うことあるか?」


 話題を変えるようにして雪穂へ尋ねる。


「それなら、洗濯物を畳んで欲しいかな」

「分かった。着替えたらやっておくよ」


 そう返事を返し、直斗は雪穂の頭を優しくポンポンと撫でてやると、雪穂は驚いてこちらを見上げて、ほうけた様子でぽかんと口を開けていた。

 そんな妹の可愛らしい反応を楽しんでから、直斗はにっこりと微笑み自室へと向かっていく。

 もう自分の気持ちに嘘はつかない。

 直斗は自らの意志で雪穂の頭を撫でた。

 相手の気持ちを受け取るには、まず直斗自身が素直な行動で示さなければならないから。

 それは、楓の言葉の中に内包していたように思える。

 これがいつくしむ心から来たものなのか、異性としての可愛さから来た行動なのかは、直斗自身もまだわからない。

 けれど、雪穂を愛でたいという気持ちは変わらぬ事実だったので、頭を撫でたまでのこと。

 部屋に入る際、ちらりと後ろへ視線を向ければ、玄関前で立ち尽くした雪穂が撫でられた頭に手を当てて、恥ずかしそうに顔を真っ赤にしているのが見えた。



 部屋着に着替えてから、直斗は雪穂に頼まれた通り洗濯物を畳んでおいた。

 秋穗と雪穂の服はサイズが違うので大体把握している。

 まあ、下着も胸元の大きさが違うので、判断もしやすいというもの。

 そんなことを雪穂に口にしたら、相当怒られるだろうけど。

 まあでも、家族なんてこんなものだろう。

 妹の下着を見て興奮することもないし、日々の日常の何気ない出来事に過ぎない。

 なら先日、妹達の裸体を見てしまった時に感じた、胸の突っかかりは何だったのだろうか。

 妹たちにどういった感情を持っているのか、余計に分からなくなってくる。


「ただいまー」


 すると、玄関の方から秋穗の声が聞こえてきた。

 直斗はリビングから廊下へと向かい、秋穗を出迎えてあげる。


「おかえり、秋穗。部活お疲れ様」

「直斗兄ただいま。ふぃーっ……初日からきつかった」


 そう言いながら、秋穗は肩に背負っていたエナメルバッグを床に置き、上がりかまちへ腰を下ろす。


「それは大変だったね。よく頑張った、頑張った」


 秋穗をいたわりながら、直斗は秋穗の両肩を後ろから掴み、ぎゅっ、ぎゅっ、とマッサージしてあげる。


「いたたたっ……でも気持ちぃー」

「だろ? マッサージだけは昔から得意だからな」


 実家に住んでいた時も、よくこうして秋穗のマッサージをしてあげていたっけ。

 つい一年前の出来事なのに、懐かしく思えてしまう。


「ふぅ……ありがとう直斗兄」


 秋穗は靴を脱ぎ終えると、ばっと立ち上がり、隣に置いてあったエナメルバッグを再び背負しょいこむ。


「ご飯の前にお風呂入っちゃおうかなぁ」

「だと思って、風呂湧かしておいた」

「流石直斗兄! 分かってるー」


 義妹とはいえ、何年も一緒に住んでいたのだ。

 秋穗の考えることくらい、大体把握している。


「それじゃあ、パパっとお風呂に入ってきますかね。あっ、直斗兄も一緒に入る?」

「なっ……入るわけないだろ!」

「ふふっ……何真に受けてんの。冗談だってば」


 けらけらとからかうように笑う秋穗。

 だけど、一昨日の一件があるため、全然冗談に思えなかった。

 あの湯船に浮かんでいた、ぷるぷるのメロンが……って、いかん、いかん!


「心臓に悪いから、冗談でもよしてくれ」

「ごめん、ごめん。雪穂と先に夕食食べてて」


 そう言って、秋穗はそのままの足で脱衣所へと向かって行ってしまう。


「ったく……秋穗の奴め……」


 狼狽うろたえてしまった直斗も悪いけど、今回に関しては秋穗の冗談もたちが悪いと思う直斗であった。

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