第16話 匂いフェチ

 楓を部屋まで無事に迎えることが出来た直斗は、ふぅっと安堵のため息を吐いた。


「ここが新しい部屋かぁー。やっぱり前の家と違って綺麗だね」

「まあ、築年数も比較的新しいからな」

「部屋にある物は同じなのに、場所が違うだけで雰囲気って結構変わるものなんだね」


 そんなことを言いつつ、楓は直斗の部屋を見渡しながら、ベッドへ腰かけた。


「ふぅ……」

「お疲れ様。わざわざ来てもらってありがとうな」

「いえいえ。って言っても、妹ちゃん達からは歓迎されてなかったみたいだけどね」

「あははっ……まああいつらは、俺が何とかしておくよ」

「本当に大丈夫?」

「平気だって。それくらいは任せてくれ」


 虚勢きょせいを張っているのはひゃく承知しょうちだけれど、ここは彼氏として頼りがいのあるところを見せたかった。

 直斗は自身の胸をトントンと拳で叩き、楓に向かってにっこりと微笑む。


「そう、ならその辺は直斗に任せるとして、来て早々申し訳ないけど、お風呂頂いてもいい? 今日、結構激しい動きのある撮影だったから、汗で身体がベトベトで……」

「そんなことなかったけどなぁ……」


 家に帰ってくる時、楓に密着されていたけど、いい匂いがして全然汗臭あせくさい感じなどしなかった。

 むしろいい匂いがしていたまである。


「もう直斗。そこは少しデリカシー持ってよ。私だって冷却シートとか使って色々誤魔化してるんだから」

「そうだったのか。すまん」

「まっ、気にならなかったってことは、私のケアも上手くいってたってことだから別にいいけどね」


 そう言いながら、鞄の中から下着類の入った巾着袋きんちゃくぶくろを楓は取り出した。


「寝間着貸して」

「はいよ」


 直斗はいつものようにタンスの中から、上下グレーのスウェットを楓に手渡してあげる。

 楓はスウェットを受け取ると、そのままそれを顔に埋めてずぅーっと息を吸い込んだ。


「はぁー……今日も直斗のいい匂いがする」

「柔軟剤の匂いだろ?」

「違うって。確かに柔軟剤の匂いもするけど、長年使われて染み付いた直斗の匂いがするの」


 そう言われても、直斗にはよくわからない。

 自分の体臭は嗅ぐことが出来ないので、他人にしか分からないし。

 楓はそのスウェットに染み付いているという直斗の匂いがお気に入り。

 いわゆる匂いフェチなのだ。

 いつもこうして直斗からスウェットを受け取ると、匂いを堪能して満足そうにしている。

 まあ、匂いが嫌いと言われるよりは断然いいんだけどね。


「お風呂どこ?」

「部屋を出て、廊下を左に進んだ右側だよ」

「分かったー」


 部屋を開けてやり、楓がスウェットと巾着袋を持った状態で脱衣所へ入って行ったのを確認してから、直斗は部屋の扉を閉めて一人になる。


「ふぅ……やっと休める」


 直斗はベッドへ倒れ込み、大きく伸びをした。

 こっちに引っ越してきてから、初めてリラックスできたかもしれない。

 昨日は妹達がお風呂へ突入してきたせいで、その後も何をしてくるのかと気が気じゃなくて、心を休めるどころの問題じゃなかったからなぁ……。

 まあ今日は楓もいることだし、妹達が変なことをしてくることもないだろうから、安心して眠りにつけるだろう。


「ふわぁぁ……眠くなってきた」


 ベッドに寝転がったからか、直斗は大きな欠伸をしてしまう。

 気を緩めたら緊張が解けて、一気に眠気が襲ってきたのだ。

 楓が風呂から戻ってくるまで、少しだけ仮眠を取らせてもらおう……。

 そう思って目をつぶったのもつか、無情にもコンコンっと部屋の扉がノックされたのである。

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