第15話 兄の暴挙(秋穗視点)

 秋穗はソファに座りながら、そわそわと何度もスマホの画面を眺めていた。

 何度見ても、時刻は一向に進まない。


「そんなにスマホばかり気にしても意味がないわよ」


 すると、キッチンで明日の朝食の下ごしらえをしていた雪穂が呆れたように声を掛けてくる。


「だって、直斗兄に早く帰ってきて欲しいんだもん……」

「兄さんだってアルバイトやお友達とのお付き合いがあるのだから、私達ばかりに構ってられないわよ」

「だからこそ、家での時間を大事にしたいんじゃん!」

「平気よ。昨日私たちがお風呂に奇襲した際、兄さんはかなり動揺していたわ。今頃間違いなく、私達を意識しているはずよ」


 雪穂は至極冷静に物事を分析したような口調で秋穗を落ち着かせる。

 そう……実際、昨日のお風呂特攻作戦も、雪穂の提案だった。

 この一年間、直斗兄と離れ離れで暮らしていたため、再度一緒に暮らす上で重要なのは、最だと考えたのだ。

 いきなり裸の付き合いから入ることにより、自分たちが妹ではなくであることを直斗兄に意識させる必要があったのである。

 しかし無情にも、直斗兄には彼女がいて、あんじょう私達のことは可愛い妹程度にしか思われていなかった。

 今の彼女と別れさせ、直斗兄の女として恋愛対象に入れてもらうためには、身体を張ってでも必要な行為だったのである。

 今朝けさの直斗兄の反応を見るに、作戦は大成功したように見える。

 だけど油断は禁物、直斗兄がそのことを肯定的にとらえてくれない限り、何かしら対策を練ってくるはずだから。

 そんなことを考えていると、玄関の扉ががちゃりと開かれる音が聞こえた。

 どうやら、直斗兄がアルバイトを終えて帰宅してきたようだ。

 秋穗はバッとソファから立ち上がり、駆け足で玄関の方へと向かっていく。


「おかえり! 直斗兄……」


 秋穗が声を上げたのもつか

 玄関前には、つややかな黒髪の女性が立っていた。


「こんばんは秋穗ちゃん」


 にこやかに挨拶を交わしてきたのは桧原楓ひのはらかえでさん。

 直斗兄とお付き合いをしている彼女さんである。


「こ、こんばんは……」


 突然の楓さんの訪問に、秋穗は唖然あぜんとした様子で挨拶を返した。

 すると、楓さんに手を引かれるようにして、後ろから直斗兄がひょっこりと顔を表す。


「ただいま秋穗。出迎えありがとうな」

「う、うん……おかえり直斗兄。それで、えっと……」

「あぁ、悪い。今日楓が泊まることになったから、仲良くしてやってくれ」


 はぁぁぁぁ⁉

 秋穗は心の中で叫びながら、直斗兄と楓さんを交互に見渡した。

 信じらんない!

 私達という存在がいながら、堂々と彼女を家に泊まらせるとか、直斗兄はどういう神経してるわけ⁉

 秋穗が狼狽うろたえて立ち尽くしていると、キッチンから雪穂が廊下へとやってくる。


「どうしたの秋穗。兄さん帰ってきたんじゃ……」

「こんばんは雪穂ちゃん」

「……」


 玄関にいる楓さんに挨拶をされて、雪穂も唖然とした様子で立ち尽くした。

 しかし、すぐにはっと我に返り、雪穂は平静を取り戻す。


「こ、こんばんは」


 雪穂が楓さんに挨拶を返したところで、秋穗はギロリと鋭い視線を直斗兄に向ける。

 直斗兄はピクっと肩を震わせてから、すっと視線をそらした。

 なるほど、そういうこと。

 秋穗は直斗兄の動揺具合を見て、大体の事情を察する。

 直斗兄、早速対策を打ってきたのね。

 少なくとも、楓さんが家にいる限り、私達が変な真似をすることは出来ないと見越したのだろう。

 くっ……なかなかやるじゃない。


「と、とりあえず楓も上がってくれ」

「うん、お邪魔します」


 直斗兄は楓さんに急かすようにそう言って、玄関で靴を脱いで楓さんを案内する。

 楓さんは律儀に靴を揃えてから、直斗兄の後ろをついて行き、廊下を歩いて直斗兄の部屋に案内される。


「それじゃあ二人共、今日はもう夜遅いから、明日のために早く寝るんだぞ」

「う、うん……」


 秋穗はコクリと頷いて、生返事を返すことしか出来ない。


「お世話になります」


 楓さんはにこやかな笑みを浮かべながら私たちに手を振りつつ、直斗兄の部屋へと入って行ってしまった。

 バタンと扉が閉められ、廊下に静けさが戻る。

 取り残された秋穗は、自然と雪穂へ視線を向けていた。

 雪穂も同じく、秋穗へ顔を向けていて、お互いに目が合う。

 アイコンタクトを取って頷き合うと、二人の足は自然とリビングへと向かった。

 リビングの扉を後ろ手で閉めてから、秋穗は抑え切れない感情を爆発させる。


「ちょっと、どうすんのこれ! 想定外なんだけど⁉」


 引っ越しの際、楓さんには思いきり牽制けんせいをしておいたつもりだったけれど、どうやら効果が薄かったようだ。


「まさか兄さん。楓さんを盾に使ってくるとは、なかなかやりますね」

「感心してる場合か! まだ引っ越して二日目だよ⁉ こんな早くに直斗兄が彼女連れて来るとか、ちょっとしゃくなんですけど⁉」

「まあまあ落ち着いて秋穗。いくら兄さんだって、私達がいつでも監視できる状態で、イチャつくようなことはしないだろうから」

「そ、そうかなぁ……」


 とはいっても、直斗兄の部屋はプライベートスペースが守られていて鍵もかけられる。

 私たちが眠りについた隙に――なんてことも十分に考えられる。


「ふっふっふ……」


 秋穗が心配していると、雪穂が突然狂ったように不気味な笑い声をあげる。


「彼女を頼り過ぎだって忠告したというのに……全く。兄さんには、きついお仕置きが必要なようね」


 雪穂は邪悪な笑みを浮かべ、黒い負のオーラを身体にまとっていた。

 ひしひしと雪穂の怒りが伝わってくる。


「まずは、兄さんを叱るところから始めないといけないですね……」

「ゆ、雪穂……怖いって」

「ふふふっ……覚悟しておくのね兄さん。私達が怒ったらどれだけ怖いかを――」


 ダークサイドに堕ちた雪穂を止められるものは誰もいない。

 雪穂の怒りを見て秋穗はかえって冷静になった。

 それでも、引っ越し二日目から彼女を連れてくるという直斗兄の暴挙は、決して許されるものではない。

 ここは、雪穂と同じように怒りのパワーを持って直斗兄をお説教しようと心に誓うのであった。

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