第43話 愛と憎

「彼、上手くやってるわね。流石はあなたのプランテッド」

「分かるのか?」

「私の頭と彼は繋がってるの。大体の距離がわかるから、それで多少はね。さ、もう時間もないってことよ」

 

 由紀子は、自分の部屋に生身のアレクを連れ込んでいた。

 鏡台に、悠の骨壺が置いてある。その側の壁に、ショットガンが凭れていた。由紀子は、ベッドの上でアレクと向き合っていた。


「俺はここに来る前、マスターから悠の手紙を渡された。正化の犯罪をまとめた文書を、そのブレスレットに保存したと書いてあったんだ。アイツもまわりくどいことをしたよ」


 由紀子はゆらりと彼に近づいてジャケットを脱がせた。シャツも脱がせて、上半身を晒した彼の身体は、他になく凝り上がった筋肉が逞しかった。冷えた指先は熱っぽく彼に触れた。


「なあ、由紀子。君のそのブレスレットを、くれないか? それを警察に渡せば、染井正化を逮捕できる。正化が人間なら、殺したいほど憎くても、殺しちゃいけない」

「私の体は、既に八十人を殺してる」

「だったら尚更……」


 アレクの唇に、由紀子は人差し指を立てた。


「……尚更、私に応えて」

「それで、君が殺人を辞めるのなら」


 彼は、サングラスを外して、琥珀色の瞳で彼女を見つめた。


「正化が憎いのは私も同じよ。ケリをつける前に、あなたといて自分の答えが見つかるのか、確かめたいの」


 そう言って、由紀子は自らの服をずらして肌を晒した。遂にキャミソールも脱いで、恥部を隠すレース地の下着だけになって、アレクを見つめた。


「少し、怖いの」

「言ってごらん」

「私の、きっと胸よりも、あそこよりも恥ずかしいものを、あなたに見てもらいたい」

「覚悟はある」


 由紀子は、今までアレクが見た中で、最も、不安そうな顔をした。

 そして、みぞおちに左の親指をぐい、と入れた。モーゼが海を二分したように、由紀子は親指を下腹部のパンティのレースに触れるまで下した。


 中から晒されたのは、噛みあった二つの回転刃だった。鋼鉄の臼歯を思わせる頑丈な凹凸の連なりは、十年前の惨劇の中心であり、そして、彼女のはらわたに宿ってなお、多くの血を流したに違いないものであった。刃の間に、深い闇が覗く。


 確か、染井が言ったのだ。「由紀子にやられた」と。その意味するところは、この、小型の人間シュレッダーなのだ。由紀子は泣いていた。涙がこぼれずとも、ガラスの瞳が澄んでいようとも、アレクには分かった。


「紫苑」

「梗治」


 アレクは由紀子を抱きしめた。


「よく頑張ったな」


 アレクの腹筋に、由紀子の鋼鉄の刃がひたと貼り付いた。


「梗治……ごめん、逃げて」


 アレクは、きつく抱こうとする由紀子の肩を突き飛ばした。少し遅かった。アレクの腹に、切り傷が出来たのだ。血潮が滲む。由紀子が、別人になったように睨んできた。


「悠の次は、なんだ。君か。君たち二人は、揃って由紀子を盗ろうとする、憐れなものたちだなぁ!」


 由紀子の口を借りてアレクに罵声を飛ばすのは、染井正化その人に違いない。アレクは隙のあるうちにベッドから立って、鏡台の金のブレスレットをくすねた。外から、機関銃らしい銃声が響いていた。


「荒川梗治! 貴様は一体何なのだッ! ことごとく私の邪魔をする。貴様が一番のイレギュラーだ。貴様さえこなければ、過去の清算も、私の愛も、全ては恙なく済むはずだったのだ。貴様さえ……!」 


 アレクは、由紀子に乗り移った正化を睨んだ。


「終わらせるものかよ。お前のしたことは、拳の一発でも、銃の一発でも、いや何発だろうと、償いきれない悪業なんだよ。俺は十年、この時を待っていた。お前、一体、何人殺した? 何人苦しめた? お前が得たもので満たせるものじゃねぇ。お前が俺から奪ったもん教えてやる。親友だ。好きだった女だ。俺の青春だ。どう落とし前つけてくれる? さあ、さあ!」 

「そんなもの――」

「失ったものは取り戻せない。それはあんたも知っているはずさ。そしてあんたは今も、ひとつ失った。取り戻すのは、もう無理だろうな」


 隣の壁越しに、大きな振動が伝わる。由紀子の言った通り、来たのだ。


「馬鹿な! 荒川梗治が二人いる!?」


 ※


 直後、大爆発が最上階に響いた。由紀子の部屋の壁が吹きとび、黒煙にあらゆるものが隠れる中で、アレクは、姿を消した由紀子を探した。


「どこだ、由紀子!」

「うああ――ッ!」


 男の叫び声がする。もしや、とアレクは声の先へ行った。

 爆発は隣の部屋との壁も取り払っていた。無数の割れたモニターがある。跪く、針金のような男に、由紀子は、ナイフを振り下ろすところだった。


「由紀子、駄目だ!」


 由紀子のナイフが、割り込んだアレクの胸に刺さった。


「梗治! イヤ……私、私……違うの!」

「だめだ。君はこれ以上、殺しては、い、け、な、い……」


 項垂れた彼の琥珀色の瞳が、閉じられた。


「嘘……嘘だと言って! 梗治……ああ……あなたがいなければ、私は……もう……」

「――梗治?」


 雨に煙が沈み、紫苑は、その全貌を目の当たりにした。

 悠を無くした時の景色が重なる。同じだ。自分が由紀子と対峙するときは、いつも大切な誰かが犠牲になる。

 染井正化は、ショック死した。それは、由紀子と紫苑には関係のない事だった。


「アハ、アハハ……アハハハハハハハ……!」


 高笑いする由紀子は、枷を外したライオンのように、自由に見えた。


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