第37話 肉体と、意識と
「マスターは、舞が何なのか知ってるんですか?」
「う、うん。も、もし社長が蘭くんを操って『舞』と言ったのなら、恐らく、娘の染井舞さんのことだろう」
「染井舞……どういう人なんだろう」
「な、亡くなったんだよ。じ、十五年前、十五歳の時に、交通事故で。わ、私がトヨシマ重工で技師をやってた頃のことだ」
「そんなの初めて聞いた」
「む、昔の写真ならあるよ。ト、トヨシマで、私が彼と親しかった時に見せてくれたものだけどね」
マスターは、携帯端末のアプリから、クラウド上に保存されている十五年前の写真を出した。一同は、彼の手元に額を集めて、その写真を見た。
「似てる……」
「ホントだ、癖毛治したら紫苑そっくり」
「でも、由紀子っぽさもありますわね」
「あ、舞って子の隣にいるの、由紀子じゃないの?」
「うそ、由紀子じゃん……」
「こ、この方は、舞さんの母親なんだ。そ、その横にいる男が、染井正化」
針金のように細い体躯に、野心を宿した三白眼が光っていた。センター分けの薄い頭髪が、薄幸を示しているように、紫苑は感じた。
「そういえば私、オートメイドにされてから、正化の顔を見たこと無かった。こんな顔だったのね……」
沙耶がそう言うと、少女たちは黙り込んだ。彼女らの脳裏には、似た光景が浮かんでいる。それは、あの大型トラックのような大きさの〈人間シュレッダー〉が、反抗する人を潰しにかかる様だった。四人は、その恐怖に身を竦ませながら冷凍睡眠のカプセルに入り、その内三人は、気が付けば機械の身体に魂を宿して生きる羽目になったのだった。
紫苑の記憶の中には、あの粉砕機に膝から下を潰された瞬間の、真っ赤な視界や、轟音や、言葉に出来ない酷い臭が残っていた。
その元凶は、この男にある。
身体の芯からびくびくと震えあがるような恐怖が、彼女たちの全身に走る。これが生身であれば、腰を抜かし、あるいは鳥肌を立たせて慄いたに違いない。粉砕機も、自分たちのもとの身体も、この街のどこかにあることを、四人は理解していた。
「マスターは、知っているんだよね? 私たちのもとの身体がどこにあるのか」
沙耶が訊いた。三人も、マスターに注目する。彼は頷いた。
「し、知っているよ。き、君たちの肉体は、地下にある」
「地下のどこなんだ?」
花恋が問うた。マスターの面持ちは昏かった。言い出しにくいことのようだ。
「どうしたのですか、マスター? あなたは〈赤線〉の人間ではありません。私たちプランテッドへの守秘義務も、いまでは無いはずです。何か、口に出せない理由があるのですか?」
「み、見つけたいのかい?」
「私は、気になります」
沙耶が言った。
「そ、そうか……。じ、事実を言う前に、分かって欲しいことがあるんだ。ま、先ず一つ。に、肉体が保存されている保証はない。せ、世間では、冷凍睡眠保険と言って、一方通行のタイムトラベルをやらせているけど、実のところ、カプセルの管理体制は杜撰だ。き、君たちのほとんどが強制的にプランテッドにされたということは、君たちは保険の契約者ではない。だ、だから、肉体そのものが既にないかもしれないんだ。分かったね?」
四人は頷いた。
「そ、そしてもう一つは、君たちに問うべきことだ。き、君たちは、元の肉体を見つけて、それからどうする?」
女の子たちは、戸惑っていた。マスターは、沙耶を見た。目が合った沙耶は一度、目をそらそうとしたが、改めて、マスターの眼鏡の奥を見つめた。
「分からない。ただ会いたい、っていうのはダメ?」
マスターは、意表を突かれたような顔をした。いや、間抜けた答えに、却って惑ったのかもしれない。他のプランテッドの二人は、マスターの言葉を待っている様子だった。きっと、この二人もわからないのだ。
「な、なら、具体的に話を進めるとしよう。た、例えば、君が自身の肉体を解凍したとしよう。に、肉体の君が目覚めて、機械の君と対面する。き、君は、生身の君をどうする? 或いは、機械の君はどうする?
つ、つまり、機械の君は死んで、肉体の君だけになる? そ、それとも、共に生きる? それとも、――肉体の君を殺す?」
少女たちは黙った。ハハ、と花恋が乾いた笑いを零した。蘭が訊いた。
「何故、肉体を殺すなんて発想がでるのですか?」
「に、肉体が動けば、機械の君は使命を果たしたことになる。き、君がやってきたことを肉体に引き継ぎ次第、君は活動を終える。は、ハッピーエンドじゃないか」
「なに……?」
「花恋ッ」
のりかかる花恋を沙耶が諫めた。
正論ではある。しかし、プランテッドには人格があるのだ。
「い、今の花恋くんの嫌悪は、健全な反応だ。に、人間としてはね。プ、プランテッドが成功している証拠だ。い、生きたい、存在したいと思うからこそ、たとえ自分の為に消えることですら、嫌がる。だ、だからね、プランテッドの中には、肉体の自身を殺してでも生きていたいと考える者がいるかもしれない、と私は考えている」
そう言ったマスターは、今度は紫苑を見た。
紫苑の心臓が跳ねた。紫苑は由紀子のことを思い浮かべた。マスターの言うことが本当ならば、何故、由紀子は自分を殺さなかったのだろうか。明白だった。由紀子は、由紀子自身の失ったモノを手にするために、紫苑を生かしていたに過ぎない。由紀子に欠けていることがあるとすれば、それは、彼女自身が言ったことにある。
――荒川梗治への、恋慕。
ミックと呼ばれていた時の記憶に、由紀子の叫びが刻まれている。「お前を喰らって――」そうだ。あれこそ、殺意ではないか。
紫苑の物思いとかかわりなく、蘭は静かに言った。
「肉体の私が、ミックの、いえ、紫苑の仲間にふさわしいとは思いません。元々、私の肉体は強健ではないのです。弓すら、この機械の身体で覚えた事ですし」
「じゃあさ、蘭はどうすんの」
花恋は答えを欲しがってるようだった。花恋も迷っているに違いないと、紫苑は思った。
「私は、紫苑たちと――みんなと仲間でいられるなら、このままでいいと思っています。肉体に会おうとも、解凍しようとも思いません」
「じゃあ、勝手に捨てられてもいいのかよ? 機械の身体がイカれたら?」
「治してくださる方が、いらっしゃるでしょう?」
「それでも駄目だったら?」
「肉体より丈夫でも、死ぬときは死ぬのです。魂が健やかであるためには、機械の身体であろうと、いつか終わりが来るべきだと思います」
「ンなこと言われても、私にゃ分かんねぇよ!」
花恋は、思わずカウンターを叩いていた。白磁のカップたちが耳障りな音を立てた。
「花恋のことなら、私が決める訳にはいかないでしょう?」
「そうだけど……さぁ。じゃあさ、もし、蘭が自分の身体を見つけたら、どうすんのさ」
「放置します。たとえ捨てられても、構いません」
静かに、しかし確かに強い語気で、蘭は言った。
カウンターの上の壁に掛けてあるアナログ時計が、秒刻の針を動かす。
「知らない方がいいのかもね。肉体の眠る場所なんて」
紫苑が言った。無言が、肯定を示した。
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