第35話 二人の夜

 由紀子は、彼を病院に連れ戻した。


「やっぱり、温もりは感じられない……」


 由紀子は、アレクの腕を抱えたまま歩いていた。


「プランテッドの長をプランテッドが務めるのは道理なんだろうけど……。由紀子も、触覚が無いのか」

「ええ。私には味覚も、触覚も無いわ」

「そうか」

「だからって憐れみはいらないわ。だって、ずっと欠けていたものが、私の側にいるんだから」

「俺が、由紀子の欠けていたものなのか?」

「そうじゃないかなと思ってるの。これでも結構、ときめいているのよ?」

「ときめき、ね」


 二人は病院のスタッフに気付かれないように、病室に戻った。病室に、アレク以外の患者はいない。

 由紀子は、アレクの病床のカーテンを広げて、二人きりの狭い空間をつくった。アレクに、服を脱ぐよう促した。


「これが、正化を追い込むのに役立つのか?」

「ええ」

「こうしてる間にも、正化が君を操ってくるかもしれないんだろう」

「その時は、私を殺して。あ、暫くそのままでいて」

「ああ」

「……うん、OK。これでつくれる」

「もういいのか」

「ええ。ねぇ、梗治」

「その名は捨てたって――」

「いいから。ね、私のこと、好き?」


 開けていた窓から、風が吹いて、カーテンを揺らめかせた。


「わからない」

「はっきり言わないのね」

「昔も、そんなこと言われたなぁ」

「紫苑を気遣っているの?」

「どうだろう。君だって紫苑だからな。昔の惚れた腫れたがこうなるなんて、思ってもみなかった」

「……今のは聞かなかったことにしてあげる。あのね、私は、確かにここで生きていて、あなたの答えを待ってるのよ? 逃げられるなんて思わないで」

「悔いた事が取り返せると分かっても、それができるとは限らない」

「逃げないで」

「逃げるものか」

「嘘。あなたは、悔いている自分が好きで、センチメンタルを言い訳にして楽をしたいから、そんなことを言うのよ。出来ることすら見逃して、自分を卑下している」

「だから、逃げるものか。俺は紫苑が好きなんだ。好きだから、同じ紫苑だっていう君の苦しみを分かってあげたい。でも、そうできないのが悔しいんだ。俺は、紫苑なら、もう選べないんだよ」


 由紀子は、アレクの厚い胸をみて、暫し何も言わなかった。ようやく、言う事が見つかったのか、アレクのサングラスに茶色の瞳を合わせると、


「もう一度、サングラスを外してくれる?」


 アレクは、サングラスを外した。

 由紀子が、その琥珀色の瞳をまじまじと見つめる。


「綺麗。人間のものとは思えないくらい」

「君だけが、この瞳を褒めてくれる」

「好きだもの」

「そうか」


 由紀子のキスを、アレクは受け入れた。


「準備が出来次第、あなたには本社に来てもらうわ。その時までに、答えを決めておいて」


 由紀子は、カーテンを開けて、窓から忍者のように飛び出て行った。

 荒川梗治の唇には、その冷えたキスの感触が残っていた。


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