第34話 冷凍睡眠の娘たち

 通路の果てに、〈関係者以外立ち入り禁止〉と貼られた金属製の扉がある。由紀子は開けた。薄暗い蛍光灯を点けて更に地下へと続く階段を降りていく。

 スライド式の扉の前に着くと、由紀子はポケットから〈赤線〉の偽造カードを取り出して読み取り機にかざした。


 真っ白な光が、アレクの目をひそませた。アレクの両目は徐々にサングラス越しに慣れていく。冷蔵庫のように冷気の漂う空間に、二人は足を踏み入れた。

 床も、壁も、天井も、升目状の線が引かれるのみで、すべて純白だった。


「ここが冷凍睡眠の保管室か?」

「その通りよ。バイタルチェックと監視カメラで管理してるの」

「それにしては、眠ってる人間どころかオートメイドすらない」

「壁にいるの」


 そう言うと由紀子は、カードを壁に当てた。唸りとともに、升目の一つが引き出しのように飛び出たのだった。それはゆっくりと伸び、二・五メートルほどの柱になると、同時に出てきたアームによって縦向きに直された。

 その直方体の一面は、無色透明のガラス張りだった。


 中には、はだかの少女が眠っていた。


「この升目の一つ一つが冷凍睡眠のカプセルなのか……?」

「天井も、床も、全部そう。この部屋は、地上のアーケード商店街の真下に沿うように続いているわ」


 約一・五メートル四方の升目が、この凍えた空間に続いている。天井の高さは升目四つ分、道幅と天井には七つ分。三百メートルほどある商店街と同じ距離があるならば、カプセルの数はおよそ四四〇〇個となる。


「カプセルはこれで全部か?」


 由紀子は頭を横に振って否定した。


「〈赤線〉の冷凍睡眠保険の加入者は一万人を超えているわ。この通りがもう二本あるの。ここみたいに壁を埋め尽くしてもまだ足りなくて、場所によっては、カプセルを出したままのところもある」

「カプセルの検索とかは、できるのか?」

「ええ」


 由紀子は壁のある部分を押して、ノートパソコンのような端末を引き出した。

 何か入力して実行すると、二十メートルほど先の道から、一本のカプセルが突き出た。

 カプセルは床から離れて、付属の車輪でアレクたちの前まで移動した。

 ガラスケース越しに眠っている裸体は、金色に髪を染めた小柄な娘だった。


「菊本可奈か――?」

「ええ。オートメイドが、本人によく似せて造られているのが分かるでしょう?」


 確かに、アレクたちの目の前で砕け散った菊本可奈と、全く同じ姿の人間が眠っている。


「この子は、まだ粉砕されてないだけ、幸運ね」


 粉砕という言葉に、アレクは敏感に反応した。


「もしかして、十年前の粉砕機が、この地下にあるのか?」

「現役よ。見たい?」

「……ああ」


 由紀子は可奈のカプセルを出したまま、保管庫の一本道を端まで歩いた。アレクも肩を並べて向かう。道の終わりは、更に地下へと続く階段だった。セメントで固めた壁沿いを下る。糞尿や泥を混ぜた鼻を突く臭いと、水の流れる音がする。下水道が近いのだ。

 その階段の終わりは、二メートル四方のがま口だった。その奥に、あらゆるものを粉砕する、オルゴールの歯をこれでもかと敷き詰めたような、二本の回転刃がかみ合っていた。


「不要のオートメイドや、冷凍睡眠中の人間は、ここで裁断されて下水に流されるわ」


 粉砕機は〈人間シュレッダー〉の名にふさわしく、そこにいた。アレクは、獲物を待って刃を光らせるそれを、破壊したかった。


「必ず、ぶっ壊してやる」


 もう十五分は過ぎている。気が済んだところで、二人は店に戻った。


 店に戻ると、大きい身体の男がいた。見慣れた人物だった。


「ん? マスターじゃないか。どうしてここに?」

「あ、アレクくんに、由紀子くん!? い、いやぁ、これはね……」


 マスターはオートメイド用の部品を抱えていた。


「女の子たちの修理か?」

「ど、どうして」

「こんなところに出くわせばな。沙耶や由紀子とも知り合っていたし。こんなところにいるってことは、差し当たり、技師を引退して、珈琲店を始めたってところか」

「さ、さすがだよ。た、確かに、私は元〈赤線〉の技師だ。彼女たちに修理を頼まれたんだよ。そ、そういうアレクくんは、一体何をしてるんだい?」

「何でも屋だからな。依頼を受けている」

「べ、便利だね、その言葉。ゆ、由紀子くん、君は、何をしようとしているんだい?」


 由紀子は、


「大仕事の準備をしてるの。マスターこそ、落ち着かない様子だけど?」

「そ、そうかな」


 アレクは、店から少し離れたところに誰かが立っているのを見た。マスターが動揺する理由が分かった。

 背の低い、二つの大きな癖毛の子がいた。黒いパーカーを着た、折笠紫苑がそこにいた。

 パーカー姿が、可奈を想起させたが、ミックは、ポケットに両手を入れて、物思いに耽っているようだった。


「紫苑?」


 アレクが訊くと、紫苑は彼を見た。


「あ、梗治……? って、梗治!? 病院にいるんじゃ……」

「あのぐらいで救急車なんて、大げさなんだよ。紫苑こそ、マスターについて来たってことは、もう歩けるのか?」

「あんまりだけど。なんか、じっとしてられなくて。あの、マスターのこと……」

「大体の事情は読めるよ」

「そう……。じゃあ、この後、うちに帰ってくるんだね?」

「そのつもりだけど」

「いま、家に沙耶たちもいるの」

「みんな、マスターが治すのか?」

「うん。マスターはすごいんだよ。私の足と、腕も、マスターが造ったんだから。それで、どうしてここに?」

「依頼みたいなものさ」

「依頼?」

「――そう。私の依頼をね」


 店の方からその声がすると、紫苑は露骨に嫌な顔をした。由紀子が店の外に出てきて、二人はアレクを挟む形で対面した。


「梗治。なんで由紀子といるの?」

「夜のデートにお誘いしたのよ。紫苑さん、言わせてもらうけど、私だって本当の名前は紫苑なのよ? 貴女が好きな彼を、私も好いているのは、自然なことでしょう?」


 紫苑は満足に歩けない足で、一歩だけ由紀子に迫った。紫苑の目は、由紀子の薄手のワンピースの、腹部をじっと見ているようだった。

 何かあるのだ。由紀子には。


「言ったのね、由紀子……!」

「隠すことかしら?」

「梗治を困らせるじゃない」

「私には彼が必要なの。これから、梗治と夜を共にするわ」


 由紀子はそう言ってアレクの腕を掴み、豊かな胸を押し付けた。


「聞いてないぞ、由紀子」


 由紀子は、アレクの耳元で囁いた。


「部品は揃っても、あなたの身体を調べないと、準備が出来ないわ」


 その言葉も、アレクには意味深長に聞こえた。しかし、今は由紀子について行かなくてはならない。

 染井を敵とする意味で、由紀子も、紫苑も、同志になれるはずなのだ。

 しかし、そう言って紫苑が納得するとは思えなかった。

 もし自分が紫苑と同じ立場になったとしたら、アレクは、自分への怒りをそのまま、もうひとりの自分にぶつけてしまうだろう。力ない自分をこの上なく恨み、ついには殺すかもしれない。


「紫苑、悪いが今夜は帰れそうにない。マスターの手助けをしてやってくれ」

「梗治……」

「俺は、その名を捨てた男だ」


 嘘だ。捨ててなど、いない。


「ずるい。私は、ミックを受け入れたつもりなのに」

「君はそれでいい。俺は、俺のやり方がある。信じてくれ」

「……梗治! 必ず、必ず帰って来て。私、あなたに言いたいことがあるんだから!」

「ああ。必ず戻る」


 紫苑のすすり泣きが、地下街に反響した。


「梗治……私は……」


 遠くに感じる紫苑の声を、アレクは確かに背中で聞いた。

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