第31話 あなたに私は満たせない
本社の八階建てのビルを、エレベーターが頂点へと昇った。
正化のオートメイドと由紀子は、その専用エレベーターでしか着けない廊下に出て、ひとつのドアを開けた。マンションとは別にある、由紀子の個室だった。
「聞イテイタカ、由紀子?」
「え? 大切な話だったわね」
「聞イテナイジャナイカ。君トモアロウ人ガ……。ココニ保存シテアル精子・卵子ノ中ニハ、私ノ精子ト、君ノ、紫苑ノ卵子モ保存サレテイル。私ト君ノ受精卵ヲ作ッテ、人工子宮ノ実用一号ノ胎児ヲ作ル。分カルカイ? 私ト君ノ子供ヲ作ルンダ。ソシテ君ハ母ニナル。オートメイドノ母ニナルノダ」
由紀子の腹の底が唸った。わざと深呼吸をしてみせて、ベッドの脇まで這入ってきたオートメイドの腰に手を添えた。
「条件があります。あなた自身で、私を抱いてください。そうでなくては、愛情をもって子を育てられません。このような機械の身体など引っ込めて、あなたの温もりで、愛をお授けになって。そういうことでしたら、私はあなたの愛を受けた子を、人口の子宮であろうと、抱き留めてみせます」
由紀子は紅眼越しに自分を見ているだろう、染井正化本人を見つめた。いや、睨みつけたといってよい。染井という男は、由紀子の腹の底からの怒りを、正面から受け止める度胸も、器量もないのだ。だから、オートメイドなどに頼る。折笠悠を知り、荒川梗治を思い出した由紀子が、それでも尚、この男に付き合う義理はなかった。
あの雨の中で、紫苑たちを払いのけて、荒川梗治を抱こうとしなかったのは、正化を支えてのことでも、紫苑を恐れたのでもない。由紀子なりのけじめを、今この場所で付けたいからだった。少なくとも由紀子は、今の心境をそのように感じていた。悠を失った女の矜持を、いま一度、全ての元凶たる男にぶつけたかった。その意味で、由紀子ははったりをかけていた。
「コチラモ条件ガアル。ソノイマイマシイモノヲ、今スグ棄テロ」
正化のオートメイドは、ベッドランプの横に置かれた骨壺を指した。
即ち、折笠悠の遺骨であった。
「どうして? 信用できない?」
「不貞ノ輩ダ。私ノ由紀子ニ手ヲ出シタ男ダ。葬式ハ見逃シテヤッタガ、君ガ本当ニ私ヲ愛シテイルノナラ、モウコノ男ニ未練ハナイハズダ。スグニ棄テロ! 私ノ由紀子ニナレ!」
由紀子の答えは決まった。
由紀子は服を脱いで、一糸まとわぬ姿になった。オートメイドの紅い眼に自らの柔肌を晒して、その白く弾力をもった細い腹に、オートメイドの腕を引き込んだ。
腹の唸りはデンタルドリルが回転数を上げたときのような高鳴りに変わり、次いでバリバリと砕かれる音がした。オートメイドの冷たい片腕が粉砕された。
オートメイドは、潰れた腕を、由紀子の腹から引き戻して、抵抗した。由紀子は、自分より上にあるオートメイドの額と顎に手を伸ばした。
十指でグイっと掴み、その頭を反時計回りにねじった。精密なものが千切れ、砕け、割れる音がした。
「ナニヲ、スル……」
さかさまにぶら下がった首が、由紀子の乳房を見上げていた。
「正化? 今から隣の部屋に行って、本物のあなたに同じことをしてもいいのよ? 次に私の肌を見る時は、あなたが死ぬときだと思いなさい」
仁王立ちのオートメイドの胴を、由紀子は蹴った。オートメイドは仰向けになって倒れた。首から、血のようなオイルが吹きだした。
「あなたに私は満たせないわ」
その光景が、数日前の惨劇と重なった。途端、由紀子は糸が切れたマリオネットのようにカーペットに頽れた。嘘だと思いたい事実を、傍らの骨壺が証明している。由紀子は、白のワンピースを着直した。
ワンピースでは寒いと思われる気温になってしまった。
寒気に全身が総毛立つのを想像して、由紀子は部屋を出た。裸になっても外さなかった金のブレスレットが、廊下のLED照明に当たって良く光った。
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