第19話 花は散る

 アレクは、昼間のスナック店の前でミィちゃんを捕まえた。

 それから、全力で走る男を見かけて「もしや」と思い、彼の来た道の逆を辿った。

 

 したらば、この有様だった。

 

 知らぬ間に天地がひっくり返ったのか、血みどろパーカーのオートメイドが倒れ、その目の前に折笠紫苑が膝をついていた。


 寄道由紀子が言っていた「二人を合わせるな」とは、紫苑が危険な目に遭うからという意味に捉えていたのだが、これは逆だ。アレクは駆け寄った。


「紫苑! どうしたんだ。菊本さんは……紫苑?」


「どうして。ねえ、答えて。可奈ちゃん。どうして殺したの。あなた寒いって言っているけど、私だってその気持ちはわかるの。私だって、一人で寂しいんだよ? ミックミックって呼ばれて嫌なんだよ。ねえ、あなたはどうして人の嫌がることをして『知らない』と言い張るの。ねえ、どうして。どうして……」


 紫苑は、両手で顔を覆う殺人オートメイドの肩を揺らした。


「……紫苑」

「どうして」


「紫苑!」


 アレクは、紫苑の肩を叩いた。アレクを見上げる紫苑の瞳は、酷く虚ろであった。


「……アレクさん?」

「何があった」


「可奈ちゃんが、お兄ちゃんを殺したんだよ。ねえ、アレクさん。どうしてだと思う?」

「分からない。それが、オートメイドの性質かもしれない」


「納得できないよ。それはお兄ちゃんを殺した理由じゃないもの」

「無差別ってこともある」


「もういい。ねえ可奈ちゃん答えて。どうしてなの」


 可奈はもう何も言わない。アレクの懐からミィちゃんが出てきて、可奈の胸に乗った。ミィちゃんは、可奈の腕をペロペロと舐めた。


「ミィちゃん……? ああ、ミィちゃんだ……よかった。ウチ、心配してたんだよ? あの日のミックと同じ、左手の無い猫ちゃん。ミィちゃんは暖かいね……」


 可奈は、上体を起こすとミィちゃんを抱いて撫でてやった。その時の紫苑は、かつてなく安らいだ、子を抱く母のように柔らかな表情をしていた。


「菊本さん。聞きたいことがあるんだ」

「アレクさん……」


 可奈はミィちゃんを強く抱いた。逃げようはないはずだ。

 アレクは携帯端末を取り出してSNSの折笠悠のプロフィールを開いた。


「正直に答えて欲しい。君は、この男に見覚えは?」

「見たことあるよ」


「じゃあ、この男を殺した?」

「それは知らない」


「可奈ちゃん!」


 紫苑が怒鳴って、可奈は身を縮こませた。


「だが、君の格好はどこから見ても殺人オートメイドのそれだ。何か言いたいことは?」


「ウチ、よく昼間に気を失うの。そう。お腹が空いたな、寒いなって感じると……。でね、気づいたら夜になってて、由紀子さんや沙耶が困った顔するの……ホントだよ。ウチ、人殺しなんて、知らない……。ミックがいてくれたら、こんな事なかったのに……」


「だが事実だ。君は殺人を犯している」


 可奈はアレクの言葉を拒むように俯いた。


「ウチ、覚えてないんだよ? それでも、悪いの?」

「オートメイドであろうと、罪は罪だ」


「……そっか。ウチはオートメイド……。とっくに人間ぢゃないんだ……」


 可奈は諦めたように落ち着いていた。


「紫苑ちゃん」

「なに?」


「実はね、紫苑ちゃんのカレー、トイレで吐いちゃったんだ。ごめんね」

「……」


 今の紫苑からは、どんな些細なことでも許しの言葉は出ないだろう。悠を殺した容疑があるし、そうでなくとも無自覚に大量殺人を行っていた菊本可奈は、危険極まりない存在だ。


 アレクは携帯端末で通報しようとした。その瞬間。


 PPPPPPP! PPPPPPP!


 アレクの携帯から、大きな着信音がした。アレクは驚いて、端末を落とした。拾おうとすると、端末の横をミィちゃんが駆けていった。


 ――しまった。この猫、大きい音に弱いんだった。


 可奈の手を離れたミィちゃんは、逃げるように路地を曲ってしまった。紫苑とアレクがミィちゃんに目を奪われると、菊本可奈が飛び出した。


「逃げないで!」


 紫苑が追走する。アレクもまた、けたたましく鳴り続ける端末を胸ポケットにしまって、後を追った。


 路地を曲がる。目前には車が行き交っている。ミィちゃんは、車道に出ていた。

 丁度、右手から二トントラックが走っていた。紫苑はもとより、アレクすら間に合わない。ミィちゃんが轢かれてしまう。


 そこに――


「ミィちゃああああああああ――」


 一つの人影が、体操選手のように颯爽と飛び込んだ。そしてミィちゃんを抱きかかえ、トラックに背を向けた菊本可奈は――弾けた。


 ガラス。金属。質量を持った物体の衝突。

 トラックのフロントが凹み、あらゆるモノが砕け散る中には、白い肌、赤い液体、鈍色の金属、黒のカーボン、眼球、人工内臓、骨格、脊髄、筋肉、爪、歯、顎。電子制御装置。無機的五臓六腑。四肢はあらぬ方向に曲がり、捥げて、飛び散った。


 刹那の出来事に、全てが止まった。


 トラックのクラクションが耳を劈いて鳴り響く。


 白いボディに液体がベッタリついている。そのガラクタの中を、無傷のミィちゃんはするりと抜け出して、紫苑の足元に擦り寄った。まだ、アレクの胸の携帯端末が鳴っている。アレクは苛立たしく取り出した。


 ――ふざけるな……!


 アレクは端末の画面を疑った。何とかいてある? 

 二、三瞬きをして、サングラスを外した。だが確かだ。間違えようがない。


 発信元は、折笠悠だった。

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