第18話 殺人鬼は

「可奈ちゃん、二手になって探そう!」

「……うん、分かった!」


 ミィちゃんを見失い、紫苑と可奈が二手に別れることになって三十分。紫苑は、大通り裏の高級マンションを経て吉祥寺の東側を探し回っていた。空の雲は厚く、風が吹いても天気が変わることはなさそうだった。


 この辺りに、ミィちゃんはいないのだろうか。猫探しのノウハウなんて、紫苑には分からない。一旦、可奈と合流しようと、紫苑は可奈の行った方に向かった。


「うーん……ん?」


 道端で男性がよろめいていた。後方をチラチラ見ていて、何かに追われているかのようだった。紫苑は、周りに人がいないのを確かめて、男性に近寄った。


「どうしたんですか」

「ひっ――! よ、よかった、違うか……ここから離れるんだ……ヤツがくる。君まで巻き添えになる……」


「ヤツ……? それって」


 耳を澄ませば、物体が空気を切り裂く音がする。疾風のように近づいてくる。ヒュンと跳び、トンと地を蹴る。紫苑は全身が粟立つのを感じた。


 来るんだ。アイツが。殺人オートメイドが。


「…………」


 紫苑は、両の拳を握った。今度こそ、戦いたい。そう思った。二度の襲撃を思い起こす。勝負にもならず、一方的に殺されかけた。逃げても無駄だった。


 もとより、戦う以外に道などない。


 アレクは来るだろうか。沙耶や可奈が来てしまわないだろうか。

 紫苑の十メートル先には、既に血に染まった黄色のパーカー姿が跳んでいる。


「きたっ……」


 男性は、一目散に逃げた。黄色いパーカーの殺人オートメイドは、紫苑の頭上を越えて男性の背中に飛びつこうとした。


「殺しちゃだめぇ!」


 紫苑は、殺人オートメイドの下を走った。そして男性に接触する寸前、精一杯ジャンプして、オートメイドの足を掴んだ。


 オートメイドは体勢を崩してアスファルトに倒れ込んだ。紫苑もまた、ワンピースの生地と膝小僧をアスファルトに擦った。


 男性はその場から逃げおおせた。路地には、足を掴まれたオートメイドと、しがみつく紫苑の二人だけがいる。


 オートメイドの深い、真っ黒の瞳に見られて、紫苑は、足が冷たく震える心地がした。そして紫苑が抱いたフリースパンツ越しのオートメイドの足も、冷たい。


 待った。

 フリースパンツ? 

 冷えた、小柄な身体? 


 それらは紫苑にとって覚えのある特徴だ。

 紫苑は冷静になろうと、オートメイドを見つめ返していた。


「あなたは誰?」


 紫苑はそう零した。オートメイドは目を瞬き、数秒の後に口を開いた。


「ウチは……可奈」

「可奈ちゃん……?」


 紫苑は、オートメイドの足から手を離して立った。知らず、後退りする。可奈を名乗るオートメイドもまた立ち上がり、よろめきながらも血みどろのフードを外した。その顔は、間違いなく菊本可奈だった。


「どういうこと? 可奈ちゃんが、ずっと私を襲っていたの?」


 可奈は空の両手を広げた。切なそうに目を細めて、一歩一歩、紫苑に近づく。可奈は紫苑の両肩を抱いた。透き通った肌、憂う瞳に、紫苑は逆らえなかった。整った睫毛が揺れて、艶のある唇が目前に迫った。


「助けて。……ミック」

「ま――!」


 紫苑の唇が、ひんやりとした可奈の唇に塞がれた。


 紫苑の息が止まった。その瞬間に全身はしびれ、唇だけが冷たく、激しく撫でまわされる。沸騰する紫苑の熱が、息を漏らさない可奈の唇に奪われて温もりを蓄え、二人の体温が融け合っていく。


 可奈に唇を吸われている。紫苑は歯を食いしばった。


 ――可奈まで、私をミックと言うなんて!


 可奈の舌が、紫苑の唇を割ろうとした。


「嫌っ!」


 紫苑は、可奈を突き飛ばした。

 可奈は転んだ。紫苑は唇に手を当てて、そのまま腕で拭った。


「いきなり何をするの、可奈ちゃん。私、好きな人がいるって言ったよね」


 可奈は再度立ち上がり、紫苑に歩み寄ってくる。


「そんなの、ウチは知らない。助けて。ミックは暖かい。ウチは、寒いの。ただ暖めてほしいだけ。ミック……。ねえ、思い出して。ウチとの記憶を。私の胸を暖めて。ミックがいなくなってからウチ、ずっと寒いの。食べても、抱かれても、何をしても寒いの。助けて」


「もうやめて。可奈ちゃんまで私をミックって言うの? 私はミックじゃない。私は紫苑。折笠紫苑でしょ!」


 紫苑は力いっぱいに怒鳴った。可奈は目を丸くして硬直した。絞り出すような声は、やがて、ヒステリーな叫びとなる。


「なんで。なんでミックまでウチに意地悪するの……? ウチってそんなに悪い子? 助けてくれたじゃない……。仕事が辛い時、私を抱きしめてくれたじゃない。……なんで。ねえ何で!」


 可奈はフードを被り、身を屈めて構えた。


 ――来る。


「もう戻らないならいっそ、ウチのモノになって! ミック!」


 殺人オートメイドは、絶叫した。やるか、やられるか。紫苑は距離を取りつつ覚悟を決めた。これまでを振り返れば、オートメイドに勝てる道理はない。だのに、紫苑の中には不思議と自信が沸いていた。


 オートメイドが、助走をつけて倒立した。そしてアスファルトに付けた両腕をバネのように伸ばして実に地上三メートルの空中に跳んだ。オートメイドは身体を一回転させて、跳び蹴りの構えをとった。伸ばした片足の先に、折笠紫苑を捉える。


「そんな飛び蹴りなんか――!」 


 折笠紫苑は、知らずそう呟いた。オートメイドの跳びかかりに対して、自ずと左手が動く。両足を軽く曲げ、受ける構えをとった。


 オートメイドは、空中から紫苑に迫った。紫苑は逃げない。オートメイドの足が紫苑に当たらんとする刹那。その左手が、オートメイドの足を掴んだ。


 傍目には奇術。百分の一秒の静止画。オートメイドは跳び蹴りの不安定な姿勢のまま中空で止まり、紫苑は石像の如くに揺るがなかった。


 瞬間で百キロは下らない負荷を、紫苑の左腕一本が受け止めたのだ。その時、癖毛の少女の口がこう動いた。


「私には、力がある」と。

「ミッ……」


 紫苑の左手は、余力を見せつけるように殺人オートメイドを叩き付けた。オートメイドは打ち身の反動で跳ねた。


「え……」


 紫苑は、咄嗟に左手を押さえた。目の前の光景が理解できない。


 足元に、菊本可奈――殺人オートメイドが倒れ込み、身体を震わせている。確かに、跳び蹴りが来るのは認識していた。しかし一瞬、折笠紫苑は意識を失っていた。そして我に返ったと思えばこれだ。

 

 痛い。左の二の腕が引きちぎれそうに痛い。実際、筋を切ったかもしれない。


 紫苑は、痛みに耐えかねて膝をついた。思い出したように荒い呼吸をした。

 仰向けの菊本可奈は、泣き出しそうな声で喘いでいた。


「なんで……なんでよ……」


 菊本可奈が殺人オートメイドならば――紫苑の中に、一つの疑問が出た。


「可奈ちゃん。あなたが、殺したの?」


 息を整えながら、紫苑は訊いた。可奈は泣き声を上げた。頬を赤くすることも、瞳を潤ませることもなく。しかしベビーカーで駄々をこねる幼児のように、弱った身体をジタバタさせた。


「可奈ちゃん。可奈ちゃんが、私のお兄ちゃんを殺したの?」


 可奈は首を横に振った。

 知らない。やってない。ウチじゃない。お願い、ウチを暖めて……。


 懇願が続く。それを、今の紫苑は受け入れることができない。自信や昂揚はない。ただ、胸の内に湧き上がる悲しみと怒りが混ざり合い、「どうして」と問う他になかった。

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