第11話 丹波珈琲店のモーニング
明くる日。丹波珈琲店の赤いラジオから、ポーンと時報が鳴った。
『おはようございまーす! 時刻は午前九時。ライツのチェキチェキ大放送の始まりでございます~。司会は私ライツの……』
カウンターから見えるテーブル席に、紫苑とアレクと可奈が座っている。モーニングを食べに来たのだった。紫苑は相変わらずコーヒーミルの騒音に耳を塞いでいた。
「紫苑ちゃん、どうしたの?」
「うん。私、この音苦手で……」
アレクから見て、並んで座る二人は心なしか疲れているようだった。慣れないベッドで寝付けなかったのだろうか。しかしあの二人、わずか一日で随分と仲良くなったものだ。
ラジオからはCMが流れていた。
『……こんにちは。〈赤線地帯株式会社〉の
それは、
少子高齢社会の我が国には、慢性的な労働者不足があります。私たちは、災害救助をはじめ、漁業、林業、農業、工業、サービス業など、多岐に渡って、持続可能な社会を支援するオートメイドを製造しております。
また、機械と人間の新しい関係を築くために、新事業への挑戦も行っております。これからも、ヒトのため、社会のために。〈赤線地帯株式会社〉でした』
染井正化と言えば、重工業の最大手たるトヨシマ重工出身のエンジニアだった。
オートメイド開発の第一人者として世界的にも有名で、希代のエンジニアとも呼ばれていた。正化は十年前にトヨシマ重工を退社して、〈赤線〉の社長となっていた。
彼の言う新事業の一つにプランテッドの試験的導入が含まれていると考えると、アレクは不愉快であった。
「は、はい。モーニングセット、お待たせ」
肥満体の丹波が三人分のコーヒーと食パンとサラダをトレーに乗せて、テーブルに持ってきた。
「あ、アレク君、また一人増えたのかい?」
「ああ。この子は菊本可奈。迷子の猫探しをしている」
「ね、猫?」
可奈は、丹波に言った。
「ミィちゃんって猫なの。茶トラの。赤い首輪してるの。ね、おじさん。店に貼り紙してくれない?」
「あ、ああ。いいけど、貼り紙するなら、写真のデータが欲しいな」
「うん」
可奈は、フリースパンツから携帯端末を取り出した。丹波もエプロンのポケットから端末を取り出す。可奈は猫の写真を画面に出してから、画面を縦向きにスワイプした。飛ばされた猫の画像が、丹波の端末に移り込んだ。
「ミ、ミィちゃんね。お客さんにも聞いてみますから」
「お願いしますっ」
可奈がですます調を使うのを、アレクと紫苑は初めて聞いた。
「さて、いただこうか」
アレクはコーヒーカップを持ちあげ、可奈と紫苑は小さな一口でサラダを齧った。
ドアベルが激しく揺れた。ポニーテールの女子高校生が荒々しくドアを開け、店内を見回した。その視線が、紫苑を捉えた。
「いた! ミッ……紫苑!」
「沙耶! 無事だったの?」
妃沙耶は、つかつかとテーブル席に詰め寄ると、紫苑の腕を掴んだ。
「家にいないと思ったら、ここにいたのね。紫苑、今日は学校行こ! みんなに会えば、思い出せるはずだよ」
「えっ、でも可奈ちゃんの猫が」
沙耶は菊本可奈を指さして睨んだ。
「そんなの、この人の自己責任でしょ。紫苑は、紫苑のことを一番にしてよね!」
「ん……でも……」
「紫苑!」
沙耶が紫苑の腕をさらに強く握ると、紫苑は顔を歪ませた。
目の前のアレクに、「助けてよ」と言わんばかりに目配せした。
アレクは一つ息をしてから言った。
「紫苑。君はどうしたいんだ。俺は殺人オートメイドの調査をするが」
「私は……あっ」
沙耶が、紫苑を無理矢理に引き上げた。紫苑は流されるまま立った。アレクは黙っていた。咄嗟に、菊本可奈が紫苑を引き留めようとしたが、妃沙耶は可奈に冷たい視線を向けた。
「どうして、あなたがこんなところにいるの」
「だって、ミィちゃんを探さないとぢゃん……」
か細い声の可奈に、沙耶は舌打ちした。
「好きにすれば? ね、学校行こ、紫苑」
「え、ちょっ、ま……」
結局、紫苑は沙耶に連れて行かれた。丹波が残念そうにため息をし、可奈もそれきり黙ってしまった。ラジオから流れる芸人の掛け合いが、嫌によく聞こえる。
アレクは、自分の皿と紫苑の残りを平らげた。可奈は食事にすら目を向けない。
「菊本さんは、妃沙耶と知り合いなのか?」
「……うん」
「で、菊本さんはどうするんだ? 猫探し。仕事もあるんだろう?」
「……これから探すの。仕事は夜だから」
「そうか。食べないと動けないぞ」
「……朝は食べない派」
「店に呼んで悪かったな」
「別に。紫苑ちゃんがいたから」
「好きなんだな、紫苑が」
「うん。好き」
そう返す可奈は、一向にアレクの方を見ようとしない。アレクはカップを回した。温くなったコーヒーが、あと一口分だけ残っている。丹波はカウンターを出て、わざわざこっそりと、アレクの隣に来た。
「……アレク君。彼女、菊本可奈さんと言ったね?」
と、丹波はアレクに耳打ちした。
「そうだけど、知ってるのか?」
「ど、どっかで見たことあるんだよ、彼女」
丹波は携帯端末を取り出し、『菊本可奈』とウェブ検索した。丹波は画像を可奈に見せた。
「ほ、ほら! 体操の菊本選手だ。今は大学生で、将来有望だって」
アレクも、端末の画面を覗いてみた。手足を指先まで伸ばして跳ぶ四肢。競泳水着と同じような、紅白のレオタード姿は、体操選手の姿をした黒髪の菊本可奈だった。
写真と可奈を見比べていた。服装と髪色は違うが、顔は全く同じだ。
男二人の挙動を怪しんだのか、可奈が顔を上げた。
「……何か?」
「き、菊本さん、体操の選手だったんですね」
「え?」
問い返す可奈に、丹波が「い、嫌だなぁ、とぼけちゃって」と笑う。
「こ、これは五年前の写真だけど、今も変わらない美しさですねぇ。た、体操はもうされてないのですか?」
「マスター、その言葉、セクハラじゃないの」
「え、そ、そうなの」
可奈は呆然として固まっていた。隠し事を知られて戸惑うというより、想定外の事実を受け入れられないような顔だった。可奈は頭を抱えてうずくまった。
「知らない……ウチ、そんなの知らないよ。ウチはただの労働者。体操なんて知らないよ……」
「菊本さん?」
写真は、ネットニュースの記事のものだった。アレクも自分の端末で同じサイトを開いて、可奈の来歴を調べていた。
「全日本体操競技大会の女子個人総合で準優勝。小柄ながら全身を活かした体操は、体操のプリンセスと呼ぶに相応しい……」
アレクが読み上げると、可奈は首を横に振った。知らないと言い張るつもりらしい。
アレクは席を立って、丹波に耳打ちした。
「彼女の反応、知らないって顔じゃないよな」
「セ、セクハラ……基準がわからない……」
「マスター?」
「し、知ってた……“ただイケ”こそ真理だと……」
「言ってみただけだって。そんなことよりも、彼女のことだけど」
「……わ、分かってる。菊本さんに、何かあったのかもしれない。ほら」
マスターは、スマートフォンで「菊本可奈」の検索ページの関連キーワードを見せてくれた。「菊本可奈 体操」「菊本可奈 かわいい」と横書きで並ぶ言葉の中に「菊本可奈 行方不明」という候補があった。
丹波がそれをタップすると、検索結果のトップは、SNSサイトの彼女が失踪した旨の書き込みだった。サイトを開く。
しかし、「現在このページは表示できません」と書かれていた。再度読み込みをしても表示不可のままだ。菊本可奈は、両膝の上に手を置いて、強張っている。
「そんなことより猫探しだったな。俺も手伝うから、心当たりを教えてくれ」
「あまり遠くに行ってないと思うの。いなくなったのは昨日の夜だから。公園か、街の辺りで人気のない場所ぢゃないかな」
「分かった。茶トラだったな」
可奈は頷いた。
「そしたら一緒に行こうか」
アレクが言うと、可奈は少し嫌そうな顔をした。
「昨日の連中や殺人オートメイドに会うかもしれないだろ?」
「今は明るいぢゃん。それにミィちゃんの居場所ならウチなりに心当たりがあるから、アレクさんはお仕事のついでで探してていいよ」
アレクは後頭部を掻いた。
アレクはそれでいいが、可奈に何かあったときに悲しむのは紫苑だ。
「ウチ、もう行くね。アレクさん、紫苑ちゃんによろしく言ってね」
可奈が席を立ち、店を出ようとした。アレクは可奈についていくように立ち、可奈がドアを開ける間に会計をした。
「き、菊本さんもだ……。よ、寄道さん然り、うちに来る女の子ってコーヒー頼むのに飲んでくれない……」
「俺が余分に頼んだのが悪いんだ。すまないマスター。俺はマスターのコーヒー気に入ってるからさ」
「あ、ありがとう。じ、じゃあ気を付けて」
「ああ。また」
アレクは、陽光の差す外に出て、アスファルトの一本道を見渡した。
菊本可奈がいない。一番近くの曲がり角まで、歩いて一分はかかるはずなのに。
「手前のコーヒー代くらい出せよなあ」
アレクはそう嘯いた。理由は分からないが、アレクは相当嫌われているらしい。
殺人オートメイドの調査と、茶トラのミィちゃん、そして菊本可奈を探す。
受ける仕事は一つのはずが、これでは三つである。
「やれやれ……」
アレクは街へと歩き始めた。
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