第9話 可奈ちゃん
シネコンの隣にあるスーパーで、紫苑と可奈は夕飯の食材を買っていた。
スーパーに入るなり、紫苑は適当な冷凍食品を取って可奈に渡した。可奈の叩かれた頬を冷やすためだった。可奈は「マヂ? ウケるんだけど」と、冷凍ギョーザの袋を頬に当てていた。
それから二人は買い物かごを持ちながら、人参、玉ねぎ、ジャガイモなどを選んでいた。アレクが相変わらず距離を取って付いている。
「彼、何回『早く帰れよ』って言ってた?」
「十回くらいかなぁ」
「そんくらいだよね。めちゃ心配してくれてんじゃん。なんか怖いけど……」
「まあ、無理ないよ」
紫苑は、私も私だと思った。
殺人オートメイドに襲われてまだ数時間しか経っておらず、あの時の恐怖だって抜けてないのに、今は知り合ったばかりの子と買い出しをしている。
ふわふわと落ち着かない心地が続いていた。沙耶はどうしてるだろう。
「紫苑ちゃんも、あの人に助けてもらったの?」
「そうだよ。殺人オートメイドっているでしょ。私、襲われちゃって。危うく刺されるところをアレクさんが助けてくれたの」
「殺人……。そんなのいるんだ」
「だから、可奈ちゃんも気を付けようね」
「うん、そうする」
食材を買い物かごに入れて、二人はレジに並んだ。レジ係のオートメイドが全てのバーコードを通し終えたとき、紫苑はハッとした。
「あ! 財布持ってないんだった!」
アレクに頼もう――
と思ったら、彼は列に並ぶのを嫌ったのか、レジを抜けた先にいた。
「どうしよう……」
「それなら、ウチが出しとくよ」
可奈はフリースパンツから長財布を出すと、厚みのある札束から一万円札を出した。
「ごめんね、可奈ちゃん」
「大丈夫。ウチ、稼ぎは良いんだ」
「可奈ちゃん、働いてるの?」
「えへ。こう見えてもウチ、成人なの」
「じゃあ可奈さん、ですね」
「別にいいよ。ちゃん付けの方が慣れてるし」
買い物を済ませると、紫苑と可奈とアレクの三人は、雑居ビルの二階に戻った。
荷物番となったアレクは、買い物袋を下ろすと家には上がらず、二人が部屋に入ったのを確かめてから駅に急いだ。
「んしょ、重い……。ただいまー」
「お邪魔しまぁす」
紫苑は、部屋に入ると明かりを付け、真っ直ぐ台所に向かった。冷蔵庫から氷を出して、スーパーで取っておいたポリ袋に詰め、可奈に渡した。
「これで、ほっぺ冷やしてね」
「うん。ありがと」
可奈の頬に腫れた様子はなかったが、紫苑は念押しした。可奈は素直に受け取ると、二人掛けのソファに座って一息ついた。
「ゆっくりしてね。私は、カレー作ってるから」
「うん……」
ライフラインのチェックは済んでいる。
紫苑は、ビニール袋から人参、じゃがいも、玉ねぎを出して洗い、皮をむいてから包丁で乱切りにした。それぞれの野菜に入れていた豚肉のパックも、ラップを破って台所に残ってる塩コショウを振っておく。
調味料ひとつとはいえ、亡き兄のものを使うのは不思議な心地であった。
「お兄ちゃん、家で食べてないのかな……」
少し大きめの鍋を出して、洗剤を付けたスポンジで洗う。水道で泡を落としてからコンロに乗せ、油をひいて火を点けた。
鍋底が温まった頃合いに豚肉を入れて炒めていく。
「あ。お米忘れてた」
紫苑は、もう一つの袋に入れておいた二キロの無洗米を出そうとした。
しかし、別の手が袋を掴んだ。
「ウチ、やっとくよ。何合?」
「可奈ちゃん……。ほっぺはいいの?」
「もう大丈夫。それに、ずっと待ってても退屈ぢゃん? せっかく紫苑ちゃんと知り合ったんだし、手伝わないとヤだなっって」
「ありがとう。とりあえず三合にしようか」
「うん。任せてっ」
可奈はそう言うと、手早く炊飯器の釜を出して、米を研ぎ始めた。
「無洗米だから、一回でいいよ」
「おっけー」
と、軽いやり取りをしつつ、二人のカレー作りは順調に進んでいった。
とろりとして香ばしいルゥの火を止め、米の炊き上がりを待つ。
「可奈ちゃん、普段は料理するの?」
「うーん、たまぁにね」
「たまーに、かぁ。私と同じだね」
「でも、紫苑ちゃん手際よかったよ?」
「カレーが得意なの。いや、それしか出来ない、かな……」
「でもいいぢゃん。男を掴むには胃袋からって言うし。ね、紫苑ちゃんは好きな人とかいるの?」
「私? 別にいないよ、そんなの……」
「ダメダメ。勿体無いよ? なんだっけ……そう! 命短し恋せよ乙女、ぢゃん?」
ギャルっぽい話し方をするのにそんな言葉も知ってるんだな、と紫苑は思った。
「昔はいたけど……あっ」
紫苑は、机の上にある写真立てを思い出した。
取ってきて、台所の可奈に見せる。
「私さ、この人が好きだったの」
紫苑は、写真立てに写る一人に指をさした。
「いるんぢゃん! へえ……。ハーフ?」
「だったかなぁ。中学卒業したら、アメリカに行っちゃった」
「ぢゃあ遠距離恋愛? ヤバいぢゃん!」
「付き合ってないよ。告る前に行っちゃったの」
「なーんだ。でもさ、案外向こうは恋しがってるかもぢゃん? 連絡したら?」
「うん……」
「どうしたの?」
「ちょっとね」
「ちょっと、かぁ。そうそう。ウチも――」
突然、可奈の言葉が止まった。俯いて、黙りこくってしまう。
「可奈ちゃん?」
炊飯器の電子音が鳴った。炊き上がったのだ。
「……ううん。何でもないの。じゃ、食べようよ」
「そうだね。私もうお腹ペコペコ」
一人暮らし特有の不揃いな二つの器に、紫苑と可奈はカレーを盛り付けた。
「いただきまーす!」
と、声を合わせた。
紫苑は一口食べて顔をほころばせると、可奈に「どうかな」と訊いた。可奈は恐る恐る食べているかのように、ゆっくりと咀嚼していた。
「可奈ちゃん?」
「……うん。美味しい。辛さもいい感じぢゃん」
「よかったぁ。あとは、アレクさんの舌に合うかどうかだなぁ」
「大丈夫っしょ。JKのカレー喜ばない男はいないって」
「そっか。……そうかもね」
紫苑はクスリと笑った。
可奈は「イケるイケる」と、みるみるうちに器を平らげていった。
紫苑が、お代わりするか訊いたが、可奈は、
「お腹いっぱい! トイレ借して」と言った。
「急いで食べるからだよ」
「美味しかったんだもん。……紫苑ちゃん、後でミィちゃんのこといいかな」
「うん。私はゆっくり食べてるから」
可奈は紫苑の指したドアを開けてトイレに入った。
紫苑は、何だかそわそわしていた。こういう感じは、久しぶりだと思う。
嬉しいような、緊張するような。
紫苑はソファから立って、事務机の写真立てを手に取っていた。三人の中学生が、卒業証書を手にして肩を組んで笑っている。薄く埃のかかった表面を、顔の部分だけ拭き取るように、右の親指で撫でた。
「……梗治、だよね」
写真の男が誰なのか、紫苑は分かっていた。だが、紫苑の記憶は、荒川梗治と離れ離れになったところで途切れていた。その次の記憶は、丹波珈琲店でマスターに名前を訊かれたことである。
この写真を見ていると、郷愁のような安らぎと、こどもじみた悪戯心が、さわさわと湧いてくるようだった。
私は、何者なのだろう。そう思っていたら、沙耶が丹波珈琲店に来て、「ミック。あの人が死んだって」と言ってきた。
死んだ人は、折笠悠。
アルバムに挟まれた写真に写っていた男の一人だった。
紫苑は、急いで葬式に参列した。答えがあるかもしれないと思った。
何の答えだろう……?
紫苑はただ、直感のまま動いただけだった。
そしたら、アレクと出会い、何でも屋のお手伝いとなった。
兄の死を追究すれば、私自身の何かが分かるかもしれない。
「そんないい加減なこと言ったら、アレクさん怒るかな。我儘に付き合ってもらってるし」
それに、アレクのおかげで紫苑は孤独を避けることが出来た。
「沙耶……大丈夫かな」
トイレの方から水の流れる音がした。紫苑は写真立てを伏せてからソファに戻り、カレーを頬張った。美味しい。
どうしてカレーの作り方は覚えてるのに、思い出の一つも覚えてないのだろう……。
紫苑は一口、また一口とカレーを食べていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます