第8話 正規のミカタ、参上です
高架下の駐輪場を仕切る金網フェンスに、男が金髪の女性を追いこんでいた。
アレクは走るのをやめて、足音を殺しながら歩み寄った。
金髪の女性は、叩かれた頬を押さえていた。
「いっ! やめてください! ウチ、いま仕事どころぢゃないの……!」
「いやさぁ、困るんだよねキッカちゃん。指名で予約してたのにさ、ドタキャンってのはどうなの。せっかく万券下ろしてきたのにさ、要らないわけ?」
「何それ。客だ客だっていい気になんないでよね! ネチネチうざいんだけど。帰して。ウチ、ミィちゃん探さないといけないの!」
金髪の女性が尖った物言いをする間、男は煙草に火を点けた。吸った煙を女に向けて吐いていく。吐かれた煙を吸いながら、女は、男を睨んだ。
「じゃあさ、謝ってよ。ここで脱いで土下座しろ。そしたら許してやんよ。あと、もっかい叫んだら殺すから」
「……ッ!」
今度こそ、女は黙った。
男の背後から、誰かが煙草を抜き取った。
「チッ。おい誰だ――」
「正義のミカタ、参上ですっ」
と、女の声がした。金髪の金切り声ではない。
「は……?」
男は肩に置かれた手を見た。紙巻きを人差し指と中指に挟んだ、大きく骨ばった手。この手は、女声のものではない――。
「ああづッ!?」
その手は、男の肩に煙草を押し付けた。プリントシャツが焦げてしまう。間違いなく火傷した。
「何しやがるっ……うっ……!」
確かに、女の手にしては厳つい。振り向けば、自分の頭一つを優に超すサングラスの大男が立っていた。彼は絶句した。さっきの言葉は、女の声だったのに……。
大男は何も言わない。ただ、もみ消した煙草を放してから、両指を鳴らした。
大男の口が「失せろ」と動く。
男は腰を抜かして尻餅を着き、両足をガクガクと震わせて走っていった。
男は大きく転び、尚も走って逃げた。
……男が逃げ去るのを、紫苑はアレクの背についたまま確かめた。
「大丈夫か?」
アレクの大きい背が、金髪の少女に訊いた。が、女は黙ってしまっている。男が怖がるのだから、女の子がアレクを怖がるのも無理はない。
紫苑は、さっきからアレクの背に手を添えていた。無意識にしたことだ。紫苑はアレクの背中から顔を出して、金髪の少女を見た。
少女が紫苑と目を合わせてくる。助け舟を求めているようだ。紫苑は前に出た。
「この人は大丈夫です。正義の味方の何でも屋さんですから。私もさっき、この人に助けてもらったの。私は折笠紫苑。怪我はありませんか?」
紫苑に合わせて、アレクは一歩下がった。金髪の少女が恐る恐る頷いた。
「うん。ウチは大丈夫。ビンタされただけ……」
「あいつ、ぶったの? 痛かったでしょ……。ね、家に来ませんか? 冷やすものくらいなら、ありますから」
金髪の少女は返事に困っているようだった。
緊張して判断がつかないのかもしれない。
「とりあえず、ここを離れましょ」
「うん……でも、ミィちゃん探さないと」
「今日はもう暗いですし、危ないです。私とアレクさんでミィちゃん探しは手伝いますから」
「おい紫苑」
「まあまあアレクさん。世は情け、ってことで」
「どういうことだよ」
紫苑は左手を伸ばして少女の手を握った。
彼女の目は綺麗だが、どこか怯えの色がある。
彼女は恐る恐る、握り返してくれた。緊張していたからか、冷たかった。
紫苑が顔を綻ばせると、腹の音がした。そう、紫苑はお腹が空いていたのだ。
「あ、これから夕飯の食材買うんだった。あなたも一緒に食べませんか? あの、お名前は」
「……ウチは、カナ。菊本可奈。紫苑ちゃん、って呼んでもいいかな。あと、ウチに敬語はいいよ」
「うん、分かった。可奈ちゃん、一緒に買いに行こうよ。スーパーなら冷たいものあるし、買うまで頬を抑えればバッチリだね」
可奈は、はにかんだ。
その顔はどこか切なげで、紫苑はこの子を安心させたいと思った。
「じゃあ行こうか」
アレクが言った。まだ慣れない、しかし安心を覚える低い声。紫苑は、記憶も曖昧で、色々とよく分からないことだらけでも、この安心感を大切にしたかった。
確かなものが分からないからこそ、この感覚が愛おしいのかもしれなかった。
「アレクさんって、優しいんですね。断わったはずなのに、結局自分から引き受けて
ます」
「引き受けたつもりはない」
あえてぶっきらぼうに言ったようなアレクを、紫苑は面白いと思った。
紫苑は可奈と肩を並べて歩くようにした。
その三歩後ろをアレクがついて行った。
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