第二章 奪われた居場所をさがして
第7話 事務所(仮)にて
日がすっかり沈み、六両編成の中央線は帰宅者を乗せて西へと走っている。
アレクと紫苑は、事件現場を足早に去って、丹波珈琲店のある雑居ビルに向かっていた。店先で丹波が巨体を揺らしながら階段を掃いていたので、アレクはその背中に「やぁ」と声かけた。
「き、今日は店じまいだよ……って、紫苑ちゃんと、君か。か、帰るんじゃなかったのか?」
丹波はこっちに振り向いて、アレクの長身にまた驚いた様子だった。
「いや、少し事情が変わってね。このビルの管理人を教えてくれないか?」
丹波は、わ、私だけど、と頷いた。
「なら話が早い。悠の部屋の鍵を貸してくれないか。しばらく、そこで滞在したいんだ」
「と、泊まる? 紫苑ちゃんも?」
「はい。アレクさんと一緒に、犯人捜しをするんです」
アレクの隣で、制服姿の折笠紫苑は元気に返した。
昼間の時より顔つきが明るい。
「な、何の?」
丹波が問うと、アレクが答えた。
「悠の死について、もう少し調べたいのさ。俺は、アメリカで何でも屋をやっててな、彼女から依頼を受けたんだ」
「は、犯人ったって、あれは交通事故と聞いたけど?」
丹波は分かり切ったような口調でそう言った。
「さっき警官に聞いた。三日前にこの辺で交通事故は起きてない。俺には、何かあったとしか思えないんだ」
本当は、由紀子が言った殺人オートメイドを目の当たりにしたからであるが、アレクはその事情まで話すことはないだろうと思った。それに、丹波も深入りする気はないようだった。
悠の部屋のライフラインは止めて無かったようで、丹波は三階の自室から直ぐにスペアの鍵を貸してくれた。悠が持っていたはずの鍵は、彼が死んでから紛失したままだという。
「い、一週間くらいなら構わんよ。でも、うちのビルで不純なのは止してくれ」
「まさか」
アレクは笑ったが、紫苑はアレクのサングラスをじっと睨んだ。
アレクと紫苑は、二階の鍵を開けた。靴を脱いで廊下を通り、アレクは壁のスイッチで電気を点けた。白のLED照明に晒されたのは、綺麗な部屋だった。
リビングはテーブルを挟むように二人掛けのソファが二つ。窓際には、デスクトップパソコンが置かれた大きめの机があった。
「まるで事務所の応接間だ」
トイレと風呂は別々に設置されているし、奥には台所もある。おまけに、右手の壁にはドアがあって、紫苑は真っ先に入ってベッドに飛び込んだ。
アレクも追って寝室を見回す。棚に数冊の本が置かれている程度で、整然としていた。アレクは少し埃をかぶったソファにどっしりと腰を沈めて、一息ついた。
数十分前は危機を味わっていたのだ。紫苑を守り、殺人オートメイドを叩きつけたものの、それはアレクにとって事件の始まりに過ぎない。
「これからどうするか、だ……」
紫苑が机の上に写真立てがあるのを見ながら、アレクは軽く目をつむった。
「あ。お兄ちゃんも、この写真持ってたんだ。昨日は気付かなかったけど」
そんな声が聞こえた。
――問題は、殺人オートメイドをどのように捉えるかだ。
捜索するにも効率的な方法は浮かばない。それこそ、グリーンのジャケットを着た〈赤線〉のオートメイドに聞いてみるか、警察と手を取るか。
いや、警察はどうなのだろう。
そもそも、オートメイドの殺人は、どう処理されるのだろうか。問題を起こしたオートメイドを解体処分するのだろうか。
オートメイドの犯罪について、罪の所在はどこにあるのだ?
〈赤線〉にあるのか? それともオートメイド自身にあるのか――
アレクはサングラスを抑えた。紫苑の指が、サングラスを掴もうとしていた。
「――なんだ?」
「なんで外さないんです? サングラス」
「目を患ってる」
「どういう病気なんですか」
「……強い光に弱いんだ。LEDとか、ブルーライトとか」
目の病気というのは嘘だった。アレクは単に、瞳を見られたくなかった。葬儀の時こそ場を弁えて外したが、由紀子に瞳を見られたのは心外だった。
「じゃあ光量を下げますね」
「いやいい。落ち着くんだ。サングラスを掛けた方が」
それが本音だった。
「ふぅん……」
紫苑は瞳への興味が失せたようで、台所に行った。冷蔵庫を開け、二秒で閉じた。
「空っぽでした。お兄ちゃん、外食で済ませてたのかなぁ。調理器具はあるのに……」
紫苑はアレクのそばに戻って訊いた。
アレクは「さあ」と肩をすくめてから、立った。
「紫苑は、家に帰らないのか?」
「今日はやめときます。家では一人ですし。ここならアレクさんが守ってくれるんですよね?」
「ああ。なら悪いが、留守を頼めるか?」
「いいですけど、どうしたんですか?」
「羽田のホテルに、荷物を取りに行くんだ。今からなら終電の心配もない」
アレクは玄関を出てビルの階段を降りた。
背後で鍵を閉める音がして、紫苑が付いてきた。
「俺の話、聞いてたか?」
「駅まで見送ります。それに、食べるもの買わないと」
紫苑は、私の言葉を聞いてなかったの? と言いたげな顔でアレクを見てきた。
「わかったよ」
紫苑には、大人しそうな見た目の割に、自己主張というか、折れないところがあるように思えた。そういえばあの時、紫苑は「手伝いをさせて」と言った。
彼女は、今回の事を自分で解決したいのだろう。
一応、アレクは受け入れたものの、非力な少女に危険な手伝いをさせる気はない。
時刻は夜の八時過ぎ。ビルから駅までの道は、飲み屋やソープランドが立ち並ぶ、歓楽街の佇まいである。人通りは、さほど多くない。
アレクと紫苑が、高架下を曲がったときだった。
「ミィちゃーん。どこ行ったのー。ミィちゃーん」
小柄で金髪の女性が、何かに呼びかけていた。紫のフード付きパーカーに、グレーのフリースパンツという姿で、高架下を駅と反対方向に歩いている。
アレクと紫苑の横をすれ違うところで、金髪の女性がふと、紫苑の方を見た。紫苑は気付かずに歩く。金髪の女性は、紫苑を目で追っていた。アレクは、サングラスに隠した目でそれを確かめる。
「あっ、そうだ。ミィちゃん探さないと。ミィちゃーん……」
女性は我に返ったらしく、せこせこと歩いて行った。
その切ない声が遠のいていく。
「ペット探しみたいですね」
「そうだな」
「…………」
紫苑は、アレクの横顔を見ている。何か言いたげであった。
「何だ?」
「可哀想だと、思いませんか?」
「今の子、何故か君の事を見つめていたが」
「私をですか? へえ……」
紫苑は探偵の真似事みたいに顎に手を当てた。
「アレクさん」
「何だ?」
紫苑は黙った。アレクも黙って歩いた。
「アレクさん」
「…………何だ」
心なしか、紫苑の歩みが遅くなった。
アレクは敢えて歩調を早めた。紫苑と離れていく。
「アレクさん!」
「…………何だよ」
そう言って、振り向いた。
「………………ね?」
「何がだ」
パン、と紫苑は両手を合わせた。
「お願いっ。あの人、放っておけないの」
「嫌だ。受ける依頼は、一つ限りと決めている」
「ケチっ。いいじゃない、迷子のペット探しくらい」
「俺は今から荷物を取りに行くんだ。君だって食材を買うんだろ。寄道はよせ」
「でも私、気になっちゃって……。アレクさん!」
アレクは、紫苑の言葉を待たずに歩き始めていた。
「我儘いうな。早く来い」
また襲われでもしたらどうするのだ。
喉元過ぎれば熱さを忘れるというが、紫苑は、自分の危機感のなさを分かっていないのだ。留守番か、目の届く場所に居なくては困る。
「そりゃ、私の我儘かもしれないけど……もうっ!」
紫苑が不服そうに駆けだした瞬間。
「いやァ! た……助けてえッ!」
後ろから、金切り声のような叫びがした。
恐らく、いや間違いなく、さっきすれ違った金髪の女性だ。
紫苑は、つんのめった身体を反らして声がした方に振り向いた。
「ほら! アレクさ――」
紫苑が言いきる前に、その癖毛が揺れた。アレクが駆け出していったのだ。
「待って下さあい!」
瞬く間に遠ざかる背を紫苑は追った。
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