第4話 オートメイドとプランテッド

 ※


 アレクがそう言うと、由紀子は深刻な面持ちになった。


 途端、カウンター裏でコーヒーミルが唸った。丹波が豆を挽いたのだ。由紀子が黙り込む間、カウンターの方から悲鳴がした。


「ひゃあっ……!」

「大丈夫? ミック?」


 カウンター席で、癖毛の少女が両耳を塞いでうずくまった。癖毛の少女が持っていた漫画が床に落ち、彼女は首を振った。


「私、ミックじゃないよ。紫苑だよ……」

「うん、ごめんって。分かったから……」


 ポニーテールの少女が席を立ち、漫画を拾おうとする。だが、一足早く立っていたアレクの大きい手に、漫画は掴み上げられていた。ポニーテールの少女は憮然としてアレクを睨んだ。


「君たちは、今朝の告別式にいた子だな。どうしてここに?」

「私たちが、ここでお茶しちゃダメなわけ?」

「いいや。また会えるなんて不思議だと思ったのさ。いや、丹波さんの腕がいいのかな」


 丹波は、挽いた豆を紙フィルターに入れて、コーヒーポットからお湯を注いでいた。集中しているようで、こちらには一切目を向けない。


 アレクは、手元の漫画に『鉄腕アトム』のタイトルを確かめた。


「随分古い漫画だなぁ」

「ミッ……紫苑の趣味にケチ付けるわけ?」

「君の趣味は突っかかることらしいな」


 そう返すと、ポニーテールの少女は益々不機嫌な顔つきになった。アレクは、それを無視して癖毛の少女に漫画を渡した。


「はい。紫苑さん、だったか」


 アレクは紫苑という名の響きに、不思議な安心を感じた。

 公園に咲く花のような純朴さがあった。


「ありがとうございます……」


 紫苑は、癖毛を撫でつつ漫画を受け取った。彼女が、サングラスを掛けたアレクを見上げる。アレクは、この純朴な少女に瞳の奥を見透かされた気になった。

 

 存外、聡い子に思える。アレクは久しい心地を振り切り、席に戻った。


 寄道由紀子はアレクに向き直った。由紀子も黙り込んだまま、こちらを見透かしてくるようだった。由紀子は刺すような目付きをして、こう告げた。


「話をする前にひとつ。あなた、今日にでもここから帰った方がいいわ」

「……ん?」


 口調が変わった? 

 アレクがそう思う間に、由紀子は彼に顔を寄せた。近い。


 眉毛の一本、白の肌理きめがはっきりとしているのに、表情は読めなかった。べにをさした唇が耳元に来て、熱い耳朶じだへと言葉を漏らす。


「折笠悠は、オートメイドに殺されたの」


 こめかみを、冷え切った針が貫いたようだった。


「……それが、不慮の事故なのか」


 由紀子の顔が離れる。彼女は面持ちを崩さずに続けた。


「機械の暴走とは違うわ。オートメイドの犯罪はね」

「オートメイド……? なぜ、他殺だと言えるんだ」


 アレクは声音を落として訊いた。この話題を、カウンターの女子二人には聞かせたくない。由紀子も囁くように返した。


「そういう事件が、いくつも起きてるの」

「オートメイドは社会にとって迷惑なことはしない。あんたはそう言ったばかりじゃないか」


「罪を犯すのは、オートメイドの中でも特別な、プランテッドという種類よ」

「プランテッド?」


「人間の人格が移植された、実験段階のオートメイドたちのこと。この街には特に多いの」


 アレクが後頭部を掻いた。首を横に振って、強く言った。


「それにしたって、警察官のアイツが――悠が、どうしてそのプランテッドに殺されなくちゃならないんだ」


 SNSで知ったことだが、折笠悠は警察官になっていた。

 妹の悲劇があってのことだ。


「だから帰った方がいいって言ったのよ。彼は優秀な人だった。それでも、オートメイドに殺されたのだから――」

「首を突っ込めば、俺も殺されると?」


 由紀子は頷いた。


「この十年で吉祥寺の治安は悪くなったわ。子どもが少ないから、大人は健全な社会を作ろうとしないし、世間に嫌気がさした人たちが、日に日に社会から取り残されているの。そこの通りだって、ひと月前に殺人があったのよ。あなたは屈強に見えるけど、殺人オートメイドにかかればどうなるか。ここは、欲と殺戮の街なんだから」


「浮浪者ならともかく、〈赤線〉に生活を保障されたオートメイドが俺を襲うか? 理由がない。それとな、俺は暫くここに残る」


 それを聞いて、由紀子は「どうして?」と問うた。


「俺がここに来たのはな、悠の結婚を祝うだけじゃない。あいつから鉄腕代理人として仕事の依頼があったからだ。あいつはいなくなったが、それだけ危険な街なら、他の誰かが依頼に来るかもしれない。それに、君だけが悠の他殺を言い張る理由も気になる。警察が真相を隠していて、それを君だけに教えた……なんて都合のいいこともないだろうしな」


 由紀子は、目元に手を添えた。そこに丹波がホットコーヒーを持って来て、話は途切れた。アレクは白磁のカップに口を付けた。


 深い苦みの中で仄かな甘さが立ち、芳しい後味が口の中に残る。由紀子はカップの取っ手を撫でるだけだった。


「なら、彼の代わりに私から依頼するわ。ここから去って」

「俺にも断る権利がある」


 由紀子は口ごもったが、また言った。


「とにかく、ここは危険よ。彼の友人だったあなたまで、怖い目に遭って欲しくないの」

「よそ者は帰れってか。聞けないな」


「聞いてよ。お願いだから……」

「いっそ、俺と一緒にここを出るか? 由紀子」


 アレクがそう言うと、由紀子は黙ってしまった。

 意地悪な言い方だったかもしれない。


「私、あなたを心配してるの」

「俺なんかいい。悠を偲んでいてくれ」


 由紀子が美人といっても、惚れた腫れたで付き合うものではない。


 アレクには、由紀子の振る舞いが半端に思えた。帰ってほしいなら、他殺の件は明かす事は無い。却って、懇願するような物言いだと感じた。


「大体、なんで俺に教えたんだ」

「それは……いいの。何でもない。私はただ、誰かにこの事を告白したかったのよ。一人で抱え込むなんて耐えられない。私、彼の死体を見たのよ。ぐちゃぐちゃの、とても人とは思えない、彼の……。あんなの事故じゃないわ。惨たらしい殺人よ……」


 新しい来客があって、丹波は再度、機械で珈琲豆を挽いていた。唸りをあげて、一粒一粒が砕かれていく。カウンターの紫苑という子が、また耳を塞いでいた。


「お願い。だからもう、ここから離れて」

「由紀子は?」

「私は、この街に残るわ。彼が生きてきた街だもの」


 由紀子が席を立つ。これで話は終わりだと、言外に告げていた。アレクは釈然としなかった。由紀子は言うだけ言って、こちらの話を聞き入れやしない。


 由紀子は、胸に手を当てて扉へと歩いた。ポニーテールの少女の瞳が、ジッとその背を追っていた。


「……ちゃんは……殺された……?」


 その紫苑の独言が、アレクの鼓膜を微かに震わせた。由紀子が店を出ていく。静かな店の中、丹波がハンドドリップコーヒーを客に出すと、思い出したようにカウンターの赤いラジオをつけた。


 アレクは、残りのコーヒーを飲み切って席を立つ。


「マスター、ごちそうさん」

「あ、ああ。また来なよ。彼女、一口も飲まなかったな……」 

「気にするなよ。マスターの味は確かだぜ? 勘定はテーブルに置いといたから、じゃあな」


 アレクはそう言って、店を出た。

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