第2話 葬式

 それは小さな斎場であった。


 アレクが受付に「折笠悠の告別式に参りました」と告げると、怪しまれた。サングラスを外して会釈をし、喪服を忘れた旨を伝えると、渋々ながら通してもらえた。


 斎場に踏み入ると、ささやかな葬儀が行われていた。


 遺影と木棺の前で、僧侶の淡々とした読経が響いている。

 二十席もない空間で、司会マイクの端に一台のグランドピアノが置かれていた。


 アレクは席について手を合わせてから、他の参列者を見た。


 悠の家族は全員死んでいる。親族とも疎遠だったのだろう。友人や同僚と思われる若い人たちが、折笠悠の微笑む遺影に手を合わせ、あるいは黙している。

 

 アレクと並んで、ブレザーの制服を着た女子たちが二人座っていた。

 アレクの琥珀色の瞳が、隣にいる整った横顔を写す。

 彼女の短い黒髪には、頭部の上と下に、それぞれ大きな癖毛が立っていた。


 癖毛の少女は遺影を呆然と見上げている。

 アレクは彼女を見て妙な胸騒ぎがした。

 十年前のテロで悠の妹は殺された。この癖毛の少女ぐらいの歳に。


 アレクは、少女やその友達まで不幸な目に遭って欲しくないと思い、再び遺影に手を合わせた。


 読経が終わると、アレクの前に座る女性が立った。女性はマイクの前で参列者に振り向く。アレクは息を呑んだ。


 ――美人だ。


 一七〇センチはあろう痩身は、喪服の下に秘められた艶やかな美を匂わせてくる。後頭部で纏められた黒の長髪は艶めいて、鼻の高い小顔に、凛とした茶の瞳がガラスのように澄んでいた。


 ふと、アレクは喪主と目が合い、彼女は目を丸くした。

 アレクが暫く見つめていると、彼女は我に返ったように視線を外し、一礼した。


――喪主には失礼をした。こんな格好で来てしまって。


 アレクは内省しつつ、喪主の言葉を聴いた。


「みなさま、本日は折笠悠の告別式にご参列頂き、誠にありがとうございます。故人は、私の婚約者でありました。本来ならば、今日は私と故人が入籍をし、結婚披露宴が開かれる予定でありました。しかし、誠に残念ながら……不慮の事故で……」


 喪主の言葉が途切れ、嗚咽が漏れた。


 ――そうか、この美人が悠の嫁さんになるはずだったのか。


 アレクの横で癖毛の少女が俯き、その背中を隣の女子がさすった。長い髪を一つにまとめた子で、癖毛の少女に何かをささやいていた。

 

 アレクには何を言っているのか聞こえなかったが、癖毛の少女は首を横に振って「分からない」と呟いていた。 


「……最後に、故人への弔いとして、『ラ・カンパネラ』の演奏をさせていただきます。本日は、誠にありがとうございました」


 喪主の言葉が終わると、彼女は傍らのグランドピアノの前に腰かけた。斎場の役員が棺を持ち挙げ、火葬場への出棺が始まろうとしている。

 

 アレクは立ち上がった。

 棺に寄って、悠の顔を確かめたかった。しかし、足は動かなかった。


 ――認めるものか。アイツが死んだなんて、俺は、まだ……!


 ピアノの旋律が始まった。優雅で繊細な一音一音が、アレクにはけたたましい雨音に思えた。無数のアイスピックが垂直に降って、抉れた心に張った氷を、無情に割っていく。


 弔いの鐘が、無数の波紋を起こして止まない。


 遠ざかる棺をアレクはただ見送った。

 外の霊柩車に入れられて、棺は火葬場へ運ばれていく。


 やがて演奏が終わった。頬をハンカチで拭く喪主は、悲しみを浄化したような面持ちだった。司会が式の終わりを告げ、僅かばかりの参列者が斎場を出て行った。


 アレクはピアノの前で佇む喪主に歩み寄った。茶と琥珀の視線が合うと、喪主はやはり目を丸くする。アレクは動揺した。


「このような格好で申し訳ございません。自分は折笠悠の友人で、アレクと申します。お悔やみ申し上げます」


 アレクは一礼して、ジャケットから名刺を差し出した。喪主は名刺を受け取ると、それを読み上げて、戸惑った口ぶりで返した。


「鉄腕代理人の、アレクさん……?」


「披露宴に招待されておりまして、昨夜アメリカから日本に。そしたら彼が三日前に亡くなったと聞いたのです。喪服の用意が無かったのですが、彼とは十年来の友人だったので」


「……日本語がお上手なのね。それにその目……」

「え?」


「いえ。珍しい色なので、つい見入ってしまったわ。私は寄道よりみち由紀子ゆきこと申します。悠にアメリカの友達がいるとは聞いてたけど……」


 寄道由紀子は、アレクを見上げるうちに言葉を途切らせていた。物色するようにこちらを見つめ、そして何か思いついたように、アレクに訊いてきた。


「あの、アレクさん」

「何か?」


「……後で話したい事があります。火葬が終わったらどこかで」

「俺に話したいこと?」

「そうです。悠のことで」


 由紀子の口ぶりは、「思い出話をしましょ」という風ではなかった。


「それなら、悠の家の下にある珈琲店でどうでしょう」

「ではそこで。骨上げが終わりましたら」


 由紀子は深々と頭を下げると、椅子から立ち上がって外に出て行った。アレクも由紀子に付いて行こうとすると、背後でコソコソと話し声がした。


「……ね、どうすんの? 由紀子が行っちゃうよ」

「私……あの人苦手」


「でもねミック。あなたには、由紀子や私たちの事を思い出して欲しいのよ」

「そんなこと言われても……私、ミックなんて名前じゃないわ」


「悠のとこって、丹波珈琲店よね。先回りしようよ、ミック」

「だからミックじゃないって……」


 アレクはポケットにしまっていたサングラスを掛け直して振り向いた。

 式中でアレクの隣に座っていた女子たちがこちらを見ている。癖毛の少女は気が弱いようで、一つ結びの少女が何か嗾けているようだった。


「何か、俺に用か?」


 アレクがそう言うと、癖毛の少女は目を瞬いた。一つ結びの少女は訝しげにアレクを睨んでから、癖毛の少女の手を引いて斎場を出てしまった。

 

 アレクは肩をすくめて、斎場を出た。

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