第9話 手紙

 無言電話が、うっとうしい。

「はい。もしもし?」

「……」

 相手が父だとわかると、私は乱暴にフックスイッチを叩いた。

『卑怯者!』

 無断で声を聴かれるのは、心を搾取されているようで腹が立った。

 私は祖母のアパートの宛先で父に手紙を書いた。

 その少し前、父から母に連絡があり

「母さんのところにいる……」

と自己申告してきたからだ。

“お父さんはお父さんで自分の生きる道を見つけてください”。

 手紙の内容は実質、絶縁状だった。

「もう話したくないし会いたくない」

 復縁を迫られたと言う母に、私は断言した。

 母とて、父の要求を呑むはずがない。

 すでにアホ面のじい様の愛人だったのだから!

「あとで出すから読んでおいて」

 朝、私はそれを母に預けて登校した。

 父を遠ざければじい様につけ込まれ、じい様を遠ざければ父につけ込まれる……。

 どのみち私は憂鬱だったが、家族を捨て、借金まで残していった無責任な父に未練はなかった。


 学校から帰宅すると、母とブルドッグが居間のソファーで向きあって座っていた。

 ブルドッグは、ひまわり柄が透けた硫酸紙の便箋を開いて読んでいる最中だった。

 朝、私が母に預けた手紙だった。

「何してんだよ!ふざけんなよ!」

 私はブルドッグに詰めより、その手から乱暴に便箋を奪うと、トイレに駆けこんでビリビリに破いて便器に流してしまった。

 私は内鍵をかけてわんわん泣いた。

 ドア向こうで母がもごもご言いわけしている。

「お前バカなのか!?お前ら皆○チガイだ!」

 私はドアを蹴とばして叫んだ。

 祖母からの漏洩で父とブルドッグが続いているのは知っていた。

 父に与えた個室や風呂場で二人が臆面もなく乳くりあっていると、祖母が母に愚痴たのだ。

『なのになぜだ!?なぜブルドッグは母を訪ねる!?なぜ母はブルドッグを招く!?お前らのヌルい三角関係はなんだ!?お前らには常識も恥も外聞も自尊心もないのか!?お前らの狂った世界に私を巻きこむな!!!』


 頭がガンガンする。

 どれほど時間がたったのだろう?

 いつの間にか、私は便器を抱えてふて寝していた。

 居間に出たが誰もいない。

 喉がカラカラだ。

 私は冷蔵庫を開け、母が煮だした麦茶を飲んだ。

 それから日が暮れるまで、じっとソファーに座っていた。

 やがて、母が戻って居間の明かりをつけた。

 買い物袋から何やら出して食卓に広げている。

 私はふらふら母に歩みより

「お前浮気相手に娘の手紙読ませて○チガイなのか!?」

まぶしい目でなじった。

 母はそれには答えず

「ほら、薫ちゃんの好きなミートボール……」

と、いつものスーパーマーケットであがなった惣菜のパックを差しだした。

「好きでしょう、ほら……」

 私は正面から母を睨んだ。

『この人には一生人の気持ちなんてわからない……』

 きびつを返して居間を出た私は、自室のベッドに倒れこんで朝まで深く眠った。


 時代が今だったなら

「あなたのお母さんは自閉スペクトラム症(※当時のアスペルガー症候群)なのよ」

と、幼い私の心の霧を晴らしてくれる助言者がいただろうか……?

 カサンドラ症候群の底なし沼から引きあげてくれる、救済者がいただろうか……? 

 




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