第7話 命日

 金目の物をごっそり持って出た父が雲隠れしてしまった。

 父の借金の連帯保証人になっていた母は返済に負われたが、アホ面のじい様の愛人に納まって肩代わりしてもらい、あっという間に完済した。

 時を同じくして、私がお年玉貯金をしていた預金通帳とキャッシュカードが忽然と消えた。

 母は父のしわざだと怒ってみせたが、私の勘では母のどさくさ紛れに違いなかった。

 呼吸するようにうそぶく母に良心の呵責はない。

 父は家を出たあと、○ラウン以外の金目の物を売って処分した。

 失業保険も給付されたころで、当面の生活には困らなかったはずだ。

 飲み屋の女を頼らなかったのはなぜか?

 男の自尊心だろうか?

 すでにマンションを引きはらわれたあとだったのか?

 女が世間知らずな父よりうわてなら、名義や権利はしっかり握っていたことだろう。

 

 しばらく放浪したあとだろうか?

 父は長く勤めた工場そばの埠頭に車を停め、母や私に遺書をしたためた。

 だが、死にきれずに祖母に電話をかけ、泣きながら胸の内をさらした。

「家にいらっしゃい……」

 祖母は静かに父を受けいれた。

 そうして、十数年ぶりに親子水入らずの同居生活が始まった。

 しばらくして、その旨、祖母から母に連絡があったのだ。

「功ちゃんには私が話したって内緒にしてねぇ……」

 祖母は怯えるように母に懇願した。


 それからというもの、自宅に無言電話がかかるようになった。

「はい。もしもし?」

「……」

「もしもし?」

「……」

 相手は私だとわかって沈黙していた。


 父は祖母に、私が恋しいと訴えたそうだ。

 だが、それは単なる自己愛だ。

 父の個人的な虚無の身勝手な変換でしかない。

 前妻の子どもを捨てて出たように、直に私のことも忘れるだろう。

 父がセンチメンタルな遺書を残して死んだところで一円にもならなかったと、冷酷非情な私は思う。

 父は歪んだ自己愛から生命保険への加入を拒みつづけてきた。

「俺を殺す気か!」

 まったく、稚拙なのだ。

 母が生保レディであったにもかかわらず、母の誘導ミスも手伝って、説得は水泡に帰した。

『万が一、大切な家族を路頭に迷わせないために……』

 などという発想は、父にはこれっぽっちもなかったのだ。

 離婚しても、養育費すらまともに払えないだろう。

 それで私が恋しいも何もあったもんじゃない。

 母に復縁を迫ったって!?

 冗談じゃない!

 父が家を出たあの日、私の中で父は死んだのだ。

 

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