第6話 家出

 父が直属の上司を殴った。

 日曜日の接待ゴルフの席で、だ。

 父曰く

「差別的な発言をされた」

から、だそうだ。

 できないふりをしておべっかを使うのが苦手なのは、私も同じだ。

 美徳ではあるが、父も私も生きづらい性分だ。

 上司は父のスコアを上まわりたかっただけだ。

 稚拙な負けおしみを言ったのかもしれない。

 父はそれに乗じてしまった。

 傷害事件にはならなかったが、結局、自己都合退職するはめになった。

 さぞかし、無念だったろう。

 一部上場企業の下請けで労務職の長ではあったが、転職ばかりしていた父にしては、もっとも長く勤めた会社だった。

 わずかながら、退職金も出た。

 父はそれを元手に個人タクシーの開業を目指した。

 だが、それも直に頓挫した。

「扁平足が引っかかった!」

と嘆いたか見栄を張ったかしたが、真相は闇の中だった。


 父は次第に引きこもるようになった。

 昼でも自室のカーテンは引かれたままだった。

 そして夜な夜な、どこかへ出かけていった。

 ブルドッグには家庭がある。

 だとすれば、数年前山林相続の売却益でマンションを買いあたえてやった、飲み屋の女の所へだろうか?

 父はそこを“勉強部屋”と呼んでいた。

 何かの作業に没頭したくても、自宅では母の無邪気なお喋りの雨にさらされてしまう。

「「うるさい!少し黙って!」」

 度が過ぎると、父も私も母を叱ったが、何せ後味が悪い。

 そのうえ、母は性懲りがない。

 そこで私は図書館に、父は“勉強部屋”に避難したのだ。

 父は家族を、とりわけ母を軽視していたが、あかの他人には溺れるような金をバラまいた。


 ある日、私が学校から帰ると、珍しく父の姿がなかった。

 母もまだ、仕事から帰っていなかった。

 父の部屋のドアとカーテンが大きく開いていた。

 心なしか部屋がかたづいている。

 サイドボードに飾ってあったカーパーツコレクションが、ごっそり消えている。

 入室して、ふと、引きだしを引いてみたが1kgのインゴットがない。

 私は家を飛びだし、エレベーターを捕まえて一階まで下り、駐車場まで走った。

 ディープグリーンの○ラウンと、特注の○ーレーダビッドソンが消えていた。

 父はその日、母と私に黙って家を出た。


 

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