第2話 転ばぬ先の杖
友だちと落ちあい、本を返却して図書館そばの児童公園で遊んだ。
“夕焼け小焼け”のチャイムが響いたので解散して帰宅すると、すでにブルドッグの姿はなく、母が手製のハンバーグを焼いている最中だった。
食卓には、でき合いの惣菜がパックに入ったまま放置されている。
母は料理が苦手だ。
そのうえ、レパートリーもきわめて少ない。
父は、母が作った料理にはめったに手をつけない。
“状態”がいいときにはみずからキッチンに立ったが、それがいつかは父本人にしかわからないので、母は日々スーパーマーケットでそれっぽい肴やおかずを仕入れていた。
パン粉の分量と火加減を間違えてカチカチに焦げたハンバーグの表面を、ナイフで削ぎながら黙って食べるのが、その夜の私の義務だった。
父は夕餉にテレビをつけることを禁じた。
母や私がその日一日の報告をするためと言うよりは、父のそれに傾聴するためだった。
父が黙っていると、場を読めない母がここぞとばかりに話しはじめた。
「今日ね、薫の同級生のお母さんに仕事を世話してあげたのよ」
母曰く、ブルドッグが母の勤める保険会社の外交員採用試験に落ちたので、別の保険会社を紹介してあげたらしかった。
父は、父が帰宅すると母が慌てて皿に盛りなおした刺身をつまみながら、瓶ビールをグラスに注いだ。
その様子を観て
「どうなるか、まだ、わからないんだけどね……」
母は消えいるように言った。
しばらく沈黙が続き、咀嚼音と食器が触れあう音だけが響く……。
父がぽつぽつ話しはじめると、母と私は父が父たる体裁に加担すべく、父の薄っぺらい言葉に頷いた。
そうでもしなければ、父は自分が拒絶されたと思いこみ、怒なったり、物を壊したり、私たちを殴ったりするからだ。
だから、私たちは対象が父であるときにだけ結託し、面倒を避けるためだけに頷いた。
心ではむしろ、父を軽蔑していた。
父の精神の歪みを正す、臨床心理士や公認心理師のような器量は、私たちにはなかったのだ。
食事を終えた父は自室に籠ってしまった。
やはり“状態”がよくなかったのだ。
テレビをつけ、食器を洗いおえた母とアイスキャンディーをかじっているとき、私は母に言った。
「ねぇ、あのおばさんさ……」
ブルドッグのことだ。
「松本さん?」
「うん、そう。ちょっと……気をつけたほうがいいと思う……」
私はそれ以上は言わなかった。
「大人のやることに子どもが口出すんじゃない!」
と抵抗され、母が心を閉ざしてしまうのがオチだからだ。
だが、私の勘はよくあたるのだ。
母は鴨が葱を背負ってくるような人だ。
それまでも、訪問販売やねずみ講に引っかかっては、粗悪な布団や鍋などを高額でつかまされていた。
騙された事実に気づかないので、クーリングオフの期限はあっという間に過ぎた。
母の世間知らずに私のエマージェンシーランプが点滅すると、私は居ても立ってもいられなかった。
家族の損失は私の損失だ。
私は、母が母たる体裁に抵触しないよう、手短に“進言”したつもりだ。
「そう?気のせいじゃない?薫は神経質すぎんのよ」
母は不快感をあらわにした。
『駄目だ。また始まってしまう……』
私は独り、身を縮めた。
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