03

 夕方の橙色の光が雪を淡い色に染める。

 麻布の上でゆっくりと瞼を開け、瞬きをした。

「あ、兄貴! 大丈夫っすか!? 倒れてたって聞いたっすけど」

 顔を覗き込んでプルが問いかける。

 ぼんやりとプルの顔を見ていたセルは、再度瞬きをして、麻布から飛び起きた。

「ぷ、プル……テラとケシィは」

「お二人は今、町の診療所に居るっす」

 セルの表情が緩んだ。ほっと息をつき置かれていた剣を拾って周囲を見回す。救助は終わったらしく名前を呼ぶ声は消え、雪の中で捜索をしていた人々はスコップを置いて休憩していた。


「なら、今すぐ診療所まで……」

 セルは町の方へ走り出そうと足を踏み出した。

「あ、あの……兄貴」

 プルに引き留められ後ろを振り向く。ためらいがちにプルは口を開いた。

「ケシィ姉さんは野生動物に襲われたらしくて、その…………片方の腕が」

 言い終える前にセルは走り出していた。

 プルは水色の犬に姿を変えてセルの後を追う。







「あ、セルさん……」

 ベッドの横の椅子に座っていたテラは、入ってきたセルを見て僅かに俯く。

 セルは靴の雪も落とさずにベッドへ駆け寄った。フードの中の雪が板張りの床に落ちて水になる。

「……け、ケシィ」

 ケシィは毛布を掛けられて眠っていた。顔は赤く、荒い息遣いで呼吸をしている。

 毛布の下で動いた左手を見て、セルは右側の毛布が人体に対して不自然な形をしているのに気が付いた。そっと手を置き、そこには何もないことを確認する。

 後ろの扉からあの眼鏡の医者が水を張った桶を持ってベッドへ近づいた。

「咄嗟に回復魔法を唱えたのだろう。出血量はそう多くない」

 言いつつ机に桶を置いて、ケシィの額に乗せていたタオルを取って水に浸した。

「ただ少し熱が出てしまったらしくてね……まあ、あの雪の中だ」

 濡らしたタオルを再びケシィの額に戻す。別のタオルを取り出して水に濡らし、医者は毛布をめくってケシィの首を拭きだした。

「彼女、君のことを凄く心配していたよ。熱があるというのに行こうとしていたくらいだ、よほど気掛かりだったのだろう」

 拭いていたタオルを桶の水の中に入れて、医者はセルの顔を見た。気の抜けた表情で寝ているケシィを見下ろすセル。毛布の上に置かれたセルの手の横に、医者が指輪のついた細い手を置いた。

「彼女の腕が無くなってしまったのはとても残念なことだ。……だからこそ、君は彼女を励ましてあげてほしい」

 首にかけた聴診器を揺らして医者は立ち上がる。

 医者が桶を持って部屋を出た後、入れ替わりで人間の姿のプルが入ってきた。

「……まだ熱は下がってないみたい……すね」

 ケシィを見てプルは床に視線を落とす。椅子に座っていたテラが目を腕でこすり、勢いよく立ち上がった。

「あのお医者様が仰っていた通り、私たちがケシィさんを励まさないと」

 赤くなった目でテラはケシィの右腕があった位置を見た。

「……そ、そうっすね。俺らが落ち込んでいるわけには行かないっす」

 しっかりと頷いて顔を上げるプル。

 セルは指一つ動かさずに毛布をじっと見つめていた。







 椅子に座ったまま眠るテラ。それに寄りかかるようにプルは腕が半透明に溶けた状態で眠っている。しきりに扉の方を気にしながら、ベッドの前に座るセル。

 咳をしかけ、毛布が動く微かな音にセルは慌てて息を飲みこむ。

「…………セ、ル……?」

 その声に立ち上がってケシィの顔を覗き込んだ。

 細く瞼を開き、ケシィはとろんとした目でセルを見ている。

「無事……だったのね。体調の方は……」

 セルの心配をするケシィだったが、痛切な表情のセルを見て毛布の下の右腕を僅かに上げた。肩が上がるのみで、そこから先の毛布はシーツに垂れている。

「動物に襲われて、食べられてたらしいわ」

 まるで他人事のように落ち着いた口調で話すケシィ。ふと反対の窓の外を眺め、ケシィはセルに視線を戻した。

「もう月があんなところまで……。私はもう平気よ、だからそろそろ寝て頂戴」

 ケシィが言うも、セルは思いつめた表情で立ったまま床を見つめていた。


「……ごめんなさい」

 沈黙を破ってセルが口を開いた。え、と声を漏らしてケシィが顔を上げる。

「ちゃんと守れなくて。こんな、治らない怪我を」

「違うわ。セルのせいじゃない」

 毛布の床に落ちる音。上半身を起こしてケシィは首を横に振った。右肩から先の落ちたローブが、夜風に吹かれてなびいている。

「……治らない怪我なんて、貴方と会う前からあったわよ」

 そう言いケシィは壁の方を向いた。

 左手を後ろに回し、ローブの背中をたくし上げる。

「こ……これって……」

「ドラゴンに引っかかれたあとよ」

 月明りを受けて左の肩甲骨の浮き出たなだらかなラインの背中が白く光る。

 真ん中には斜めに荒々しく深い、大きな古傷が入っていた。

「え、な、何でドラゴンに……ドラゴンは皆封印されたって」

「解いたのよ。……正確には私じゃなくて、兄さん達が、だけど」

 たくしあげたローブを下ろして、ケシィはセルの方に座り直した。

「ああ。兄さんというのはおじいちゃんの弟子のこと、本当の兄ではないわ」

「で、でもその人たちは今はどこに……」

「その時ドラゴンに殺されたわ。私の力じゃ、ドラゴンは倒せなかったのよ」

 変わらず落ち着いた口調のケシィだが、その目は伏せられている。

「えっ……ご、ごめん」

 咄嗟にセルは謝るも、ケシィは小さく首を横に振った。

「事実を語ったまでよ。というより、貴方には聞いておいてほしかったの」

 口を手で押さえながらあくびをする。もう月は真上を過ぎていた。

「誰かを守るというのはとても難しいことなのよ。出来る方が不思議なくらい」

 ケシィは左手を突いてシーツに横になると、そのまま数秒も経たないうちに静かに寝息を立て始めた。

 床に落ちた毛布を拾い、セルは寝ているケシィにかけた。足音を立てないように、しかし焦りの感じられる速足で扉を出て静かに閉めた。




 川岸から離れ、振り向いてセルは歩き出した。

 雪が深々と降るなか積雪を踏む音だけが鳴り続ける。

「……もっと、しっかりしないと」

 口元に付いた血を手で拭い、セルは町の灯りへと走り出した。

 残された足あとを雪が上から降り積もって隠す。

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