09
「男の子が……縛られてる……?」
暗闇に響く女の声。その声はどこか気の抜けたよう。
「あ……何あれ痛そ、え……ほんとに使うんだ……ていうか、な……何これ」
段々とその声に困惑の色が現れる。
フサフサと毛布のよれる音。魔女は勢いよく体を起こした。
「な、何今の夢……私ここまで性癖歪んでたっけ……」
瞬きをしながら呆然と暗闇を見つめる魔女。何かを考え込んでいる。
「……今の子……赤黒のゴスロリワンピ着せたら似合いそう」
現場からは以上です。
白い無機質な壁の間を進むセル。行く手には金属製のドア。
真ん中に埋め込まれた青い液晶画面に手の形が表示される。
「画面に手を触れてください」
液晶に言われるがままにセルは上に手を置く。その瞬間画面は赤色に変わった。
「解除に失敗しました。ロックまで残り二回です」
「や、やっぱり壊すしかないのかな……」
セルは目の前の扉を見上げ、ためらいながらもドアを強く押した。
メキメキと音を立ててドアに手形が入り、ついには真ん中で割れて前に倒れた。割れ目から配線が赤や青の火花を飛ばしている。
入り口の上のプレートには雑な文字で「研究長室」と書かれている。
壊されたドアを見下ろす白衣の男。
「ほう……噂通りの怪力だな。となるとこれが……」
男は白衣のポケットに手を入れたままセルの顔を見た。セルは男の落ち着いた様子にほっと息をつく。
「あの……ここの所長さんで合っていますか?」
「ああそうだ。皆からは研究長と呼ばれている」
白衣の男改め研究長は椅子に座った。
「すみません、その、どうしても話したいことがあって……ドアの鍵が」
「ドアくらいどうだっていい。いくらでも直せるからな」
にやりと笑いつつ研究長は片手を出してセルに椅子をすすめる。
「え、なっ、何これ」
座ったとたんに動き出す椅子。セルは思わず声を上げた。
「見たことが無いのか? ただの車輪付きの椅子だ」
椅子は少し進んで停止した。下を覗こうとしたセルの手が当たり椅子は再び反対方向にゆっくり動き出す。
研究長はその様子を興味深そうに眺めていたが、やっとのことで椅子が停止したのを見ると肘をついて話し出した。
「で……用件は何だ? 既に想像は付いているが」
張り付くような目でセルを見ている研究長。
セルは椅子が動かないように姿勢を正し、研究長の目を見た。
「人造魔物達を兵器として売ることをやめてください」
突然表情が変わったセルに、研究長は少し目を丸くして見せた。
「まるで予想通りの提案だな」
そして僅かに目を細めた後ニヤニヤと笑いだす研究長。笑っている研究長にセルは困惑の色を見せる。
「……まあ、その位ならいいだろう」
「えっ……?」
しかしあっさりと提案に乗った研究長に、セルはぱっと笑顔になる。
「……え、あ、ありがとうございます!」
礼を言ったセルを研究長は実に奇妙だという目で眺めている。セルは嬉しそうに立ち上がり入り口の方を向いた。研究長はニヤニヤと笑いながら反対の手をポケットから引き出し……
突如床に倒れ込んだ。
「うっ……む、胸が……」
胸を押さえ苦しそうに呻きだす研究長。
一瞬でセルの顔から笑みが消えた。そして研究長に駆け寄り体を抱え上げた。
「どっ、どうしたんですか!?」
研究長は何も言わずに震えている。セルは慌てて研究長を背負い上げ、部屋を出ようと走り出した。
が、不意に足を止める。震え続けている研究長。
「……は、じ、実に面白い。こうも簡単に騙されるとは」
それは笑いの震えだった。セルの首には注射器の針が突き刺されている。
研究長が地面に足を付けると同時にセルは床に崩れ落ちた。
「安心しろ。用があるのはお前だけだ、仲間は安楽死させてやる」
研究長は倒れているセルの首から注射器を引き抜いた。その言葉に反応してセルは起き上がろうとする。
「……や……あ…………」
しかし僅かに頭が上がっただけだった。その振動でずれていたフードが落ちる。
「勇者の証であるその髪色……実に研究心をそそる」
黒髪に一束だけ赤い、セルの髪が露になる。
「致死量は優に超えているだけの濃度だったはず……まだそこまで動けるとは」
研究長が反対のポケットから取り出したのは透明な液体の入った小瓶。ラベルには筋弛緩剤と書かれていた。
「ふむ。ついでに睡眠薬も試してみるか」
「や、や…………あ」
瓶をしまい別の瓶を取り出す研究長。フタを開け注射器に薬を吸わせる研究長をセルは横目に見上げていることしかできない。
研究長はセルの頭を床に抑えつけ、睡眠薬の入った注射器を刺した。
「……あ…………あ…………」
薬液がゆっくりと押し込まれていき、半開きだった瞼が次第に落ちていく。
セルの頭を離し、研究長は注射器を引き抜く。
「睡眠薬も同量程度必要か…………ん?」
研究所内に響き渡る爆発音。
天井が二人の上に崩れ落ちた。
ひんやりとした冷たい感触。
「この爆発で擦り傷だけって……ていうかやっぱ死んでるっすか……?」
夕方の空の下、水色の髪をした青年がセルの顔をぺしぺしと叩いている。当たるたびにその手はゲル状になり、離すと人間の手に戻っていく。
「……ん…………だ、誰……?」
ふとセルが目を開いた。
「お、生きてたっすね。首に針刺さってるっすよ」
眠そうにセルは首元に手をやり、刺さっている針を抜こうとしてでたらめに動かす。
「なんか研究員がパニックになって自爆スイッチ押したらしいっすよ。まあお仲間さんと魔物は無事だったみたいっすけど……ってそれ、触らない方が」
淡々と話す青年。セルの手に何かが当たった。
「冷たくて……柔らかい……? な、何これ……」
反対の手を地面に突いて起き上がり、手の先にあるものを見た。
「え」
セルの瞳孔が大きく開かれた。
茜色の光を受けて目の前に広がる瓦礫の山。手の先にあったのは人間の生首。
それはよく見れば研究長の首だった。
「い……いや…………」
離したセルの手の裏に乾燥した血が粉になって付いている。地面に突いた反対の手にはまだ乾ききっていない血がべったりと付いていた。
青年は何かを察して自身の耳を塞ぐ。
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