19.「あっ、て言っている間に」


 あっという間、本当に、「あっ」って言っている間に、時間が過ぎていった。


 口を閉ざし、一切の声を、一切の言葉を、一切の……、気持ちを。

 胸の奥底に隠して、蓋をして、

 ただ、ジッ――、と隅っこで縮こまっていただけの私……、五奏杏にとって、

 この二週間、雷太くんにバンドを誘われてから過ごした時間は、

 今までの私の人生とは、まるで別の世界。


 全てが新鮮で、全てがキラキラと輝いて、全ての出来事が――

 私を、心の底からワクワクさせた。


 雷太くんが作った曲は、その日の内に彼のソロギター演奏によってスタジオでお披露目された。新くんが放った「悪くないじゃん」という一言をきっかけに、学園祭ライブで「オリジナル」をやるコトが正式決定された。雷太くんの弾くギターのメロディに新くんがベースを、城井さんがドラムをその場で合わせていき、あれよあれよとバンド楽曲の形になっていった。


 アレンジ作業に夢中になっていた彼らに時間という概念はすっとんでいたらしく、私のお腹がぐぅと鳴ったところで時計を見たらすでに夜の七時。――而して、「今日はやれるところまでやりてぇ」という雷太くんの鶴の一声から、各々の家族に連絡した私たちはコンビニで食料を調達した後、なんとその日は夜の十時までスタジオにこもっていた。私はほとんど皆のやりとりを眺めていただけだったけど、それでも、みんなで何かを作っているという感覚が、仲間に入れてもらえたみたいで嬉しかった。


 スタジオでの練習がない日、私は自分の声の研究にあけくれていた。……というのも、ビックリした時限定で発される私の動物みたいなヘンな声……、みんなが言うところの『デス声』を、私は自分でコントロールして出すコトができなかったのだ。『デス声の出し方』という、およそ杓子定規なテキストを綴ったグーグル検索画面と睨めっこしながら、ウンウン唸っている私に助け船を出したのは城井さんだった。彼女は、「よかったら、カラオケで一緒にボーカルの練習しない?」と、朗らかに笑いながら声をかけてきた。


 最初の内は、城井さんと二人きりで過ごす時間に緊張を隠すコトができなかった。他人が苦手な私にとって、特に同年代の女の子は恐怖の対象でしかない。雷太くんと話す時のように声を出すことができず、筆談で言葉を伝えることも多かった。……それでも、そんな私に驚くコトもせず、笑おうともせず、城井さんは当たり前のように口頭で返事をくれた。それが嬉しくて、私は彼女に対して、自分の声で気持ちをちゃんと伝えなければと強く思った。城井さんは、つっかえつっかえで、しどろもどろに喋る私の言葉を、途中で遮ることもなく黙って聞いてくれた。


 城井さんのサポートも甲斐あって、私は少しずつだけど、バンド演奏に合わせて歌うことができるようになっていった。……といっても、デス声だからあんまり音程とかは関係ないんだけど。そんな私のコトをジーッと眺めながら、「ゴソーさん、そろそろヘドバンしながら歌おう」と、よくわからないコトを言い出したのはシン君で――


 次の日、首を痛めた私が顔を一ミリも動かせなくなったのは自明の理であり、ロボットのようなカクカクした歩き方で3年3組の教室に登場すると、雷太くんに「からくり人形かよ!」と爆笑されたので、元に戻ったら思い切り頬を引っぱたいてやろうと思う。

 そして、こんな一幕も――



「五奏さん」


 声が聴こえた。私の名前を呼ぶ声。

 遠慮がちな、少しだけ、何かを警戒しているような、不安定なトーン。


 その時の私はというと、放課後の教室、独りで『小道具係』の作業に没頭しており――

 その日のスタジオ練習は休み、雷太くんたちは手分けして残る買い出しに出張っており、私は既に購入していた素材に対して装飾を施す任を与えられていた。


 誰もいなかったはずの教室、声がする方へ顔を向けると、クラスの学級委員長、松谷さんが入り口付近から顔をのぞかせていた。


「五奏さん、一人?」


 彼女が今ひとたび私の名前を呼び、私はまだ少し痛い首をゆっくりと縦に振る。

 彼女は少しだけ頬を強張らせながら、でも柔らかく笑いながら、ゆっくりと私に近づいてきた。


「映画の小道具、五奏さんたちが手際よく準備してくれているから、撮影も順調だよ、ありがとう」


 椅子を引いた松谷さんが、私の隣の席に腰をかける。どういうリアクションをとっていいのかがわからなかった私は、とりあえずフルフルと首を横に振った。……実際のところ、私や雷太くんや新くんは言われたことをやっているだけで、テキパキと的確な指示をくれているのは城井さんだったのだ。……他クラスなのに。

 ちなみに、映画の脚本はまさかのSFだった。私が今作っているのは「メカラフル・フィッシュ」と呼ばれる、何に使われるかもわからない謎の魚ロボットだ。


「……それに色を塗っていけばいいの? 今日は撮影の方大丈夫そうだから、手伝うよ」


 まだ色付けされていない「メカラフル・フィッシュ」を一匹手に取った松谷さんが、キュポッとポスカの蓋を開ける。私はペコペコと情けないお辞儀を繰り返すコトで感謝の意を表し、キュルキュルと水性ペンを走らせる音だけが二人きりの教室に響く。


 ふいに、彼女が小さな口を開いて。


「五奏さん、雷太くんたちとバンドやるんだって? しかも、ボーカル」


 ピタリ、私の全身に緊張が走る。


『お前みたいのが、何バンドのボーカルなんかやっちゃってるワケ? 調子乗ってるの?』


 人の心を勝手に想像して、一人で勝手に傷ついて――

 ずっと孤独だった私に根付いた、歪んだ被害妄想。

 ほとんど病気だなって、自分でも思う。

 ……でも、面と向かって否定されるより、あらかじめ自分の心を自分で傷つけていた方が、

 何百倍も、マシで――


「バンドかぁ、すごいなぁ」


 糸がたゆむようなトーン。

 松谷さんの口から、柔らかい音がこぼれた。

 私は思わず、目を点にしながら彼女に顔を向ける。


「私、今まで、委員会活動とか、勉強とか……、そういう、決められたルールに則っているコトばかりしていたなって、……だから、バンドとかやっている同年代の子たちを見ていると、自分たちがやりたいコトを、誰の目も気にせずに自由にやっている、って感じがして……、なんか、憧れちゃうんだよね」


 私の心臓が、きゅうっ――、と。

 強く強く、体温のない手で握りこまれる。


 ……そんな、コト、ない。

 ……私なんて、全然、すごくない。

 ……口を、塞いで、耳を、塞いで。

 ……一人でも、全然平気だって、自分に、ウソを吐いて。

 ……すべてに対して、ずっと逃げてきた私なんかより、松谷さんの方が、よっぽど――



「五奏さん」


 再び、私の名前を呼ぶ声。

 手を止めた松谷さんが、ゆっくりと私の顔を見て、


「バンド、がんばってね、五奏さんのボーカル、楽しみにしてるから」


 彼女が見せた笑顔は、一切の屈託がなくて、

 背の高いひまわり畑に紛れる、あどけない少女のようだった。


「――あのッ!」


 堰を切ったように立ち上がったのは、私。

 松谷さんは驚いた表情を見せながら、でもその目はしっかりと私の顔を捉えている。


「……あの、あ……、あ……、あり――」


 そんな一言が、人を笑顔にしていくんだ。

 そんな一言で、人と人は繋がっていけるんだ。

 ……そんな一言くらい、言えるように、ならなきゃ――


 私は一生、自分の気持ちを人に伝えるコトなんか、できない。



「あり、がとうッ! ……ば、バンド……、がん、ばるッ!」


 肩をフルフルと震わせて、私の目には涙さえ浮かんでいる。

 驚いたようにポカンと口を開けている松谷さんが、

 今、何を考えていて、私の言葉をどう思ったのか、それはわからない。

 でも彼女は、再びニッコリと笑って、今度はお母さんみたいに柔らかい表情を浮かべて。

 「どういたしまして」と、一言。


 全身から力が抜けた私は、抜け殻のように、ストンと着座した。

 その後、二人きりの空間で、水性ペンを走らせる音だけが無機質に響いて。

 「ところで、この魚、何に使うんだろうね」と漏らした松谷さんの言葉に、

 私は首を斜めに傾けながら、自然と口元を綻ばせていた。

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