14.「ツインペダルって」


「あ、あれ、言って、なかったっけ」

「言ってない、言ってないわよヒトコトも、……チャットには、スタジオに来てくれって、それだけで――」

「そうだっけ。ゴメンゴメン。……でも、スタジオでやるコトといったら、バンドくらいしかなくない?」


 ヘラヘラと笑いながら頭に手をあてるシンの顔には、反省の『ハ』の字も見当たらない。


 ――忘れていた。大木新はこういう奴だった。

 妙に勘の鋭い一面を見せる割には、私の気持ち……、女心という一点に置いては、わざとやってんのかなっていうくらい、『何も察するコトができない』。

 ……いやまぁ、シンに何の悪気もないコトは、私もわかってはいるんだけど――


 それでも私は、予想を百八十度裏切られた展開に、一瞬で気持ちを切り替えるコトなんかできるハズもなく。


「帰る」


 短くそう漏らし、秒で背を向けた。



「……えっ!? ま、待ってよ。せっかく来たんだから、一曲くらい――」


 慌てたようなシンの声が耳に流れて、


「……昨日も、言ったでしょ。私、高校生になってから、ドラム辞めたんだよ。スティックすら触ってないから」


 恐ろしく冷たいトーンの声が、私の口から漏れて。


「……それ、ホントなの?」


 数秒間の沈黙、

 一切の音が遮断され、無機質なエアコンの音だけが流れるその空間で、ひとかけらの疑問を放り投げたのはシンだった。


「あのナヲが、狂ったようにツーバス踏んでたナヲが、ドラム辞めるなんて……、信じられないんだけど」


 背後ろを向けたまま、ゴムカバーに覆われた開閉レバーに手をかけて、私は何故だか身体をうごかすことができない。静寂がじわりじわりと背中を覆い尽くして、息苦しくなった私の口から大仰なタメ息が漏れ出る。


「とにかく、私は今、ドラムなんて見たくもないの、アンタの顔もね。だから、もう――」



 ハッ――、となった。

 唐突に、耳にもぐりこんできた旋律が、

 身体中を巡り、私の全神経を支配する。

 

 その音はどこか哀しく、その音はどこか懐かしく。

 何か、すべてを諦めてしまったような、でも、何かを期待させるような。

 この世の全ての悲哀を詰め込んだような、ダウナーなメロディ。


 その『曲』を初めて聴いた時の衝撃が、

 記憶の音が、私の脳内に、一気になだれこんできて――


「『メタリカ』の『Battery』」


 メロディが鳴りやまない、思わず振り返った。

 だらしない姿勢で簡素なパイプ椅子に腰をかけているライタ君が、

 真剣な表情で、唄うように、七本の細い糸を操っていて。


「……ナヲが、このイントロを聴いても、もうなんにも感じないっていうなら、この部屋から出ていくっていうなら……、だったら、止めない。でも――」


 私とシンの視線が、交錯する。

 相変わらずの能面ヅラ、何を考えているのかはてんでわからない、けど……。

 らしくない表情を見せているシンが、らしくもなく何かを必死に訴えようとしているって、それだけは、伝わった。


「せっかくだしさ、やろうよ。……久しぶりに、ナヲのドラムでやりたいんだよ。……一曲で、いいからさ」


 メロディが鳴りやまない。

 シンから視線を外して、再びハァッと息を漏らして。


「……一曲、だけだからね」


 観念したように、私は肩にかけていたスクールバッグを床に放り投げた。



 クルクルと丸椅子を回して、高さを調節する。

 フロアタムに置かれていたスティックを握り、足元に目をやる。

 ……ツインペダルまで。ったく、用意のよろしいコトで――


 チラリ。

 横目を向けると、ベースアンプの前に佇んでいるシンが、満足そうに口元を綻ばせながら私の様子を窺っている。


 ……もう、なんでも、いいか。

 ――なんだか、考えるのも面倒だ。


 徒然なるままに、本能に従うままに。

 哀愁の帯びたギターの旋律、徐々に盛り上げっていくメロディ、

 透明なガラス窓に剛速球を投げつけるかの如く、――まずは一発。

 ぶっきらぼうにシンバルをスティックでたたきつけて、同時にバスドラムを踏み込む。

 地を這うような低音と、歪みがかったエレキ音が重なり、


 世界が、繋がる。

 全身が、ゾワリと逆立つ。


 ……あー、ヤバイ。


 もう一発。

 やっぱり、同時。


 私と、新と、雷太くん。

 三人の意思が、まるで一人の人間になったみたいに、

 まっすぐに伸びる一音が、まるで巨大な生き物の遠吠えみたいで――


 あまりにも壮大で、あまりにも荘厳な『Battery』のイントロ、

 ――何度聴いても、興奮を抑えるコトができない、『超速』への『転換』。 

 急激に、すべてを裏切るように――

 ピタリと、私とシンが音の舞台から姿を消す。

 この世のすべてを覆い尽くすようなアンサンブルは鳴りを潜め、代わりに空間を支配していたのは、エレキギターの音色。雷太くんの、エグるようなダウンピッキング。


 約三秒間、駆け抜けるようなメインリフが大地を響かせ――

 轟音の、幕開。

 私とシンが再び楽器を打ち鳴らし始めると、音のエネルギーが閉鎖空間に疾走する。


 ……あー、もう。


 何を考えるコトもせず、ひたすらに、手を動かす、バスドラムを、踏み鳴らす。

 ――呼応するかのように、新のベース音。濁流のような重低音が、私の全身にまとわりつく。


 ……勘弁、してくれっつーの……。


 一切の、思考が停止していた。何もかも、どうでもよかった。

 脳内麻薬が私の身体を支配し――、こうなってしまった以上、誰も私を止めるコトができないのは、自分が一番よく知っている。


 ……こんなの……。

 ……こんなの……ッ。


 ……こんなの、楽しすぎるに、決まってるっつーの!


 スピードに憑りつかれた私は、髪の毛がボサボサになっていくのを気にも留めず、顔面が汗まみれになっているコトなんて構うコトもせず。

 ――とりあえず、自分がうら若き花の女子高生である事実を、少しの間忘れるコトにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る