15.「大っ嫌いだ」
瞬間風速。
私――、五奏 杏の意識が、一瞬で吹き飛ばされていった。
あまりの迫力に息を呑む。自分が呼吸できているのかもわからない。
大音量が全身を包み、ビリビリと私の身体を震わせる。
不思議な高揚感、ソワソワと、なんだかジッとしているのが耐えられない。
……すごい――
心の中で、思わず声が漏れて。
突如現れた彼女、確かあれは――、学内で『イケ女四天王』と呼ばれるグループに所属している同学年の生徒……、名前は知らないけど、私でも顔に覚えがある。私とはおよそ別の世界に生きている、立派な女子高生。……そんな彼女が、頭をブンブンと振り回し、一心不乱にドラムを打ち鳴らしている。
クラスメートの大木新くんは……、普段のクールな彼の姿とはまるで別人、腰を低く構え、時折頭でリズムをとりながら、鬼気迫る表情で四弦楽器に目を向けている。
そして、私をスタジオに無理やり連れてきた彼――、真手 雷太くん。
額に汗を浮かべながら、まるで彼の瞳には一切の景色が映っていないようだ。自分の世界に没頭するように指を動かし、エレキギターの音色が呼応して、変幻自在にその姿を変えて――
私と同い年、一介の高校生とは思えない。
――思えないほど、彼らは堂々としていた。自分たちが創った世界に、夢中になっていた。
彼らの熱量が音に伝染して、ものすごいエネルギーが閉鎖空間を掻きまわす。……こんな小さなハコでは、建物ごと壊れてしまうのではないかと、そんな錯覚すら覚えた。
……すごい、これが、バンド……。
……これが、メタル――
気づいたら、私は立ち上がっていた。
何をするワケでもなく、何がしたいかもわからず。
ただ、居てもたっても、いられなくて――
「ゴソーッ!」
――ふいに、声。
雷太くんの目の前、スタンドマイクを通して、
男の子らしい野太い声、ちょっとだけしゃがれた……、いわゆるダミ声。
――雷太くんの声は、やっぱりよく通る。
「歌え! なんでもいいから! 叫んでみろ!」
ギター演奏に夢中になりながらも、雷太くんが叫ぶ。
大型台風のような轟音がなおをうねりを上げ続けて、私の襟首を引っ張り上げて、
……中に飛び込む勇気なんて持っていない私の肩が、ビクリと震える。
「……む、無理ッ! 私……、この曲、知らないし、そもそも、人前で、歌うなんて――」
事前に持たされていたハンドマイクを通して、私はありったけの拒絶を叫ぶ。
七本の細い糸、七弦楽器を真剣な眼差しで見つめていた雷太くんが、
ギロリと。
野犬のように鋭い眼光を、私に向けてきて――
「――知らなくったって、いいんだよ! 歌詞なんて、デタラメでいいんだよッ!」
彼もまた、叫ぶ。
私の拒絶を、鼻息で強引に吹き飛ばす様に。
「お前がッ! 普段我慢しているコト、ムカついてどうしようもねぇコト! それをありったけ……、ぶちまけてみろッ!」
叫ぶ、叫ぶ。
よく通るしゃがれ声を、ガラガラに潰しながら。
「ルールなんかねぇ、何を気にする必要もねぇ! 自分の感情を爆発させて……、全部吐き出すのがロックなんだよ! それが許されるのがメタルなんだよ! それとも、ゴソー、てめぇは――」
相変わらず野犬のような目つきの彼は、
今にも、私の顔面に噛みついてきそうで――
「てめぇは一生……、全部を我慢して、そうやって生きていくつもりかよッ!」
グラリ。
視界が、揺れる。
両掌に力を込めて、
ハンドマイクをギュッ――、と握りこむ。
フルフルと肩を震わせる私の口から、
大嫌いな、声が飛び出して――
「私……、私は……ッ」
下唇を噛んで、ふいに地面に顔を伏せる。
思わず目を瞑り、ゴチャゴチャになった頭の中で、津波のような重低音が響く。
中学、高校……、私が声を失っていた時間。
……思春期真っただ中の私にとって、約五年半という歳月はあまりにも長すぎた。
心の中に押しこめていた気持ちは破裂寸前。
――たぶん、自分でも気づかない間に、限界がきていたんだと思う。
プツンと。
頭の中で、何かが切れる音がした。
目を開けたら、ブワッと、大粒の涙がこぼれ出た。
そのままグッ――、と顔を上げて、くしゃくしゃになった顔で、まっすぐと正面を見据る。
やけに視界がハッキリとした。でも何も見えていなかった。何も、気にならなかった。
スゥーッ、と息を吸い込んで。
ピタリと、止めて。
両掌で握っていたマイクを、口元に近づけて。
腰を、少しだけ屈ませて――
「゛ウ゛ワ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アッ!」
胃の奥にたまったあらゆる憎悪を、がんじがらめになった感情を、
――全ッ部、捨ててやろうと、本気で、そう思った。
「私のコト……、舐めるのも――、た、大概に……、しろッ!」
声が、止まらない。
止める方法なんて、わかるわけがない。
「喋れないからって……、感情がないなんて、思うなッ! 黙ってるからって、聴こえてないなんて、思うなッ! ……私だって、ひ、人なんだ! 一人の女子高生なんだ! 雑用を押し付けられたらムカつくし……、中年のオッサンに身体触られたら……、イヤに、決まってるだろッ! ……勝手に、人の、スカートをめくるなッ!」
止まらない、止まらない、止まらない。
――止めたく、ない。
全部、
カラッポにしたい。
「みんな……、大っ嫌いだッ! 人の気持ちを考えない奴らは、私のコト、人形かなんかだと思ってる奴らは……、全員、地獄に落ちればいいッ! 口の中に、豚の糞、つっこまれて……、窒息死すればいいッ!」
剥き出しの、本心。
エゴの、塊。
一切のコーティングがなされていない、
生の、私ってやつ。
「私は……、わ、私はッ――」
からっぽになった胃袋を、私はなおも握りつぶそうとする。
……もう、胃液すら残っていないというのに。
中腰の姿勢でハァハァと肩で息をして、五感が徐々に戻ってくる。
いつの間にか、無音。……轟音がピタリと止んでいる状況に、私はようやく気付いた。
ハッ――、と我に返り、ガバッと身を起こす。
私の目に映る光景。
先ほどまで一心不乱に楽器を奏でていた三人の高校生が、ポカンと口を開けて。
ジッ――、と。その視線が、私に集まっていて――
「ゴソーさん……、だよね、キミ」
静寂を破ったのは、一人の女子高生の声。
鬼神の如くドラムを打ち鳴らしていた彼女が、宇宙人でもみるような目つきを私に向ける。
「さっきの声、なんなの……?」
その表情に、その声のトーンに、私の全身からサッ――、と体温が抜け落ちていく。
どす黒い記憶。思い出したくもないイメージ。嘲笑の声。
小学生のころ、私のコトを取り囲んで、
ケラケラとあざけ笑っている、クラスメート達の顔が、
頭の中を、グルグルと駆け巡って――
「めちゃくちゃ……、かっこ良かったんですけど」
――えっ……?
思わず、キョトン。
予想だにもしなかった、彼女の一言。
私の表情がよほど可笑しかったのだろうか、私のコトをジッ――、と見つめていた城井さんの口から優しく吐息がこぼれて、その顔が、柔らかく緩んで――
「ナヲ……、やっぱりドラム辞めたなんて、ウソでしょ。ブランク、微塵も感じなかったんだけど」
「……うるさいな、た、たまに一人で叩いてたってダケで――、っていうかシンこそ、何新しいベース買ってんのよ。KORNモデルのK5とか……、ヒョロヒョロのアンタにゃ似合わなすぎ」
「別に、いいじゃん。音も前のより気に入ってるし。……まぁ、低音強すぎてメタル以外だと全然使えないんだけどね」
まるで、何事もなかったかのように。
新くんと城井さんが、当たり前のように談笑に耽っている。
いつのまにか、世界に平常が還っている。
誰の目から見ても、誰の頭で考えても、
私のさっきの奇行は、数多の暴言は、人に受け入れられる類の行いではない。
なのに、なんで?
……なんでこの人たちは、そのことに、何にも触れずに――
「……うおおおおおおおおおおッ!」
――今の私には、疑問を思案する暇すら与えられないらしい。
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