11.「また、パンツ?」


 学校の昼休み。若人たちに与えられた約五十分間の安寧。

 どう扱おうが、それは個人の自由だ。

 教室で友人と談笑に耽るのもよし、体育館で球入れに興じるのもよし、図書室にこもって読書に没頭する、なんてのもオツだろう。


 僕……、大木新はというと、眼前にそびえる赤毛のトサカ頭、真手雷太容疑者への職務質問を、超個人的に強いていたワケで――


「ライタ……、マジで軽音部戻ってこないの? 今年の学祭、ライブやらないつもり?」

「メタルができないんなら、軽音部に未練はねぇ」


 ――而して、雷太容疑者の態度が著しく悪いのは、誰の目から見ても瞭然で。


「ただし、学祭でライブはやる。軽音部じゃなくて、個人の有志バンドでオーディションに参加する」


 ――ニヤリと、諸葛孔明と董卓を足して二で割ったような微笑を、雷太が浮かべて。


「……えっ? メンバーはどうするのさ」

「ベースは、お前がいるじゃねぇか」

「いや、だから勝手に決めないでよ」

「俺がメタルやるってんなら、お前もやるだろ、どうせ」


 ――再びニヤリ、サキュバスとインキュバスを二乗したような嘲笑で、雷太が僕を煽る。

 ……乗ってやるモノかと、僕はあえて目を逸らしたんだけど。


「……ボーカルと、ドラムは?」

「片方は、アテがある」

「えっ?」

「まぁ……、放課後まで待てって」


 ――ポカンと、ゾンビとムンクをミキサーにかけたようなマヌケ顔を晒しているのは、僕で。


「放課後って。今日は学園祭の準備、例の『小道具係』の打ち合わせやるんじゃなかったっけ? ゴソーさんも一緒に」


 ――果たして、雷太容疑者が黙秘権を行使する。

 ニヤニヤと不気味な笑顔を浮かべたまま、雷太がガタッと席を立ち、

 大股で闊歩しながら、取調室……、もとい、教室の外へと消えていった。


 ……えっ? まさか。

 ……アテがある……、って――





 「゛イ゛ヤ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アッ!」


 およそ、この世のものとは思えない『唸り声』。

 晴天の青空を、一瞬で貫いて。


「……どうだ、ビビっただろッ!?」


 ……いや、ビビったけど――


 僕の目に映る光景。

 得意げな表情で、フフンと鼻を鳴らすのは、悪友、真手雷太。

 真っ赤な顔を両掌で覆い尽くして、フルフルと肩を震わせているのは、クラスメートの五奏杏さん。彼女はそのままヘナヘナと地面にへたりこんでしまった。


 そんな二人を交互に見やり、バカみたいに大口を開け放っているのは、僕、大木新で――


 ……あ、ワケわかんないよね。いや、僕もワケわかんないんだけど。

 とりあえず、起きたできごとをそのまま説明するね。


 放課後の訪れ。「お前らついてこい」と雷太の怒声が教室にとどろき、どこか陰りの帯びた表情を浮かべている五奏さんと、イライラを隠そうともしていない僕を、雷太は無理やり屋上へと連れだした。「学園祭の準備の打ち合わせを、なんで学校の屋上でやるのさ」と、至極真っ当な僕の指摘を華麗にスルーしながら、ノシノシと階段を上る雷太の足は止まってくれない。

 もう、なんでもいいやと――、僕はやさぐれた足取りで雷太の背後ろを追って、さらに後方、一定の距離を保ったまま、五奏さんも僕たちに黙ってついてきて。


 灰色の地面が広がり、放課後の屋上は無人だった。

 先陣を切っていた雷太がクルリとこちらを振り向き、狂気じみた表情で口角を吊り上げ、ずかずかと――、獲物に向かって一直線、入り口のドア付近に佇んでいた五奏さんに歩み寄り――


 彼女の、制服のスカートを、思いっきりたくし上げたんだ。

 僕の表情筋が凝り固まるのは必然で、眼前にお目見えされたのは、およそ女子高生のソレとは思えない、ウサちゃんプリントの可愛らしいパンツで――



「……あの、えっと、何からつっこめばいいのかな、コレは」


 混乱に混迷が二乗され、僕は状況を理解するだけでもいっぱいいっぱいだった。

 相変わらずうずくまって、フルフルと肩を震わせている五奏さんから、鼻をすする音さえ漏れ聞こえてくる。


「また、あの声、聴かれた、しかも、また、パンツ……、死にたい……」


 ……また、パンツ?

 ……えっ、雷太とゴソーさん、昨日何があったの?


 ――わからないコトだらけではあるが、とりあえず僕は、ゴソーさんが普通に喋っている事実にまず驚いた。……二年のころからクラスが同じだったのにも関わらず、彼女の声は一度も聴いたコトがなかったというのに。


 雷太が、五奏さんが嫌がるのを承知で、このご時世では小学生でもしないような悪行を行った理由も察しがつく。……目的は、おそらく『あの声』を彼女から引き出すため。


 ……そう、僕が何より驚いたのは、何より……、興奮を覚えたのは、

 ――齢十八年の僕の歴史の中で、未だかつて聴いたことがないほどの、身体を芯から震わせるほどの――

 

 凶悪な、『デス声』。


「……すごい」


 口から、声が勝手に漏れていた。


「すごい、すごいよゴソーさん。僕、こんなにすごい『デス声』……、初めて聴いたよ」


 両掌を顔で覆っていた彼女が、幼子の如くチラリ、指の間からまん丸の両目を覗かせた。

 ――かと思うと、プイッと、すぐにあさっての方向に顔を背けてしまって――


 ――果たして、『温度差』。


 ……えっ、もしかして――

 一抹の不安が僕の脳裏を巡り、百抹の疑念を込めた目を雷太に向ける。

 未だ得意絶頂のドヤ顔を全力で浮かべている雷太の元に近寄り、「ちょっと、こっち……」、と奴の肩をぐいっと引っ張った。ゴソーさんからある程度の距離が離れたことを確認した僕は、ヒソヒソと雷太の耳に声を打ちつける。


「……ゴソーさん、全然乗り気に見えないんだけど。ホントにボーカルやってくれるの?」

「やる! ――って、すぐに言うと思ってる」

「……本人の許可、まだなの?」

「おう」

「……ダメじゃん」


 ――得てして、この世に溢れる大概の不安は、的中してしまうのが相場というモノで――

 僕の口から陰鬱のこもったタメ息が漏れ出て、でもなぜか雷太は余裕しゃくしゃくの表情でヘラヘラと笑っていたりする。


「まぁ、ゴソーを口説き落とすのはなんとかなるだろ。どっちかっていうと、ドラムが見つからないのが問題なんだよな」


 チラリ――、と首だけ後ろを向いた僕の視線の先、両膝を両腕で抱えながら、迷子の子供みたいに座りこんでいるゴソーさんが、僕たちのコトを恨めしそうに睨んでいる。

 ……なんとか、なる……、ようには、とても思えないケド――


 でも、僕は知っていた。

 真手雷太という男はいつだって、一切の論理的根拠がない自信に満ち溢れている。

 この男は、齢十八年の人生を野生の勘だけで乗り切ってきたような節がある。


 だからこそ、コイツの『なんとかなる』は、裏付けのない未来予報は、

 ――なんか、本当に『そう』なのかもしれないなと。

 妙に、信じ込まされてしまうような、不思議と、納得してしまうような、

 いつだって、そういう節があって――


「……ドラムさえいれば、いいの?」


 ポツン。

 喉からこぼれたかすれ声、乾いた秋風に漂って。


「……あっ?」


 ヘラヘラと、だらしなく笑っていた雷太の顔が、ふいに、真顔に。


「ドラムさえいれば、ホントに、メタルやれるの?」


 少しだけ。

 たまには、少しだけ、手を伸ばしてみようかな。


 片目を瞑りながら、おそるおそる、

 自分の気持ちに向かって、えいやっと。


 半透明で、輪郭がハッキリしない霧の中。

 制服の袖を濡らしながら、

 必死で何かを、たぐりよせるように――


「一人だけ、心当たりがあるんだ。ダメ元だけど……、釣るだけ、釣ってみようか」

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