第7話
「やぁチェリー・ブロッサム。ごきげんよう」
賽銭箱の前。ほうきで掃除をしていたチェリーは、予期せぬ訪問者に眉をひそめていた。
「ごきげんよくはないわ。何しに来たのよ」
「おぉ怖い。まぁいいよ。ちょっと教えてあげようと思ってね」
「何を」
「君のお気に入りであるアンロック・ハートが、狼さんに狙われちゃうかもよ? って事をね」
「まぁ、ご助言どうも……何で教えに来たのよ。貴女は普段一人を好んでいるじゃない」
「そうなんだけど。こう動いた方が、ある一人の男の運命が変わりそうなんだよね。名前を……木元慎一という」
「……それは大変。悪い虫は早く摘まないと」
「悪い虫? 君がそれを言うのか。君は恋欠片だろう。もはや虫を作るが君の仕事。違ったかな」
「私が作るのは恋の欠片。でも、不幸な恋は作りたくないの。変な言い方しないで」
「おぉ、怖い怖い」
強張った表情のチェリーに、笑顔のステールン。
対極の二人は、どうも相性がよくないらしい。
***
まだ六月だと言うのに、八月並みの気温となっていたその日。慎一は唐突に、バニラアイスが食べたくなった。
特別好きという訳でもないが、ただ舌がバニラアイスを求めている。
慎一は近所にある小さな駄菓子屋へ立ち寄った。
「ばーちゃん、バニラアイス頂戴ー」
腰を丸めて店内に置かれたパイプ椅子に座る老婆。
「……光也かい」
「すまん慎一だ」
「あぁ、神崎さんちの」
「すまん木元だ」
「逃げたペットのサソリは見つかったかい?」
「すま……誰だソイツ!」
婆ちゃんはビニール袋の中にアイスを入れた。違うものも入れた。
「おまけあげるからねぇー」
「ありがとう婆ちゃん。でもね、おはじき貰っても正直困る」
結局色々なおもちゃまで貰ってしまった慎一。正しくは押し付けられた。若干多めに置いてったお金。婆ちゃんは多い事にすら多分気づいていない。
「大丈夫かな婆ちゃん……まぁ良いや」
駄菓子屋から少し歩いた所にある公園。暑さのせいか、遊んでいる子供たちは少ない。木陰に隠れたベンチに避難して、色々なおもちゃの入ったビニール袋の中からアイスの入った袋を取り出す。袋を開け、棒を掴みアイスを取り出した。
だが口に入れることは留まった慎一。
色が明らかに黄色い。バニラにしてはもっと濃い黄色なのだ。パッケージを確認する。
『バナナ』
「嘘だろ」
開けてしまった上に、何よりあの婆ちゃんだ。返品と言ってちゃんと答えてくれるかが怪しい。
だが慎一もバナナアイスを食べる気分ではない。
「どうしよ……あ」
都合よく現れたピンク頭。てくてく前から歩いてくる。
「よぉアンロック・ハート。アイス食べてくれないか。大丈夫、まだ食べてない。開けただけ」
「あ、お、お兄さん。こんにちは……アイス?」
「そう。これ。バナナだけど」
「良いんですか?」
「むしろ助かるから」
バナナアイスを渡す慎一。アンロック・ハートはアイスを受け取り、彼の隣に座る。
「ありがとうございます。いただきます」
小さな口で、アイスをかじるアンロック・ハート。慎一は今更な質問をする。
「あげてから聞くのもあれだけど、恋欠片って食べ物普通に食べられるんだな」
「ふぇ? あぁえっと、基本的には人間と変わらないので」
アイスをかじる彼女は、まるで小動物のように可愛らしく。見ている慎一も癒しを得ていた。見られている事に気づいたアンロック・ハート。
「なっ、何か?」
「えっ、いや。特に何もないけど」
「じゃあ、あの、あんまり見ないでもらえると助かり、ます。その、恥ずかしいから」
「んん、まぁ見られてちゃ食いづらいわな。よし、木でも見てる。いやぁ、良い木だ」
空を見上げ、謎に木を見つめ褒めだした慎一。
本来ならアイスだけあげてとっとと帰っても良かったのだが。
何となく、もう少し隣にいていいのならいようと思ったという。
だが正直な所、まだ沈黙が心地いいという関係性ではない。
シャリっ、と小刻みに彼女がアイスを食べる音が微かながらに聞こえてきて。それもまた妙にこそばゆい。
そういえばバニラアイスが食べたかったんだっけ、などと他人事のように私欲を思い出した。その欲が結果、食べている子の隣に座っているだけなのだから不思議なものだと笑みをもこぼした。
一方のアンロック・ハートも、手に持つアイスは徐々に溶け始め。勢いよく口に含めば冷たすぎるしで、どうももどかしい。
それでもプレゼントを貰う事が少なかった彼女にとっては、こんなアイス一本でも幸せになれた。
ましてや、くれた男がくれた男でもあったから。
そんな幸せも、あっという間に食べ終えてしまったアンロック・ハート。もう少し味わいたいという気持ちもあったが、そんなワガママを言えるほど女じゃなかった。
ただ一言礼を言おうと、アンロック・ハートは自ら彼の方を向いた。
笑ってる。
彼を見て、そう思った。
誰かをバカにするようなものではなく、面白おかしいものがあった様子でもなく、ただ柔らかく。
「……アンロ?」
視線を感じたのと、音が消えたのとで。彼は彼女の方を向いた。
意図せずして、目と目が合った。
ぶわぁって、熱が出たのは内側から。
そうやって顔を赤くさせたのは、彼女の方。暑い日ではあるが、理由は多分それじゃない。
「あっ、やっ、そっそのえっと、ご、ごちそうさまでしたぁあああああああ!」
逃げるように去ったアンロック・ハート。慎一はその場に固まっていたが、徐々に顔が赤くなっていく。
あれー? 可愛いぞー?
なんて、頭の中に現れた疑問。
一人、慎一に近寄ったお団子頭。
「やっほー、慎一兄ちゃん……どしたの。すっごい赤いよ、風邪!?」
「由依ちゃん……すまん、兄ちゃん今それどころじゃない」
心音が次第に大きくなっていく。
これはただ事じゃない。それだけは分かった慎一。
自惚れでなければ、多分嫌われてはいない。
むしろそれどころか?
彼女の言動を見て、自身の感情にも疑いをかけ始めた。小動物などを愛でるのとはちょっと違う気がした。
「なんか最近さぁ、慎二もおかしいんだ。今まで一緒になってゲームしてたりしたのに、今日なんか一人で紙相撲でもしてろって言ったんだよ。一人で出来るわけないじゃん」
「あぁうん、そうだね」
何とか落ち着かせるべく気を紛らわそうと、帰る道を歩きながら由依の話を聞いていた慎一。
だが八割ほど聞き逃している部分もあって。
「でもどう思う?」
「えっ、あー、可愛いんじゃない?」
「慎二は可愛くないでしょー」
「あぁうん……えっ、慎二は可愛くないよ?」
「もしかして兄ちゃん会話してるようでしてくれてない?」
「……ごめん」
「暑さにでもやられた? もう、まだ夏はこれからが本番だよ」
返す言葉もないまま歩き、とうとう対面する双方の家の前に着いた。
由依は自宅の扉を開けて。
「とりあえず今日は涼んでゆっくり休みなよ。んで、元気になったら慎二に由依ちゃんと遊べって言っといてー」
そう言って扉を閉めた。
「……正直俺が言った所で慎二が素直になるとは思えないんだがな」
偉そうな独り言を言ってみたが、正直自分の事もままならない状況下。まずは由依ちゃんの言う通り、涼んで休もう。もしかしたらこの感情の名前が分かるかもしれない。そう思いながら振り返り。
慎一も自身の家へ入ろうとしたが。
「あらあらまぁまぁ。ステールンが言った通り。どこに落としてきたのかしらね」
「ぅおわっ!」
ペロンとシャツをめくられ、思いっきり背中を露わにさせた。
「こんにちは木元慎一さん」
「こんにちはチェリー、どうしてそんなに平然としているんだ。そして何でシャツめくった?」
「邪魔だったので」
「邪魔って何が、シャツが?」
「シャツもですし、あなたも邪魔ですよぉ」
「えっ」
「そんな事より。貴方どこに落としてきたんですか、矢」
「……矢って、俺に刺さってたやつ?」
「えぇ。今刺さってないんですよ。だからどこかに落としてきたのかなって。でも今までそんな話聞いた事ないですしぃ。どっちかって言うと……もしかして飲み込んじゃいました?」
「それどういう」
「んー、最近何かにときめきました?」
えぇ、ついさっき。
とは言いずらい。
だが口には出さずとも顔に出てしまったようで。
「どうやら心当たりはあるみたいですね」
速攻バレた。
「それは、その、したと言えばした……けど」
「何を躊躇っているのですか。何と答えようと聞いても驚きませんよ。だって貴方、人間とは結ばれないって出てたでしょう。で、相手は何ですか。電柱? トイレ?」
「……ア」
「ア?」
「……あんろっ」
「そうですか。お死になさい」
軽蔑の目で慎一を見るチェリー。
「そこまで言われなきゃいけないのか……いやでも、まだ勘違いかもしれないぞ。吊り橋効果じゃないけど」
「じゃあ聞きますけど。アンロック・ハートと一緒に居て疲れません?」
「え? いや別に」
「あの子オドオドしてるけど、イラついたりしないですか?」
「そりゃそこまで長い付き合いじゃないからはっきりとは言えないけど、案外しっかりしてると思う。イラついたりはした事ないかな」
「じゃあ彼女の悪い所あげて下さい」
「そこまで悪い所は無いと思うけど、ちょっとお人よしというか、危なっかしいから放っておくにはちょっと」
「一つで良いわ。彼女の良い所を言いなさい」
「一生懸命だよな」
深く深く、とっても深いため息を吐いたチェリー。
そのため息が、何かを言いたい事であるというのは流石に慎一も理解した。
「何だよ」
「貴方の気持ちは分かりました。でも教えません。どう思っているかは自分で考えて下さい」
後ろで手を組んで、その場から立ち去ろうとしたチェリー。
背中を向けたチェリーに向けて、慎一はまだ未確定な心を口にする。
「考えてたよ、一応は。でもほら、神様のおみくじじゃ、俺に恋人が出来る事はないだろ。だから」
「何言ってるんですか。あれは人間の恋人が出来ないってだけですよ」
「うん? えっと……あっ! そういや恋欠片って人間じゃないんだっけ!」
「全く……じゃあさらに迷いを生じさせましょうかね」
チェリーはくるりと振り返って。意地悪なを浮かべながら。
「あの子、あと四人で願い事叶えられますよ」
それを意味するのは、彼女の想い。
彼女の願いはとっくに聞いていたし、それにかかっている年月も知っていた。
仮に好き合って、付き合えたとしても。彼女はすぐ赤ん坊になる事を望んでいる。
彼が悩み苦しむ事を喜々としているチェリー。
「では帰ります。せいぜい無駄な考えを混ぜこんで下さい」
そう言って帰って行った。
残された慎一は、とりあえず家の中に入ったものの、考えている事は何一つ変わらなかった。
しばらくの間、彼の頭の中は欠片に支配されていた。
数日経っても考えは変わらず。
彼女と会う事も無かったが、ままならない感情の状態で会わない事に少し安心していた。
でも。
残りの人数は四人と聞いたが、この間にもカウントダウンは減っているかもしれないという寂しさもあった。
考えに、考えて。
ようやくある事に気づいた。
あぁ、悩む位に好きなのか。
彼は、次会った時どんな調子で会えば良いのかも考えだした。
***
「運命っていうのはね、急展開するから怖いんですよ」
***
夕暮れ空の下。公園で遊んでいた子供達も、鐘の音に合わせ皆帰る場所へ戻って行く。中には迎えに来た親に手を引かれ、笑顔で帰る子供もいる。
そんな子供達を一人、ブランコに乗って見ていたアンロック・ハート。
自分は体験したことのないものを羨ましく思い、夢を膨らませ。
ただその分、少々虚しさも感じていた。
子供達を見るのをやめて、俯いて。
徐々に感情は、空と同じように暗くなっていく。
「よぉアンロ、なんか元気ないね?」
暗い空に、瞬いた流れ星。
「お兄さん……?」
顔をあげた彼女の前に、慎一は笑顔で立っていた。
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