第5話

「はー、無駄な時間過ごしたわ」

そう呟いたのは、メガネをかけた一人の男。

ゲーム上とアンロック・ハートにはマヤと名乗るこの男だが、本名ではない。

何故マヤを名乗るのか。教えるほど親しくする奴らもいないし、いらないし。

貪欲に出会いを求めるなんて、カッコ悪いし。

女なんて星の数ほどいるんだ。そんな無駄に努力しなくともいずれは、なんて思っていた。

だが性欲だけは年相応なもので、うまい話があるのならばそれはそれで美味しく頂こうではないか、という話。

それも結局、無駄と感じた時間になってしまった訳だが。

「そーだ、今日当落じゃん」

汚い部屋の中に設置された一台のパソコン。起動させて、メールソフトを立ち上げた。

新着メールの欄に、二件のメール通知を知らせるNewのアイコンがついている。

すぐさまマウスを動かし、片方のメールを開いた。

「この度は『アイドリック・ルージュ』コラボカフェのご応募ありがとうございました。抽選の結果、チケットをご用意する事が出来ませんでした。またのご応募お待ちして……まーた取れてねーし! 本当に当たんのかよ、クソが」

怒りと悲しみを見せながら、仕方なくもう片方のメールを開いた。

SNSにダイレクトメールが来ていたことを示す通知だったため、そのままSNSを立ち上げる。

メールを送ってきたのは、キラキラという名前の人物。

マヤが好きなブラウザアイドル育成ゲーム『アイドリック・ルージュ』の声優イベント会場で知り合い、場の雰囲気で何となくID交換をしていただけの存在。マヤ自身は友達とも何とも思っていない、ただのフォロワーの一人位にしか感じない存在であった。

『マヤさんお久しぶりです! 来月の十二日アイルファンで集まってオフ会しようって話があるんですけど、良ければどうですか?』

「誰が行くかバーカ」

口ではそう答えたものの、言葉は選んで返答したマヤ。

『ごめんなさい、行きたいのは山々何ですけど、その日丁度テスト期間中なのでやめときます。良ければまた誘って下さーい!』

「まぁいくら誘われても嫌なもんは嫌ですけどねー、だってどうせデブのおっさんばっかりなんでしょ? モテない奴らで集まった集団の中になんて行きたくないですーってね」

かなり酷い偏見を口にしながら、SNSのタイムラインの方へマウスを動かし、眺め見る。

『アイドリック・ルージュ、次イベ上位は天真村未春!』

『上司がうざすぎて死にそう』

『せりちゃんかわいいせりちゃんかわいいむり』

自分には関わりの無い呟きを暇つぶし程度に見ていた中で。

ふと、一つの呟きが目に留まった。

『アイドリック・ルージュのコラボカフェ夜の部当たったぁああああ! それでフォロワーさん優先で同伴者募集するんですけど、誰かいらっしゃいますかー』

「うわ」

呟いた相手の名前はレッドペッパー。勿論本名じゃない。この人もまたイベントで知り合った一人だが、日頃の呟きと可愛い兎のアイコンから察するに、多分、成人済みの年上女性。

マヤは彼女のフォロワー数を見る。三百十五人。

これだけの人数が彼女の呟きを見ているわけだ、そしてその半数以上がアイドリック・ルージュのファンと思われる。

「あー」

諦めた。

まだ呟きが投稿されて三分しか立ってないが、いずれ誰かがリプライを返し、誰かが彼女とコラボカフェへ向かう。そんな未来は簡単に想像出来た。そもそも、そんな親しくない女性に声をかけるなど自傷行為だ。

そう思ったマヤは、そっとSNSを閉じて。

アイドリック・ルージュのゲーム画面を開く。

『お疲れ様ですプロデューサー、今日もレッスンよろしくお願いします』

画面越しに出迎えてくれたキャラクターに、とびっきりの笑顔を向けた。

「うんうん、今日も頑張ろうねー、くがつだー」

九月田千絵というアイドルを可愛がっている彼にとって、正直それ以上に優先させる女などいないと思っているのが本音である。


 一週間後。公式サイトで発表されたページを見たマヤは思わず声に出してその文字を読んだ。

「アイドリック・ルージュコラボカフェ……白壁漣花、九月田千絵、天真村未春の描きおろし絵の追加グッズ発売決定……?」

入場チケットの取れなかった彼にとって、コラボカフェはほぼほぼ諦めた存在だった。だが可愛らしいアイドルの新グッズという餌を前に、もうぼくが行くしかないのでは? などと単純な発想になっている。

ここでふと、ある人物の呟きを思い出した。

マヤはSNSを起動させ、フォロワーの欄に居たレッドペッパーを選ぶ。

彼女の呟きを遡り、例の言葉を見つけ出す。

「これだ」

前と何一つ変わっていない呟き。

その事にマヤは驚いた。

絶対に誰かがリプライを返していると思っていた。だがその呟きは、誰からも反応された跡がない。いいねと評価するボタンは三人ほどに押されているものの、誰もリプライは送っていないようだった。

失礼なマヤは、もしかしてコイツ人気ないんじゃ? 位に思って。

「じゃあ……ぼくが行くしかないか」

何故か上から目線。

とはいうものの、どう話しかけていいのか全く分からない。

彼女とは普段絡む事もなく、強いていうなら「よくいいねする仲」。

いきなり話しかけたら不審者に思われないか?

そもそもコイツから来てくれれば良いのに。

なんて思い続けながらも、そこは好きなアイドルのため。

何とか頭を捻って、今まで他人に出して来なかった誘いの文章を考える。

リプライのボタンを押して。

『こんにちは。突然すみません。こちらの同伴者まだ募集されているようでしたらぜひご一緒させていただきたいです。ご検討お願いします』

なんとまぁ平凡な文章なのだろう。

それらを打ち込んだマヤは、送信ボタンに指を伸ばす。

しかしだ。

「これ見えるんだよなぁ……」

このリプライは当人同士ではなく他人からも見えてしまう。

断られる事を他人に見られ、笑われる可能性があると感じたプライドだけはクソ高いマヤ。

打った文章をそのままコピーして、リプライボタンからダイレクトメールボタンへと指を移動させた。

後は言わずとも。ペーストペースト。

そして送信ボタンを。

また押さないで止まる。

パソコンの前から離れ、汚いベットの上におネンネさせている抱き枕を抱きしめる。

絵柄は勿論、九月田千絵。

「これもし断られたらぼく超傷つくんだけど。どうすれば良いかな、くがつだ!」

相談出来る友達もいない。ネット知恵袋に相談しても良いが、相手にバレた時に死ぬ。

文章もこれで大丈夫なのかという心配もある。

今まで他人と接してこなかったのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。

モダモダしてる間に一時間が経過した。

抱き枕を抱きしめたり、部屋の中をグルグル歩き回ったり。

色々な事をしながら考えて。

結果。

「えぇい、ままよ!」

ようやく送信ボタンを押した。

そこで思ったらしい。大して絡んでもないのにいきなりダイレクトメールの方が不審がられないだろうか? という事に。

まぁ送信してしまったものをどうこうは出来ない。

マヤは大人しくゲームを起動させ、可愛いアイドルとの時間を楽しみ始めた。


 ゲームを五時間ほど楽しんだマヤは「あ、ヤバい」と声を漏らしSNSを開く。

ページを見た瞬間、一瞬だけ心臓を跳ね上げたマヤ。

ダイレクトメールの欄に新着メールの通知が来ている印が出ている。

思いっきりマウスを震わせながらも、ページを開く。

『こんにちは! 今の所決まってないのでぜひご一緒して下さい』

「ひぎゃあああああああ!」

思わず叫んだ。

とりあえず大きく深呼吸して、続きの文章を読んだ。待ち合わせ時間と場所などが指定された他。

『ところで前回お会いしてから結構な日数が立ってしまい、大変失礼ながらお顔を覚えておりません。当日はお互い服装のご連絡をお願い出来ますか?』

それに関しては全く問題のなかったマヤ。何故なら彼も彼女の顔を覚えていなかったから。微かな記憶で、何となくメガネをかけていたような気がする。

それ以外は当時の服装なども全然覚えていなかった。ただ当時のイベントで、車や電車で来る者が多い中唯一自転車で来たという話をしたような事だけは覚えていた。

「とりあえず」

丁寧な返事を考えるマヤ。

『ありがとうございます! とても嬉しいです。顔に関してはぼくも人の事言えないので大丈夫です! 日程と時間も了解しました。当日は宜しくお願い致します!』

彼にとっては丁寧だった。

ふと、思い出したのがピンクヘッド。

「そういえばアイツ、ぼくに好きな女が出来るとか何とか言ってたっけ。そうか、この女がぼくに惚れるのか。仕方ないな」

とんでもないうぬぼれ勘違い。

よくよく考えてみれば、今回目的はコラボカフェに行く事とは言え、ある意味デートなのでは? と思ったマヤ。

まぁ自分と同じ趣味であり、恐らく経済的にも安定してる。

恋人にするにしては申し分なかった。

「美人で巨乳だったら付き合ってやってもいいかな」

どうしてこうも上から目線になれたのか。


 時は流れ、とうとうその日がやってきた。

着古されたスウェット姿で母親の前に現れたマヤ。

「おいババア、今日夕飯外で食べてくる」

「お母様とお呼び。何、アンタが外で食べてくるなんて珍しい」

マヤは勝ち誇ったような表情を浮かべる。

「まぁデートかな」

「えっ、その恰好で?」

「……おかしい?」

「パジャマみたいよ」

「パジャマ!?」

「デートならもう少し見た目に気合入れなきゃダメだねぇ。他の服ないの?」

「他の服ったって、例えば」

「普通にパーカーとかなら良いと思うけど、その服はないね」

部屋に飾られた置き時計を見たマヤ。現在午後三時。待ち合わせ時間は午後六時。移動時間を含めても、まだまだ余裕はある。

急いで自分の部屋へ戻って、まだ辛うじてオシャレに見える服を探す。そもそも洗濯してあって綺麗な状態の服を探す。

正直な所、自分の服なんざどうでも良いと思っていた。

暑ければ脱げ、寒いなら着ろ。それでいいと。

ただこの男、それ以上にカッコつけたがりで。

半開き状態だったタンスを全開にして、普段は着ていない普通に見える服を漁る。

その中から、以前近所のおばさんに「息子が着れなくなったから」と譲り貰ってきた白いトレーナーを見つけ、それを持って母親の前へ走った。

「どやぁ!」

「自慢出来るような事じゃないよ。まぁ良いんじゃない」

「よし」

その場で着替え、一息入れる気でいたマヤ。

だが世の中そんなうまくはいかない。

「……穴開いてる」

よく見れば腹の部分に、小さく虫食い穴が開いていた。そこまで目立つ穴ではないが、多分デートに着ていく服ではない。

マヤの母は呆れながらも無意味な質問をした。

「買ってくれば?」

「そんな金があるなら、くがつだに貢ぐ」

母は諦めた。

マヤは再びタンスと顔をあわせに行き。

ようやく決め込んだのが、白と青色のチェック柄のシャツにジーパンという。

世の野郎共の服装と比べたら、多分これでもダサい方なのだが。他の服がもっと酷かったのだからこれでもマシとしか言えなくて。

そうこうしている間にゆっくりと時間が近づいてきて。

「ちっと早めに着いてた方が良いよな。電車も一本早いので行くわ」

「……アンタさぁ、大丈夫?」

呆れの表情を、心配の表情に変えた母。そんな事には一ミリも気づいていないマヤ。

「大丈夫って、何が」

「アンタ喋るの苦手じゃない。それに予定外の事が起きると妙にテンパるでしょ。余裕持って行動しなさいよ」

「なんちゅー心配してんだ。だーいじょぶだって、これが全く正反対タイプのケバいギャルでも来たら困るけど、相手もどうせオタクだ。アニメの話さえ出来れば何とかなるって。電車だって早いので行くって言ってんじゃん。じゃ、行ってくるわ」

そう言って出て行く息子の後姿を、母親は心配そうな目で見送った。


車内に差し込む夕日で、影が揺れる電車の中。窓際に立ったマヤは、普段は気にもしない前髪を少々弄って。

「まぁ何とかなるだろ」

そう自分を言い聞かせた。


『マヤさんこんばんは! 申し訳ないんですけど、仕事で少々待ち合わせに遅れそうです。カフェの受付時間には間に合うよう急いで行きますので、すみませんがお待ち下さい!』

彼女からのダイレクトメールを見たのは、待ち合わせ場所に着いてからだった。

「マジか……時間早めに約束しといて良かったわ」

『今待ち合わせ場所に到着しました。了解です。とりあえずゲームして待ってるので来たらご連絡下さい。こちら白と青色のチェック柄のシャツにジーパン姿の男です』

そう打って、マヤはすぐさまゲームを立ち上げた。自分の恰好を知らせておけば、多分向こうから声をかけてくれるだろう。そう思いながら、ゲーム越しに存在する彼女を愛でた。


『すみません今待ち合わせ場所に到着しました。マヤさんどちらにいらっしゃいますか? 私クリーム色のワンピースを着ています』

そんなメールが来たのは、彼女にメールを送った後。

何を言っているんだこの女、ぼくはもうとっくに居るって送ったじゃないか。

最初はそう思ったマヤ。

だが一つ、とても大変な事に気づく。

「打っただけで送ってねぇ!」

辺りを見回すマヤ。周囲には何人かの人がいて。その中から条件と同じワンピースの女を見つけ出した。しかも持っているハンドバックには、彼女がアイドリック・ルージュの中で好きだというキャラ、白壁漣花のラバーストラップがつけられている。ほぼ間違いない。

もう既にテンパりぎみになったマヤ。

メールの返事を送るよりも先に、何も考え無しに声をかけてしまった。

「あっあの」

マヤの声に反応し、顔を向けたレッドペッパーを名乗る女。

ほんのり化粧をした彼女の顔を見たマヤは、物凄く動揺した。

こいつメガネじゃねぇ!

記憶の中の姿と違い、明らかに頭の中がごちゃごちゃになっている。じゃあ今まで思ってたメガネは何だったんだよとも考えたり。

「あ、マヤさんですか?」

「はいすいませんほんとメール送ったはずなんですけど送れて無くて」

完全にテンパりだした。

早口で答えたマヤに対し、大人の余裕なのか慣れているのか。レッドペッパーは落ち着いた様子で話し出す。

「いえいえ。私こそ遅れてすみませんでした。じゃあ行きましょうか」

「ははは、はい」

後に彼はこう語る。

何か顔見たら全部ぶっ飛んだよね、と。


「本当にお久しぶりで。前回のイベントに会ったきりだから、半年ぶりですかね?」

「えっあっはい」

オレンジと薄紫の空の下、店へ向かう最中の二人は人間一人分距離を開けて歩く。

「あの時は私家が近かったからって会場まで自転車で行ったんですよねー。大変だったなぁ」

それは彼が唯一覚えていた彼女の思い出。

『あぁ、それは覚えてる。つーかあんな変わりモンお前位だよ』

とは流石に言えないので。

「あぁ、そう言えば、そんな話してましたねぇ」

ワザと話を流れに合わせた。

「思い出しましたー?」

覚えてました、とは言えなかった。

このマヤという男。自分より立場が下の者は思いっきり見下せるため緊張せずに話せるのだが、年上やオシャレな人相手には変に言葉が出なかった。

「そうですね、はい」

個人的に思う典型的な相づちを返し、何とかやり過ごそうと思った。

「そうだ、カフェってワンオーダー制ですよね。何食べます?」

個人的に思う典型的な相づちが返せなくなった。

「えっ、その、くがつだの」

「あぁ、好きですもんね」

そう言われて、ふと自分の好きな九月田千絵の顔が頭に浮かんだ。

「そう。えぇ。そうなんです。くがつだは本当に可愛くて! まぁ見て下さいよ、くがつだを!」

自身の青色スマートフォンをジーパンのポケットから取り出し、デスクトップにしている水着姿の彼女を見せた。

後に彼はこう語る。

自分の事はうまく語れないが、くがつだの事は一日位語れる気がした。と。

「わー、かわいい」

笑顔でくがつだを褒めてくれるレッドペッパー。マヤは彼女を良い人だと確信した。

そんな話をしている内に、カフェの入ったビルの前へたどり着く。ビルの前には恐らく同じ場所を目的とする人々が並んでいた。

二人も列の最終尾に並び、順番を待つ。

並んでいた者の多くは二人組で、ほぼほぼ同性同士だった。

もしかしてぼくら今カップルだと思われてない? ぼくは良いけどこの人平気?

などと心配していたマヤ。普段なら、ぼくとカップルに間違われるなんて幸せだな、ありがたく思えよ! 位に思えるのだが。

現在のマヤは明らかに気弱であり。そんな事は死んでも言えなかった。

「やっぱり二人で来てる人が多いですね。来てくれてありがとうございました」

突然言われたお礼に、何故かキョドるマヤ。

「えっ? あっ、いやっ、こちらこそありがとうございましたって感じで。ていうかいきなり声かけてすいませんでした」

半歩ずつ列を進ませながら二人は並んで言葉を交えた。

「いえいえ。あぁでも、ちょっとびっくりしたかなぁ」

「ほんとすいませんいやありがとうございます。ぼくもメール送ってからあれこれリプで良くないか? とは思ったんですけどもうなんか後の祭りで」

「大丈夫ですよー。でもメールくれるとき結構勇気いったんじゃないですか?」

「えぇメール送るのに一時間かかりました!」

もう頭の中で整理がつかないままバカ正直に全てを喋っているマヤ。しかも緊張もあって早口になってしまっているものだから、もう相手にちゃんと伝わっているかも分かってない。

「お待たせしました、お次の方どうぞー」

気が付けば列の先頭になっており、店の店員が目の前にいる。

店内に通され、気が付けば席に着いていた。

「わっ、かわいい」

「そうですね、はい」

店内は完全にアイドリック・ルージュ一色。テーブルにも愛らしいキャラクターが描かれていてファンからすればたまらない空間だ。

「こちらの席へお掛け下さい」

店員が示した席を見た瞬間、レッドペッパーは声をあげた。

「漣花ちゃん!」

周囲の席を見渡すと、各テーブルにそれぞれ違うアイドルの絵が印刷されていて。

二人が指定された席には、彼女の好きな白壁漣花が大きく描かれていた。

「おぉ、おめでとうございます」

マヤは心から祝った。自担が来たら平常心を保てる気がしなかったから。

「ありがとうございます。わぁ可愛いー」

彼女の言動に関心し始めるマヤ。自分だったら

うひょああああ何っ、もうあー待って可愛い。うん、ムリ。死ぬ。ほんとうちの子マジでかぁわいい! ペロペロ~。

位の事を言う自信があった。

「メニューがお決まりになりましたらお呼びくださーい」

店員がその場を離れ、二人揃って席に座った。

ふと、マヤは違和感を感じた。

一つのテーブルにイス二つ。

対面になって、さほど大きくないテーブル一つ挟んだだけ。それなのに。

先ほどまで隣にいたせいか、よく分からないが、やたらと遠くなった気がした。

「もうメニュー表が可愛いですよー」

距離は遠く感じるのに声は近く感じて。

「そうですね。すごいですね」

流石のマヤも、自身が緊張している事を自覚した。

「九月田メニュー以外頼みます?」

「えっ、あっ、どりんく?」

もう正しく日本語が言えているのかすら分からない。

「はい。決まったら店員さん呼んじゃいますが」

「えっ、あっ、はいどうぞ!」

思考回路以上に定まっていないものなどない。そう思っていたマヤ。

レッドペッパーは手を挙げて店員を呼び「お先どうぞ」と店員の視線をマヤに向けさせた。

そう言えば店員に言葉で注文するの久々だな、とネット通販に頼りきりな現状を突然思い出したマヤ。

「これっ、と、これ、くくください」

緊張のあまり、もう注文すらうまく言えない。

だが流石接客業の店員だ。薄ら笑いの客相手にも笑顔で対応する。

「畏まりましたー」

その後レッドペッパーも注文をし、店員は厨房へと入って行った。

注文が来る間の無言。

彼女はすぐさまスマホを手に取って。

「とりあえず店内の写真撮っても良いですかね。さっきから思ってたけど、もう机とかすごく可愛いんで」

「あっ、はい」

マヤは少しだけ安心した。良かった、ちゃんとオタクだ。なんて。

「マヤさんも店内の写真撮って来て良いですよ」

「あっ、はい」

二人ばらけて互いに好きに写真を取り出した。

マヤは気づいた。

もしやこれデートとは言わないのでは、と。

その時、店員が店内に聞こえるよう大きな声で連絡を告げた。

「只今より店内限定グッズの販売を行いまーす。ご希望の方は専用レジまでお並び下さーい」

マヤはレッドペッパーの方を見る。彼女は手で「どうぞどうぞ」と表して。マヤは一礼し、列に並び、自身がお金を出せる分の欲しいものを買った。今日一番幸せを感じたマヤ。もしかしたら一般的には何か間違っているかもしれない。

限定九月田グッズは勿論買ったが、その他にクローズドパッケージのトレーディング缶バッジも購入。くじ形式のため当たるとは思わないが、ここは公式にお金が落ちれば良いという感覚で買ってやった。

ビリっと袋を開けて。

中身を見る。九月田じゃない。だけど。

マヤは席に戻り。

「レッドペッパーさん」

「はいはい」

「これ」

「……漣花ちゃん!」

彼女が好きなアイドルのグッズが出た。

喜んでいるレッドペッパーの表情を見て、一瞬だけ安堵を得たマヤ。

「ありがとうございます。お金後で出しますね」

「えぇまぁはぁどうも」

だがまたすぐに緊張を取り戻したのだから流石マヤ。

しばらくして、レッドペッパーは周囲を見渡し始めた。

「ちょっと冷房効いてますね」

「そですか?」

正直緊張が強くて気温どころではない。

「……ちょっと見てきますね」

「あっ、はい、どうぞ」

店内を見回りに行ったレッドペッパー。残されたマヤは意味もなくスマホを弄って見たり。

「マヤさん、これどーぞ」

マヤが顔をあげると、そこには赤いブランケットを持ったレッドペッパーが。

「ご自由にどうぞっておいてありましたー」

「えっあっ、どうも」

受け取りながらこう思った。

大人ってすげー!

ときめきを飛び越えて尊敬した。

「お待たせしましたー」

アイドルイメージの美味しそうなきた。

「かわいいっ」

とりあえず写真に収めた二人。

そして一口。

美味しい。見た目普通のサラダだが、ドレッシングが違うのか家で食べるものとは何かが違う。

「美味しいですね。こういうの今度自分でも作ってみようかなぁ」

「えっ、へぇ、そ、それはすごい、です、ね?」

滅多に人を褒めないのでうまく褒められない。

満腹になり店内を出る時間が来てしまった。

「じゃあお会計まとめてやっちゃいますね」

「おっ、お願いします」

二人揃って席を外す。

人のお会計って見て良いものなのだろうか……。

そう思って若干後ろの離れた所に、人の邪魔にならないよう立つ。

もはやそれが正解なのかも知らない。

彼女が会計を終わらした所を見計らい近づき。

「ありがとう、ございました」

「いえいえ、こちらこそ一緒に来てくれてありがとうございました」

「ひゅあっ。とんでもない、あ、お金渡します」

「あぁはい。じゃあ漣花ちゃんのバッチ代引いてと」

てきぱきと事を進めていく彼女を、マヤはとても大人に感じた。

「あ、この後どうします? 私アニメショップ行くんですけど、よければ一緒にどうです?」

突然の誘いに、何だコイツぼくの事好きなのか? と疑問を抱く。

とりあえず今は話に乗っかっておいた。

「あっ、じゃ、行きます」


 アニメショップに向かう道中。

周囲にはカップルか疲れた顔のサラリーマン位しかいない。どうせなら良い方に見られたいマヤ。何とか周囲同様カップルらしい行動をしてみようと試みる。

とりあえず、話しかけてみた。

「人少ないですね」

「夜ですからねー」

自分から振っておいてあれだが、どうしてそんな事を聞いたのかと自分を責めた。

「あ」

しばらくして、目玉と緑色の舌が飛び出た幽霊の奇妙なキャラクターのお店が目に入ったマヤ。

アイドルック・ルージュとコラボした事があるゲぴぃちゃん。マヤはその時からゲぴぃちゃんを気に入っていた。

「どうかしました?」

「いえいえ」

だが見た目が見た目だ。人を選ぶ。

今回ばかりは止めておこう。そう思い店の前をスルー。

「あ、雑貨屋さん見ても良いですか?」

「へっ、あっ、どうぞ!」

いかにも女子が好きそうな雑貨が置いてあるお店に入る。

まるで普通の男女がデートするような空間に入ってしまったと、錯覚と混乱を起こしだすマヤ。

気を落ち着かせるため、自身も数多く置いてある雑貨を見ていく。その中に再びあのキャラクターがいるのを見つける。

ここにもゲぴぃちゃん人形が置いてあった。

「あ、ゲぴぃちゃんですか?」

「はい。コラボしてたやつ」

「私この子好きなんですよ」

「えっ」

「コラボする前から好きで、コラボした時はほんっとに嬉しくて」

内心。

『なっんだよもっと早く言えよ! じゃあさっきの店行っても良かったじゃないか。ってかお前そんな素振り全然見せなかったじゃん』

現実。

「そうなんですね……!」

相手が不快にならないよう言葉を選ぶと、どうも言葉が出てこない。

結局その後行ったアニメショップでも同じような言動になった。


「そろそろ帰ります?」

「うぇっ、あっまーそーですね。夜遅いですからね」

「ですね。じゃあ駅向かいますか」

ですよね、エロい事とかまぁ起こりませんよね。と、ようやく状況の流れを掴んだマヤ。

またもや無言が続く。正直、人と喋らないのはマヤにとってよくある事で。対面でなければ黙っている事は苦ではないのだが。

レッドペッパーはそうじゃなかったらしい。

「あの、今見てるアニメとかあります?」

もしかしたら彼女にとっては間を繋ぐただの雑談だったのかもしれない。

ただネガティブ状態のマヤはこう考えた。

気を遣われた! と。

「そうですね、あんまり見てませんけど、これから色々見て行きたいですね」

そして会話のキャッチボールを意識していない回答を返す。言ってからダメだという事に気づいたがもう遅い。

「そうですかー」

相手が困っている状況は察せたが、どうすれば挽回出来たのかも分からない。

そうこうしている間に駅に着いて。

「ではでは、今日はありがとうございました。

そう言って背中を向けた彼女を、マヤは余裕のない笑顔で見送った。

電車に乗って、今日の事を振り返る。

あの時こう言えば良かった、あぁ言えば面白かったのではと今更ながら次々にアイディアが生まれた。

それ以外にも色々な考えを巡らせて。

最終地点にたどり着いた。

もしかしてぼく、このままじゃダメなんじゃね? って。

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