第3話
あの後何度同じ道を通っても、彼はあの神社にたどり着く事はなかった。それ所か、彼女達に会う事もないまま一ヶ月が経っていた。もはや自分の背中に矢が刺さりっぱなしという実感もなくなってきている。
火曜日の放課後。
慎一は、ある建物の中へ入っていった。
真っ白な病室の一角。ベットの上に寝ている母親に慎一は声をかけた。
「まぁ酷くなくて良かった」
「何言ってんの、酷く痛いんだからね!」
慎一達の母親が入院した。
ぎっくり腰で。
「とりあえず大人しくしてなって。うちの事はどうにかするから」
「母さんがいないからって女の子連れ込んだりするんじゃないよ!」
「一番先にそれ心配する? まぁ大丈夫、俺神様から女の子と付き合えないって言われたから」
自分で言ってて悲しくなった慎一。
「何言ってんのか分かんないけど、とりあえずちゃんと自炊とかするんだよ!」
「はいはい」
母親の説教交じりの言葉を軽く受け流した慎一は、そのまま病室を後にした。
色々な人が出入りする病院。中にはマスクで顔の半分を覆った人もいれば、車いすに乗って移動する人もいる。手入れされた花壇が並ぶ道を歩く慎一は、先ほど自分で言った言葉を頭の中で復唱していた。
せめて一度位女の子と付き合ってみたかった。そんな事を思いながらも、神のお告げを否定する気にもなれなかった。どちらかと言えば誰とも付き合えない方が現実的だから。夢も希望も持てずにいた。
とりあえず今は真っ直ぐ家に帰るまでの道だけを見よう。そう思った矢先だった。
目の端に写り込んだ、桃色髪。
「アンロック・ハート……?」
ベンチの上で一人の少女に寄りかかって眠っていたアンロック・ハート。
白い髪に赤い瞳の、まるで子ウサギのような少女は驚きながら慎一を見ていた。
「驚いた。まさかこの子が人間に名前を呼ばれるとはね」
透明な声で喋った少女。大きなチェックの付いた黒いノースリーブとショートパンツ。それらに映える、真っ白なリュックを背負っている。
慎一は二人の前に立ち止まり、会話を続けた。
「君も恋欠片なのか?」
「そんな綺麗な存在じゃない。僕は恋破片ラブ・ステールン。出来ればよろしくしないでね」
「恋破片って、恋欠片とは違うのか」
「なるほど。恋欠片だけを知っている人間か。そうだね、ざっくり説明すると恋破片は恋欠片の矢を意図して消す……失恋を生ませる者」
「……そうか。それで、えっと、ラブちゃん?」
首を横に振ったステールン。
「正直、僕にその名は可愛すぎると思うんだ。ステールンで良いよ」
「じゃあステールン、アンロック・ハートはどうした」
寝ているアンロック・ハートの頬には、涙の痕がついていた。
「あぁ。泣き寝入りしちゃったよ。困った子さ」
「泣き寝入りするような事が?」
「彼女が矢を投げた子から恋心を奪ったからね。僕が」
しれっと答えるステールン。慎一はアンロックハートの心情を思う。
「それは泣くだろ」
「させないと僕が怒られるしね。それに今回の場合、奪わざるをえなかった」
「何でだよ」
「死んだら恋は出来ないだろ?」
一瞬、入院している子供の声だけが響いた。その一瞬を壊した慎一。
「ホントに……?」
「嘘を言う理由は無いだろう」
「まぁそうかもしれないけど」
人の不幸を知らされて良い気になる事もない。
そんな慎一の心情に気づいていないのか、それともワザとか。ステールンは綺麗に笑った。
「人間の恋はね、僕からすればお煎餅と同じなんだ。甘かったりしょっぱかったりして、そして簡単に砕ける。砕くのなんて、難しい事じゃないだろう。でもね、砕けたからと言ってマズくなったわけでもないよ。そりゃいつまでも綺麗な方が見栄えは良いかもしれないけど。見た目だけで全てを決めるのは、おかしな話だと思うんだ。失恋があってこそ、次にいく事もあるし。逆に幸せになる事もある」
「そう、かな。でも人間と煎餅を一緒にするのはちょっと」
「分かってる。例え話さ。それより、何だって君は僕らを認識出来るんだい」
「何でって、そこにいるから?」
「そうだけど、普通はいないものと扱われるはずなんだ。僕らを普通に認識出来る人間は、恋欠片から人間になった者、あるいは霊感が異様に強い者」
「あぁ、俺手違いで矢が刺さりっぱなしで。あっ、矢を消すのが仕事なんだっけ。じゃあもしかして俺に刺さってる矢、取れる?」
慎一をジッと見つめたステールン。心の奥底まで見透かされていそうな、深い視線。
フッと笑って、その視線を自ら遮った。
「取れるは取れる。けど、今はその時じゃないね。それにしても……そうか君が」
「何、もしかして俺の事知られてる?」
「まぁね。それなら恋欠片の事だけを知っていても筋は通るか。なるほど」
「うん。しかし取れないのか。もう刺さってるっての忘れてる時のが多いし、別に良いんだけどさぁ」
「気にならないならそのままにしておくと良いよ」
「そうだな。ところで……さっきの話だと恋欠片って、人間になれるのか?」
「何だ、そこは知らないのかい。恋欠片は人間一万人に矢を放つ事が出来たら、どんな願いでも叶える権利を貰えるんだよ。恋欠片の人間になる率は高い。僕には理解が出来ないものだね」
「ステールンは人間になりたくないんだ」
「当たり前だろう。恐らく僕が恋破片だからだろうね。恋欠片だったら……と思っても何も変わらないか。止めよう。それにしても、アンロック・ハートはまだ起きないのだろうか」
スヤスヤと寝ているアンロック・ハート。
「大分よく寝てるな」
ステールンはため息を吐いた。
「呑気なものだよ。心配になる。この子人間になっても苦労ばっかりしそうだからね。ならなければ良いのに」
「はは、でも人間って案外楽しいよ? 人間がそう言うんだから間違いないだろ?」
「うーん。僕らだって人間だったけど、楽しく死んだ訳じゃないからなぁ」
「……人間だったのか?」
「そうだよ。僕もこの子も元は人間。そもそも恋欠片は、救済措置なんだ。恋や愛を知らずに死んだ子、死ぬ間際に失恋をした子がなる存在。それが恋欠片。アンロック・ハートはね、自分の親に虐待されて死んだ子だよ」
言葉を失った慎一に、ステールンはさらに言葉を重ねた。
自身の肩に寄りかかるアンロック・ハートの頭を撫でながら。
「彼女だけじゃない。他の恋欠片もだ。それでも恋欠片をやってるとね、自分もこうなりたかったなぁって思っちゃう子が多いみたいなんだ。バカだよねぇ。人間、愛だけが全てじゃないのに。何で夢に憧れてしまうのか」
「……夢や憧れが悪いって事はないんじゃないかな」
「……して、その心は?」
からかうような表情のステールンに対し、慎一は至って真面目な表情を見せた。
「いやだって、それを叶えるための努力とかしてるだろうし、難しくても頑張れば出来る可能性が少しでもあるんなら。無駄な事と言い切るのも」
「そうか。君は優しいなぁ。僕なら即答で諦める事を進めるよ」
「時にはそっちの方が優しい事もあるかもしれないけどね」
「ふふ、そういう事にしておいてあげよう。さて、そろそろ立ちっぱなしも辛いんじゃないかい? アンロック・ハートの隣にお座りよ」
「え? いやもう帰ろうかと」
「人間には休憩も必要だと思うよ。さぁ」
この後の用事といえば、親の変わりに家事を行わなければならない位だ。まぁ多少の時間なら大丈夫だろうと、言われるがままに座った慎一。
「よし」
ステールンはゆっくりとアンロック・ハートの頭を慎一に寄りかけさせて。
すぐさま立ち上がりスタスタとその場を去る。
「じゃ、あとは任せたよ」
「ちょっ、騙したな!」
「違う。助けてもらったんだ。どうもありがとう。ではでは、もう二度と会わない事を願っているよ」
早歩きで行ってしまったステールン。慎一も後を追いかけたいが、アンロック・ハートが寄りかかっていては動く事も出来ない。
仕方なく彼女が起きるのを待つことにした。
日が落ちて、徐々に薄暗くなっていく空の下。
横眼で盗み見る彼女の寝顔は、幼さと涙の痕が見え。ましてやあんな話を聞いてしまった後だ。放ってはおけないという気持ちを刺激させた。
「ん」
彼女が小さく漏らした声に、一瞬心を跳ねさせた慎一。
アンロック・ハートの頭は、ゆっくり反対側に落ちそうになって。
慎一は思わず腕を伸ばし、彼女の小さな肩を優しく掴んで抱き寄せた。
いくら人間でないとは言え、その見た目は普通に可愛らしい女の子だ。今まで生きてきた中でこんなにも女の子と近づいた事がない彼にとっては、当然、ドキドキハプニング。
彼女の体温が冷たいせいか、急激に自分の顔が熱くなった事を理解した慎一。
何とかして冷まさねば、などと考えてる間に。彼女の小さな目がゆっくり開いた。
意志とは関係なく速くなった心音を誤魔化すように、己の言葉で掻き消す。
「あっ、あー、起きたか?」
アンロック・ハートはゆっくり顔を上げて、三回ほど瞬きしながら彼を見た。
ようやく認識したのか、顔を真っ赤にさせ飛び起きる。
「おっ、おにいしゃん! えっ、あっ? るん、ルンちゃんは!」
「ルンちゃん……あ、ステールンか。あの子なら帰っちゃったっていうか。あっ、この体制はお前が落ちそうになってたからってだけでだな」
「し、失礼しましたぁあああ!」
恥ずかしさからか、そそくさとその場から去ろうとするアンロック・ハート。
「あっ、アンロック・ハート!」
「へっあっはい!」
「その、困った事があれば言えよ!」
彼女の事情を知ってしまったが故か、思わず口にしてしまった言葉だった。
自分でも何言ってんだという気持ちで、段々恥ずかしくなってきたレベルに。
「えっはい、ありがとうございます?」
アンロック・ハートも何故突然そんな事を言われたがよく分かってないが、そんな事よりとりあえず逃げたい。そんな気持ちで。
「うん、じゃあ早く気を付けて帰れよ! またな!」
「はっ、はい!」
自分で引き留めておいて、と思いながらも。早歩きでその場を去って行った彼女を見送る慎一。
ただ、彼女を応援したいと思うのは本心だった。
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