第2話

 翌日の早朝、テレビのアナウンサーは笑顔で今日の天気を伝える。

『今日の関東の天気は非常に極端となります。朝は快晴、昼から雨どしゃ降り。お出かけの際は傘をお忘れのないようお気をつけ下さい』

「アンタ達、忘れず傘持ってくのよ!」

予報を見た母は息子二人に声をかけた。

「んー、行ってきまーす」

眠そうな顔をしつつ傘を持って出かけた兄を見た弟。

慎二は何かを企んだ顔をして。

「行ってきまーす」

傘立てに自分の傘を残し、家を出て行った。


 天気予報通り。関東では午後になり急激に雨が強く降り注いだ。

慎二が通う中学への道中には、大きな商店街があった。花屋に八百屋、薬局もある。しかし活気があったのは昔の話。それこそ天気の悪い日には、ほとんどの店のシャッターが早く下ろされる状況だ。

雨音が響く中、慎二は気持ちの悪い期待を込めてシャッターの降りている布団屋の前に立っていた。

本来占いの類は信じない方なのだが「可愛い彼女欲しいよね、なら藁に縋るのも悪くないよね」という気持ちが彼の中で勝ったのだから仕方がない。

彼はここで雨宿りをし、声を掛けられるのを待っている。

他にも今日は色々期待しながら学業に励んでいた。

授業中はいつもなら挙げない手を挙げて。

休み時間は意味もなく女子の近くを通ったり。

だが特に何も起きることはなく。

二十四時間の間に好きな人が出来る。そう言われてから、推定の残り時間僅か一時間。

そうなればもう残る可能性は僅か。

こんな雨の中、自分に声を掛けてくれた上傘に入れてくれる。そんな女性を待つためにわざと傘を忘れてきた。悪い奴だ。

「慎二ーっ」

揃った雨音に、バシャバシャと雑音を入れる少女。

そんな彼女に真横に立たれ、慎二は露骨に嫌そうな顔を見せた。

「……由依、傘は?」

「置き傘してるから持ってかなくていいや、って思って学校行ったらありませんでした。友達は皆反対方向帰りです。チャンチャン」

「だからって雨の中走ってくるか……いくらバカが風邪を引かないとはいえ」

「こんな所で雨宿りしてる慎二にバカと言われたくないなぁ」

「俺はワザと忘れたから良いんだ」

「カッコ悪いよそれ」

「うるさい。それより早くどっか行きなさい。俺はお前と違って傘を持っている女の子を待ってるんだ。お前が居たら来ないだろ」

猫を追い払うかのように由依を追い払う慎二。由依はため息を吐いた。

「それ昨日言ってた奴? 甘い考えだねぇ。ちなみに? どんな子がいいのよ」

「どんなって、何。好みのタイプとか?」

「そうそう。由依ちゃんはねぇ、優しくってー、面白くってー、デリカシーがあってー、何でもない日に花束買ってくれるようなかっこいい人が良いなー」

目を輝かせて理想を語る由依に対し、思わず吹き出した慎二。

「お前身分を考えろよ。花とか似合うような奴じゃないだろ」

「失礼な。そーゆー慎二は」

「ちゃんと可愛い女の子だ。少なくともお前のようなゴリラはちょっと」

「慎二眼科行った方がいいよぅ。こんなに愛らしい子がゴリラに見えるなんて」

「由依には関係ないだろ」

「はいはい。じゃ、由依ちゃんは走って帰るから。せーぜー頑張ってね」

そう言って屋根の下から出て行った由依。彼女の小さな背中が、慎二の目に飛び込んだ。

「待てぃ」

「ぐえっ」

由依の着ている白いブラウスの首根っこを掴んだ慎二。少し頬を赤らめながら。

「お前、ベストどこやった!」

彼らの中学の制服は、至ってシンプルだった。男子は紺色ブレザー、女子は白いブラウスに紺色のベストとスカート。由依が着ている制服には、ベストが足りない。

「あぁベスト? 今日の美術で汚したから、カバンの中に入れた」

「着ろ」

「いや、結構派手に赤い絵の具ぶちまけたの。間違いなく犯罪を犯したと勘違いされるから嫌」

「こんな雨の中見てる人なんていないっての。良いから着ろよ!」

「何でそんなに怒ってる訳!?」

逆ギレし始めた彼女を直視出来ない慎二。

「だっ、あー……だから、その、自分の姿をちゃんと見ろ!」

「見た所でいつも通りの可愛い由依ちゃんですけど」

「だから、ちゃんと、見て言え!」

「はぁ?」

自身の姿を見る由依。指定された制服だが、ベストだけ着用しておらず。本来なら見える事のないであろう水色のブラジャーが、雨に濡れたせいもあってクッキリと見えている。恥じもせず、笑って済ます由依。

「はははは、まぁこんだけ雨なら濡れるよねぇー」

「ちったぁ恥じらえこのバカ!」

「大丈夫。これこそ見てる人なんていない」

「……これでも着てろっ」

自身の着ていたブレザーの上着を、由依の頭に投げつけた慎二。由依のヘアースタイルであるお団子の形が、若干崩れた。

「ちょっ、やめてよ。濡れてるし!」

「そりゃ俺もここまで走って来たから。それより早く着ろ」

「分かったよ、もー……何でそんなに気にして……何慎二、まさかあたしをやらしい目で見てる?!」

「誰がお前なんか! って言うか、お前何ブラなんかしてんだよ!」

「この場合してなかった方が問題だって事に気づいてほしいの。それに由依ちゃん、脱いだら凄いのよ。見る?」

「興味無いし」

そう言ったものの、自分の顔が熱い事を認識していた慎二。

由依は慎二のブレザーを羽織った。

「分かった分かった。相変わらず素直じゃないねぇ。照れちゃって」

「照れてなんか……由依、お前何か小さくね?」

ブレザーを羽織った彼女は、いつもより小さく見えた。

「普通だよ。慎二のブレザーが大きいんでしょ。ただでさえ慎二の方が背ぇあるのに、大き目の着てるんだから。あっ、それより頭だ。よくもあたしのトレードマークを潰したな」

由依は頭に手を伸ばし、お団子頭を作っていた髪ゴムをほどいた。ほんの一瞬、甘い香りを感じた慎二。由依の髪の毛は、毛先から雫を零しかけて。

いつもとは、何かが違う。

「何か……由依じゃないみたいで困る」

「まー、もう何年もお団子だからね。これが一番」

「それもあるかもしれないけど、何か奇跡的に由依が女の子らしく見えるっつうか」

「この無礼者め」

「いや、でも多分それだけじゃなくて、その」

口ごもる慎二。きっと思いっきり見てしまった下着が原因だと思い込んでいる。

だけど。

「慎二?」

慎二の顔を覗き込んだ由依。毛先の雫は、綺麗に流れ落ちた。


彼の中で、雨音が一斉に止む。


「だっ」

「だ?」

「だぁあああああああああああっ」

雨の中、急に走り出した慎二。驚いた由依は、どうすれば良いのか分からない。

「はっ、えっ? 慎二!?」

「違う。これは違う、絶対に、違う!」

「何がよ。ちょっと、慎二ってば!」

いつもと違う彼女の姿に、思わず動悸を起こしてしまっただけだ。

そうでなければ、今までの関係も壊れてしまう。

壊したくない。このままで良い。このままで楽しい。

ふと冷静になった。

あれ、何で壊したくないんだ?

冷静から動揺に逆戻り。

まだ振り続けている雨。しかし彼にその音は聞こえない。代わりに、体内から別の音が大きく聞こえていた。

「……何でだよ俺っ!」

小さく呟いた言葉は、綺麗に雨水に流れた。


***


という一部始終を偶然見てしまった慎一は、とても渋い顔をしている。

母親から夕飯の唐揚げを理由に、慎二に傘を届けに来た訳だが。こんな事なら唐揚げ位諦めてしまえば良かったと後悔しているほどに。

目の前にいる少女に声をかけた。

「由依ちゃん」

「あっ、兄ちゃん。慎二どっか行っちゃったんだけど、何なのアイツ!」

「俺にも分からん。あぁでも、一部は同意見。ちゃんと服着ないとだめだよ」

「小さい頃一緒にお風呂入った仲なのに何でそんなに言われるかな」

「俺は由依ちゃんの事妹としてしか見れてないからいいけど、慎二からすれば普通に同学年の女子だからねぇ」

「そうか、慎二にセクシー由依ちゃんは刺激が強すぎたか」

「まぁそんな所。それより、はい」

本当であれば弟に渡すはずだった紺色の傘を、彼女に手渡した。

「いいの?」

「うん。あのバカは俺が連れて帰るから。由依ちゃんはさっさと帰りな」

「……分かった。じゃあ先帰るね。ありがと!」

そう言って受け取った傘を差し、自分の家の方へと歩いて行った由依。

慎一は弟が突っ走って行った方へ向かう。

弟の恋愛事情という興味ないものを見せつけられた上に、自身の方は何ら変わりない。とても虚しくなった慎一。

「お……お兄さん」

すごく小声で、少女の声が聞こえた。

慎一は薬局前に置かれた、カエルの人形の後ろに隠れた少女を見つける。黄色いカッパを着、黄色い長靴を履いている。カッパのサイズが合っていないのか、手の指先はまったく見えない。

「えーと……アンロック・ハート、だよな」

「ひゃい」

カエル人形にしがみ付くアンロックハート。慎一は手を横に振った。

「んな怖がらなくとも。苛めたりしないよ俺」

「その、あの……ごめんなさい」

「それより何してんの?」

アンロック・ハートは慎一と目線を合わせずに答えた。

「あ、あぁはい。刺さりっぱなしの矢について調べてきて、その話をしにきました」

「おぉ。思ったより早かったね。一応昨日はうつ伏せで寝たけど、やっぱりいつもと違ったからか何か変な感じだったから」

「はい。あの、お兄さんが、本当に人を好きになる時、お兄さんの体内に入っていくみたい……です」

「じゃあもし俺が一生好きな人が出来なかったら」

「刺さりっぱなしです。そ、それで今回、その、一応こちらのミスなので、良ければ……お兄さんの恋愛未来予定を調べようかと思って。詳しい事はお伝え出来ませんが、お兄さんと結ばれる人の数位は教えられます」

「マジか、そんなの調べられるのか! で、一人くらい居たか。俺だって青春したい」

「あぁいえ、これから調べたいので……良ければついて着て下さい」

「うん? すぐには出来ないの」

「はい。その、儀式なので。忙しければ別に、無理にとは言いませんが」

やらなければならない事と言えば、慎二を追いかける事くらい。だがそのために自分の未来を放る気にもならない。

「いや、調べに行こう。すぐにだ。どこにでも着いて行こう」

「わ、分かりました。ではこちらに」

アンロック・ハートは彼の後ろを指さした。

振り返った慎一は思わず自身を疑った。

「こんな所に階段あった?」

たった今通って来たはずの商店街が並ぶ道が消え、石で出来た階段と真っ赤な鳥居が現れた。

「今作りました。じゃあ、どうぞ」

先に階段を上り始めたアンロック・ハート。小さな彼女の後姿は、どう見ても普通の人間だった。それでもその奇妙な出来事に、やはり人間ではない事を知らされた慎一。昨日感じた痛みを思い出す。

あの痛みは本物だった。ならば自分も、もう普通じゃない。

ためらいながらも、慎一は目の前にある石の階段に足を乗せる。

三段ほど上った所で、雨がピタリと止んだ事に気が付いた。


「あら、いらっしゃったんですね」

チェリーは慎一をあざ笑うかのように、そう言って出迎えた。その姿について聞かざるを得なかった慎一。

「何でそんな巫女さんの恰好してんの? コスプレ?」

「失礼ですね。これが恋欠片の本職ですから」

「って事はここは」

「はい、恋愛の神を祀る神社です」

慎一には何てことない、普通の神社に見えたが。

「ちょっと待ってて下さい」

アンロック・ハートはそう言って、建物の中へ入っていく。

「ところで貴方、未来を知ってどうするおつもり?」

突然のチェリーの問いに驚きながらも、少々考え答えを出した慎一。

「どうするって事はないだろ。ただ良い事が知れたらラッキーってレベルで」

「不幸が書かれてたらどうするつもりなんですか」

「それは今後の対策を考えられるから良いじゃん」

「……甘い考えですこと」

「そんな事を言われても」

冷たい目線を向けるチェリーと反対に、温かみ溢れる表情をして戻って来たアンロック・ハート。

「お、お待たせしました」

アンロックハートはチェリーと同じ赤と白の巫女服姿で、白い箱を持って現れた。慎一は第一印象をそのまま口にした。

「おぉ、可愛いじゃん」

「えっ! あっ、ありがとごあいます」

お世辞だろうという考えではあったものの、思わず照れるアンロック・ハート。

チェリーはそんな彼女の考えを消すべく、その場でポンと手を叩いた。

「ほらほら、早くなさいアンロック・ハート。人間は死に急いでいる生物なのよ」

「そんな事ないけど」

慎一の言葉は無視し、アンロック・ハートを急かすチェリー。

「あっ、じゃあお兄さん。一枚引いて開いて下さい」

彼女が持つ白い四角い箱。

中には小さく折りたたまれた紙がいくつも入っている。

彼は中から一枚引き、そっと紙を開いた。

「……何も書いてないんだけど」

「……え?」

アンロック・ハートは慎一から紙を受け取り、その紙を見た。ひっくり返したり、日に当てたり。だが何にも書いていない、真っ白な紙。

唯一青く染まったのは、アンロック・ハートの表情。

チェリーはクスクスと笑っている。

「何だ、どうした」

慎一の問いに、アンロック・ハートは重い口を開く。

「そ、その……残念ながら、お兄さんと将来結ばれる可能性がある人間はゼロ人と出ました。なので矢も……刺さりっぱなし」

「……ちょっと待って。将来結ばれる可能性って、つまり結婚する人って事?」

「付き合う人含め、ゼ……ゼロです」

地面に両手を付けた慎一。特殊な彼女達から引いたおみくじだ。見知らぬ占い師に言われるよりよっぽど信憑性があった。

慰めの言葉をかけるアンロック・ハート。

「だ、大丈夫です。世の中人外と結婚した人は沢山居ます。タコとか。あ、あと、仰向けで寝ても深く刺さったりはしないらしいですのでご安心を……」

「人外と結ばれる可能性はあると言われて嬉しい奴はそうそう居ないと思うんだ……あとそんな事言われたらもう背中の心配とかしない」

「ふぇ」

どう言葉をかけたら良いのか分からないアンロック・ハート。

一通り笑ったチェリーはアンロック・ハートだけを慰めた。

「まぁまぁ。仕方ないじゃない。それがこの人の運命だっただけよ。貴方が気を病むことはないわ」

慎一は心を痛めていた。

チェリーは無理矢理慎一を立ち上がらせる。

「ほら、結果も見たんですし。早く帰って下さいな。そもそもここは人間が長々といる場所でもありませんから」

「うをっ」

突き飛ばされた慎一。気づけば階段を上ってくる前の道に戻っていた。

神社も、鳥居も、彼女達もいない。

そしていつの間にか、雨がまた彼を濡らした。

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