case3:嗜好(裏)


 1025号室で待っている。

 そう簡素なメールを打って送信完了を確認し、それからやたらとスプリングのよさそうなベッドに自分の身体を投げ出した。

 ついでに先ほどまで握り締めていた携帯も投げ捨てる。

 ああもう。本当にどうしよう。修ちゃんの反応が怖い。

 あんな強気に出ておきながら完全に無視されたら?

 それより二度と顔を合わせたくないといわれたら?

 そんなことを考え出すともう全てを悪い方、悪い方へと考えてしまう。

 でも正直言って『ものわかりのいい幼馴染』を演じるのもいい加減限界を感じていたし、そもそもあんな行動に出たあとではどうやっても以前の『幼馴染』という関係に戻れるわけがない。

 戻りたいとも思わないけど。

 修ちゃんのことはずっとずっと好きだった。

 それこそはじめてあった、幼稚園児の頃から。

 当時の修ちゃんは近所でも評判の美人さんだった。

 そしてあまりに美人さん過ぎて、周囲のこどもたちからも完全に浮いていた。

 男の子はその愛らしさにどう扱っていいのかわからず、女の子はその可憐さに女として嫉妬を感じていた。

 そしてまた、当時の修ちゃんはその外見どおり、儚げで内気な子だったのだ。

 あたしはというと、なぜか他の女の子のように修ちゃんの美しさに対して嫉妬をするようなことはなかった。

 ただ、守ってあげなきゃ。綺麗なものは汚れやすいから、汚れないように大切にしてあげなきゃ。そう強く思っていた。

 実際修ちゃんはよぉく狙われていた。

 清楚な印象の女子高校生からショタでホモなんていうおじさままで、本当、範囲広すぎと思うくらい、誘われ、拉致られ、押し倒されのオンパレードだった。

「どうして僕ばっかりこんな目に」

 なぁんて潤んだ瞳で嘆いていたけど、そーゆー言動自体が原因なんだと気がついていなかったのかしら。

  ……気がついていなかったんだろうなぁ。

 あの無意識さ加減が絶妙なのよね。

 そして一度修ちゃんにはまったら抜け出せない。

 修ちゃんを得るために過激な行動に出る人間は少なくなかった。

 実際に襲われている姿を見たのは小学2年生のとき。

 あたしがかけつけたときにはすでに下着の中に手を突っ込まれたあとだった。

 あたしの修ちゃんに勝手に触って弄んでいる女がいると思うとすごく頭にきて、その女にとび蹴りをくらわした。

 それから中学2年くらいまでの間、あたしが知っているだけでも6人ほどに直接手を出されている。

 守ってあげなきゃとの責任感からそんな過激な人間を阻止することに全力を注いでいたけれど、なかなか大変だった。手をとられ、無理やり連れて行かれそうになったことは数知れず。その度にあたしは相手に噛みつき、蹴りをかまし、時にはナイフさえ突きつけた。

 そんなふうに助けるたびに修ちゃんは目を潤ませ、か細い声であたしへ礼を言う。

 実はあたしはちょっとだけ修ちゃんの様子が変だということに気づいていた。年を追うにつれ、押し倒されて嫌悪と困惑の表情を浮かべる一方で、ほんの一瞬だけ快楽に身を任せた表情を見せることがあった。

 確かに修ちゃんは嫌がっている。

 でもそれと同時に恍惚としてもいる。

 何故? と思うこともあったけれど疑問を深く追求することはなかった。

 そんなことより修ちゃんの美しさに心を奪われていた。

 欲情する修ちゃんの顔は美しかった。

 そんな顔を知っているのはあたしだけ。

 それらのことも全部含めてあたしは修ちゃんを守らなければと思っていた。

 修ちゃんはあたしのものと決めていたので全身全霊で守った。……中学3年ごろまでは。

 それ以降修ちゃんを守る必要はなくなった。

 修ちゃんは中学3年から高校1年にかけてあっという間に背が伸び、高校3年になる頃には180センチを超え、それに伴いやたらと筋肉質な男となった。

 女の子と間違えられるほどの可憐さはもう皆無だった。

 それに伴い性格も一変。

 守っていたあたしが守られる立場に逆転した。

 車道側を歩き、満員電車の中で人込みからあたしを守り、酔っ払いと喧嘩しても追い払ってくれる。

 もうあたしが知っている修ちゃんはそこにはいない。

 守ってあげなければいけない男の子はもういない。

 それは寂しいことであったけど、だからといって変化を否定するつもりはなかった。

 男らしい修ちゃんも充分魅力的だったし、結構守られるという立場も心地よかったから。

 でも修ちゃんはそんなあたしを必要としなかった。

『美晴は俺の一番の友人』

 そんな残酷な言葉を平気で投げる。

 無意識とはなんて残酷なんだろう。

 幼い頃、修ちゃんの美しさに嫉妬する女の子たちの気持ちがあたしにはわからなかった。でも今こうして『一番の友人』という役目をさらりとふられて、なんとなく当時の女の子の気持ちが判った気がする。

 あの当時、修ちゃんは自分の美しさを無意識に振りまいていた。

 そして今度は無意識のうちにあたしの気持ちを押さえ込み、今までどおりの強くてしっかりした友人であることを無意識に強要する。

 何もかも無意識に。

 自分は変化し、過去と決別しようとしているくせに。

 あたしだって女として愛されたい。抱きしめられたい。

 そんなあたしの気持ちは行き場を失い、ふわふわと漂うだけ。

 苦しかった。

 過去を払拭するかのように修ちゃんが付き合う子はいかにも守ってあげたいふうのかわいらしい女の子。

 その子たちとどんなことを話し、手をつなぎ、笑い、──どんな顔をして抱くの?

 そう思った瞬間、あのときの修ちゃんの欲にまみれた顔を思い出していた。

 あの顔を、その子に見せるの?

 我慢がならなかった。

 あの顔はあたしの宝物なのに。

 そのときからあたしは修ちゃんを守る立場から、攻める立場に転じた。

 修ちゃんを完全に自分のもののするために、あたしはひとつの賭けに出た。

 それは幼馴染としての強固で心地良い位置を失う行為。

 さんざ迷って気持ちは揺れたけど、あたしは一歩踏み出すことを選んだ。

 こどものころにはわからなかった修ちゃんの恍惚とした表情の意味も、大人になればある程度理解できた。

 修ちゃんはおそらく被虐嗜好の持ち主だ。

 拘束され、言葉で責められ、逃げようもないくらいに追い込まれた状態になると修ちゃんは興奮する。特に言葉で追い詰められると我慢が効かなくなるようだった。

 修ちゃんが襲われている姿を直に見た最後は中学2年のとき。

 女物のスカーフで手首を拘束され、なぶられている姿はこどものあたしにはかなり衝撃的だった。でも冷静に考えてみると修ちゃんも充分興奮していた。欲望をはっきりと表した顔と、なにより身体が明確に反応を示していた。

 多分。今まで付き合ってきた子達にあんな反応は見せていない。

 あたしの勘が正しければ──そして昨日の反応をあわせて考えると修ちゃんは女性と抱き合ったことはないはずだ。

 静かに目を閉じる。

 あたしに出来る?

 相手もはじめて。そしてあたしもはじめて。

 しかもあたしがリードを取って責めたてて、修ちゃんの被虐嗜好を満足させなきゃならない。

 本来、あたしはそういった嗜好は持っていない。

 あたしだってごく普通の女の子と同じように夢見てた。

 はじめてコトに及ぶと考えるとちょっと怖いし、正直相手にリードされて優しく抱きしめられたいとも思う。

 でも。

 それでは修ちゃんは手に入らないだろう。

 だってそれじゃ、修ちゃんは女性を抱くことが出来ないんだから。

 主導権をとって屈服させなきゃ、修ちゃんは抱いてはくれない。

 あたしは身体を起こして、ドレッサーの前の一連のグッズが入ったスーツケースに目を向けた。

 あれを使って修ちゃんを拘束して、昔の話をネタに修ちゃんを責めたてて。

 ……できるんだろうか?

 鏡に映るあたしの顔は本当にもぅ、泣きたくなるほど情けないものだった。

 そのとき、軽やかなチャイムが鳴った。

 メールをして30分。

 ──修ちゃんだ。

 あたしはゆっくりと目を閉じた。

 修ちゃんを手に入れるためならば、どんなことでもすると決めたんだから。

 そのために、あたしは勉強した。どうすればそれらの嗜好をもつ人を満足させることができるのか。

 たくさん教わってきた。

 彼を手に入れるためならば、きっとあたしはアカデミー賞をとった女優に負けないくらい完璧に演じることができるはず。

 鏡の中の、不安で不安で泣きそうだったあたしは、途端に強気の意地の悪い女に変わる。

 さぁ。勝負よ。

 あたしは余裕のある女を装い、修一郎を招き入れるためにゆっくりとノブに手をかけた。

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