case3:嗜好(表)


「またふられたの?」

 一緒に昼をとる約束をして指定された待ち合わせ場所は、女性が好みそうなやたらとしゃれたカフェだった。

 学生の気軽さから、先に席について待っていたのは俺だったが、とにかく居心地悪そうに待っていた俺に待たせた詫びもなく開口一番そんな悪態をつき始めた。

「ふられたんじゃない。話し合って互いに納得して別れたんだ」

 そして俺もまた返す言葉はいつも同じ。

 美晴はそんな俺を鼻で笑う。

「どうせまた手も出せずに終わったんでしょ」

 からかうような口調ではなく、まるで今日の夕飯を告げるような気安さで返してきた。

 その流れで手早く日替わりランチを注文し、店員から差し出された水を口に含んでようやく落ち着いたらしい。

 年度初めで忙しいというのに、わざわざ時間を取ったのは、俺が何度目かの別離を美晴に告げたからだった。

 別れた報告をすると、美晴は必ず食事に誘ってくる。

 美晴なりの慰めなのかよくわからないが、拒否しようものなら罵詈雑言が振ってくるので、素直に誘いに乗ることにしている。

 今回も毎度のパターンで、こうして食事を待つ間、俺は事のあらましをかいつまんで説明する羽目になるのだ。

 一通り説明をしたところで、いつものとおり大きな溜息をつきつつ、悪態をつく。

「修ちゃんはさぁ、慎重すぎるんだよね。大体今時の女の子なんて、いっくら可愛くて純情そうでも早いところやっちゃいたいってのが本音だよ?」

 こういうはすっぱな物言いをするようになったのはいつの頃からだろう?

 もともと活発で、物おじしない性格ではあったが、やたらと挑戦的な物言いになったのは、高校を卒業して役所勤めをはじめたころからかもしれない。

 美晴は高校卒業と同時に市役所へと就職をしたが、徐々に印象が変わってきていた。

 市役所でもこんな態度なのかとちょっと心配になってくる。

「自分を基準に考えるなよ」

「一応一般的な女の子の思考は持ち合わせてんだけどね」

 嘘つけ。

 幼稚園の頃からかれこれ17年の付き合いだが、『ごく一般的な女の子』であったことなんて一度としてなかった。

 大人をとび蹴りで撃退する小学生のどこが一般的だ? 時速60キロで向かってくる車の前にたちふさがる女のどこが。

 俺の非難の視線なんてもろともせず、運ばれてきたパスタをきれいに口に運び続けている。

 仕事は忙しいらしく、合間に食事をするものだから、食べる速度はどんどん上がっていっているらしい。俺と食べても食べ終わる速度はそう変わらない。そのくせ食べ方は反比例するかのようにきれいだ。

 はすっぱな物言いから受ける印象とはあまりに大違い。

 今日もあっさり胃袋におさめて、それから唇を舌で軽くぬぐった。

 そのしぐさがあまりに艶めかしくて思わず目を見はる。

 そんな俺の動揺に気が付いたのかどうかはっきりとはしないが、これ見よがしに溜息をつかれ、それから耳を澄ませてようやく聞こえる程度の声でつぶやいた。

「全くさぁ。いい加減諦めろってーの」

 何言っているんだ?

「なんだそれ」

「だから。修ちゃんが修ちゃんの言うところの『普通の女の子』と付き合おうなんて、無理があんのよ」

 軽い調子だった美晴の態度が、真剣なものに変わったことに気づく。

 からかい気味の態度か、はたまた諫めるような態度か、いつもならばそのどちらかである美晴の様子が最近ちょっと違っていることには気が付いていた。

 その態度に俺は落ち着かない気持ちにさせられ、視線を逸らす。

 なんでこんないきなり。

 昔からやたらと真っ直ぐな視線を投げる女だったが、最近そこに妙な艶を感じて対処に困っている。

 美晴とはそういう関係ではない。男と女というよりは一番の友人といった感覚のほうが強い。それがいまさら女を意識させられても困惑するだけだ。

「お前のいっていること、わかんねぇ」

 俺の弱い反応に、美晴は目を細めて唇の端を吊り上げた。

 まるで肉食獣を思わせる表情にぞっとした。と、同時に背中から腰にかけて妙な高揚が走る。

「しらばっくれんじゃないわよ。これだけ長い付き合いで気がつかないと思う?」

 その瞬間、二の足の間に確かな感触が走る。

 するりと滑らかなそれは膝から徐々に這い上がってくる。

 くそ……。

 それが何なのか見なくてもはっきりしていた。

 美晴は昔から足癖の悪いやつだった。それは今でも健在らしい。蹴りをかますかつての癖の悪さとは異なる、柔らかい動きで俺を翻弄する。

「美晴」

「凄んでも怖くないわよ。ラグビーの有力選手といわれるほどの体つきでも、精悍な顔立ちって表現が合いそうなくらい男くさい顔になっちゃってても、あんたの中身は変わらない。細くて女の子と間違われていた小学生の頃と一緒」

 こどもの頃のことを持ち出されて、俺は美晴をにらみつけた。あれは消したい過去なんだ。いい思い出なんてほとんどない。

「こどもの頃の話を持ち出すな」

 美晴はわざとらしく溜息をついた。

「わかってないわね修一郎。今、優位にたっているのはあたしのほうなのよ?」

 ぐっと、足に力が入り、その刺激に反応してかたくなってくる。

 美晴はいまや完全に肉食獣そのものの表情をしていた。

「こんな快感を引き出してくれる女はあたしくらいしかいないわよ。あたしなら修一郎の望むコト、なんでもしてあげられる。ベッドに押し倒して、拘束して、言葉でなぶり倒して、散々焦らして。それからゆっくりと時間をかけて貪りつくす。……ねぇ。想像しただけでぞくぞくしているでしょ」

 俺は何も答えられず、ただ美晴を見つめるだけだった。

 現に俺の股間はこれ以上ないくらいにかたくなっている。それと同じくらいに顔も真っ赤になっていることだろう。

 そんな俺の態度に満足したかのように、美晴はふと力を抜いた。

 同時に癖の悪い足もするりと離れていく。

「今日はこの辺でやめておいてあげる。修ちゃん明日、試合なんでしょ?」

 先ほどの艶めいた雰囲気はあっという間になりを潜めて、いつもの幼馴染の美晴がそこにはいた。

「ああ」

 それでも先ほどの衝撃からなかなか抜け切れず、簡素な返事をするだけでやっとだった。

 さっさとコーヒーを飲み干し、俺のことなんて全くお構いなしに美晴は立ち上がる。

 自然と見下ろされるような格好になり、俺は不快をあらわにした。

 そんな俺の感情もちゃんとわかっているといわんばかりに美晴は困ったような顔をし、おもむろにバッグから一枚の紙を取り出した。

「じゃあ試合が終わったらここに来てちょうだい」

 美晴が差し出したのは俺でも名前を知っているような有名なホテルのカードだった。

「さっきよりすごいことして、たっぷり癒してあげるから」

 あっさりそう言い切る美晴に唖然とした。

「お前何言っているのかわかってるのか?」

「わかっていないのは修ちゃんのほう。それとも何? 自分を見失いそうであたしと過ごすのが怖いってこと? えらく弱気だなぁ。結局昔の弱虫修ちゃんと変わらないわけ?」

 だから。昔のことは持ち出すな。

 そういう代わりに俺は即座に否定した。

「昔のことは関係ない。俺がお前をそういう対象にみてないってことだ」

 そういいきる俺に美晴はちょっとだけ目を見張り、直後に鼻で笑い返した。

 そのまま椅子を引いて去ろうとする。

 その去り際、俺の耳元に唇を寄せてそっとつぶやいた。

「だってあんなに見事に勃たせたのってあたしだけでしょ? もう一度、あの感覚を再現してみたくない? ね? だから。待ってるわ」

 ぺろりと俺の耳の中を一舐めして今度こそ本当に立ち去っていった。

 俺は美晴の後姿が見えなくなるまでそのままの姿勢を保っていたが、人ごみにまぎれて完全に視界から姿を消すや、どっと体中の力が抜けてしまった。

 17年目にして初めて目にする幼馴染の本性。

 いやそんなことより。

 いつから気がついていた?

 俺が相手に主導権を握られないと欲を吐き出せないと。

 いや。もっとはっきり言おう。俺が軽度の被虐嗜好だと。

 それが俺の幼い頃の体験から来ているのかどうなのか、よくわからない。

 ただ、今現在の俺の外見には当然見合わない嗜好に、俺自身が悩んでいたことも美晴は知っているようなそぶりだった。

 明日。

 俺はどうすればいい?

 今までただの幼馴染だと思っていた相手の豹変に戸惑っているのか、白日の下にさらされた自分の嗜好の対処に困惑しているのか、それとも美晴との関係が変わってしまうことに対する恐怖なのか。

 そこまで考えて、俺は大きく溜息をついた。

 美晴のほうが完全に主導権を握っているような状態だ。俺の身体のほうは俺の意志に反してしっかり反応してしまっているし、なんら優位に立てるところはない。

 俺に残されているカードはたった一つだ。

 俺が美晴に対して本当はどんな感情を持っているのか。

 多分美晴は気がついていない。

 ……うん。多分。大丈夫だ。

 俺はぱんっと両手で自分の頬を叩いた。

 とにかく今は明日の試合に集中しよう。

 それが一番だ。

 たとえ他人から見れば、単なる逃げといわれようとも、そうしなければ俺は壊れてしまいそうだった。

  

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