第18話 休日

 本日は、お休みである。


 だらしなく二度寝して朝食を食べそこねた僕は、装備も身に付けずにフラッと街に出て露店ろてんでお腹を満たしていた。


 少し前に朝食を宿で食べたはずのアレンも食べてはいたけど、まあそれはいい。成長期だし、レベルが上がった後は信じられないくらい食べれることは実体験として知っているので特に心配もしていない。なんならもっと食べたっていいと思っている。

 生暖なまあたたかい目で見守っていた僕に気付いて、アレンは若干じゃっかんずかしそうにほほを染めたが何もはじることはない。遠慮気味になったアレンに追加の食料を無理矢理に手渡し僕も食べることにする。そこに「身体からだは資本だぞ」という援護射撃を追加しておくことも忘れない。


 お腹を満たした僕らは、ふらふらと街を見て周った。アレンも装備は宿に置いて来ているのでお互い身軽な格好かっこうだ。

 昨日の若干の反省点をかし、お互いに服一式をそろえ、雨具あまぐも購入しておいた。その後にモンハンみたいに肉を丸焼きできそうな機材も買い、湯をかす鉄器てっきなんかも購入したりした。その途中にアレンの装備を頼んだ武具店へと寄り、進捗しんちょく状況を確認するついでに、僕はいくつかの道具の作成依頼も出しておいた。


 僕らの総合的な荷物は徐々に増えつつある。こうなってくると欲しいものリストの中に魔法鞄マジックバッグが入ってくるが、あれは僕らが手を出せるような代物ではない。

 確かに便利で、有用性は非常に高く、そして高価だが、魔法鞄を所持するという行為は非常に危険なモノでもある。狙われるのだ。盗難とうなんならまだしも、命まで奪われてしまってはたまったものじゃあない。なので、魔法鞄を持つのは最低でも自分の身を守れるようになってからと、僕は決めていた。


 買い物をしている最中さなか、アレンは一つの商店の前で足を止めた。僕も興味があったので止まるのはほぼ同時だった。その店は本屋だ。日本の本屋のように品揃しなぞろえが豊富な訳でもないし、絵本や漫画といった物は売っていないが興味がかれることには変わりない。


 若干遠慮気味なアレンを引き連れて店内に入る。店主は僕らの姿を見て馬鹿にするように鼻を鳴らしたが出て行けとは言わなかった。

 本はそれなりに高価だ。今の僕らなら買えるけど、それなりには高価な代物だ。見るからにお金を持っていなさそうな客を見れば店主だって笑いたくもなるはずだ。だからその点は特に気にはならない。


 アレンは手に取ることなく店内をゆっくりと見ている。僕は気になる本がないかを徹底的に見て周り、特にないなと確認作業を終えた。その頃アレンは、一つの本をジッと見つめていた。その本の背表紙せびょうしえがかれたタイトルはこうだ。


 魔法入門


 本の分厚さとしては非常に薄い。単行本サイズだが、これはハードカバーなので内容はもっと少ないことになる。

 そんな様子のアレンを見て、魔法にあこがれを抱いていることを再認識した僕は、その本を手に取った。若干驚くアレンを他所よそに店主に値段を確認する。返ってきた言葉はこれだ。


「悪いがそいつは売れないね。欲しいなら許可証を持って来な」

「ですよね」


 魔法関連の本は素人しろうとでは手にできない。認可を得た人間しか所持を認められていないし、勝手に誰かに魔法を教えることも禁止されている。


 その理由は、危険だからだ。

 と、一般人は思っているに違いない。


 僕は王城で魔法の手解てほどきを受けた。その実体験をもとに考えてみても魔法の習得段階に危険なモノはなかったと、そう思っている。

 いや、ある意味では非常に危険な側面を持っていることは確かだったけどもだ。それは、それほど危険ともいえない内容だった。


 魔法を習得する前に言われた注意事項はこうだ。

 未熟みじゅくな者が他者たしゃに魔法の手解きをしようとすると魔力が暴走し人体を傷付けることがある。暴走の度合い如何いかんによっては死にいたることも充分に考えられ、過去には身体が微塵みじんに吹き飛んだ例もある。と。


 そう説明された。


 僕自身が、世間一般的に認知されているような、人体や生命に危機が及ぶような危険はないだろうと思っている点については、明確な確信や確証がある訳ではなく、なんとなく、ないんじゃないか?と思っている程度だ。

 まだまだ魔法に関しては分からないことも多いし、僕が知らないことだってあると思う。けれど、世間一般に広がっている認識が間違ったモノである可能性が高いことは、様々な面から常々つねづね感じていたことだ。


 魔法は便利だ。そして、魔法は危険なものだ。

 無闇むやみやたらと魔法の使い方が広まれば、きっと良くないことも沢山起きる。それによって命を救われる人もいるかもしれないが、同数以上に命を失う人が出るはずだ。人間同士の争い事は絶えないからだ。


 魔法を教える立場の人は、きちんと国から認可を受けている。

 逆に教わる立場の人は、それなりにふるいに掛けられた極一部の人に限られている。


 とはいえだ。無意識に魔法に近いモノを使っている人は、実は結構いるそうだ。それは付与魔法にも似た強化系の魔法だ。本人が自覚できないほどのく短時間で瞬発的なモノだが、魔法の手解きを受けたこともない人が、その手の魔法を使っている場合はあるんだ。ただ、そのことを知っている人は異常に少ない。僕だってギルマスに教えても貰わなければ一生知ることはなかっただろうと思う。


 そういった無意識の自己強化を行える人が、世間一般では英雄と呼ばれたり優れた冒険者となっている。


 まあまれに、魔法の真似まねしたら使えちゃった。的な人もいるので、そうなった場合は国に申請しなければいけないようだ。

 その過程で全ての魔法の適正や人柄ひとがらなどを厳しく審査され、最悪魔法が使えなくなるような処置しょちほどこされてしまう人も居るらしい。


 国の認可もなく勝手に魔法を教える行為はタブーとされている。バレれば禁固刑きんこけいは確定だし最悪死刑だってあり得る。

 そういった理由もあって、僕がアレンに魔法を教えることはできない。いや、できるけど、教えてもバレないとは思うけど、とある理由から教えることに躊躇ためらいいを感じてしまっていることは事実だし、僕が教えるべきじゃないとも思っている。


 ま、世間一般における魔法への認識の話はさておきだ。

 僕の身分証を見てギョッとしている店主は無視して店を出た僕はアレンに話し掛けた。


「アレンさんって、魔法を使ってみたいなと思いますか?」


 そう尋ねるとアレンは、何故知っている⁉︎的な驚きの顔を一瞬見せたが、誰がどう見ても魔法に興味深々なんだよね。モロわかりだよ?とは言わず、アレンが口を開くのをしばもくして待った。


「……使えればいいな、とは、思います」

「うん。ですよね」


 会話はそれでお終いだ。若干期待するような眼差まなざしを上目遣いに向けられているが、僕が教えてあげるよ。とはならないんだよな、これが。


「アレンさん」

「……何ですか?」


 名を呼ぶと、アレンは期待をみ込むようにのどを鳴らしてから口を開いた。若干後ろめたいような気持ちになりつつも僕は普段と変わらぬ様子で話を続ける。


「僕らは今、つけられています」

「……え?」

今朝けさからおかしいな、とは思っていたんですが、本屋に入って以降は確信に変わったんでしょう。今は徐々に距離が縮まりつつあります」


 まゆを寄せて微妙びみょうな顔をしていたアレンは状況が呑み込めるに連れてその表情を険しいものに変えた。


「相手は?」

「たぶん、三人か……」


 そこで足を止め、すぐ目の前の店先にあった商品を手にしつつ言葉を続ける。


「まあ、二人は確実ですね」

人相にんそうは?」

「あまり見ないで下さいよ?ガタイの良い禿頭とくとうの男。それから、髪の長い細身の男。細身の方は服が白いです」

「………居ます、ね。確かに」


 アレンも商品を手にしつつ僕らが歩いて来た方向をチラリとうかがって二人を視界に捉えたようだ。

 今朝から同じ人を何度も目にするなーって思っていた。最初は気の所為せいだろうと特に気にしてなかったけど、二度目にその二人組を見た時、僕の頭の中には「?」が浮かんでいた。そして本屋を出た後で、それは確信へと変わった。監視するような眼から獲物を狙うような眼に変わったんだ。


 ここ二日で僕らは銀貨五〇枚は稼いでいる。それは大金と呼べる額だ。その稼ぎを叩き出したのが冒険者になってまだ間もない、しかも若い二人組だとすればだ、変な気を起こすやからが出たとしてもなんら不思議ではない。


 そういうことも充分にあるだろうと、警戒というか心構えはしていた。その些細ささいな警戒心ともいえない、無意識下の認識に人相の悪い二人組引っ掛かり、事を起こす前に僕らに気付かれるというおかしている。


 尾行の仕方もお粗末そまつなものだ。スパイ映画も散々見てきた僕なら、もっと上手くやれる自信がある。何気なく振り返るように視線を向ければサッと隠れるような動きを見せるし、立ち止まれば向こうも立ち止まり様子を窺っている。その程度の尾行だ。それは尾行ともいえない尾行だ。

 その程度の実力しかない相手だと考えてもいいだろうとは思う。けど、その判断に確証は何も無いし、無いならば鵜呑うのみにすべきでもないし、慢心まんしんしていても良いことなんて一切ない。


 これが異世界物のライトノベルなら尾行者を返りちにしてカッコいい捨て台詞ぜりふいたり、ピンチにおちいったところに颯爽さっそうと現れた美人女性騎士に助けられ、その後恋に発展したりするのだろうが、そんなモノは夢幻ゆめまぼろしだ。非現実的な妄想もうそうでしか有り得ないようなことだ。


 尾行者の存在を認識した僕らはここで選択せねばならない。どうやって無用な争い事を避けるかをだ。僕の頭の中には二通りのプランがすでにあるが、アレンならどうするだろうかと、少し興味がいた。


「どうします?」

「ど、どうしますって言われても」

「何かさくを考えて下さい。相手の狙いは僕らのお金だと思います」

「わ、私がですか?そ、そんなことを急に言われても…」


 その後、アレンが絞り出したプランは、おおむね僕の考えと一致いっちしていた。一つはお金を誰に預けること。そしてもう一つは誰かに助けを求めること。

 前者の場合、一時的に手を退いたとしてもターゲットされたままの状態になる可能性は高い。後者の場合は、助けを求める相手によっては高い効果を発揮することもあるが、選択肢を間違えれば複雑な事態に陥る可能性もある。


 後々までのうれいをつならば前者は得策ではない。

 かといって、この場で頼ることのできる相手など僕には居ない。何せ最弱の召喚者だ。国も大目に見て冒険者活動を許してくれるくらいには最弱な召喚者である。


 あ、いや、一人だけいるな。


 アレンに視線を向けると彼も僕と同じ思考に至ったのだろう。そうと思える確かな感触を感じながら、お互いにうなずき合うと歩き始めた。


 見慣れた通りをゆっくりと歩く。時折店舗を覗いては適当な話をしながら僕らは何の打ち合わせをすることもなく目的地へと向かっていた。

 そうして建物の中に入り二階へとそのまま進み、扉をノックして返答を待った。


「入れ」

「失礼します」

「どうした?」


 実はですねー親分。って感じで事の経緯けいいを話すと、恐ろしい形相を浮かべた偉丈夫いじょうふはニヤリと悪い笑みを浮かべた。


「そうか……お前ら二人は今からギルドの裏通りへ向かえ、その時、そいつらが付いて来るのを確認してから路地ろじに入れよ?おっと、そうだ。その身分証は外しておけ」

「ヘイ!任せて下せえ!」

「フッフッフ。久しぶりになまった身体をほぐせそうだ。今夜も酒が美味くなりそうだぜ」


 小物感満載で会話を終えた僕らはギルドを出ると指示されたように裏路地へと入りギルドの裏手へと抜けた。


 初めて来たけど、その通りは人影が異様に少ない通りだった。一本表の通りが主要の大通りだとは信じられないほどに殺風景さっぷうけい静寂せいじゃくが満たしているような通りだ。


 そんな場所に入った途端とたん、背後から声を掛けられた。

 ビクリと肩を震わせたのは僕とアレン、二人同時だった。そして振り返ったのも同時だ。そして、そこには予想外に四人もの男が立っていた。


 おお。三人くらいは見積もってたけど四人は正直予想外っす。ギルマスまだかなあ。早く来てくれないかなあ。そんな思考を展開しつつ口を開いた。


「な、何でしょうか?」


 すると、最初に口を開いたのはガタイの良い禿頭の男だった。


最近 羽振はぶりが良いらしいじゃねえか。俺たちにも少し分けてくれよ」


 そう言っている間に三人が僕らを囲むように広がり逃げ道を塞ぐ。実に手慣れた動きだ。二人が視界の外に立ったことで不安感が増し恐怖心が湧き起こる。


 丸腰な僕らに対し四人中二人は武器を明確に所持している状態だった。剣をさやごと左手で掴み、そのつかに右手を添えている長髪の男は、まるで威圧するように鞘鳴りの音を立てては引き抜き、そして音を立てて鞘に戻しを繰り返しながら気持ちの悪い笑みを浮かべていた。


 隣りのアレンをチラリと見る。若干青い顔をしたアレンは視線をせわしなく泳がせていたが、その視線の先に求める人物の姿はいまだない。


「オラ!痛い目見る前にとっとと出せ!」

「死にてえのか?なんなら、殺してやったっていいんだぜ?」


 最初の言葉は禿頭の男だ。その後に続いた僕の右側に立っている長髪の男はだいぶヤバイ奴らしい。今にも剣を抜きそうな姿勢でニタリと笑い、三日月のように両端が吊り上がった口から長い舌を出して唇をペロリと舐めている。まるで獲物を前にした蛇のようだ。

 本能的恐怖と嫌悪感を感じ半歩ほど身を退いてしまった。想像していたよりもレベルも高そうだ。尾行がおざなりだったのは素人だからではなく、僕らに負けない自負じふと経験があったからだろう。そんな思考に焦りが生まれ冷静さを欠いていることを自覚する。


「チッ、話の分からねえガキだな。騒ぐ前に、ヤレ」


 僕が何も言えなかったからか苛立いらだった禿頭の男がそう言った瞬間、それを待ってましたと言わんがごとく長髪の男が鋭く踏み込んだ。冷静に対応できていたとしても、その踏み込みに反応できたかどうかは分からない。それほど鋭い踏み込みだった。


 鞘走りする剣の音が鼓膜こまくや肌を打つ。血走った眼が細められ、今まさに最高の瞬間を迎えようとする歓喜かんきに男の顔が歪み、その口が大きく吊り上がった。


 マジで死ぬかもしれない。

 いや、死ぬ。僕はこのままでは確実に死ぬ。


 初めて感じたと言っていい明確な殺意に打たれ身体はおろか思考も上手く働かない。今からこの斬撃ざんげきけるなんて不可能だ。たとえ避けれたとしても隣りに立つアレンが代わりに死ぬ未来しかえない。そう思うと一層、恐怖心に心と身体が支配された。


 そんな思考が一瞬にして脳裏のうりよぎり、先程まで浮かれていた自分を呪いたくなった。

 自分の瞳孔どうこうが開ききったことで周囲はまぶしいほどに明るくなっている。また、ハッキリと動きの一つ一つが脳では認識できていた。けれど、身体は思うようには動かない。まるで濃密な水圧に押し潰されたかの如く、自分の身体が酷く重く感じられていた。


 そんな思考と視界の中、止まることなく振り抜かれる腕。迫り来る刃。刃毀はこぼれが目立つ細身の剣が、僕の首筋を捉える角度で水平気味に振り抜かれようとしていた。


 血走った目が、より一層細められ、今か今かと、その瞬間を待っている。

 風を切り裂く音が聞こえる。肌を打つような冷気を感じ、狙われた首筋がチリチリとしたこそばゆいような感覚に包まれている。



 またか。

 また、思い知らされるのか。

 自分が如何いかに無力であるかを。


 ギルマス、来ねえじゃん。

 せめて、アレンだけは。



 迫り来る死を自覚し、覚悟し、仲間の無事だけはと祈りつつ諦念ていねんの思いで受け入れた。その瞬間だった。


 それは、そこに、立っていた。


 今まで何も無かったはずの場所に、音もなく、風も起こさず、気配も予兆よちょうも何も感じさせずに、その男は、その場所に、自然体で立っていた。


 その位置は僕の目と鼻の先、若干左手方向だ。やや右手方向から迫る長髪の男と僕に手が届くような位置で、そこに立つ瞬間を見逃すなど絶対にあり得ないような場所だった。


 それを僕は、見逃した、のか?こんなにも大きな、男性を?


 何の変哲へんてつもない服のそでに包まれた素手の拳が視界の中で軽く握られた。そうと認識した直後にはかすむ速度で目の前を何かが通過し、甲高い金属音と肌を打つ強い風圧を感じていた。


「は?」


 そんな間の抜けた声を上げたのは誰だったのか。それを意識する暇もなく、剣を拳で圧し折られた長髪の男が、その身体を唐突に前傾させた。何が起こったのかは分からなかった。だが次の瞬間には、まるで砲身ほうしんから放たれた大砲たいほう砲弾ほうだんが如く、その男は宙を舞っていた。

 少し遅れてぶわりと風が舞い上がり、僕はその風圧によって目を細めた。ほとんど身動きもできずに視界の大半が目蓋まぶたによって塞がれている中で、聞き覚えのある声が鼓膜を震わせていた。


「あー。ありゃ死んだか?まあいいか、大丈夫だろ。それにしても、久しぶり過ぎて手加減の仕方がわかんねえが、まあいい。犯罪者をぶん殴るのは、いつでもタダだからな」


 呆気あっけに取られ固まっていた三人の男はギルマスが言葉を終えると弾かれたようにして我に返った。


「こ、壊し屋のゼノだと⁉︎」

「ややややべえぞ!に、ににに逃げろぉ!」


 そう言うと、すぐさま逃げ出そうと男達は動き出した。迅速じんそくな判断だった。そう言ってもいいだろう。逃げる前におかしな言葉を聞いた気がしたが、そこはえてスルーさせてもらう。


「動くな」


 逃げ出そうとした悪漢あっかん達に対し、軽い調子で、それこそ親しい友人にでも声を掛けるような調子で、言葉を発したギルドマスターの壊し屋さん。その瞬間、全身を何かが突き抜けるような不思議な感覚に包まれた。

 それは、至近距離で打ち上げ花火を見た時のような、身体の芯にまで音が響くあの感覚に似ていた。そう思った直後、自分の身体が、それこそ指先一本さえも動かせないことに気付いた。男達も同様のようだ。不自然な体勢で止まっている三人の姿が強烈な違和感を視界の中で放っていた。


 きびすを返そうと片足を引いた中途半端な体勢で止まっている男。次第にその脹脛ふくらはぎ太腿ふとももがプルプルと震え出したが、体勢を立て直すことも座り込むこともない。その男にゆっくりとした歩調で近付いたギルマスは軽く後ろに引いた腕を——霞ませた。衝撃に似た風圧が身体を突き抜けるようにして駆け抜ける。

 男が嘘のように吹っ飛び路地を何度も転がっては跳ねる。そんな様子を視線だけで追っていた禿頭の男は、既に全身からしたたるような汗を吹き出していた。だが、逃げもしないし声も上げない。只々金縛りにでもあったような恐ろしい表情を浮かべたまま固まっているだけだ。その男も、腹を蹴られて路地のかなり先まで転がって行った。


「チッ、準備運動にもならねえな」


 最後の男は何かをされる前に気を失って倒れていた。その男を軽々と片手で掴み上げるとギルマスは投げた。それこそ野球のボールのように。大の大人をだ。地面と水平に飛翔ひしょうしたその男が、路地のかなり先でノロノロとした様子で立ち上がっていた男二人をぎ倒す。本当に嘘みたいな光景が目の前では繰り広げられてた。

 

「おう。悪りい。ちょっと遅くなった。エリーズに見つかっちまってな。まあ、間に合ったしいいよな?だろ?」


 そんな台詞を掛けられ、もうコクンコクンと頷くし他ない。あれ動ける?と、その行動で気付き、我知らず詰めていた息を大きく吐き出した。隣りでアレンも大きく息を吐き出し崩れ落ちるように地面に膝を突く。そんなアレンに手を貸して立ち上がらせながら、チンピラを物理的に追い払ってくれたギルマスになんとか御礼を述べた。



 ————まったく生きた心地はしなかったが、どうやら死なずに済んだようだ。と思ったのは、ギルドを後にして暫く経ってからだった。それほど、衝撃的で現実離れした夢のような体験だった。


「……強すぎだろ、アレ」

「何ですか?」

「あ、いや。……ギルドマスターって強いんだなって」


 前半は日本語だ。自分の名前と聞き間違えた様子のアレンが名を呼ばれたと思って声を掛けて来た様子だった。それに返事を返すとアレンは微妙な顔をしながら肯定こうていするように一度頷く。アレンにとっても相当に衝撃だったようだ。実際に目にはしたが未だに信じられないといった様子だった。



◆◇



 そんなことがあった翌日。


 早朝から依頼を受ける為にギルドへ向かった僕らは、ギルドに入った瞬間、違和感を感じて思わず立ち止まった。


 僕らの姿を見た冒険者の皆さんが、何故か引きった顔でジリジリと後退あとじさっている。視線を向ければ即座に目線をらされ、一歩踏み出せば倍以上の距離ができる。そんな状況だった。


 んん?何故だ?せぬ。


 軽く首を捻っていると背後で足音が聞こえた。入口をふさぐような位置に立っていたので横にズレて道をゆずろうと思い、横に動きながら振り返る。


「ヒッ!」


 ギルドへと足を踏み入れようとしていた冒険者。その全員の肩がビクリと跳ね、悲鳴のような音を、全員がらす。


 んんん?何もしてないのに何故に?本当に解せぬ。


 どうぞ、どうぞと手振りで道を明け渡すが冒険者はブンブンと首を振るばかりだ。理由は分からないし、ここに立っていても不毛ふもうなので、とりあえず受付へと歩き出した。蜘蛛の子を散らすように人が視界から消えて行く姿がなんとも言えない微妙な心境にさせる。


「おはようございます」

「おはようございます、本日はどのような御用件でしょうか?」


 いつもの受付のお姉さんは、いつも通りの反応だ。違うのは冒険者全員が僕らを恐れているような感じだということ。その理由は、この場に立った今も分からない。


「あの、何故皆さんが僕らを避けているのかご存知ではないですか?」

「さあ。私は何も存じ上げませんが、気になるなら聞いてみては如何いかがですか?」

「……それもそうで、すね?」


 って言っている最中さいちゅうにバタバタと足音が聞こえ出し、振り向いた頃には誰の姿もなかった。ちょっとショックだ。こんなにあからさまに嫌われたのは久々の経験だといえる。


「何だよ、何もしてないだろ」

「確かに何もしてませんね」

「え?」

「いえ。こちらの話です」


 ニッコリと微笑むお姉さんは美人だ。美人で年頃の女性にそんな笑顔を向けられたのなら微笑みを返しておくべきだろう。


 のちに聞いた話によるとだ。この時、正確には昨日の午後からギルドから注意 喚起かんき発令はつれいされていたらしい。僕ら以外の冒険者に対してだ。その内容は面倒が増えるから誰も僕らにちょっかいは出すな。といった感じの内容になるのだけど、それがどう紆余曲折うよきょくせつしたのか、手を出せばギルマスから直じかに殺されるぞ、的な内容に変わって広がっていた。ということになる。


 そんなことになっていたので、依頼から戻ればギルドから人は消えるし、一緒に共闘するような依頼を受けようとしたら土下座するような勢いで断られるし、色々と冒険者活動に支障が出た。が、悪いことばかりではなかった。

 それは冒険者ではない、チンピラにからまれた時の話だ。飛ぶような勢いで駆けつけた冒険者に助けられたといったことが何度かあった。それこそ街の中では無敵だ。何かが起ころうものなら誰かしら冒険者が即座に駆け付け事件を颯爽と解決し飛ぶように消えるといった光景が繰り広げられる。


 そうして後の後に知ったことだが、あのギルマスは動く天災的な認識を王都の人々からは持たれているらしい。

 ちょっとした小競り合いでも建物が半壊するなどは当然。全壊ぜんかいまぬがれたらラッキー。的な認識だ。


 どんな認識だよ怖えわ!ってギルマスに直接ツッコミに行ったら恥ずかしそうに頭をいて笑っていた。五〇近い男のテヘペロとか誰得だれとく?少なくとも僕得でないことだけは確かだ。


◆◇


 まあ、それは少し先のお話。


 これはギルマスに悪漢あっかんを処理してもらった後の話だ。


 圧倒的な敗北感も味わっていた僕とアレンは、このままじゃ不味まずいなって話になった。対人戦闘技術もある程度練習しておかないとねってことになり、僕らは休日予定を変更して訓練にはげむことにしたんだ。


 僕が適当な依頼をギルドに受けに行っている間にアレンは先に宿へと戻り準備をし、急いで戻った僕も手早く準備を済ませて王都を出た。

 向かったのは王都近くの林だ。そこは人の手も入った見通しの良い林だ。見渡せば切りかぶなんかも残っていて、割と広い場所もあり、足元の地面も申し分ないほど整っている。そんな場所でまずは、切り株を挟んで向かい合った。


 切り株の上に布を引いてお互いに右肘みぎひじを切り株の上に乗せる。そうして肘突き合って、手を取って、腕相撲の開始だ。

 腕相撲はこの世界でも一般的な力比べの方法の一つだ。酒場でなんかはよく見かける光景だし、冒険者ギルドでもたまにやってる人達もいる。アレンも当然知っていたようで説明の苦労もなく腕相撲を始めると、アレンは必死な形相で僕の腕を倒そうと奮闘ふんとうしていた。

 僕も結構力を入れている。気を抜けば負けそうな感じもあるけど、アレンは結局一勝もできなかった。左腕でもそうだ。


 そうして、ある程度アレンの身体能力を掴むと、そこからは対人戦闘技術を磨く稽古けいこへと入った。


 アレンは普段の盾に、手頃なサイズの木の枝をにぎっている。

 僕も適度な長さのある木の枝に布を巻き付けたモノを握っている。

 そうして向かい合い、いざ尋常じんじょうに勝負だ。


 アレンは身体を守るように盾をかかげ持ちながら一気に距離を詰めてきた。そうして上段に振り上げた剣を少し角度を付けた縦に振り下ろした。


 素直な攻めだ。そして素直な攻撃軌道だ。

 でもそれじゃ、対人戦では通用しない。


 軽く右へとフェイントを入れて左にかわしたのでアレンは無防備な右側面を僕にさらす結果になっていた。革の鎧は身に付けているので遠慮なくアレンの背中側から枝でどうを打ち抜いた。


 それなりに衝撃はあるし痛みも感じただろう。

 顔を歪めたアレンはしかし、素早く地面を蹴って左方向へと跳んで距離を取った。


 けれどだ、これが実戦ならアレンは既に死んでいる。

 死んだという意味を表す為に、少し離れた地面に横棒を一本刻んでから再び向かい合う。


 今度はジリジリと距離を詰めるアレン。そうして徐々に距離は詰まり、あと一歩程で互いの武器が届く距離へとなった。

 そこで、アレンは目を細めて、まるで行くぞ。といった顔をした。その直後に踏み出そうと動き出したが、その直前に僕が距離を無造作に詰めたので、ギョッと目を見開いていた。驚きはしたが攻撃するしかないと思ったのか、アレンは右腕を水平気味に振る。それを左腕のガントレットで受けるとコンといった乾いた音が響いた。その頃には僕は右腕を振り上げていて、それを一気に振り下ろしていた。

 アレンは咄嗟とっさに盾を上げて防御体勢を取る。完全に頭を守る位置に盾を上げて若干身体を沈み込ませ、後ろへと足を引いている。そんな体勢だった。


 それだと視界が利かなくてダメなんだよアレン。


 そんなことを思いつつ、真っ直ぐに振り下ろしていた腕を左方向へと流し、さらに手首をひねって、すぐさま切り返した枝でアレンの右の脇腹を撃ち抜いた。

 攻撃を受けたアレンは蹌踉よろめくようにして後ろへと退がり、枝を持ったままな手でお腹をさするような動きを見せる。


 僕はもう一本、地面に横棒を引いて、アレンが二度死んだ証を刻んで再び向かい合った。


「何がいけないか分かりますか?」

「……受けに回った方が、有利ってことですか?」


 僕の質問に対してそう返したアレンにニヤリと笑い掛ける。ならば、僕が先手を取りますよと、一気に動き出した。


 アレンはスタンスを広げ腰を落とし迎撃げいげきの構えを取る。いつでも攻撃が繰り出せるように右腕は後ろへと引き気味で構えていた。

 そんなアレンに素早く詰め、右上から水平気味な振り下ろしを放つ。その狙いはアレンの側頭部だ。アレンからすれば少し高い位置となる攻撃なので盾を上げなければ防げはしない。アレンもそう判断したのだろう。すぐさま盾を掲げ上げたが、その腕がピクリと跳ねるようにして止まった。

 先程のことが脳裏を過ったのだろう。盾を上げれば視界が塞がれる。だが上げないと攻撃は防げない。そう思ってはいるがしかし、どうすればいいかは判断に迷っている様子だった。

 それでも、アレンは短い時間で自分なりの答えを導き出した。落としていた腰を膝を伸ばすことで上げ、視線の位置を攻撃の軌道より僅かに高い位置まで上げた。そうして僕の攻撃をギリギリ盾の死角外から目視しながら、盾で攻撃を防ごうとして腕に力を込める。


 その瞬間、腕を振りながらも両手の手首を強引に一八〇度、僕は捻った。

 盾に当たる筈だった攻撃は盾のエッジをかすめるような位置を通過し、左へとそのまますり抜ける。それを目の当たりにしたアレンは咄嗟に右手の枝を突き出す攻撃を放った。その攻撃を充分に引きつけてから下から思い切り跳ね上げる。

 そうして、互いに上段に構えるような位置に枝を持った腕が上がり、自分の意識で動いている、切り返しが速い僕の枝がアレンの脳天へと振り下ろされる。当然、アレンもその攻撃を防ぐ為に盾を掲げ上げる動きを見せたが、同時に身体が少しだけ後ろへと退がっていた。それは愚策ぐさくだ。とはいえ、膝がほぼ完全に伸び切った状態だったアレンに、それ以外の選択肢はなかったとも言える。


 枝を振り下ろしながら両手首を左へと捻り、そのまま腰を落とすと地面を蹴ってアレンの右側へと駆け抜ける。抜けざまに貫胴ぬきどうを放つとアレンはお腹を打ち抜かれバランスを崩して尻餅しりもちをついた。


 これで三回だ。三回、アレンは死んだと考える。

 地面に横棒を付け足して振り返ると、悔しそうな顔をしたアレンが立っていた。


「何がいけなかったか、分かりますか?」

「……盾が、死角になるってことですか?」

「まあ、なりますね。盾とはそういうものです。でも、そこじゃありません」

「……反撃が、甘かった?」

「いえ。あの反撃はなかなかでしたよ」

「……じゃあ、どこがいけなかったんですか?」


 くやしさと困惑気味な思考で顔をゆがませているアレン。そんなアレンに実体験がともなった言葉を投げる。


「退がったことが、まずはダメなんです」

「……」


 アレンは困惑の色を強めた。自分に退がったという自覚がないのかもしれない。

 僕も、それは実体験として山ほど体験してきたことだ。


 あの、口調が騎士っぽくない女性騎士の後任こうにんとして、僕の護衛と監視役を務めていた男性騎士にさとされたことだ。様々な場面で口酸っぱく退がるなと言われて続けて、ようやく自分が窮地きゅうちに立たされた時、必ず退がっていたことに気付けたんだ。

 それで良い場合もある。上手く行く時だってある。けど、それは一時的な逃げでしかなく、その後どんどんと窮地の深みへと沈み込むような選択肢なんだ。


「まあ、他にも色々ありますけど、まずは退がらずに、常に前に出ることを意識してみましょうか」


 その後、陽が暮れるまで僕らは夢中にで稽古を続け、慌てて薬草を採取しに向かったが、結局は門限が来てしまって門を通過することができず、初めての野営をすることになった。


 王都以外の外泊の場合は国に申請を入れないといけない。なので、門番を務めていた騎士に伝言を頼んだ。野営場所も門のすぐ脇だから問題はないだろう。テントも寝袋もあるし野営自体はそこまで問題はない。


 問題があるとすればだ、夜ご飯が干し肉と堅パン一個だけだったことだ。

 アレンが寂しそうに干し肉を食い千切る様子は見ていて胸が痛んだが、明日の朝に思い切り食えばいいだけの話だ。


 そんな訳で、ちょっとカッコ悪いけど、初めての野営を、それなりに楽しんで、そのけていった。

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チートもざまぁも特に無いけど異世界召喚されたのでとりあえず頑張ってみた。 @NekomeDo

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