第17話 旅支度 其の二

 翌日、僕らは早朝から湿地帯しっちたいを再びおとずれていた。

 今回は、前回の反省点をかし、二人きりで受けた依頼になる。


 この依頼を受けようとした時、アレンは驚愕した。まさかの二連チャンですかと。

 僕の腕を掴んで必死に首を左右に振りながら止めていたが、これが一番効率良いんだよ?ね?と多少の圧を掛けてその手を降ろさせ、依頼を受けたという経緯がある。

 当然、現場に着いたアレンはウンザリとした表情だった。それでも無言ですそまくって準備はしているので案外乗り気なのかもしれない。いや、それは無いか。そんなアレンに一応は明るいニュースを伝えておく。


「これが終わったら、明日は一日休みにしましょう」

「……べつに、休みでなくてもいいです。他の依頼なら、私は」


 不貞腐れた様子ではあるが、それほど機嫌が悪い訳でもなさそうだ。


「いえ、身体を休めるのも大事なことですからね。明日は休みにします」

「……そうですか。トオルがそう言うなら、それで」

「それに、今日は少し早めに帰りますからね。そこまで疲れはしないと思いますよ。では、とりあえず…」

「はい」


 今日は馭者ぎょしゃ付きの馬車を一台チャーターしている。とはいえ、護衛として残しておける戦力はないので馭者はこれから近くの農村へと向かい、そこで休憩をしてもらってから、時間を見計らって迎えに来る予定になっていた。


 その為、湿地近くの農村に用事があったり、そこの出身だったりする人を馭者にできないかと、馬車を貸し出している業者に相談した。その方が馭者にとっても気が楽だろうと思ったからだ。護衛をつける費用も減らせるし。すると運良く近所の農村出身の女性が居たので馭者はその人にお願いしている。

 女性からは、久し振りに実家に戻れるし、お金も貰えるしと感謝もされている。お互いウィンウィンな関係で僕もニッコリだ。そんな女性に「お土産買って行きます?」なんて、報酬とは別に小銭を握らせたので関係はすこぶる良好だった。

 さらに追加として今から蛙を五匹ほど狩り、それを持たせてから出発してもらう手筈になっている。その為、サクッと五匹をアレンに倒してもらい、それを血抜きの処理をしてから引き渡し、馭者の女性とは別れた。


 別れてからは湿地の奥へと進み拠点きょてんかまえて、とにかく数をこなすことにアレンみは集中してもらった。


 若干じゃっかん不満気ふまんげなアレンだが、やりするどさは昨日以上だった。が、来て早々、槍の穂先ほさきけて使い物にならなくなってしまったので、今は剣を使ってとにかく突きまくっている。

 このかえるをアレンの力で一撃でたおそうとするなら突きが最適解だ。頭部を狙って鋭い突きを放っては腕を引き、放っては引くをすでに二百は放っただろう。


 そんな様子のアレンを暫く眺め、昨日の狩りでレベルが上がったことは確実だろうと思いながら、僕も一向いっこうに減ったように見えない蛙を、アレンとは少し離れた位置で斃していくことにする。


「今日は観客が多いな…」

「昨日、斃しすぎたんですよっ!」

「はは。それは言えてますね。今日は昨日の半分を、一応は目標にしましょうか」

「半分って……まあ、いいですけど」


 そんな会話を挟み、一頻ひとしきりり斃すことに専念してから討伐証明物を回収して場所を移動する。


 すると、今日は待ちきれなかったのか、それとも蛙にしか興味を持たない変わった人間だとでも判断されたのか、歩き出して暫くすると背後で獲物に群がる野生動物が我先われさきにと蛙をひっさらっていく光景が繰り広げられた。そんな光景をしばながめる。


「気にせず続けて下さい。そちらから手を出して来ない限り何もしませんから」


 勿論もちろん、言葉など理解できないだろうが、僕が見ていることに気付いて警戒けいかいする素振そぶりを見せた動物達に声を掛けてみる。そんなことをしている僕にアレンは困惑顔だが、他種生物とも心をかよわせることができることを、僕は様々な動画から知っているんだ。やってみる価値はある。どんな価値があるか?それは僕も知らない。


 本日一番乗りをたした動物は狼っぽいヤツだった。身体の大きさから魔物ではなく野生動物だろうと判断してはいるが、狼型の魔物も存在するので素人な僕では見分けは付かない。

 湿地帯の周辺には幾つかの群れが展開しているようで、そのうちの何頭なんとうかが食料の調達に向かい、獲物をくわえて去って行くと、今度は次の個体が来るといった感じだ。わるわる数頭すうとうの蛙を確保すると満足したのか、暫く時間が経過すると背後は静かになっていた。


「アレンさん、上空注意!回収作業を!」

「はい!」


 一応、大きなわしが上空を旋回せんかいしている時は上を気にしつつ証明物を手早く回収している。そうして、その場所から少し離れて場所をゆずってから蛙を斃していく。そんな感じだ。


 バッサバッサと大きな羽音を立てて降り立つ鳥は巨大だ。アレンも僕も捕食対象となってしかりな大きさは充分にある。

 鋭い眼で僕らを一瞥いちべつした大鷲は興味を失ったように視線を戻し、足とくちばしを使って器用に肉だけを口に運び食事を始める。昨日も見たヤツらだな。とでも思っているのだろうか?落ち着き払った王者の風格を醸し出す大鷲は蛙十匹ほどをペロリと平らげると上空へと飛び立っていった。


 食事現場を見れば鷲が食べた様子が良く分かる。皮は食べれるがあまり好きじゃないらしい。多くが残っていた。毒があるのでそりゃそうだろうと思うけど、全てを避けて食べていた訳じゃないのでこの程度の毒ならばモノともしないのだろう。それを見て生物としての格の違いを見せ付けられたような気分になった。


 ふと視線を上げれば、純白じゅんぱくに輝く雲が形状を変えながら流れていた。その背景は目のえるような群青ぐんじょうだ。降り注ぐ陽射ひざしは暖かく、何かしらのエネルギーにち満ちている気がする。


 この国は、本当に豊かな国だ。

 王都の東側一帯は広大な穀倉こくそう地帯だし、ここからさらに南に向かえば海もある。

 大河たいがといえる川もいくつも流れていて、広大な湿地帯があると思えば、広大な森林地帯もあり、地下資源豊富な山岳さんがく地帯もあって、広い平原もある。


 野生動物は豊かな土壌どじょうのおかげ年中 えることはない。

 季節や土地によって様々な植物が各地に自生し、その植物と共に繁栄はんえしていく昆虫が次の世代となる植物をはぐくんでいる。そだった植物を昆虫や草食動物がみ、そしてその動物を肉食獣が食べる。


 そんな命の営みを、肌でじかに感じることができるのが僕にとっての異世界だった。そんな自然豊かで幸せに溢れていると言えるこの国にも、かげりが見え始めているのは確かだ。


 焚火たきびしてアレンに休憩を取らせる。その間に血抜きの処理をしたり、脚を回収したりとしながら僕も休憩を取る。

 焚火に足の裏をかざしながら休憩しているアレンに声を掛けてみた。


「アレンさん」

「なんですか?」

「強くなった感じはありますか?」

「うーん……どうなんでしょう?自分ではよく…。見ててどうですか?強くなったように見えますか?」

「まあ、きっとレベルは上がってますよ。昨日より動きは良いですからね」

「本当ですか!」

「ええ。なので、もう少し頑張りましょう」

「はい!」

「あ、たっぷり休憩してからでいいので」

「……了解です」


 よしやるぞ!みたいな感じで立ち上がったアレンに、まだ休憩だよ?と伝えると、複雑そうな顔をしてから若干恥ずかしそうに唇をとがらせ返事をしていた。なんだか僕がやる気をいだみたいで申し訳ないが休憩は大事だ。そんなアレンに干し肉を差し出せば「わーい」といった感じの笑顔を見せたので機嫌は治った。と思った瞬間、にらまれたんだけど。何故だ?解せぬ。


 現在、この世界全体の魔物の活動は活発期かっぱつきというか、繁殖期はんしょくきに入っていると言っていい。討伐依頼は日を追うごとに増え、被害のうわさも連日のように耳にするようになった。

 僕らが召喚され、魔王討伐組が王都周辺の土地を転戦して数を大きく減らしたのにも関わらず、最近はその勢力図を確実に広げているという実感が確かにある。


 ここの蛙は毎年見られる風物詩ふうぶつしのような物だ。毒以外に危険も少なく、人を襲うにしても小さな子供が精一杯だろう。

 それでも、今年は例年に比べて数は多いと言われている。それに、これは昨日の夜に聞いた話だが、本来この時期の蛙の討伐報酬は一匹当たり鉄銭てっせん一枚だったそうだ。それが、生息数の明らかな増加を確認して倍に引き上げられた形になっている。倍といってもほかの魔物に比べれば圧倒的に少ないとしかいえないが、ギルドや国側も多少の危機感を抱いていることは確かだ。



 少し話は変わるが、元の世界に帰りたくないかと聞かれれば、正直帰りたい。けど、この世界で知り合った人々も多くいる訳で、そんな人々がこれから先、生存もあやぶまれるほどの危機におちいると分かっていても帰れるのか?と聞かれれば、僕は何とも言えない。


 弱いから僕一人が帰っても、居なくなったとしても、誰にも迷惑は掛からないだろうとは思う。けれど、こんな僕でも誰かに感謝されることもあれば手を貸すことだってできる。見捨てなければ救える命もあるかもしれないし、見て見ぬフリをすれば失われる命だってあるはずだ。そう考えると、それは嫌だなと思う。後味が悪いというか、寝覚めが悪いというか、とにかく落ち着かない気分になる。そんな状態で帰ったとしてだ、たして心穏こころおだやかに暮らして行けるだろうかと、そう考えている自分は確実にいる。


 修也に任せておけば問題なく解決できる気もするが、それはほんの一部の限られた地域の範囲であって、流石にこの国の全てなど、たとえ神であったとしても不可能だろう。もし、それが可能ならばだ。異世界召喚など、そもそも存在しないはずなんだ。


 僕らは、この世界を形成するピースの一つに選ばれた。

 そんな僕らにとって、ここが第二の故郷こきょうとなり、一度死んだ後だが、これから死ぬまでこの世界で生きていくしかない。


 そうと決まればだ。守りたいと思う。見える範囲、手の届く範囲、小さな小さな範囲だが、関わりを持った全ての人々を、救うことができればいいな、とは思っている。それは願いに近いものだけど。


 そんなことを考えながら、昨夜一度返却し、そして今朝再び借り受けて来た道具を取り出すと、ぬかるむ地面にズブズブと棒を突き刺して準備をしておく。焚火に薪を追加してから、僕は魔法をとなえた。


「オプ」


 カチリ。といった感覚が両脚に伝わる。漆黒しっこくの防具を外して靴下を脱ぐ。そうして裾を膝上まで捲り上げ、僕は素足のまま湿地帯へと脚を突っ込んだ。

 全ての指と指の間を冷たくぬるりとした感触が抜けてゆく。埋まった足首は気持ち良いといえる冷たい感触に包まれ、大地に足を掴まれた。そんな感覚をしば堪能たんのうした。


「何してるんですか?」

「ああ、ちょっと、童心どうしんにでも帰ろうかと」

「……?」


 童心とは言ったが、生きていると思いたかったんだ。

 自分が生きていて、この世界と確かに繋がっていると思える証拠のようなモノを感じたかったんだ。


 幼い頃、水田すいでんに素足で入って田植えをやってみるって体験をしたことがあった。あの時は生きているなんて思うこともなく、只々未体験な感触にはしゃいでいただけだったけど、こうして少し歳を重ねてから似たようなことをすると、なんだか感慨深かんがいぶかいモノを感じることができた。


 僕が笑い掛けるとアレンは困惑した顔を返す。変なヤツだなと確実に思っているだろうが、そんなことは気にしない。手を差し出せば困惑したままアレンはその手を取った。アレンのまだ小さな指先から熱が伝わる。確かな熱だ。心地良いと思える熱だ。その手を握りしめて引き寄せると、アレンは若干嫌そうに身を引いたが、時既ときすでおそしだ。


「ていっ」

「うわあっ」


 素早くアレンを抱き上げて投げた。べチャリと湿地に埋まるアレンを想像したが、アレンは空中で体勢を器用にととのえて何とか着地を決めた。顔を上げると同時に抗議の声を上げ、そしてニヤリと笑ったかと思うと泥を投擲とうてきしてくる。べったりと僕の服についた泥。それを見て指差しつつ笑ったアレン。その顔は一瞬で青ざめ、飛んできた泥のかたまりかわそうと動いたが足が抜けなかったようだ。左肩に被弾ひだんしたアレンは、顔に付着した泥をそでで拭うと心底嫌そうな顔をした。一転、キリッとした眼で僕を睨み、絶対後悔させてやるぞといった決意をその瞳に宿やどらせる。


 そこからは雪合戦ならぬ泥合戦だ。泥を投げ、躱し、被弾した相手をあおるように笑い合い、笑う相手に泥を投げて笑い返してやる。そんな戦争を暫く繰り広げた後、僕らはひとしく後悔した。

 何でこんなこやったんだろう。冷静になって考えればそんな思いが胸をめる。そんな思いに一頻ひとしきり打ちひしがれた後、僕は自分の身体を見下ろしながら楽しかったなと思った。


 そんなことをやったお陰で、迎えに来た馭者の女性に酷く驚かれ、また心配はされたが、実は遊んでいただけなんですとは言い出せず、ちょっと戦闘が激しくて。的な言い訳を口にした僕らだった。



 その後、王都に戻ったのは日暮れにはまだ早い時間だ。

 斃した蛙の数は予定にはまったく届かず四〇〇ってところだ。ギルマスから借りた魔法鞄を使用し、それなりに多いといえる食材を今回も持ち帰っている。


 夕食に全然間に合う時間帯の帰還きかんだったので、その日も取引所は大盛況だいせいきょうだったけど、昨日も同数の食材を販売していたこともあって、今回の買取額は一匹当たり銅板四枚となっていた。

 討伐報酬と食材の売却によって銀貨二六枚を手にした僕らは目標金額の三割ほどを既にかせいだことになる。

 多少減額はしたがそれでも充分に美味しい。王都の人口は多く、まだまだ全ての人の口には届いてもないし、まだまだ需要じゅようはありそうだった。

 まさか明日も行くのか?なんて顔をアレンはしていたけど、明日は一日休みにする予定だ。今日はこれから、もう一仕事する予定だとしてもだ。だから明日は休みだよって一応は言っておいたんだ。保険的な意味でね。


 素早くギルドでの手続きを終わらせると、待たせていた馬車に僕らは再び乗り込んだ。アレンは街でゆっくりできると考えていたようだ。服も汚れているしそうしたかった気持ちは分かる。分かるけど、僕もやっておきたい、というか、確認しておきたいことがあったんだ。なので、若干 不服ふふくそうなアレンを連れて王都を再び後にした。


 向かったのは王都から東一帯に広がっている広大な穀倉地帯だ。その先にあるみずうみが今回の目的地だった。それほど遠くはない。馬車でければ一時間も掛からないくらいな距離だ。


 その道中に広がる景色は、只々ただただ長閑のどかといった風景だ。

 緩やかな稜線りょうせんを幾つもつらねる穀倉地帯。そんな長閑な風景の中に時折、木陰こかげを作る大きな樹木が見え、川が流れ、そして川辺かわべに建つ石造りの建造物には水車が見えている。

 大きな麦わら帽子をかぶる農夫がくわや鎌を片手に畦道あぜみちを歩き、その夫人達が木陰に広げたシートの上で穀物こくもつ選定せんてい作業や、お茶などを飲み交わしている姿が見えていた。そこにはにぎやかな声が常に響いていた。子供達は元気いっぱいに畦道や街道を駆け回り、はしゃいだ声を上げて笑顔を輝かせている。


 平和だ。素直にそう思う。同時に、この平和が奪われる日が来るのかと、恐怖のような感情も湧き起こる。


 そんな長閑で平和な光景をゆっくりと眺めるのも一興いっきょうだが、今日は日暮れも迫っているので急いで湖まで向かってもらうことに決める。


 整備の行き届いた街道はそれほど揺れることはない。車輪をきしませながら馬車は走り続けて、北へと向かう街道へと進路を変えた。そうして徐々に青く輝く大きな湖が視界に広がり始める。


 アレンがはずんだ声を上げた。樹々きぎの増え始めた街道に突き当たるようにして湖畔こはんが広がっている。その美しい光景を目に捉えたからだ。


「大きいですね!」


 一度振り返りそう言ったアレンは、それ以降荷台へと視線を向けることはなかった。手招きされるまま馭者席へとはいい出るようにして進み、お姉さんの隣で瞳を爛々らんらんと輝かせていただろう。


 一人になったので、僕も準備を始めることにした。バックパックの中から幾つかの袋を取り出して、ナイフを片手に素材を細切こまぎれにしていく単純な作業だ。


 そうして、馬車は停車する。大きな湖畔の近くに停車すると、馬を馬車から解放して放牧ほうぼくさせておく作業を先ずは手伝った。

 それが終わり、馭者のお姉さんを連れて桟橋のような感じになっている場所まで進んで行く。桟橋というよりは高原地帯にあるような遊歩道のような感じだが、その場所に立つと多少深い状態になった湖のほとりに立つことができる場所だ。そんな場所でテンションが高めだったアレンに道具を手渡す。


「はい、アレンさん」

「……え?」

「はい、これはお姉さんに」

「ありがとう。さあ、釣るわよ!」

「え?」


 一人困惑しているアレンはお姉さんに任せることにして釣り道具一式を置いて、ついでにアレンも置き去りに僕は歩き出す。そうして向かったのは、二人から一〇〇メートル以上は離れた場所だった。


 釣り竿ざおといってもこの世界の竿さおにはリールは無い。糸の長さは固定なモノで、長さを変えたいなら糸自体の長さを変えないといけないモノになる。そんな感じの、よくしなる木の枝で作られた簡単な釣り竿だ。



 この湖には淡水たんすいに生息する高級魚も泳いでいる。二人は一応はそれ狙いだ。

 一方、僕はというと、魚でも、正確に言えば生物でもない、魔物狙いだった。

 二人から距離を取ったのは釣りの邪魔をしないって意味もあるけど、魔物の巣を確認する為に全裸ぜんらに近い状態で水に入る必要があったからだ。


 泥んこな服を脱いで軽く洗っておく。そうしてパンツ一丁な姿で湖の中へと足を進ませた。

 湖底こていは綺麗な砂地だ。足先がしずむようなこともなく、土が舞い上がって視界が不良となることもわずかだ。そんな湖底を踏みしめながら胸ほどの深さまで進むと、大きく息を吸い込んでから頭を水中へと沈ませた。


 湧水わきみずいているこの湖の透明度はかなり高い。なので、水中も地上とそこまで変わらない感覚で見渡せることができる。その代わり、夏でも結構冷たいので長居は禁物だ。手早く視線をぐるりと回して、目標物を視界に捉えた。


 それは、白っぽい、風船のような見た目のモノだ。

 湖底に近い水中の中で球体状のモノが幾つか組み合わさるようになっていて、その下に、白くて細い糸のようなモノが伸びている。その糸は湖底に広がっている網目状なモノと結合していて、浮上することをこばんでいるような状態だ。


 これが魔物の巣だ。

 通訳つうやく魔導具では〝水蜘蛛みずぐも〟と和訳わやくされる魔物になる。

 生態や見た目も蜘蛛を連想させるような魔物だが、普通の蜘蛛とは若干の差異さいのある見た目をしている。


 アレンに黙っていたのはこの為だ。蜘蛛嫌いなアレンに話せば行きたくないと言われると思ったから黙っていたということになる。


 球体状の巣の中は空気で満たさせている。空気を取り込むホース的なモノは一切無いが、それが無くともあまり問題はないらしい。何故なら、魔物の特殊性がそれを解決するからだ。


 魔物自体のフォルムは蜘蛛というよりもだ、蜻蛉とんぼの幼生体であるヤゴや、水生昆虫のタガメにどちらかといえば近い。お尻があまり大きくはなくて、丸くもない。全体的に平べったい感じだ。まあ、タガメが一番正解に近い、そんな感じの見た目だ。

 そして、ヤゴやタガメ同様、前脚の二本は鎌状な形状をしていて蟷螂かまきりのような腕をしている。その代わりというか、水掻きの付いた脚は六本あり、身体の構造も頭と腹だけで胸部が無い蜘蛛に近い形状だ。

 頭にあごは、大きく鋭い牙を持っている。それとは別に獲物をみ砕くばったのような顎も持っていて、捕食時はそちらを使って獲物を咀嚼そしゃくしている。

 大きさ的には、胴体は長さ一五〇センチほど、両腕を広げた長さは三メートルに届くかどうかといったサイズ感になる。


 結構大きなこの水蜘蛛の一番の特徴は、糸袋いとぶくろを腹部ではなく、口内に持っているということになる。そして、本来は糸を出す部位なはずの腹部には、空気袋くうきぶくろなるモノを持っていることになる。


 この水蜘蛛。空気のジェット噴射ふんしゃで水中を高速で移動し獲物に襲い掛かる恐ろしい魔物なんだ。その上、水掻きだけでもスイスイと泳ぐこともできて動きはかなり速い。

 なので、もぐって倒しに行く、は自殺行為だ。ならばどうするかというと、これも釣り上げるのが一番の対処法なんだ。


 巣の位置を確認しながら水面へと顔を出す。そうして、ある程度位置を把握して僕は陸へと引き返した。

 そして釣り竿を手にして、長い糸へと付け替えて、その針の先に、皮はぎ取った状態な蛙の後脚を丸ごと、結ぶような感じでくくり付けた。


 この水蜘蛛はなんでも食べる。魚だろうが、海老や蟹といった甲殻類だろうが、兎や鳥といった動物だろうが、溺れた人間だろうが、しまいには同族の水蜘蛛すら食べる。非常に食欲 旺盛おうせいな蜘蛛だ。

 狩猟しゅえよう方法は先程述べた通り、素早いスイムからの強襲といった感じだが、実は待ち伏せの方が主流だったりする魔物だ。巣の真下に広がっている網目状な場所は水中でも粘着性を失わない糸が張り巡らされた罠なんだ。


 ずっと観察していると、時折水面に上がってお尻の先を突き出して空気を溜めてから水中に戻るといった行動をする。巣に戻る時の泳ぎ方は必死すぎて可愛い感じだが、そうやって巣まで新鮮な空間を持ち帰っては酸素の入れ替えを、一日に二度ほどはするらしい。二度ほどしかないので、それを待ってから巣を位置を確認するのは愚策ぐさくだ。その為わざわざ潜って、目視にて確認する必要がある。


 巣の見た目は非常に幻想的とも言える。全体的に白っぽいが、中は透けて見ている箇所もあって、上空から降り注いでいる陽の光に照らされてキラキラと輝いているように見える。まあ中には紺色なでっかい蜘蛛がいるので嫌いな人は恐怖しか感じないかもしれないが、無数の球体状の風船が連なったモノで構成された居住区だけを見れば、充分に美しいと言える見た目をしていることは確かだ。


 そんな巣の位置をある程度把握したらだ、湖底まで確実に沈む餌を付けて罠に引っ掛かるまで餌を投げては引くを繰り返すんだ。


 そうして、罠に引っかかる手応えを感じると、暫く待っていればいい。

 そして、糸から伝わる感触から、水蜘蛛が餌に糸を巻いていることを確信した頃にだ、後ろに向かって軽く引き、水蜘蛛が餌の逃亡を図るように抱き着くのを暫し待つ。これは重要だ。そして、暫く待った後に、今度は一気に後ろに向かって走り出すだけでいい。


 水蜘蛛は捉えた獲物に糸を巻く捕獲ほかく行動に入ると相手を逃がさないことしか考えなくなる。その時、引っ張るとほぼ無条件で地上へと引き上げることが可能なんだ。そして陸地へと上がり、敵となる人間などの姿を視界に捉えると、今度は攻撃性しか頭になくなる脳筋な魔物だ。

 その特性を活かして向かってきたヤツの背後に周り込み続けて、完全に背後側から襲い掛かる感じがベストだ。鎌状な腕は鋭いから、そこだけに注意していればいい。地上での動きは水掻きが邪魔してイマイチだから動きは速くはなし、空気のジェット噴射も地上ではあまり意味がないので足場が良ければ下手を犯す危険性は無いと考えていい。そんな魔物だ。


 引き上げ、トドメを刺した水蜘蛛の見た目は、やっぱりタガメに一番近い。

 側面が蛇腹状じゃばらじょうになった腹部分を上へと持ち上げると、硬めな外殻はほぼ九〇度に近い角度まで持ち上がり、腹は空気を取り込んだ膨らんだ状態で固定される。穴が空いていなければの話だけど。


 そんな見た目をした魔物から回収するのは両手の鎌だけだ。空気袋も上手く利用すれば鍛冶師などが使う手持ちのふいごとして改造できるとは思うけど、今回はその部分に剣を刺してしまったので回収はしないでおく。


 そうして目当ての部位を回収した僕は、アレンに文句を言われる前に魔物を湖へと投げ入れておいた。

 それから、アレン達に背を向けて濡れてない服を鞄から取り出し着替える。そうして回収した部位を鞄に詰め込んで二人の元へと戻っていった。



 その後暫く釣りを楽しんで、夕暮れ前に王都へと戻った。

 三人の釣果はイマイチだった。釣れた魚はお姉さんに全部あげることにして、料金を支払い馬車とお姉さんとは門の近くで別れた。


「夕飯の前に行きたい場所があるんですけど、いいですか?」

「……どこに行くんですか?」


 蜘蛛っぽいヤツを遠目に見たからか、アレンは懐疑的かいぎてきな目を向けてきてはいるが気にしちゃ負けだ。


創具師そうぐしのところに」

「……それなら、べつに」


 まだまだ懐疑的な目を向けているアレンを連れてお店へと向かった。


 店に入ると店主はこっくりこっくりと舟をいでいた。

 店内を歩きながら声を掛けると眠そうな目を僅かに開き、ふわわと欠伸あくびをして、その目を擦る。


「ん?今日はどんな御用かね?」

修繕しゅうぜんをお願いできますか」

「昨日買った槍かい?」

「そうです」

「ふんふん。もう壊れなすったか。どれ、見てみよう」


 その後、作業場へと移動し、店主の修繕を見させてもらうことになった。

 素材は先程回収した水蜘蛛の腕だ。元々、比較的近場で素材の入手が可能な槍だと聞き、それを購入したんだ。修繕の様子も一度見ておきたかったら。


 作業台の椅子に座った店主は一本だけ素材を手にしている。そして作業台の上には穂先が半分からへし折れた槍が載っている。素材を両手で真っ直ぐに伸ばしてから、店主は口を開き、詠唱えいしょうを唱えた。


「ウィル、リーム、ア、デア」


 店主の口はそれ以上の語句ごくつむがなかった。しかし、何か変化が起こったようには見えない。

 店主はそのままおもむろに両手を動かし、槍の上に素材を載せるようにして手を動かしていく。すると、劇的な変化が起こった。


 その光景を一言で表すなら、怖いになると思う。

 それまで普通の状態だった素材が、槍と触れた瞬間にドロっと溶けたようになったかと思うと、液体状なモノがニュルっと広がって一気に槍全体を包み込んだんだ。

 まるで生き物のようだった。喩えるならそう、粘性ねんせい菌類きんるい、意思を持つように動くこともできる粘菌ねんきんが、高速で捕食行動を取ったような感じだった。異世界風に言えばスライムが、といったところか。


 包み込まれた槍は現在、青い光の波が走っていて、徐々に形状を変化させていた。その変化が起こっている場所は主に穂先だ。これまた粘菌が倍速再生されるような感じでブルブルと波打つようにして穂先が失くなった箇所に液体が集結している感じだ。それが徐々に伸びていって、失われた穂先を完全に再現するような形状へと変化している。そんな光景と同時に、槍が震えてカタカタと音が鳴っている。その音も若干ホラー要素だった。太さ的には全体的に元の大きさより太くなっている。


 その後、穂先だった箇所が完全に元通りな形状へと戻ると大きな変化は終わり、作業場は静寂せいじゃくに包まれた。店主を見るが、特に何もする様子はない。これで修繕は完了なのかと見守っていると、店主の言葉が鼓膜こまくを震わせた。


「これで、暫く待てばいい。掛かる時間は損傷そんしょうの度合いによって多少変わるのでな。どれくらい掛かるかは、その時々って感じになる」

「………なるほど」


 その後、店主とアレンを交えて世間話をしていた。

 魔物の餌用にと少し多めに回収していた湿地帯の蛙の肉が余っていたのでそれを献上けんじょうとかしたりして、店主の奥さんがれてくれた飲み物を呑んだりして、三〇分ほどは会話していただろうか。


 突然、ピシッといった音が聞こえて、全員の視線が作業台へと向けられるまで、僕らの世間話は続いていた。


「お、完了だな」


 そう言って店主は作業台の上へと手を伸ばす。

 若干太くなっている槍にはその時、ちょっとした変化が起こっていた。

 石突いしづきの部分に半透明な感じの白っぽい何かが着いている。そんな感じの変化だった。それを間近で見て、ようやく理解する。白っぽいモノの正体を。


 店主が白っぽいモノを片手で掴んだ。そして、その手を一気に穂先方向へと向かって動かし始めた。

 その光景を喩えるならこうだ。箱に入ったお菓子の箱を開けるがごとくといった感じだ。ベキベキと音を立てながら白っぽいモノががれていき、その中には綺麗に磨かれたような状態の濃紺色の槍が収まっている。


 そして、穂先部分まで完全に剥がし終えると、新品な状態の槍の穂先がしっかりと形成されていた。そんな光景を目の当たりにして思ったことと言えばだ。


 これは、脱皮だっぴなのか?


 そんな馬鹿げた感想だった。

 剥がれたモノは半透明な白いものだ。手に持つと意外にも軽くて、そこそこ硬い物体だった。その後、その副産物とでも言うべき半透明な物体は、暫くすると原型を留めることなく粉状なモノへと、みるみると変化していき、驚くことにその全てが綺麗に消滅していった。


 エコロジーどころか、ゴミなどは一切出ない、地球に優しいクリーンな設計だった。修繕費は素材持ち込みで銅板五枚。五〇〇〇円ときている。値段を見ても非常に経済的だ。


 驚きのあまり言葉も出ないが、それは隣に立つアレンも同じだったようだ。


「この残りは買取でいいかい?」

「……え、ええ。それでかまいません」

「じゃあ、修繕代と差し引いて、ほれ、銅板三枚のお返しだ」

「……お釣りが返ってきた、だと?」

「んん?」

「あ、いえ。なんでもないです」


 ついつい日本語を口にしちゃうほど、創具師ってつくづく不遇ふぐうな職業だなと僕は感じていた。

 こんなにも優れているのに、その事実を認めようとする人間は、この王都には居ないらしい。


 そんな感じで修繕の様子も見た僕らは夕飯を食べに向かった。

 今日は魚が食べたい気分だったので迷わず魚料理を注文すると、散々迷った挙句あげくにアレンは肉料理を頼んでいた。

 ブレないなあと思いつつ笑みを浮かべると若干睨まれたが、そんなことは気にしない。


 アレンとの関係性は今ぐらいで丁度いいだろう。

 そんなことを考えつつ、柔らかな白身魚にナイフを突き立てた。

 おはしを作ってもいいけど、あまり目立つような行動してもなあと思いつつだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る