第16話 旅支度 其の一

 王都を発つに当たって、やっておくべきことはそれなりにある。

 まず、充分じゅうぶんな旅費の確保。そして物資の調達。そしてそして移動手段の確保だ。さらに、お世話になった人達への挨拶回りも重要だろう。


 出立はアレンの装備が完成したその日か、その翌日にする予定だ。それまでの日程はざっと二週間ほど先になる予定だ。

 軍資金は現在、銀板五枚ほど。それは日本円で五〇万円ほどになり、それだけあれば、ある程度の準備はできるが、とても万全とは言いがたい。


 迷宮都市ダイスは馬車で向かったとして二ヶ月ほども掛かる距離にある。一日当たりの食費を一人千円に抑えたとしても、二人で十二万円になり、それは資金の二割を少しばかり超える。


 調べてみると馭者ぎょしゃ付きの馬車を一台チャーターすると一日当たりの金額は銀貨二枚だった。そこに距離的なモノで金額が上乗せされ、さらに危険度などでも上積みされる。少なく見積もっても五〇日は掛かる訳で、そうなると馬車代だけで一〇〇万以上が確定したようなもので、それ以上掛かることは明白だった。


 フッ。既に足りぬ。アレンの装備を奮発しすぎたようだ。反省。


 そこからさらに、様々な物資も調達せねばならない。と、なるとだ。結果として二〇〇万円くらいは稼ぎたいなーって状況になっていることを僕は理解した訳だ。

 ハハッ。自分の計画性の無さに嫌気が差すよと。

 そんな訳で先ずは依頼だ。二に依頼だ。三四も依頼で五にも依頼。そんな状態が暫く続くだろうと覚悟した。


 昨夜の自分の予想とは違い若干不満そうなアレンを引き連れて早朝から冒険者ギルドへと向かった僕は、依頼を受けて、色々と手間の掛かった準備をしてから馬車に乗り込んだ。


 今日は六人組のパーティと共闘……ではないが、同じ魔物の討伐依頼だ。

 魔物の討伐依頼にしたのはアレンのレベルを最低でも五くらいにはしておきたいと思ってのことだった。なので、僕はアレンのサポートに徹っしようと思っている。


 馬車が向かったのは王都から南西部に向かった先にある湿地帯だ。そう、あの湿地帯だ。足場が劣悪な環境で濡れれば不快感にも襲われるが、経験値的な実入りはそれなりに大きいことが期待できる依頼だ。事前に調べた魔物の分布も今回はアレンと共有しているので蜘蛛のような事態にもおちいらないはずだ。


 馭者を務めるのはパーティのリーダーである青年。年齢は僕より二つ歳上の結構ワイルドな顔付きをしたイケメンだ。名前はアークという。


 パーティの前衛で火力を担当するのは二人。一方はサイラスという名の細身の青年。もう一方はレイラという華奢な青年。こちらは名前からも分かる通り女性だ。


 後方火力を担当する二人へと視線を向ける。こちらも男女で、男性の方は優しげな面差しのマイク。女性の方は気の強そうな面差しのベネット。というらしい。

 そしてヒーラーのライラという可愛らしい女性の六人組となる。


 全員がリーダーのアークと同い年であり、同じ村の出身であり、六人がそれぞれペアを作る感じで仲良く恋人同士といった関係にもなる、ラブラブなパーティだった。

 タンク役のアークとヒーラーのライラ。剣士サイラスと魔法使いベネット。そして剣士レイラと魔法使いマイク。そんな感じだ。ちなみに、レイラとライラは双子だ。レイラが短めの髪で、ライラが長いので見分け方は簡単。服装も違うし装備も大きく違うので見間違う心配はない。


 年齢は二つ上だが、全員のレベルは五だ。まだまだ新米といえる冒険者になる。とはいえ、パーティの構成もバランスが非常に良く、また連携も良いのでそれなりには強いらしい。新人の中じゃ一番の注目株だとか。まあ、その辺りは自分達で言っていたので話半分で聞いている。


 道中の移動は、非常に居心地の悪いモノだった。とはいえ、犬猿な雰囲気だった。とかではない。別方向でだ。

 全員がイチャイチャとしているんだ。しかも人目も憚らずにだ。いや寧ろ、見られているかもしれないことに興奮を覚えている様子だった。そんな感じだから僕らの尻の座りも悪くなってしまうって訳だ。

 僕とアレンは馬車の最後部に腰掛け、遥か彼方の景色を魂が抜け落ちた人形の如くボーッと見ていることで目と耳を塞ぎ終始過ごした。時折ピンク色の声が意識を覚醒させそうになったが、雲の形を食べ物に変換しながらなんとかその苦行を乗り切ってやった。


 そんな状態が長く続いたからか、現地に到着した頃にはちょっとした精神的疲労によって眩暈めまいがしたが問題はない。大地に降り立った今、心は晴れやかだ。

 早速チームごとに別行動する形で歩き出し、湿地帯を進み続けて御盛おさかんな御年頃おとしごろの人々と僕らは可能な限り距離を取った。


「アレンさん、ごめん」


 この依頼をチョイスしたのは僕だ。当然、アレンには悪いことをしたと謝っておく必要があるだろう。謝り、頭を上げるとアレンは若干頬を染めた顔のまま「べつに」と口先を尖らせつつ返事を返した。それほど怒ってもなさそうだと少し安堵あんどする。


 こんな小さな子供といえるアレンに痴態ちたいさらすことに興奮を覚えるなんてなんてけしからん奴らだ。もう二度と一緒に仕事をすることはないだろう。


 一応、行きと帰りの足も確保されているとアレンも賛成はしたが、完全に見誤ったのは確かだ。お互いに視線を合わせると微妙な感じで苦笑いを浮かべ、意識を切り替えるように強化系の付与魔法を唱えてから魔物がひしめく方角へと僕らは歩き出した。


「アレンさん、深みにハマらないよう気をつけて下さい」

「はい」


 出発前にチャチャっと購入した創具師そうぐし製の短槍たんそうと普通の盾を構えるアレンは足場を気にしつつ慎重に歩を進める。その先に広がる光景は、人によっては目を背けたくなるような光景だろう。僕は丸一日でも眺めていられるけど。


「はっ!」


 アレンが気合の乗った一撃を突き込む。穂先ほさきは魔物を捉えて易々やすやすつらぬき、次なる目標に向けられる。

 僕は主に、その魔物から討伐した証を回収する役目だ。魔物の状態が良ければ回収して、街まで持ち帰ることも視野に入れている。


 ゲコゲコ。


 そんな音が周囲から聞こえ続けている。僕らが討伐しているのはこの時期に大繁殖期を迎える蛙の魔物だ。

 その肉は少し硬めの鶏肉に似ていて美味びみ。皮膚に毒を保有しているが命に関わるほどの危険はない。素手で触ることは絶対にしてはいけないが、まあ安全な範疇はんちゅうだと言える。


 アレンが次々と槍を突き刺して仕留めて行くその後ろで、僕は革手袋をした手で蛙の身体を回収し、右の前脚を切り取って袋に詰めるか、頭を撃ち抜かれて絶命した個体があれば、血抜きをする為に逆さに吊るしておく、そんな作業に終始徹していた。


「多い、ですね!」

「疲れたら交代しますよ」

「まだ、大丈夫です!」


 この依頼は、この時期になると常設されている依頼になる。勝手に行って勝手に狩って戻ってから報告でもオーケーな依頼だ。

 一匹当たりの討伐報酬は微々たるモノだが、何せ数が半端ではない。その上食料としても売れるし、経験値もそれなりに美味い依頼だ。

 とにかく数をこなすべくアレンにはリーチのある槍を持たせて只々機械の如く突きまくってもらい、僕は下処理をしながら湿地帯を遅々ちちとした速度で進み続けた。


 蛙の大きさは家庭から出るゴミ袋くらいの大きさだ。中身は詰まった状態のヤツと考えてくれていい。色はアマガエルに似ていて基本的には黄緑色だが、中には青いヤツもいるし、茶色いヤツも黄色いヤツもだいだい色のヤツもいる。そんな感じで結構視界はカラフルだ。


 暫く進み続けていると小高い場所を見つけた。そこに用意していたまきべて焚火たきびを起こしておく。

 新装備を身に付けている僕は全然問題ないがアレンの脚は終始濡れた状態だ。そのままだと皮膚がふやけて弱くなり、さらにそのまま続けていると皮膚が裂けることもある。

 なので、適度に乾かしておく必要がある。それを事前に言い聞かせていたので、アレンも無理のない範囲で狩りを切り上げて戻って来た。


「暫く休んで下さい」

「はい。斃しても斃しても、キリがないですね」

「奥の方はもっと凄いらしいですよ」

「……」


 アレンは少し嫌そうな顔で周囲を見渡す。そうしただけでも結構な数の蛙が視界に入るのだ。嫌にもなるだろう。

 アレンが斃した数は既に一〇〇匹近い。前脚もそれに近いだけ袋に詰まっているし、地面に突き刺した長めの枝に吊るされている蛙もそれなりにいる。

 そんな光景を尻目に、アレンは靴を脱ぐと僕が用意しておいた木の枝に引っ掛け、椅子に腰を落として焚火に両脚をかざした。


 ズボンはまくっているので濡れてはいないが、濡れた靴を履き続ける不快感は現代っ子にも経験があるはずだ。その不快感を少しでも軽減する為にアレンがこうして休憩に入ったので、僕も多少は討伐数に貢献しておくことにする。


 深そうな場所は避けて湿地を進み、偶に逃げずに向かってくるヤツがいるので、ソイツの背中を踏み付けて暫く待つ。踏み付けられた蛙はゲコゲコと鳴き袋を膨らませて声を上げ続け、そうして周囲の仲間を呼び寄せてくれるのだ。

 幾つかの個体が向かって来るのを目にすると手早くトドメを刺して流作業のように蛙を斃していく。そうして再び魔物と距離ができれば右の前脚を回収して袋に詰めていく作業に取り掛かり、また振り出しに戻るといった工程を三度繰り返した。


 アレンの半数ほどを斃して戻ると交代だ。その間に僕は吊るして血抜きしておいた蛙を鞄の中に次々と放り込んでおいた。


 この鞄はギルドマスター経由で借りたモノになる。見た目はちょっと大きめのリュックサイズしかないのに既に蛙は五匹も入っている。所謂マジックバッグってヤツだ。

 ギルドマスター曰く、酒のさかなとしては最適な食材の一つで、絶対に俺の分を確保するくらいには持ち帰れとのおおせだ。そこで嫌そうな顔を見せた僕を見てギルドマスターはニヤリと悪い笑みを浮かべて、この鞄を貸してくれたのだ。

 輸送問題が解決するとなれば話は別だ。最敬礼で任務遂行することを確約し今に至るという訳だ。


 多少、王都から距離があるので大量に持ち帰るとなると一般の冒険者では手に余る。精々が馬車に載せれるだけの数になり、それだとすぐに商店や宿などに売れてしまい個人的な確保は難しい。しかもだ、この時期は安くて味も良いと来ている。大人気食材の一つといってもいいが、いかんせん冒険者にはそこまで人気のある依頼でないのが現状だ。


 その際たる理由は湿地という悪条件。そして大量に発生している分、一体当たりの討伐報酬の安さ。さらに、大量には持ち帰れず食材買収での利益がそれほど出せないこともあり、難易度的には低く、数という暴力で経験値的には美味しいが、冒険者の依頼としての人気はイマイチな依頼だ。


 僕は経験値と実績を作るという意味、そして別の理由でこの依頼を受けたけど、もう一つのパーティは完全に食欲優先でこの依頼を受けたようだった。視線を遠くへ向ければ白い煙が上がっているのが見える。その下では肉を処理して食している六人組の姿があるだろう。



 暫く焚火を拠点にして狩りを続ける。幸い、魔物は犇めき合っているので時間が経てば数は戻って来るのでそこまで移動の必要はない。

 この依頼で最も注意すべきは湿地の深みにハマらないことだ。何故ならそこには大量の卵が産卵されているからで、そして卵が一番毒性が高いからだ。


 まあ時折り、上空から大きな鷲みたいな生物が飛来しては二、三匹一気に蛙を連れ去っていく姿も見受けられるので上空にも注意を払っておく必要は多少はあるが、わざわざ食べる箇所の少ない人間を狙うことはほぼないとのことなのでそこまで警戒しなくてもいい。


 少しずつ蛙たちが遠巻きになり、そして鳴き声を上げさせると戻って来る蛙をひたすらに処理し続けて、僕らは拠点を何度か移した。


 疲労が蓄積してきたことでアレンの動きは若干鈍くなったが休憩を挟み挟みやっているので夕暮れまでは保たせることはできるだろう。

 マジックバッグにはまだまだ余裕がありそうなので、ここからは食材確保をメインに丁寧に斃していくことにした。アレンは小回りを利かせ辛い槍から剣に持ち替えると、慎重に頭を狙って武器を突き込む機械的な動きを繰り返していく。その姿を視界のすみに収めながら蛙を回収しては一ヶ所に纏める力仕事僕はをこなしていた。そして暫くするとフラフラと覚束ない足取りでアレンが戻って来るので、アレンのサポートも忘れない。


 ギルマスに紹介された、肉屋のおっちゃんに持たされた血抜きに使う枝を地面に突き刺しながらアレンに疲労回復の付与魔法を掛けておく。そうしてアレンを焚火のそばで休憩させながら、僕は無数に横たわる蛙を回収しては脚を縛って吊るし、血抜きの終わった蛙を次々とバッグの中に吸い込ませていく。


「ふう……流石に疲れるな」

「まだ、やるんですか?」

「集合は夕暮れまでですからね」

「……ハア。疲れました」

「はは。では、少し長めの休憩にしましょう」

「はーい」


 一時間も休ませれば体力はかなり回復するだろう。そこからは斃すことをメインに切り替えれば経験値効率も良いはずだ。

 そんな思考を展開しつつ軽食を準備して二人で腹を満たし、アレンを椅子に座らせたまま立ち上がると周囲を一度見渡した。


 広大な平原……ではないか。広大な湿地帯。日本にいた頃ではなかなかお目にかかれるような光景ではない。あしに似た植物が無数に生え、苔類も多く陸地を埋め尽くし、湿地帯特有の植物が多く自生している。平地では見られない花を咲かせた菖蒲しょうぶのような植物も目立ち、景観的には一切不満はない。まあ、菖蒲っぽいのは地球サイズより倍以上は大きいけどね。


 にごっていない水中へと目を落とせば、ゴルフボール大の黒い水生生物が器用に両手を使って底をさらいながら食事をしている姿が見受けられる。それは宿無しのヤドカリみたいなヤツだった。全体的に丸いフォルムで如何にも硬そうなので拾って投げればちょっとした投擲とうてき武器としても使えそうだ。

 他にも、小さな小魚。細すぎなテヅルモヅルっぽいヤツ。水面から顔を出したままなムツゴロウ的なヤツとか、沢山の生物が生息していることが見て取れていた。


 そんな風景でほっこりとしつつ、アレンが休憩している今のうちに、僕は目当ての植物も採取しておくことにした。


 それはデカすぎな菖蒲に似た植物。その球根。葉っぱや茎などを傷付けると白く濁った液体を出す植物で、その白い液は触ると肌がただれてしまう厄介なものだ。当然、球根にも毒が含まれていて、食せば食当たり間違いなしで最悪死に至ることもあるそうだ。

 とはいえ、古来こらいより毒というモノは薬としても利用されることも多く、この植物の球根は吉澤さんへのお土産としては最適だ。そんな思考を展開しつつ植物に手を伸ばそうとすると慌てたような声が上がった。


「ダメですよ!手が爛れます!」


 どうやらアレンが住んでいた地域にも自生しているようだ。「知ってますよ」と返事を返して植物を引き抜く。根に付いた泥を落とすとそのまま草地の上まで移動して球根と茎とを切り分ける。そうして少し厚手の布に包んで鞄の中にしまうとアレンが声を掛けて来た。


「それは、何に使うんですか?」


 そう言った顔は不安のようなモノに彩られていた。その不安を払拭すべく口を開いた。


「薬ですね」

「嘘だ」

「え……いや、嘘では」

「それは、毒です」

「知ってます。でも、薬にもなるんですよ」

「そんなわけ…」


 眉を寄せるアレン。暫く思慮しりょする様子を見せてから、どんな薬になるのかと尋ねた。その返答は少しばかり答えづらい。その微かな沈黙をアレンが何と取ったのかは、まあ言うまでもないだろう。


「誰か、怨んでる人がいるんですね。殺したいと思うほどに…」


 視線を逸らし目を伏せたアレンは悲しそうな顔を見せた。お前がそんな奴だったとは思わなかったぜ。とでも言いたげな横顔のままアレンはこう言った。


「残念です……」


 うーん全然違う。ぜーんぜん、違うんだなぁこれが。


「これはですね。所謂、避妊薬に使える毒になるんですよ」

「避妊薬?」


 アレンには聞き覚えのない単語だったのだろう。口にはしたが単語の意味自体を理解している様子はない。


「簡単に言うと……えっと……なんて言うんだ?まあ、いいか」


 避妊薬が一般的に広がっていないのはこの植物が危険すぎるからだ。用法や作製過程で間違いを冒せば人が死にかねないからだ。一般的には作られてもいないし、その製法は秘匿ひとくされている。

 使っているのは主に貴族の若い人達で、政略的な結婚とは別に自由恋愛の過程で使う機会も多いそうだ。


 そんなことを遠回しにアレンに伝えると何か思うことがあったのか、深く追及はしてこなかった。


 そんな一幕があって以降は起伏のない作業の繰り返しのような一日だった。陽が傾き、そろそろ頃合いかと思ったころに、合図の黒い狼煙のろしが上がる。


 その頃には、湿地に生息する他の魔物や、近くの森から此方を窺っている動物達の姿も多く見受けられるようになっていた。回収はしていない蛙たちの死骸はその手の魔物や動物たちに任せて集合地点へと向かう。


 暫くして振り返ると、先程まで居たその場所は、最盛況な賑わいを見せていた。


 無数に飛び散る水飛沫みずしぶき。唸るのど。飛び交う咆哮ほうこうくみほぐれつの取っ組み合いの末に各々が食料を咥えて走り出していくキツネのような動物。

 空から舞い降りた大きな鷲が蹴散らすように場を陣取る。蛙を堂々とその場でついばむ姿は王者の風格すらある。そこにけたたましい声が上空より降り注ぎ、一回り大きな鷲が小振りな鷲を追い払う。


 まさに、弱肉強食の世界だ。

 この世界はしたたかでけわしく、そして遥かに美しい。



 そんな光景を暫し眺めてから歩き出し、アーク達一行と合流を果たすと、若干馬鹿にしたように鼻で笑われたが気にしない。

 この人達は僕とギルマスとのやり取りは見ていなかったのだ。一切稼ぎといえるモノを持っていなかったら、そりゃあ誰だって鼻で笑うくらいのことはする。それに、僕らは馬車に便乗びんじょうさせて貰っている側の人間だ。鼻で笑われるくらいだったら幾らだって笑われても構いはしない。


「大丈夫か?なんなら陽が落ちるまでいてやってもいいが」

「あ。大丈夫ですよ。もうクタクタなので帰りたいです」

「そうか?じゃあ、そうするか」

「はい。帰りもお願いします」

「おう。ゆっくり休んでろ」

「はい。ありがとうございます」

「よーし、出発だ!」


 帰りの馬車の揺れは心地良いものだった。そこに行きとは違い遠慮なしのピンク色の艶かしヴォイスが派手に加わっていたとしても、心地良いものには変わりなかった。


 僕の肩を枕代わりにスヤスヤと穏やかな寝顔を見せるアレン。彼の耳にその声が届いていないならば概ね快適だと言っていい。僕の意識も疲れと眠気でぼんやりとしていて、後ろの騒音はそこまで耳には入ってこない。


 そんな一幕を乗り越えて、すっかりと陽が沈み、門が閉ざされた頃に王都に着いた馬車。南西の門前で兵士と通行許可証の確認し、開かれた門を通ってギルドへと馬車は進む。


 その頃、ようやくアレンは目覚めた。暫くはボーッとした顔で過ぎ去る街並みを見ていたが、ギルドに到着する頃にはいつもの顔に戻っていた。


 馬車を降り、アーク一行にもう一度御礼を述べて共にギルドへと入ると、まずは報告だ。受付に全員で連れ立つようにして受付へと進む。

 そうして、前脚だけが詰め込まれた袋を互いにカウンターの上に乗せると、お互いの視線が一瞬交錯した。


 大きさが多少は異なる二つの袋。当然片方が僕らでもう一方はアーク達のものだ。まあ、大きさは大体同じくらいだと言っていい。

 それを改めて確認したアーク達は「へー。やるじゃん」的な視線を向けてきている。その視線に軽く笑みを返して、中から右の前脚を取り出した。


 その、同種の魔物から回収された証拠品は大きさが全然違った。

 僕らの物は最小限の大きさだ。右の前脚。とわかるだけの箇所から切り落としている。一方で、アーク達は前脚ではなく後脚の付け根から落とした物を回収していて、どうやらその後脚の肉を売る気でいたらしい。カウンターには載せられていない別の袋には逆側の脚も詰まっているようだ。

 それを見たアークはこう言った「数は俺たちより多いかもしれんが、それじゃあ金にはなんねえぜ?」と。対する僕の返答はこうだ。


「問題ないですよ。鮮度は抜群ですから」

「は?」


 首を捻るアークはまあいいかと換金作業を見守る。僕らも数を数える手助けをしながら作業を迅速に進めていった。

 時期が時期なので一匹当たりの報酬は低い。一匹斃しても銅貨一枚にもならず、鉄銭が二枚程度の報酬だ。それは日本円で二〇円。キューブ状の小さなチョコレートが一つも買えない値段にしかならない。

 だが、数は偉大だ。その上、嘘は付かない。十個ずつ束にした物を次々に別の袋へと詰め込みながら作業を続けた。そうして目の前に差し出された報酬額は銅板四枚と、銀貨二枚だった。銅貨換算なら二四〇枚ということになる。


 それを見て取ったアークは驚愕に目を見開いた。そうして指折り数えて、また指を戻して最初から数えて、を何度か繰り返し、結局何匹狩ったのかと尋ねてきた。


「一二〇〇くらいですかね?」

「せっ、せんにひゃくだとお?」

「ええ。効率よくやれば二人でもそれくらいは…」

「お、俺たちは二百だぞ!二百!」

「まあ、最初に食事もしていたようですし。それほど狩る予定ではなかったんじゃないですか?」

「ま、まあ確かに、ちょろっと狩って帰ろうと思っていた程度だが」

「僕らは数をこなす目的で依頼を受けていたので、とにかく数って感じですね。交代で休憩しながら途切れることなく狩っては移動してを繰り返してました」

「そ、そうか……」


 そもそも彼らは到着前から若干体力を浪費していたのだ。途中も何度か大自然の中で、ってこともあったかもしれないし、帰りも帰りで馭者を変えつつ全員が元気だった。一切、本腰など入れずに……いや、ある意味では本腰は入っていたのかもしれないけど、魔物を狩ったのは小遣い稼ぎ程度の認識だったに違いない。


 ま、これはあくまで討伐報酬だ。素材の売却報酬では、そもそもないのだ。張り合ったところで勝負はつかない。


 素材の引き渡し場へと移ろうとしていると、聞き慣れてしまった声が上の方階より鳴り響いてしまった。一瞬肩を落としそうになったけど、そんな姿や思考はおくびにも出さずに素早く顔を上げた。


「戻ったかトオル、首尾はどうだ?」

「はい。お陰様でそれなりの数は確保できました」

「そうか、でかした。よし、俺も一匹頂くとしよう」


 そう言ってギルドマスターはゆっくりとした歩調で歩き始めた。それを見て遅れないようにと駆けて移動した僕とアレンとが、階下に早くも到達したギルマスと一階で並ぶと、そのまま素材引き渡し場へと進んで行く。


「いやあ、びっくりしました。まさか五〇匹以上も入るだなんて」

「それなりに上等な魔法鞄だからな。ま、最高級品には程遠いがな」

「へえ、そうなんですか?ちなみに最高級とはどの程度の?」

「中には最大級の竜種すら収納できる鞄もある。滅多にお目に掛かれはしないが、その分、売れば一生遊んで暮らせるぞ」


 そんな会話を交わす僕とギルマスを、ポカンとした顔で見送るアーク一行やその他数名の冒険者。

 この王都のギルマスが恐ろしいのは冒険者にとっては共通認識事項らしい。

 そのことを知ったのは、もう少し先の話になる。


 血抜きという絶対にやるべき下処理を終えた蛙は鞄に六三匹入っている。

 魔法鞄の性能は良いが、流石に時間を止めるような機能はない。けれども保存状態は至って良いといえる状態だ。トドメを刺した箇所も問題なく、この蛙たちからは右前脚も切り落とたりなどしてはいない。討伐数には加算されないが一匹で鉄銭二枚だ。六三匹くらい僕らにとっては微々たるものでしかない。


 僕が持ち帰った蛙は、きっちりと血抜きをした甲斐もあって買取額には高値がついたようだ。

 何と、一匹で銅板五枚だ。日本円換算では五千円ということになる。買取額は銅板で三一五枚。それを銀貨三〇枚と銅板一五枚で受け取り懐具合はホクホクだ。たった一日で目標金額の一割以上が稼げたことは大きい。今後は多少の余裕を持って行動の選択が取れる。


 下処理の仕方や、魔物にトドメを刺す時の注意点などを肉屋のおっちゃんに聞いていたことがこうそうした。そんな肉屋に先に寄ってから出発しろよと言ったギルドマスター様は流石のグッジョブだ。まあ、自分が状態の良い肉を食べたかっただけかもしれないけど。


 実際、査定を見守っていたギルマスは一匹と言ってた癖に既に二匹ほど購入している。それを肴に今日は良い酒が呑めそうだと御満悦に頷いてから僕らのことは忘れてしまった様子で早速料理の手配をすべく冒険者ギルドを出て行く始末だ。


「いやあ、もう少し到着が早けりゃなあ。今日中に食った方が当然美味いが、まあこの状態なら明日でも明後日でも大丈夫だ。良い仕事をありがとよ、ボウズ」


 ギルマスの背中を見送っているとそんな言葉を掛けられた。振り返れば連絡を受けて駆け付けたらしい肉屋と料理屋も営むおっちゃんが居るではないか。慌てて御礼を述べ、この後借りた道具を返却しに行ってもいいかと確認を取る。


「勿論だ。今から自分達だけで行ってもいいが、俺と一緒に行かねえか?なんなら美味え飯を食わせてやるぞ」

「え、いいんですか?」

「おう。かまやしねえ。仕入れが終わるまでちょっと待ってな!」

「「はい!」」


 アレンと視線を合わせてお互いに頷いてから返事を返すと、おっちゃんは江戸っ子のようなノリで群がる買取業者を掻き分けて競りへと向かって行った。


 アーク達は二〇〇匹分の両脚だけ売却し、銀貨五枚ほどを手に入れていた。

 胴体部分は無く、処理もイマイチで、形も不揃いだと、その程度になるらしい。

 僕らが六三匹丸ごとで、銀貨三一枚相当。

 アーク達は二〇〇匹分の両脚で銀貨五枚。

 この結果に勝敗を付けるとするなら僕らの勝ちでいいだろう。



 その日の夕飯は、なんとも美味しい唐揚げ三昧だった。

 歯応えこそ多少は硬いといえるが肉質は非常によく、また元の世界で食べていた鶏とは違った深い味わいがある。

 竜田風に揚げられたものからチューリップと呼ばれる形状にして揚げられたもの、ドカンとドデカイ脚一本のフライなど、様々な揚げ方をした唐揚げを食してアレンも疲れが吹っ飛んだように喜んでいた。

 そこに、何度かギルマスが登場して唐揚げを強奪して行くのは本当に辞めて頂きたかったが、そもそも店主のおっちゃんに奢って貰っている立場だし、それ僕のです。なんて当然言える訳がない。


 個人的に一番美味しいと思ったのは、新鮮な状態でなければ提供することができないと言って出された、刺身だ。

 最初こそ若干の抵抗はあったが、食べてみれば肉質は想像以上に柔らかく、舌触りも滑らかで、揚げ物とはまた違ったサッパリとした味が何とも言えなかった。刺身は植物由来のオイルと塩で頂くのだが、その組み合わせは素材の味を引き立て、非常に満足のいく味わいになっている。


 刺身の調理にはフグのように細心の注意を払わないといけないので素人では無理だそうだ。調理の仕方は企業秘密ということで教えてはもらえなかったが、また是非食べたいと思う逸品だったことは間違いない。


 またの来店を約束して、そして別件も引き受けて、気の良いおっちゃんと別れるとそのまま宿へと戻り、その日はすぐに眠りに就いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る