第10話 晩餐

 異世界召喚から早くも二月が経過し、あの時期が迫っていた。


 魔物の増加という、世界の環境が悪い方向へと変わったことで、僕らもそれなりに戦闘訓練を積み、また、魔物を斃した事で多少はレベルが上がっている。居残り組の平均レベルは一〇だ。これくらいあれば有事の際でもそこそこ動けるし、地球基準でいえば大型。異世界基準で見れば中型の魔物は〝一対五人で〟という条件付きだけど、余裕を持って斃せるし、仮に誰かに命を狙われても無惨にやられることもなく抵抗はできる程度。といった感じになる。


 ちなみに、現地の中型サイズの魔物とは元の世界の地上最大の生物、象クラスだと考えていればいい。

 今なら野生の象を相手に僕はナイフ一本で勝てるだろうと思う。それくらいは強くなったと思える自負じふはあるほどだ。あれで象は突進系の動物だし、長い鼻と牙にさえ気を付けていれば楽に仕留めることができるはずだ。向かって来たところをちょちょいとかわして後脚の膝にナイフを打ち込めば、たぶんそれだけで斃せる程度の脅威しかない。

 逆にこの世界の大型犬サイズの魔物の方がよっぽど危険な生物だ。動きは嘘みたいに速いし、連携を駆使し常に死角から命を刈り取ろうと迫るような狡猾な知能がある。


 そんなことはさておき、僕らに対して魔王討伐組の平均レベルは二〇を超えている。

 レベルが上がり易いと言っても劇的に上昇する訳ではないらしい。とはいえ、現地人に比べれば劇的といえるスピードで強くはなっている。

 多少個人差もあるようだが、討伐組の強さは屈強な王国騎士団レベルに達していると言っても過言ではない。

 ちょっと年配の騎士団長様のレベルが四〇なのを見ればまだまだ半分程度しかないが、それでも充分に強い部類には入ることになるようだ。




 異世界召喚されてより二ヶ月。僕は様々な勉強の合間に手広く色々とやっていた。


 目下の目標だった味噌は完成したと言ってもいい状態まで漕ぎ着けていた。醤油は来年待ちといった感じで、楽器はそれなりのモノができている。楽曲もそれに合わせて幾つか再現は済んでいる。

 お米はそれっぽい食材は見つかっていないが、稲科に非常によく似た植物は発見したので時間の問題だろうと思っている。最悪、品種改良を重ねればどうにかなりそうだとも考えているけど、そっちはまだ手付かずだ。

 他には、個人的に日本伝統の包丁と呼べる物を作成してもらったり、はさみも発注したりとしている。あとはこの世界には無かったタイプのチーズ作り。ここまでが一応は僕の知識からだ。


 植物由来の石鹸は作ったけど、この世界にも洗剤と呼べるものはあったのでそこまで利益は上がっていない。が、少しずつ売り上げは伸びてきている。利益還元は当然していて、売り上げの5%ほどは僕の取り分となる予定だ。


 鍛冶系の知識を持っていた男子がいたので金属の不純物を取り除く工程を王属の鍛冶師に伝授して、それは特許使用料のような形で利益還元されるようになっている。また、地球のガラスの製法も伝授し、王都は今、ちょっとしたガラス産業革命期に入っているといえる。それに加えて鏡作りの製法も伝授はしているけど、こちらはまだ完成には至っていない。これらは知識を職人に伝えただけなので僕は特に何もしてない。幾らかは報酬は貰えるかもだけど、そこまで期待はしてないものだ。


 農業系の知識を持った人もいたので、その知識を使い香辛料を育てている。こっちは土地を借りて試験的な畑を作ったり、ビニールハウスと呼べる物を作ったり、作物を育てる人も雇ったりしている。その費用は全額僕が……いや立花さんが出してくれたので売り上げの10%ほどの利益を得るような形になっている。僕の取り分は今のところ未定だ。


 その他にも、柔らかいパンの製造法の確立と販売。シルクスクリーンの作成とインクの作成。紙に相応しい植物の調査や和紙の製造法。うるしとして使えそうな樹木の調査など色々やった。


 これらの収益が収益として見込めるのは、残念ながらもう少し先の話になりそうだ。


 マヨネーズはちゃちゃっと作れたし、トマトケチャップや野菜から作るソースは妥協点といえる物も高田くんが開発してくれた。

 高田くんは非常に有能だ。彼のお陰で醤油も期待が持てるものになったと言えるし、調理というギフトは地球の知識も内包しているようなのだ。まだまだ熟練度的なものは低く苦労しているようだけど、いつか和食を完全再現する日も、そう遠くはない日にくるだろうと期待している。


 一方、大塚くんも良い働きをしてくれている。今ではご主人様の奴隷第二号ともいえる待遇を受け、アイドル衣装を手掛ける重要なファクターとなっていた。センスはイマイチとお叱りを受けているがデザイン自体はご主人様が行っているので問題はないはずだ。


 吉澤さんは相変わらずといった感じだが、苦手な昆虫に四苦八苦というか絶叫しながらも市民の生活向上を掲げて日夜調薬に勤しんでいる。

 回復魔法がある世界だが、病に効くような魔法は少ない。風邪や発熱、頭痛とった症状には調薬師が作る薬を使うのが一般的で、ちょっとした怪我の悪化や風邪をこじらせただけでも人が亡くなるような世界だ。彼女の働きは今後多くの人々を救い、そして希望となってくれるだろうと期待している。


 立花さんは鑑定業務に忙しいかたわら、孤児院に足繁あししげく通うことを続けていた。

 階級制度のある世界では最底辺といえる孤児院出身の子供に教育を施すことに良い顔をしない貴族も多かったが「我が国では子は宝と言います」って立花さんの言葉に感銘を受けたのか、特に邪魔されるようなことはなく優秀な人材を育成する機関を作ろうかって話まで出ているくらいだ。

 国が教育を施した子供は国の為に働いてもらう期間を設けることで教育費の元を取っていけばいいと熱弁を振るい、ある程度の理解は貰っている形になる。まだ検討中の段階であるのでこの先どうなるかは分からないけど。


 こうして見ると、一番実績を残せてないのが僕になっちゃうんだよなぁ。不本意ながら理解はしているけど納得できるかと言われれば「できるか!」っと声を大にして言いたい気持ちではある。

 味噌はこの世界の人から言わせればまだまだ浸透しておらず実績には含まれないのが悲しいところだ。


 完成には程遠いけどエレキギターっぽいモノは作った。ドラムも作った。ベースっぽいモノもそれなりのモノが完成した。アコースティックギターは現地の楽器を改造して手早く作った。流石にピアノは無理だったけどドラムに使うフットペダルは作ったし、弦も動物由来の成分から作ることには成功している。まあ、弦は元々この世界にあった物を改造というか改良を施した程度なので作ったとも言えないけど。それでもまだ完成には程遠い。


弦に関しての目標は銅と錫を使った合金で作るあの弦を目指している。素材自体はクラスメイトから聞き出し判明したが、配合もイマイチ分からないし、何より極細のバネのような特殊な加工がこの世界の技術では無理があった。そこをどうにかする方法をみつければ、そのうち弦も完成するだろうとは思っている。或いは、異世界ファンタジーといえるような新素材が発見される可能性もあるだろうと思ってはいた。


 ちなみに、ドラムは体格の良い高田くん。ベースはヒョロっとした大塚くんが練習させられている。


 現在、僕がやってることといえば全ての楽器の音符を譜面ふめんに書き起こしているか、ギターの練習をしているか、目利きをしつつギフトを一応は育てているか、商人と会話して米っぽい植物などを探しているか、みんなの手伝いをそれなりにやっているか、になる。


 こうして改めて考えてみると器用貧乏もいいところだなと自分でも思う。


 まあ、魔王は修也に任せておけば安泰だし、全然器用貧乏でも良いんだけど……。実績というモノはほぼ皆無な状況だ。

 まあ、僕の今後の生活面の面倒は立花さんが見てくれると確約してくれているので、何故か無闇やたらと忙しいヒモ生活のようなものを送りつつ、僕にできることを探しているような状態だ。


 纏まった収入だけがないんだよなー。なーんか納得いかないけど、まあ、何もしてないっちゃしてないし、首を捻りつつも無理矢理に納得はしている。そんな感じだ。




 魔王討伐組の方はというと、手酷い怪我を負うようなことは何度かあったらしいが、幸い今のところは誰も欠けずに順調に戦力の強化に成功しているといえる。


 怪我を負って以降、消極的になってしまった人も数名いるのは事実だけど、慣れない戦闘と、まだまだつたないとしか言えない連携では仕方ないことだ。安全マージンを常に意識しつつレベルをしっかりと上げ、全体がお互いをフォローし合えるように意識を改革していくことで問題は徐々に解決していくだろうと見ている。何せ、一番怪我の率が高いのは修也なのだから。


 修也はあれで、自己犠牲精神が旺盛おうせいな性格をしているからな。その点は心配の種だが隣りに立つ女性に全てを一任している。


 勇者とはいえ、万能でもなければ無敵でもない。

 怪我も負うし、混戦する戦場下で全てを把握し続けることも難しい。


 最も強力な個体に修也が突貫している過程で仲間が危機に陥ることもあれば、仲間を救うべく放った魔法が逆に仲間を巻き込み怪我を負わせてしまうことだってある。

 僕らにというか、魔王討伐組が授かったギフトは強力なモノが多い。突然手に余るような強力な力を手にすると、その力が暴走気味に効果を発揮してしまうことだって当然ながらあることだ。


 それら問題を解決するのは、経験だ。


 彼ら彼女らに足りないのは圧倒的に経験だ。経験を積む過程で自分の能力を正確に把握し、様々な経験から導き出される最適解を迅速に取捨選択できるようになってからようやく本来の力を発揮できるようになるといえる。

 経験を積み、その経験に裏打ちされた自信を持てなければ選択しようとした行動に自信が持てず躊躇ちゅうちょしてしまうことだって多々あるだろうし、躊躇ためらったが故に仲間を危険に晒してしまうこともあれば、躊躇いつつも放った力がタイミングが若干遅れたことで仲間を運悪く巻き込んでしまうことだってある。


 たかが二ヶ月、戦闘訓練を積んだ程度で最強に至れるのなら、この世界に人類の脅威となるモノはそもそも存在しない。


 世界を救う。という重圧の中、そのプレッシャーに平気な顔をしていられる方がどうかしているし無理な話なんだ。その辺をこの世界の人はイマイチ理解していないように感じる。


 魔物との戦いが日常的で、人が日々死ぬことが当たり前のような世界なんだ、理解して欲しいと言ってもピンときていないような顔をする人が多いし、力があるのになぜ躊躇ちゅうちょするんだ?と首を捻る人も多い。

 お互いにその常識というか認識をすり合わせるだけでも苦労しているといえる。


 全体を見れば上手く行っているが、細部を見ればまだまだなことも多い。そんな状態で旅立つことが決まってしまい、不安を拭えないのは本心だが、魔王討伐組の助けを待っているような地域も多過ぎるほどに多いことは頭では充分に理解している。


 できれば最強に至ってから旅立って欲しかったが、そうも言ってられない。何より、この王都周辺に彼らのレベルを上げ得るような魔物が殆ど居なくなってしまったことも大きな要因だ。そうなれば必然的に旅立つしかなく、各地を転戦して周りながら経験を積んで行くしかないのだ。


 不満と不安が拭えないのは本心だ。

 同時に、何もできない自分が歯痒くて仕方がない。

 指を咥えて見ていることしかできず、そんな自分が許せない気持ちで一杯だった。


 だから僕は、少しでもレベルを上げる為に、やっぱり冒険者になろうと思っていた。というか、ギフトだけでは食べて行くので精一杯って感じになりそうなので、この選択が最適解だろうと思っていた。

 魔王討伐組のように世界各地を転戦することは叶わないとしても、手の届く範囲の人々の手助けくらいなら僕にだってできるはずだ。いや、そうなりたいと思っている。




 そんな決意を新にしていた頃、久しぶりに全員の顔が揃う食事会が開かれることになった。


 場所は王城内部にある騎士舎食堂。開催日時は本日の夕暮れ。


 ここ数日はその準備に精を出していた。主力は当然高田くんだ。そしてメインディッシュというかデザートは立花さん。お土産を用意するのは吉澤さんと大塚くんになる。僕はというと、完全に裏方業務に回っていた。


 この宴を立案したのは僕だ。誰か褒めて!と言いたいところだけど、誰も褒めてくれなかったので泣く泣く裏方業務に徹していた。



 何も聞かされていなかった魔王討伐組が遠征を終えて騎士舎へと戻り、汗を流して楽な服に着替えてから食堂へと集う。

 そこに、お手伝いさんの手も借りて、僕らは食事を運び入れた。


「透!」

「よっ!」


 少し驚いたような、それでいて嬉しそうな顔を見せた友人に、僕は手を挙げて応えたい気持ちを山々に、口だけで返事を返しながら歩を進めていた。


「何してんだ?え……それって、まさか」


 僕が両手に抱える寸胴な大鍋はきちんと蓋が閉まっている。それでも、香り立つかぐわしい匂いは決して抑え切れるものではなかった。


「高田くんが頑張ってくれたんだぜ?感謝しろよー」


 そう言って運んだ大鍋を修也が座して待つテーブルの近くに設置されてあるサイドテーブルの上に乗せる。

 その様子を見ていた修也やクラスメイトは驚きに目を見開きながら腰を上げる。フッフーン。と笑みと言葉を上げつつ、その蓋を取り除くとパッと華やいだ顔に変化した友人達が口を揃えて同じ単語を唱和した。


「「カレーかっ‼︎」」


 そう。僕らが用意したのはカレーだ。とはいえ、米は見つかってないので正確にはカレーとは呼べないモノになってしまうのだけど。


「こ、米があったのか⁉︎」


 そう聞かれるのは当然な流れだ。そこは明言することなくニヒルな笑みで質問を躱すと、興奮気味な男どもを座らせてから僕は奥に合図を出した。

 白いお皿に盛られたアレが入った大量の器が運ばれてくる。腰を上げそうになる男どもを手振りで抑えつつ、その器を一つ受け取ると茶色い液体状なヤツを惜しげもなく器に降り注いだ。


「はいよ、お待ち!」

「うおおお!カレーじゃん!」


 と、興奮のあまり見えていない様子だが、それは決して日本のカレーとは呼べない代物だ。何せ米として代用した食材は小麦粉のようなモノだからだ。それを気が遠くなり意識を失う程の工程で米っぽい粒に変身させたモノを茹で、さらにサッと油で揚げたモノになる。油を使ったのは食感を多少持たせる為だけの理由だ。作成時に生地に馴染ませる水分量や茹で時間、はたまた組み合わせる食材などで食感を変える試みはしたけれど、一粒一粒の存在感をある程度出すならこの方法が今のところ最適解だった。


 所謂、チネリ米って奴を僕は作ったんだ。

 それを人数分。その上、おかわりを見込んでの大量のチネリ米を用意する工程は気が遠くなるどころか気が狂いそうだった。一人、また一人とその作業を投げ出す中、根気強く作業を全うした僕を褒めちぎってくれたっていい。

 そう思うほどには大変な作業だった。やる前からある程度は覚悟して始めたけど、ハッキリ言って想像を絶する過酷な作業だったことはここに追記しておく。


 異世界召喚や転生するかもしれない諸君。米がないからとチネることは問題の最速解決策ではあるが、やるからには相応以上の覚悟を持って臨むことを推奨する。


 そんなことはさておき、そこに追加爆撃を放った。


「か、カツカレー⁉︎」

「フッフーン。凄えだろ?」


 久しぶりの確固たる日本食と呼べるモノを目にした友人達の顔は明るい。そこに、場違い感は半端ないが、完成間近な食品を使ったスープも提供すると、反応は盛大にして最高潮となった。


 まあ。正確にはカレーは日本食ではないのかもしれないけど、日本のカレーは日本独自のモノといえるような食べ物だから大目に見て欲しい。


「味噌汁⁉︎」

「スゲー!」


 まあ、味は完全とは言えない代物ではあるが、そこは思い出補正が見事に働き味噌汁だと脳が誤認してくれる程度まではどうにか漕ぎ着けることができた。具もそれっぽい物をふんだんに投入しているので、よっぽど味に煩い人でなければ文句は言わないだろう。というか、そうであって欲しいと願っている。


 福神漬け代わりの漬物を含め、全員に配膳を終えたのを見届けると僕は立ったまま柏手かしわでを打つように両の掌を合わせた。それにならい、僕に視線を向けた全員が手を合わせ、その視線を目の前の料理に落としたのを見届けてから、料理長と呼ぶべき人物に僕は視線を向ける。

 その視線を受けた高田くんはニマニマしていた顔を一変させると真剣な眼差しで口を開いた。


「頂きます」


 そこに綺麗に揃った大唱和が重なった。

 それを見た現地人の反応は様々だ。驚く者。笑みを浮かべる者。キョロキョロと皆の顔を見渡す者。共に食事にありつこうとしていた騎士は目の前の不思議料理に困惑した様子を見せている。


 一方、クラスメイトはスプーンを手に早くも口にカレーを運んでいた。ハフハフと息を弾ませながらも夢中で口や手を動かす人々の顔にそれぞれの反応が浮かぶ。じっくりと味を噛み締めるように静かに目を瞑る者。賞賛の声を上げながら掬い上げたスプーンを口に投入する者。弧を描くように目を細め至福な笑みを湛える者。ホロリと涙を溢す者。本当に様々だ。


 そんな彼ら彼女らの様子を見ていると、僕の胸にも熱いモノが込み上げてきた。とはいえ、僕が泣くわけにはいかない。ここでの主役はあくまで高田くんなのだから。


 賞賛と賛辞の言葉を惜しみなぐ投げれている彼は、今や感動を噛み締める料理人の顔をしている。目尻に浮いた輝くモノをサッと指先で拭うと恥ずかしそうにしながらも冗談を言い合っていた。


 カレーより、味噌汁を口にした女子がほっこりとした笑みを浮かべ尽力してくれた高田くんに御礼を言っている。その中には味噌汁を所望し続けていた立花さんも含まれていて、高田くんは今度こそ本当に照れて頭を掻いていた。


 一頻ひとしきり、そんな様子を眺め、頃合いを見計らってから声を上げる。


「おかわりはまだまだあるよ!とりあえず全員追加で二回分。おかわりしない人が居れば四杯目もいけるかも?くらいはあるから安心して!」

「「おおお!」」


 そこからは、ちょっとした戦争のような光景だった。

 我先にと突撃するような勢いで向かってくるクラスメイトは多少恐怖を覚えるほどだった。そんな彼ら彼女らにチネリ米とカレーをよそい最後にカツや唐揚げを乗せ笑顔で手渡していく。


「食べないのか?」


 配膳をしている僕に声を掛けて来たのは修也だった。そんな彼に笑顔で返事を返そうとした瞬間、逆側の耳が言葉を拾った。


「代わりますよ。給仕なら私たちでもできますし」


 その声の主は、僕らの世話係でもある給仕の女性だ。

 この世界にはメイドは存在するが日本人が思い浮かべるようなメイド服は着ていない。黒を基調としているのはイメージ通りともいえるが、白襟と白袖がアクセントとなっているシンプルなワンピースタイプのロングスカート。その上に白いエプロンを付けているだけの服装である。

 そんな女性にお礼の言葉を返し、その好意に甘えることにした。


 僕が食堂に居るのを見てか周りが気を利かせて空けていてくれた席に着く。そうして修也の隣りで久しぶりに食事を摂る時間が持てた。


「これ、米じゃないよな?」

「深く考えると負けだぞ」

「いや、別に不満がある訳じゃないよ。何かなって疑問っていうか、興味?」

「知りたいなら教えてやってもいいけど……」


 正直、あの作業を思い出すと食欲すら失われそうで怖い。そんなことを考えていると、おかわりに来ていたっぽい高田くんの声が近場から聞こえた。


「雨宮。世の中には知らない方が幸せなこともあるんだぜ?」

「そうよ。悪夢にうなされたくなかったら深くは追求しないことね」


 高田くんの声に続いた声を耳にし、僕は驚いて顔を上げていた。そこには、最近ゾッとするほどの美貌を備えつつある立花さんが立っていた。ゾッとするのは主に、僕が毎日のように足蹴にされているのが原因かもしれないけど。


「何だよ、逆に気になるだろ」

「どうしても知りたいの?それとも、やってみる?」

「……やる?」

「これって、あれじゃないの?」


 その話に突然加わったのは修也の左隣で食事をしていた彩ちゃんだった。「あれ」と言うからには彼女は気付いているのだろう。


「なに?」

「あれだよあれ、なんだっけ?作るのがすっごく大変そうなヤツ」

「大変?……作るって…」


 周囲に目を向ければ僕らの会話に耳や視線を向けている人も多かった。中には知っている様子なクラスメイトも多いが、僕らの会話に横槍は入れることなく成り行きを見守っているような様子だ。そういった人達の目には、誰があの作業をしたのだろうという興味のようなモノが浮かんでいた。


 よくわかっていないのは修也だけだ。そんな彼に高田くんが代表して言葉を掛けた。


「小麦粉から作ったんだよ。一粒一粒な」

「馬鹿みたいに気が遠くなる作業よ。私は早々に諦めることを進言したわ。というか、全員で作るべきだって言ったんだけど、それを良しとはせずにサプライズに拘った人がいたの」


 二人の視線は僕を射抜く。まだまだ言いたいことがありそうな目に苦笑いを返すしかなかった。


「一粒、一粒、この米っぽいモノを、作ったんだ」


 さじの上に乗った米にしか見えないモノをマジマジと見て、そのまま修也に呆れたような視線を向けられたが気にしない。隣りに座る彩ちゃんも同じような表情だったがそれも気にしない。だって皆んな喜んでくれたんだし、やっぱりサプライズって大事だと思うんだ。

 それに、あの作業を全員に強要してカレーを食べたとしてもだ。喜びはあれど、その喜びは今より確実に半減していると思う。

 無条件に、そして最高に喜んで貰えてこそ、僕ら全員によるこの晩餐は意味があるというものだ。そうしたのも、そろそろ別れが近かったからに他ならない。


 と、そんな思考を展開していると、大塚くんの声が上がった。


「俺たちも多少は手伝わされたけどさ、米の代用品を用意したのは殆どが佐々木なんだぜ?」

「ハッキリ言って俺も無謀だって止めたんだ。それでも一人文句も言わずにやり遂げたのは佐々木だけだった。というか、本当に間に合うとも思ってなかったし、最悪カレーパンにしようと俺は思ってたくらいだ」

「私なんて初日で辞退させてもらったわ。そんなに器用でもないし」


 気付けば、全員の視線が向けられている気不味い状況に陥っていた。呆れたような視線が多いのが解せないところだが注目されるのは慣れてないし今すぐにでも辞めて頂ければと思う。


 微妙な気持ちになる中、高田くんの声が続く。


「今回のカレーだってそうだけど、香辛料の捜索や手配、試作段階での試行錯誤や試食。米の代用案や味噌汁の味噌。福神漬けに似た味の漬け物は何処から手に入れて来たか俺も知らん。それに、全員に配られた馴染みのある形をした下着だってそうだ。作ったのは主に大塚と立花さんだけど、作ろうと言い出したのは佐々木だった」

「女子の下着まで作るのは流石に抵抗あったぞ。ま、感謝されたから別に良いけどさ」


 そんな言葉を受け、一番遊んでいると思われていた僕に今までとは違った種類の視線が集中した。その視線にどうしても居心地の悪さを感じてしまう。


「そうなんだ……ありがとう」


 その一言が、誰が言った言葉なのかは僕には分からなかった。


 池に広がった波紋のように、はたまた、引いては返す波のように続いた感謝の言葉が鼓膜を震わせ、お尻の辺りがむず痒いような居心地の悪さに暫し耐えた。同時に胸が熱くなるような感覚に襲われたが、それは意識して強制排除しておいた。


「……いや、何と言うか、僕は言い出しっぺなだけであって尽力してくれたのは皆んなだからさ、感謝されるべきは僕じゃないと思うんだよね?」


 どうにかそう返すと、やれやれと首を振った立花さんが顔を手で抑える。


「透は自己評価が低すぎよ。まあ確かに、実績はないのかもしれないけど?」

「だよね。それは自覚してるよ」

「そうじゃないの。私が言いたいのは……ああ、もう!」


 憤慨というか、物事が上手く行かずに地団駄を踏み悔しそうに顔を歪めた立花さんを見て、何故かそれまで黙っていた修也が僕の肩に手を乗せながら口を開いた。


「俺は最初から感謝してたし頼りにしてたよ。ありがとうな、透」

「いや、礼を言われるようなことは何も…」

「そうか?色々やってることは見てればわかったけど…」

「バスケで目立たないことだけを意識し過ぎてきたんじゃない?さり気ないを通り越して気付いて貰えてないことも多いと思うよ?」

「だよな?召喚された直後だって…」


 修也と彩ちゃんがあれこれと会話を始めると、確かに思い当たるというか、そんなこともした気がするなあ。程度に自分がやってきたことを思い出すことはできた。中にはそんなことしたっけ?と首を捻る内容もあったが、それを裏付けるように当事者達が若干驚いた様子で僕を見つつ肯定するのを見て自分がやったんだろうなと納得はした。その詳細は割愛する。


「とまあ、本人もあまり自覚なくやってたみたいだし褒めちぎっても居心地が悪そうだし、これくらいにしておくけど、透は目立たないけど有能なんだ。というか、常に全体を見ていて気配り上手なんだよ。遊んでいるように見えたのは、わざとそっちを目立つようにしていたからだと思う」

「あはは。実際楽しそうにしてたから私からはその点については弁護できないなあ」


 と、この一月ほどで急速に仲が深まった二人がそう言ったところで、高田くんが口を挟んだ。


「まあ、遊んでいたかはこの際置いておくことにして、実は皆んなにプレゼントがあるんだ」


 そういって取り出したのは蓋付きの器。厳重に封がされたその物体の中には、とあるモノが入っている。


「プレゼント?」

「そうそう。その名も……カレー粉だよ」

「おお!マジか!」


 カレー粉は戦時等における兵士の食事事情の向上として国も認めてくれていて支援も惜しみない物だ。多少割高ではあるがどんな食材にも手軽に使えることをかんがみるとそれほど悪いことじゃない。その上、香辛料の栽培が安定化されれば比較的安価での入手も可能になる。元の世界の農業知識を持ったクラスメイトも居たので、その辺は大丈夫だろうと思っていた。既に、一部の農家さんにお願いして試験的に香辛料は育てている。後は収穫を待つだけといった段階までは来ているので任せておけばいい。


 カレー粉の詰まった器は一つだけではない。定期的に送ってもいいが出発前に渡しておけば余計な経費が削減できるので急ピッチで作った物になる。そんな心強い調味料を得た討伐組は当然ともいえるモノを口にした。


「味噌は?」

「味噌は、もうちょい待って欲しい。今日提供したのは正直完成とはいえないんだ」

「えー」

「マジかー」

「って言うだろうと思ったから一応一番最初に作った味噌は用意はしているし、そのうち味噌と呼べる物になると思う物は持たせるけどな」


 経過観察ができなくなり、完成といえる前に手放してしまうことは多少なりと心苦しい気持ちもあるが、保存方法に気をつければ時間が解決してくれる話だ。そこは仲間を信じて託すことに決めた。幸にして味噌は保存食の部類だ。僕や高田くんが居なくても勝手に育ってくれる心強い味方でしかない。


「醤油は完成次第送って貰う手筈になっている。皆んな期待しててくれ。俺からは以上だ」


 そう言って高田くんが一歩下がると、歓声が収まった後にお手伝いさんの手を借りて荷物を運こび込ませた大塚くんが矢面に立つ。


「後で全員に配るけど、新しい下着と、今回は靴下と呼べる物も用意した」

「「おお!」」

「でも、靴下は正直期待はしないで欲しい。編み物は俺のギフトの範囲外で上手にはできなかったし、今回は布から作った足袋みたいなモノになる」

「それでも充分だろ!」


 この世界に靴下と呼べるモノは存在しなかった。大抵の人が素足で靴を履き、素足じゃないにしても薄い布を巻き付けている程度だ。

 ミシンと呼べるモノも存在しない中、居残り組を除く全員分の靴下を作り上げた大塚くんには是非賞賛の嵐を与えたい。履き心地は現代の靴下と比べれば落ちるが、替えの無かった靴下に頭を悩ませていたのは事実だ。


「遅くなってすまん。予想以上に布の選別に苦労したんだ。まあ結局、新しい布を織ることで解決したんだけど、その糸を準備したのは…」

「ありがとう佐々木くん!」

「いや僕じゃなくてお礼は大塚くんに言って⁉︎」

「ははっ。今、編み機なる物を開発しているけど、それが完成すれば靴下も編めるだろう。そうなればより近い物を提供できると思うから首をなが〜くしてまってて欲しい。結構難しくて難航しているけど、少しずつ形にはなってきている状況だ」


 日本の工場のようにオートメーション化は不可能だとしてもだ、組紐のような要領で筒状の物を編むことには成功している。今は、その工程を間違えなくするように効率化し、そして形状を統一化する為に、様々な機材を組み合わせて靴下を織り上げる物を作ろうとしていた。


 大塚くんのプレゼント発表が終わると、吉澤さんが部屋の隅から声を上げた。


「食べ終わった女子が居たら集まって、皆んなに渡したいモノがあるの」


 何故女子だけなのか。それは踏んではいけない地雷のようなモノだ。それをこの場で正確に悟ったのは、残念ながら僅か数名の男子だけだった。中には口を挟んだ猛者も居て、冷凍光線ような冷やかな視線を向けられていた残念男子も当然ながら存在した。同情は禁じ得ないが、そんな態度はおくびにも見せない。触らぬ神に祟りなしとは正にこのことなのだ。


 男子の中では唯一僕だけは、その理由を全て知っている。何故なら吉澤さんの助手を長い間勤めてきたからだ。

 吉澤さんが急ピッチで作成した薬剤は三つ。その全ては女子だけに効果が有る物で、男子が飲んでも意味がないモノである。

 一つは、生理という現象そのものを抑えるモノ。一つは、生理が起こった場合に、その不快感を抑え、衛生面を飛躍的に向上させるモノ。一つは、これは知っているけど口にはし難い効果を秘めたモノになる。簡単に言えばそれは、避妊薬と呼べるモノだった。


 当然、部屋の隅で説明を受けていた女子からは悲鳴に似た反応が上がった。だが重要なことだ。事後に飲んで効果を発揮するタイプなので間違いはないし、その効果は抜群。これで育児休暇で前線を離脱するような寿退社女子は一人もいなくなるはずだ。

 生理関連の物は比較的大きな街ならば問題なく購入はできる。だが最後の物だけは世間一般にはあまり広く普及はしていないようなので、不本意ながらも多少多目に準備はしたアイテムになる。


 願わくば、痴情の絡れでいさかいが起きないことを切に願う。


 そう願っていた僕に、この場では配慮がないとしかいえない言葉が投げかけられた。


「何で女子だけなんだ?俺たちには?」

「修也、カレーのおかわりは?」

「…あ、ああ。もらおうかな」

「おし、任せろ。次は唐揚げカレーだな」


 まあ修也の場合、例えここで理由を聞きに行ったとしても逆に歓迎される唯一の男子だろうとは思う。そんな薬を手渡されながら頬を染めた女子から「私はいつでもいいんだよ?」的な言葉を投げられる場面だって易々と想像すらできる。が、それでは困る男子も当然ながら居る訳で、僕は修也に対して怨嗟の矛先が向けられてしまわないよう全力を尽くす側の人間だ。


 その為にも早く、修也には身を固めて貰いたいと思っている。割と全力で、凡ゆる手を尽くそうとも思っていることは事実だ。

 その布石は既に済ませてあるが、後は当人同士の問題という、僕ではどうしようもないところまでは来ている。まあハッパを掛ける程度の後押しはさせてもらうのもやぶさかではないと思ってはいるけど。


 新たなカレーを友人に差し出せば純粋無垢な少年はほくほくとした顔で食事を進める。そんな姿を横目に僕自身はあまり食べていないのはカレーが嫌いだから。なんて理由ではないことは確かだ。


 この数日、僕や高田くんは試作したカレーもどきを嫌になるほど食べている。なので、この場に集った友人達の中でカレーに対する思いは人一倍低いのが当然な状態だ。正直、食べ飽きたというより暫く見たくないと言えるほどに劇マズなカレーもどきを食してきたので正直食が進まない。

 そんな僕にもっと食えよと勧めてくれる友人には感謝の笑みを返しつつ、試作段階で一杯食べたからお前が食えと返しておいた。


 さて、吉澤さんからのプレゼント作戦も終わり、晩餐は佳境に入っていた。

 居残り組でプレゼントを渡していないのは僕と立花さんということになるが、それを気にした様子のクラスメイトは誰一人として居ないので正直安堵している。

 とはいえ、やはり何もしないというのは心許ないというか、何かしてあげたいと思うのが人情である。そこで…


「えっと最後に、僕と立花さんから皆んなに、細やかながらもプレゼントと言えなくもない、ちょっとした贈りたいモノあるんだ」


 僕のギフトは目利き(呪物特化)orz。

 立花さんのギフトは鑑定(完全上位互換)。


 そんな二人から贈れるモノがあるとすれば、それは〝物〟ということになるが、討伐組は金銭面的にも物資的にも一切苦労はしていない。そんな皆に対し、僕と立花さんが導き出した贈り物は…


「えっと、正確に言えばモノじゃなくて…」

「もう、説明はいいから始めるわよ」

「……ヘイ」


 そうして僕は自ら作ったアコースティックなギターを手に、伴奏役を務めることになった。

 歌うは立花さん。当然注目は彼女が一身に背負ってくれるのだけど、いや、緊張して指先が震えるなんて久々の体験だった。


 プレッシャーに呑まれそうになる僕を見かねてか、震える指先を手を振ることで収めようと試みていた僕の頬を、しっとりとした両手でパシンと挟んだ立花さんが真っ直ぐに目を射抜く。そうして肩の力を強制的に抜いてもらうと、椅子に座って軽いチューニングを行った。

 視線を合わせ、指先を楽器本体に叩き付けて軽く音頭を取り、そして弦を指先で力強く掻き鳴らした。


 奏でた音楽は皆も聞き覚えがあって必然といえる有名な楽曲だ。

 僕の指先が奏でる音楽はまだまだ拙いできだが、立花さんの口から紡ぎ出される音色は本物と呼ぶに相応しいモノだった。


 女性が男性を想うバラード曲を無我夢中で一曲弾き終えると、惜しげもない拍手が降り注ぐ。その反応に思わずニヘラと笑っていると何故か頭を叩かれた。


「ちゃんと私を見て弾きなさいよ、ちょっとテンポが早くなってたわ」

「……ヘイ。善処しやす」

「善処じゃなくて見るの。私だけ見てればいいの、わかった?」

「……ヘイ」

「じゃあ、次ね」

「次とは?」

「同じ曲を、今度は現地語で」

「……ふっ。了解。皆んな、イヤーカフは一度外しておいて」


 僕と立花さんは現地語も学んでいた。イヤーカフ型の魔導具を使えば会話には支障は出ないが、その有効範囲は決して広くはない。なので、歌い手を目指す上で言語の習得は必須ともいえる条件だった。僕もついでに学んだのは、冒険者として生活していく上で覚えていた方が絶対に良いだろうと思ってのことだ。

 イヤーカフを紛失すれば詰む。そんなことにでもなれば目も当てられないからね。僕にとっても保険という意味で現地語の習得は必須事項だったわけだ。


 言語以外、全く同じでは場がシラケる可能性もあるという謎の立花理論で、僕は曲調を少しアレンジすることを強要されていた。

 当然、楽曲など制作したことのないド素人の僕では無理がある要請だ。そこで現地の音楽家達に話を付け、アレンジしてもらった物を練習するという方法で立花さんの期待には応えている。


 その曲調はラテン調のようなノリだ。リズム良く手を打ち鳴らせば、さぞフラメンコも映えるだろうといった出来栄えではある。ギターを弾きながらでは手は打てないので、そこは両足を使って、時には楽器本体を叩くことで問題を解決することにし、僕は出だしから左足を大きく持ち上げると床に打ち鳴らし演奏を開始した。


 最初は何の曲かわからなかった様子だが、少し経てば全員が同じ曲であることに気付いた様子だ。

 僕は要望通り立花さんを見ながら演奏を続け、彼女とのアイコンタクトで曲に余白を作ったり、歌の伸びを延長させたりしていった。最初こそぎこちなかったが、アイコンタクトによる意思の疎通がハマりだすと、それそれは楽しいと思える体験へと変わり次第にお互いの息が自然と合っていく。


 そうして、二曲目を弾き終えてみると、先程に負けないくらいの歓声で迎えられた。


「いつの間に覚えたんだよ!異世界語だろ⁉︎」

「スゲー、なんか感動したわ」


 そんな賛辞の言葉に思わずといった様子ではにかんだ立花さんの横顔はドキリとするほど可愛いかった。驚いたような顔だっただろう、僕の視線に気付いた立花さんはご不満といった表情に様変わりしたが、その方がやり易いので内心ホッとする。


「まだ少ないけど、次からはリクエスト方式で」


 照れを隠すように立ち上がり、そう言ってレパートリーを書き出した羊皮紙を差し出せばクラスの皆が殺到する。そうして、その後も演奏を続け、大成功といえる晩餐は終わりを迎えた。


 軽い疲労感のような、興奮の余韻のような熱が身体に心地良く残っている。まるで大仕事を成し遂げた男のような顔をしていると、数名のクラスメイトが声を掛けてきた。


「佐々木!テメエ!」

「なに立花さんと仲睦まじそうに見つめ合ってんだよ!」

「煩えよ!役得だろ!こっちはこっちで色々と大変なんだぞ!」


 立花ファンの数名の男子とワイワイと言い合っていると若干居心地を悪そうにした女子数名と目が合った。彼女らは立花さんもとい、僕の活動に対して疑問符を抱いていたメンバーになる。というか、唯一僕との間に奴隷契約を条件に入れた女子とバッチリと目が合っていた。

 目が合ってしまった手前、無視するのもよくないなと軽く会釈すると、近付いて来る。僕はギターを傍に置くと背筋を伸ばしつつ彼女を迎えた。


「佐々木、くん」

「……ハイ」

「……その、色々と」


 非常にバツが悪そうな顔だ。今までの反感的な態度から見ればしおらしいと言えるけど、そんな顔をして欲しくて僕は色々とやってきた訳じゃない。そこで先手を打って謝っておくことにした。


「いや。何を言われても仕方ないことをしていたなと自覚はしてます。ごめんね」

「いや……その、色々、知らなかったけど、私たちの為に」

「ひいては僕自身の為だから」

「……そう」

「うん」


 お互い今までのことは水に流そう。そんな気持ちで微笑むと、少し驚いたような顔を見せた後に何故か物凄く睨まれた。何故だ解せぬ。ここは和解の場ではなかったのか?

 フン!と、効果音が聞こえてきそうな速度で振り返った女子はスタスタと歩み去って行く。その後ろ姿を見ながら先程まで文句を言ってた後藤くんと藤崎くんが口を開いた。


「あれは、お主を完全に敵と見做みなした眼差しだったな」

「夜道には気をつけよ。精々寝首を掻かれぬことだな!」

「何で時代劇調なんだよ」


 そう返した直後、フワリと甘い香料が僕の鼻腔を満たしていた。

 咄嗟には状況が呑み込めず、視界にいる男子二人が驚愕に慄き仰反る姿を、どこかボーッとした感覚で暫し見つめていた。


「な、な、なっ」

「た、たたっ、立花さんっ⁉︎」

「お疲れ様。よかったわよ」


 最後の声は耳に掛かる吐息と共に聞こえた。その吐息には熱があり、よっぽど近くで囁かれたのだろうと思った。

 そちらへと視線を向ければ甘い香りが鼻腔を満たす。さらに、シルクのような淑やかで滑らかな感触が頬や鼻先に掛かっていた。


「………えっと、立花さん?」

「頑張ったんだから、ご褒美くらいあげないとね」


 今や周囲は時が止まったかのように全員が固まっていた。

 横座りで膝の上に乗る重さは心地良く、そこから伝わる熱は嫌な成分を微塵も感じさせない。それどころか、離れ難い、失いたくないと思えるほどの至福な感触と熱を帯びていた。


 膝の上に座り、首に手を回している立花さん。その喉がコロコロと微かに震えている音が皮膚や骨を伝い伝わってくる。悪戯が成功したといったところなのだろう。


「……うん。それは嬉しいんだけど」

「じゃあ、いいでしょ?」

「……まあ、悪くはない、けど」

「良くもないの?」

「いや、良いんだけど、さ。なんて言うか、凄い注目を浴びていると言いますか」

「その為にやったんだもん。当然でしょ?」

「………おぅ」


 これは一種のマーキング行為らしい。

 コイツは渡さないぞと、コイツは私のモノだと、言外に立花さんは皆に宣言する為だけに行ったようだった。


 そう思えば男冥利に尽きるといえるが、そろそろ解放して欲しいとも若干ながら思う自分もいる訳で、突き刺さるような注目を浴びるのは慣れていないんだ。


 上手く思考が回らない。鼓動は状況を自覚するに連れ高速に回転を始めている。触れ合う肌と肌の感触が頭の奥に靄を掛け、どうでもいいやと思わせるほどの魅力を放ってもいる。


「ちょっと」


 そこに、助け船といえる人物が登場なされた。その手には妖しい小瓶が握られているが、それは男子が飲んでも意味のないモノだ。まさか?と思いつつも、僕には向けられていない視線と言葉に答えるように口を開いた。


「えっと、なんでしょう?」

「いい加減離れなさいよね」

「……そう言ってますが?」

「嫌よ」


 声の主が吉澤さんだと気付いてはいるだろう。そちらを見ることはなく短い返事を返し、更に密着度を上げた立花さんは首筋に顔を埋めるような形で動きを止めた。

 そんな立花さんの後ろ襟に手が伸び、そして強引にその身体を引き離すと太腿が冷んやりとした空気に晒された。それを若干心惜しいなと思いつつ視線を落としていると、二人がワイワイと言い合う声が鼓膜を震わせていた。


「抜け駆けなんて卑怯よ」

「あら?そんな条約は結んだ覚えはないけど?」

「クッ……だからってやり過ぎでしょ?」

「ハグくらいなによ?別にめくじら立てるほどのことじゃないじゃない」

「……あっそ」

「ちょっ!」


 おお。温かい。じゃない!なんで吉澤さんまで⁉︎


「え⁉︎ちょ、吉澤さん⁉︎」

「何よ?私じゃ不満?」

「いや…」


 そんなことはないよと咄嗟に言いそうになった言葉を寸前で呑み込む。


 その発言は危険だ。それじゃあまるで異世界ハーレムモノの主人公のようじゃないかと自分を諫めた。だが、何も言わない訳にもいかない。目の前には若干不満そうながらも頬を染めている女の子がじっと目を見つめてきているのだから。


「ちょっと、驚いたと言うか、吉澤さんがその…」

「あ、あの時、頭とか、撫でたりするからよ。せ、責任、とってよね」


 おおう。これは紛れもなく自分で蒔いた種だ。引き攣りそうになる顔を必死に誤魔化そうと僕はニヘラと笑うことしかできなかった。


 その頃周囲は、呆れたような溜息を吐き出すと見ていられないとばかりに会場から去って行く人々の背中で埋め尽くされていた。

 その中に、ニヤリと笑う修也の姿や、可愛らしく手を振る彩ちゃんの姿もある。

 そして、射殺さんばかりに僕を睨み付ける数名の男子と、一人の女子の姿があった。男子はまあ当然といえるが、女子の方は先程も僕を睨んでいた女子だ。何か気に障ることしたかな?と、こんな状況下ながらも思考の何割かを割くほどには剣呑な眼差しだったことは否めない。


「あの」

「……はい?」

「……これ」

「………………えヒッ?」


 吉澤さんから手渡された小瓶。その小瓶の中身が何なのかを悟ると喉から変な音が漏れた。彼女はその小瓶を無理矢理に僕に握らせるとガバッという効果音が付きそうな勢いで首元に顔を埋め、そして口を開いた。


「私は……いつでもいいんだからね?」


 うん。ちょっと待て。どうしてこうなった?それは修也だけに許された台詞だろ?


 うーん。頭を撫でたりしたから?

 いやいや。それだけでコロッといっちゃうとかチョロすぎないか?

 あれ以降それっぽい仕草というか、会話とかもなかったのに。

 というかちょっと待て。立花さんの時には意思下になかった感触がはっきりと今は、しかもヤバイことに左手を包み込むように……


 吉澤さん、発育良すぎです。

 もうバインバインですよ?そんなことを意思しちゃったら年頃の男の子はコロッといっちゃいますって。


 いかん。立とう。あれが立つ前に。


 吉澤さんの背中にフリーな方の手を添えて無理矢理に立ち上がる。

 そうして彼女を床の上に降ろすと、有無を言わさずに小瓶を返却してから、僕は「あ」と何かを思い出したようなフリを挟みバスケで培ったミスリードとフェイントを駆使して足速にその場から逃げ出したのだった。


 我ながらチキンだとは思う。思うが、これ以上の最善の選択肢はなかったと思いたい。

 呆れたような声が背中を打ったが、そんなことは些細なことだ。今は問題を先送りにしてでも逃げる理由が僕にはあるのだ!


 ふぅ。


 危険域に達しそうだったポジショニングを終えてひと心地付いた僕は、グラデーションに染まる空を見上げ、瞬き始めた星々を只々眺めていた。


 言っておくが決して賢者タイムではない。ある意味では賢者タイムともいえる精神状態ではあるが、それは現実逃避という意味での諦めの境地のようなものだ。


 これまで一切モテたことなんかない中学生男子として言わせて貰えばだ。世の中はやはり肉食系女子が増え、そして草食系男子が増えていると実感したし、中学生な草食系男子の立場として言わせて貰えばだ、肉食系女子は恐怖ともいえるからほどほどにして欲しいということだ。


 異世界召喚っていう特異なシュチュエーションも二人の後押しになっていることは確実だろうとは思うが、それを加味してもやり過ぎだと言いたい。


 正直、二人に会うのが怖い。二人っきりになるようなシュチュエーションは絶対に避けてやろうと思っている。


 あ、そうだ。京都に行こう。


 そんな現実逃避をするくらいには、僕の心は滅入っていた。


 あ!そうだ!冒険者になろう!

 そして二人と距離を取り、二人が冷静になるのを待とう!うん、それしかない!


 こうして、名案を思い付いた僕の冒険者への道は急加速的に進んでいったとさ。なんてね。

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