第6話 教育長ウィニーズ・バートナル

 異世界生活八日目。

 騎士舎食堂にて全員で朝食を食べ終えた朝、討伐組は魔物狩レベル上げりへと出掛けて行った。


 僕らは居残り組は全員揃って法律の授業だった。

 法律と言っても日本のように細かいものではなく割とザックリとした内容の法律になる。

 物を盗んじゃいけないとか。物を壊しちゃいけないとか。人に怪我を負わせるようなことを故意的にやってはいけないとか。人を殺しちゃいけないとか。土地を勝手に占有してはいけないとか。他人の財産に損害を与えたら弁償するとか。そういった当たり前なことがざっと五〇個ほど彫り込まれている石板が、この国に浸透している一般的な法律の全てになる。


 その法律の中に異世界っぽいなと思ったのが幾つかあった。

 一つは、魔物を他人に故意的に擦り付けてはいけないという法律。所謂ゲームでいうところのMPKはダメってことだ。

 一つは、他人のレベルやギフトを強制的に聞き出してはいないという法律。日本でいえば個人情報保護法みたいなやつだ。

 一つは、魔法を国の許可なく教えたり、教わったりしてはいけないという法律。日本だと該当するような法律が思い付かないけど、喩えるとするなら爆弾などの製造法とか、犯罪を助長するような情報をネットに書き込んだりしちゃいけないって法律に一番近いかなと思う。


 他にも、日本とは全く違うと思った法律もあった。それは落とし物に関する法律だ。

 この世界での遺失物、落とし物を拾った場合の所有権は拾われたその時点で拾った人に移る。但し、落としてもいないものを拾ったと主張するのは罰則対象で、その刑罰は最悪死刑にもなり得る。

 その手の裁判の方法も異世界ならではって感じで、嘘発見器のような魔導具を使って判断することもあるそうだ。


 ここまでの法律は一般市民向けの法律になる。


 それとは別に、貴族が平民に対して課せる特別な権利が彫り込まれた石版もあり、法律の授業はどちらかというと貴族関連の法律を徹底的に覚えるようにと言われた。なので、午前中は暗記に勤しんでいた訳だ。当然、文字は読めないので読み上げられた内容を日本語で書き起こして記憶する形を取っている。


 ちなみに貴族の階級は上から、公爵。侯爵。伯爵。子爵。男爵。準男爵。の六つになる。


 公爵家は三家が存在し、この三家は王家との血の繋がりもある御三家になる。その為、王家に跡取りが存在しないような状態になれば、公爵家から王家に養子か婿として男児が出される。そういった場合は皇女おうじょが王位を継ぎ女王が誕生することもあるそうだ。皇女すらいない場合は公爵家から出された養子がそのまま王位を継承する。


 侯爵家は十二家が存在していて、伯爵家は三〇家が存在している。

 領地を持っているのはここまでで、王都周辺の領地は公爵家が治め、その周囲を取り囲むように侯爵家の領地が在り、わゆる辺境伯へんきょうはくと呼ばれる国境沿いの領地を持つのは全て伯爵家になる。辺境伯はアメリカの州のように独自の法律を持つことも許されていて、裁判などの司法も独自に執り行うことができるそうだ。逆に侯爵領の司法は公爵家が主体となって執り行う決まりとなり、そういった観点からも貴族階級は大きく見れば三つの派閥に別れているような状態らしい。

 子爵や男爵は所属する派閥の公爵や侯爵家から大きな街や鉱山などの管理を委任されることもあり、領地というより経済拠点の運営を執り行い、その利益の何割かを収入として得るって感じになる。


 そんな法律や貴族関連の授業が終わり、昼食を食べ終えた僕は教育長の元へと向かった。

 この教育長が僕ら居残り組の実質トップ的な存在の人で、何をするにもこの人に話を通さないと話が始まらない。謂わば僕らにとっては国王以上に重要な人物になる。


 王城の東側二階。様々な役人や大臣の執務室が並ぶ一画に教育長ウィズさんの執務室はある。ウィズさんの主な職務は、城にめる給仕きゅうじや騎士などの教育がメインだ。礼儀作法や言葉遣ことばづかい、常識や文字、算術などのあらゆる教育をほどこす人々のトップを務める人だ。


 騎士舎を出て城内へと入り、執務室の扉を三度ノックした僕は、返答があってから名乗りを上げ、扉を開いた。


「失礼します」


 僕が部屋に入るとウィズさんは人柄の良さが滲み出たような目元を細め口角を僅かに持ち上げる。


 歳の頃は六〇代後半から七〇代前半。ロマンスグレーに染まった髪をお団子状に一つに纏めた女性は、頭の先から爪先までを一本の棒でも通したかのように背筋が綺麗に伸びた女性だ。

 美しい所作しょさで応接セットの椅子に座るよう右手を動かして促し、僕が一礼してソファに腰を落とすのを見届けると教育長も執務机から立ち上がった。


「本日はどのような御用件でしょう、トオルさん」


 聞き取りやすくすずやかな声音こわねは不思議な安心感がある。それと同時に、生活指導を担当しているベテラン女性教師の前に立った時のような、自分でもよくわからない緊張感も感じる声だ。自然と背筋を伸ばしながらこちらへと近付いてくる教育長を見上げつつ口を開いた。


「はい。先日お願いした件の進捗しんちょく具合の確認と、明日の授業内容の変更をお願いできないかと思いまして」

「では、お願いの方からおうかがいしましょうか」


 ウィズさんが向かいのソファに腰を落ち着けるのを待って、僕は今日ここを訪れた理由である本題へと入った。

 簡単に言えば明日の個別授業は課外授業というか野外授業にしてくれっていうお願いだ。それを聞いたウィズさんは笑顔を浮かべたままその必要性の説明を僕に求める。


「一つは授業の効率化ですね。市場しじょうへと足を運ぶことでより多くの物を一度に目にできる機会を作ること。そうすることでわざわざ城内へと物を運び入れる必要性もなくなり、それなりに経費や人件費も浮くと思います。それと同時に、この世界にはどのような商品が有り、どのような商品が無いのかを把握し、僕ら召喚者が持つ知識がどの程度役に立つのかを調査しようとも思っています」

「調査、ですか」


 僕らの今後の授業の主な予定は各自のギフトの強化だ。その授業の為に色々な道具や武具などを城に運び入れたり、必要な道具を揃えて調理や裁縫をする予定になっている。

 その経費の削減はもとより、国にとって利益となる可能性があることを示唆しさし、要望が少しでも通りやすいよう、言い訳のようなものを用意しておくことは重要だ。そうして話を進めていくと、納得したウィズさんは許可を取る為に執務室を出て上役うわやくの誰かに話を通しに行った。


 その誰かは僕は知らない。国王かもしれないし、丞相じょうしょうのような、現代で言えば総理大臣のような大臣かもしれない。知らされていないんだ。

 この国にとって戦えない召喚者は直接国王と会話するような機会もないし、何かをするにもこういった手続きを踏まないといけない。その程度の価値しかないと思われている。先ずは、その認識を少しでも改善すべく、僕はあれこれ試行錯誤を始めたばかりという感じになる。


 その後、ウィズさんが戻ったのは一時間ほどが経ってからだった。

 国から許可は出た。これで明日は市場いちばや王都内を見て周ることができる。


 これで気兼ねなく午後の訓練に打ち込めるなとルンルン気分で宿舎へと戻り、そして訓練場にて模擬戦をやって、如何いかに自分が弱いかを思い知られた。


 何度も何度も地面に転がされ、起き上がれと叱咤しったする声が飛び、全身は軽い打撲状態だ。結局ぶっ倒れるまで訓練は続き、気が付けば医務室のような場所で目が覚めた。そこに寝ていたのは僕だけだった。他のみんなは無事に模擬戦を終えて宿舎に戻っているらしい。


 根性が足りない。度胸が足りない。真面目にやれ。避けることより今は攻めることを覚えろ。そんな言葉を騎士の方々から掛けられ情けない思いをしながら宿舎に戻ると、居残り組全員から少し呆れられたような視線を向けられた。


 弱いのは仕方ないと言いたい。

 僕は現代っ子だし、ビビリな性格だし、そもそも誰かを殴るとか考えたこともない臆病者だ。

 そんな僕が、たとえそこまで相手の身体を痛めることはないと分かっている模擬戦用の武器を手に持ったとしてもだ、そこで行われる行為は相手を如何に効率良く傷付けたおすかの訓練だ。忌避感きひかんが消えるものじゃないし、相手の身体に武器と呼べるものを叩き込むのだって勇気もいれば、そんな忌避感を抑え込む覚悟もいる。


 そんな覚悟を、現代っ子で平和主義者な僕がどうやって持てばいいのか、自分でもよく分かっていないというか、踏ん切りがつかないんだ。

 だから攻めるより避ける。攻めろと怒鳴られて嫌々ながら武器を振り下ろす。その一撃は当然躊躇が籠った一撃だ。そんなものが当たるはずがない。

 いつまで経っても煮え切らない僕に騎士の人もストレスを募らせる。その結果、一つの方法として痛みを与え、僕が怒りで攻めに転ずるよう仕向けられたけど、その方法は残念ながら最後まで上手くは行かなかった。

 そんな後味の悪い訓練だった。今日は。


 そんな訓練を終えて翌日。

 僕と立花さんはギフトを鍛える為に街へと向かい、初めてゆっくりと街中を眺めることができた。


 王城から南一帯はしばらく貴族のやかたが立ち並ぶ謂わば高級住宅街だ。

 王城に近いほど身分の高い貴族の屋敷が並んでいて、その規模も敷地も立派だ。南へと進み続けるにつれて敷地も建物も縮小されて行き、そして低い壁と門の向こう側に真に王都と呼べる街並みが広がっている。

 その場所まで小さな箱馬車に乗って進んだ僕らは護衛の騎士を後ろに控えた感じで街へと進むことになった。その場所から見えた光景はこんな感じだ。


 貴族居住区と街とを隔てる広い道が東西に向かって伸びている。正面にも道幅の広い大通りが伸びていて、その道の果ては景色が多少霞む程に遠かった。

 右を見ても左を見ても似たようなものだ。その先に見えているのが街全体を囲う高い防壁になる。

 高い建物は少ない。精々が三階建てといった感じで中には四階建ての建物も在るって感じだ。建物の建築様式はヨーロッパ風といって差し支えない感じだ。大通りに面した建物の一階部分はほぼ全てが商店か何かしらの道具などを作る工房、或いは飲食店などになっている。時折倉庫っぽい建物もあるらしく、その場所の前には露店なんかも出ている。露店も様々で食べ物を焼いている店舗もあればアクセサリーや食材などを出している店舗もあった。


 その大通りの中央は馬車専用道路になっていた。左右にへだたれた場所が歩行者や荷台を引く人々が往来おうらいしている場所になる。

 馬車に気をつけながら馬車通りを横切り、人々は忙しなく通りの往来を繰り返している。そんな光景の中によく見られるのは、思わず飛び出しそうになった子供を叱咤するような光景だった。

 基本的に馬車が最優先だ。信号なんてないし、交通整備するような人員もそこには存在しない。はっきり言えば危険だ。馬車の進行を妨げれば、妨げた人が悪いとされているので行き来をするのは自己責任だ。

 喩え事故が起きて人が死んだとしても死んだ人が悪い。そこは日本とは大きく違う点になり、それはこの国では常識なことだ。


 そんな光景を暫く眺め、僕が思ったことと言えばだ。「マップが必要だな」だった。

 効率良く街を周るにしても、どこにどんな店舗があるのか把握しておかないと始まらない。王都限定で言えば、先に北東地区を先に見るとしてもだ、馬車は通れない道も在るし、そのな路地裏の中にも商店などは在るらしい。

 まあ、全てを周る必要なんてないけど、折角なら街の隅々まで目にしたい。人々がどんな暮らしぶりを送っているのかも気になるところだし、隠れた名店を逃したと後に知れば後悔もするだろう。


 ここは調査と押し切って全て見てやろう。そんなことを思いながら歩き出すと右腕が勢いよく掴まれた。


「ちょっと、危ないわよ」

「……あ、すみません」


 僕も子供と一緒じゃん。そんな恥ずかしい光景を一瞬繰り広げ、そして馬車通りを渡ってその先の大通りに入った。


 僕のギフトを使った場合、今ではなんとなく商品の価値が判断できるようになっていた。とはいえ、それには数秒掛かり、そして一つずつしか判断できない。

 なので、一店舗当たりに掛かる時間は随分と長かった。それは立花さんも同じようで、何も喋らずにジッと店の商品を睨む僕らを店主や街の人々は訝しむような目で見ていた。


 これじゃ余りにも効率が悪い。


 なので僕は、謂わゆる周辺視野を使ってギフトを使えないものかと暫く悪戦苦闘していた。

 もしかすれば、ギフトの性能が上がれば自然とできるようになることなのかもしれないけど、その辺はイマイチわからない。何せ王城に勤める人の中で目利きのギフトを持った人は一人もいなかったからだ。それは立花さんも同じだ。


 そうして幾つかの店舗を眺めて、そして二時間ほどが経った頃だった。

 周辺視野、とまではいかなくても、望遠鏡を覗いたような感じで複数の商品を一度に判断できるようになった。とはいえ、それにも数秒は掛かる。


 そのお店の品々は質の高い物ばかりが並んだ商店だった。見た目では使用用途がイマイチ分からないのは、そのお店が魔導具を取り扱っている店舗だからだろう。そんなお店の中で品定めをしていると、一際明るく輝いている物体を発見した。

 その商品はまるで隠されるように棚の奥の方に立てて置いてあった。気になったのでそっと腕を差し込んでそのアイテムを掴みとってみると、隣りに立っていた立花さんからゴミでも見るような視線を向けられた。

 背後に控えていた男女ペアな騎士の男性の方は噴き出すような音を上げ、女性の方はあからさまな溜息を吐き出していた。

 商品を元に戻そうとした直前、店主と一瞬目が合って、男性店主はニヤリと笑った。


「お目が高いですねぇ、旦那」


 そんな言葉の後に店主は聞いてもいないのに言葉を続ける。その声音や口調は流石というか人を惹きつけるような声だった。


「そいつぁ、ある特殊な魔物の素材から作られた道具になりやす。ありとあらゆる雌という雌を引き寄せ、そして食っちまう恐ろしい魔物でさぁ。雌を引き寄せる特殊な香りを放ってるんですが、死した今、それにはそれほどの効果はありやせん。しかし…」


 そう言って店主は左手で筒のような形状を作り、そして右手の人差し指をその筒にした左手の中に挿し込む。


「……そうすると今まで感じたこともない絶頂を味わえる代物になりやす」


 いやあ、お目が高い。そう店主は最後に付け加えた。

 そんな言葉が途切れた後、背後からわざとらしい咳払いがあがった。


「参考までに聞くが、それは幾らだ、店主?」

「そいつぁ貴重な代物でねぇ。中々手に入る代物じゃあない。売るとするとそうだな、普通なら金貨一枚はしやす」

「何?そんなにもか!」

「ええ。それだけの効果は保証できる代物になりやすねぇ」

「……」

「とはいえ、伝がないわけじゃあ、ない。大銀貨五枚で如何でしょうか?」


 半額でも誰も買わないぞ?

 そんなことを考えていたら背後で硬貨がチャラチャラと鳴る音が聞こえた。

 女性騎士は呆れたように再び溜息を吐き出している。隣りの同級生の顔を見るのは怖いので僕の視線は店主に釘付けだ。


「付け加えて言いますと、御婦人を長く喜ばせる効果もある代物になりやすが?」

「……」


 男性騎士は頷き、そして店主も頷く。僕はそっと棚にその物体を戻して次の店舗へと脚を向けた。


 まあ、そんな感じ?で、ギフトを鍛えていったんだ。

 周辺視野を意識し続けてね。

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