第4話 野外訓練

 異世界生活四日目となるその日の朝も、早朝から王都を出て馬車に揺られていた。


 城の北西部へと向かった馬車は一時間ほどで停車し、目の前には広大な森林地帯が広がっていた。今日はここで、主に動物系の魔物と戦う予定となっている。

 事前に受けた説明によると、この森に棲息せいそくする魔物は、狼型。猪型。鹿型。蜘蛛くも型。蜂型。の五種類ほどになるそうだ。


 動物系で一番危険なのは群れを形成している狼になる。足が速く重い突進が最大の脅威の猪が次に危険で、鋭い角が最大の脅威となる身動きが軽快な鹿って感じだそうだ。ただし、めすの猪の場合だと群れと対峙する可能性があるので狼より危険な場合もあるけど、今の時期に子連れ猪は居ないそうだ。

 昆虫型では蜘蛛の方が危険視されている。何故なら麻痺まひけいの毒を牙に持っているからだそうだ。とはいえ蜂型も無視はできない、虫だけに…。


 蜂の大きさは蜘蛛より小さいらしいが群れを形成しているし、飛ぶし、毒も当然持っている。けど、こっちの毒は純粋に痛みとなるそうだ。まあ、刺され過ぎたらアレルギー症状で死ぬかもしれないので是非とも蜂に刺されるのも避けたいところだ。


 護衛となる騎士は召喚者五名に対して二人といった感じで付いていて、小さなグループに別れてそれぞれ別行動となる。ちなみに、この訓練では騎士は基本的に戦うことはせず極力きょくりょく傍観ぼうかんてっするようだ。命に危険があると判断しない限りは手出しはしないことになっている。

 事前の打ち合わせでは召喚者の中でも最弱なチームとなる僕らは森と平地との境目辺りを移動して、あまり森の奥には進まずに魔物と戦う予定だった。


 僕のチームは総勢五名。勿論、戦える系ギフトを授かれなかったギフト持ちで形成されている。メンバーの名前は、男子は高田たかだくんと大塚おおつかくん。女子は立花たちばなさんと吉澤よしざわさんだ。


 高田くんは僕と身長が同じくらいだけど僕より遥かに体格が良い男子だ。空手の有段者だし近接戦闘なら僕らの中では一番強い。身に着けている装備は少し変わっていて、頭と手足だけに頑丈な鋼鉄製の武具を装着している。その他の肩や胸を守る鎧は軽装な物だ。そして所謂クロー系というか、DQに出てくるドラゴンキラー的な肉厚で短い刃物が飛び出た武器を手に嵌めていて、肉弾戦をしゅとするスタイルになっている。


 大塚くんは僕より少し背が低く、一六〇センチといったところで体格はスラリとしている。そんな彼は自身の身長より少しだけ長い、非常に細身の短槍たんそうを持っている。聞けば、全然知らなかったけど薙刀なぎなたとかいう武術を小学生の時から習っていたらしく、独特な槍捌きは初見の騎士を圧倒するくらいには強かった。防具は全体的に軽装な革が主体で要所要所が鉄で覆われている物になる。


 女子二人は軽めの短槍。そして大塚くんよりは頑丈な鎧を両手両脚、それから胸部に身に付けている。頭には鉢巻タイプの額当てだ。

 立花さんは大塚くんより少し背が高いスタイルの良い美人さんだ。

 吉澤さんは一五五センチくらいの身長で大きな人だ。とは敢えて言わないでおく。


 そして僕は今回、タワーシールドと呼べるような、持ち運びも苦労するような重い盾を持っていた。

 訓練の時に使っていた物とは大きく形状が違い、蒲鉾かまぼこじょうゆるく反った長方形の盾で、盾の下部には地面に突き刺せるアンカーの役割をする突起物がある盾になる。その突起物と盾の重量。それから僕の力で、猪の突進を真正面から受けるような役割をする予定だ。その他の装備で重量があるのは剣くらいで、防具の類いは胸を守る軽量な革鎧しか身に付けていない。何故なら盾がバカ重いからだ。たぶん一〇〇キロくらいはある。レベルが上がったから持てなくもないけど、かなり重いとは感じている。


 正直、誰かに代わって欲しいけど男子の中で一番弱いのは僕だ。

 頑丈さは折り紙付きな重く大きな盾を地面に突き刺して突進を止め、その瞬間、他の誰かが側面から攻撃する。その囮役おとりやくともいえる重要なポジションをこなすことになっていた。

 この盾の内側には抜身の剣を掛けておくことができるので、突進を受けた直後に剣を素早く手に持つことは可能だ。地面に刺しておけば一応は自立するので僕も戦いに適宜てきぎ参加していく予定になっている。移動中は背中に背負うようにして盾のを両肩に乗せ、誰かをおんぶしたような感じで運んでいた。


 そんな装備を身にまとった僕らは、森の奥へとは向かわずに平地との境界線付近を西に向かって暫く移動していた。けれど、三〇分ほど移動しても魔物と遭遇そうぐうするどころか姿さえも見かけなかった。


「おい、見通しは良いんだからよ、もっと奥へ進もうぜ」


 しびれを切らしてそう言ったのは高田くんだ。彼は魔王討伐をかかげるグループ入りすることをまだまだ諦めていない強気の拳闘士だ。


 確かに、高田くんが言った通りこの森の見通しは良い。人の手が入っているのは明白だ。杉のように高く真っ直ぐに伸びる樹々が間隔を開けて点在していて、そこかしこに切株を見ることもできる。鬱蒼うっそうと草がしげっている訳でもなく、地形に起伏がある以外は特に難しい地形ではなかった。とはいえ、死角がないかといえばそうではない。地面には見通しが効かない起伏もあれば周囲には背の高い草木が群生している箇所も見て取れる。原生林と比べれば格段に見晴らしは良いからと迂闊うかつに奥へ進めば七人じゃ対応できない事態も起きかねない。


「いやでも、事前の打ち合わ——」

「——少しくらい大丈夫だろ」


 僕の言葉を遮って発言したのは大塚くんだった。彼も高田くんと同じく自分ならやれると信じて疑わない槍術士だ。

 そんな二人の意見を受けて僕は、女子二人へと視線を向けた。


「奥は危険だって言われたでしょ」

うるせえ、女は黙ってろ」

「はあ?馬鹿じゃないのアンタ。この五人で動くようにって言われてるんですけど。そんなことも理解してないの?」


 僕の視線を受けて助け舟を出してくれたのは吉澤さんだった。けれど、彼女と高田くんは幼い頃からの幼馴染らしく、売り言葉に買い言葉といった応酬が暫く続いた。


 そんな僕らを見兼ねてか、騎士の一人が口を開く。


「では、別行動にしたら如何いかがですか?」


 そう言った騎士の顔には「面倒臭え」って文字が書いてありそうな表情だった。それを受け、高田くんと大塚くんは了承する声を上げる。


「ちょ、ちょっと待って、それじゃ——」

「——煩えな!雑魚は雑魚同士仲良くやってろ!」


 辛辣しんらつな言葉を吐き捨てた高田くんに対し、反感する吉澤さんの金摩かなすり声が上がる中、やる気のなさそうな男性騎士と男子二人は森の奥へと進んで行く。僕の制止も声も届かずその背中がどんどんと遠ざかって行く。そんな中、矛先ほこさきを変えて言葉を発した。


「あの、止めてくれませんか?」

「……いや、申し訳ないです。先輩の意見に逆らう訳にも…」


 そう言って、去って行く男性騎士の背中をチラリと見た目の前の女性騎士の視線を追い、僕も離れて行く三つの背中を見ながら口を開いた。


「……大丈夫、でしょうか?」

「あのお二人ならば問題はないと思います。私も全力を尽くしますので、このことはどうか」


 内密に。そう言って騎士礼を取った女性騎士は困り顔で僕を見ると、更に眉の角度を下げた。その顔には「お子様のお守りは嫌だなー」って感じの感情が見え隠れしていた。


「……立花さん、吉澤さん」

「なに?」

「二人は、動物を、殺した経験はある?」

「そんなの、あるわけないでしょ」


 立花さんは返事を返さなかったが聞くまでもないことだ。僕自身そんな経験はないし、彼女らも精々が鮮度の良い魚をさばいた程度か、原型を感じさせない切り分けられた鶏や豚肉といった肉の部位を切ったくらいの経験しかないはずだ。

 こうなってくると生物を傷付けたり殺したりといった行為に対する躊躇ちゅうちょというものが一番になってくるはずだ。僕は最初の受け役なので即座に動くことはできない。なので、その恐ろしい役目は二人にゆだねられることになるのだが、そこには不安と心配しかなかった。

 そんなことを考えていたからか、女性騎士が場の雰囲気を明るくするような快活かいかつとした声を発した。


「任せて下さい。私が最初に攻撃して動きを止めますので、皆さんはその後に動く感じで構いませんから」


 そう言ってくれるのは有り難いが、だがそれだと、この訓練の意味を半分ほどしか全うできなくなる。とはいえ、それにすがる以外に無事に帰れる未来はないように思えた。


「……では、お願いします」

「はい。行きましょう。私は後方から全体を警戒しますので、進む道はお任せしますね」


 そうして僕らは森の浅い場所を進み続けた。

 そうして、更に三〇分ほど時間が経過した頃だった。


「盾はギリギリまで———ああもう!」


 巨体過ぎる猪の突進を目にして僕はすぐさま盾を地面に突き刺して防御体勢を取った。しかし、その盾に態々わざわざ突進してくれるほどこの世界の魔物は優しくはない。

 迂回うかいするようにけた猪が僕の側面、あるいは、背後の二人を狙って左手から迫る。その事実を遅まきながら認識した僕は盾を引き抜いて二人をかばうことができる位置へと移動したが、充分に構える暇もなく強烈な突進をその盾に受けた。


 盾の下から伸びる突起物が地面に跡を残しながら弾き飛ばされるような勢いで後退する。それに押されて僕は、なんとか踏みとどまろうとしたがえなく地面に倒れた。


 その倒れゆく視界の中で、剣を走らせる騎士の姿が僕と入れ替わるようにして前へと出ている姿を捉えていた。鞘から走った鋭い剣線けんせん一条いちじょうの光となってきらめき、迫り来る魔物の前脚を身体から切り離す光景が酷くスローな光景の中で見えていた。


 ワンボックスの軽自動車くらいはありそうな猪が僕の持つ盾の上を滑るようにして後方へと流れる。間一髪、それを悲鳴を上げながらも避けてみせた吉澤さんの横を抜け、地面をえぐるようにして暫く滑り、そしてその巨体が止まる。


「何やってんすかアンタ!事前に何度も言ったじゃないすか!」

「ご、ごめんなさい!」

「こっ、謝って済むかこのクソガキ!誰かが死んでもおかしくなかったんだぞ!」


 そう、僕は何度も説明を受けていた。事前に大きな盾を構えておくと一〇〇の確率でその盾をかわして猪は攻撃してくると。だから、猪が頭を下げた瞬間に横に向けていた盾を前面に素早く出して防御体勢を取れと。

 でも、恐ろし過ぎて、猪が頭を下げて完全な突進体勢を取る前に、僕は盾を構えてしまったんだ。これは完全に僕の落ち度だ。謝る以外に選択肢はないが、謝ったどころで済まないことも理解している。そしてそんな重要な役割を、もう二度とやりたくないと胃が激痛を訴えていることも自覚していた。


 だって仕方ないじゃないか!覚悟していたより遥かにでっかい猪だったんだよ!って、叫びたい気持ちも当然あったけど、大きさもちゃんと説明はされてたんだ。僕の覚悟と想像力が乏しかっただけのことだ。


 胸を占めるの強烈な自己嫌悪や後悔、それと竦みそうになる恐怖心だった。

 今回は偶々たまたま、誰も怪我らしい怪我をせずに済んではいるが、本当に誰かが死んでもおかしくなかったんだ。そう考えると身体が震えて仕方がなかった。


「……ごめんなさい」


 未だ起き上がれず情けなく謝罪の言葉を口にする僕を他所よそに、女性騎士は二人を叱咤しったして魔物の処理に当たっていた。

 右前脚の膝から先を失い、身体の側面に深い傷を受けたにも関わらず猪は立ち上がっていた。そうして、地球規模の猪とは比べるのもはばかれるような長大の牙を振り、何とか近付こうとする騎士を牽制し続けている。騎士も脚を狙っている様子だが中々近付けないでいる。そんな光景を見ながら重い盾を持ち上げて身体をようやくと起こした。


「深追いは絶対ダメっす!落ち着いて遠くから突くことだけを考えて!そうすれば時期にコイツは弱るっすから!」


 騎士は囮役を買うように猪に密着していた。まるでロデオマシーンのように身体を回転させている猪は、ヒラリ、ヒラリと牙を躱す騎士に長大な牙の一撃を加えるべく激しくそして素早く動き続けている。


 全身が打身によって痛む身体と胃を押して、僕は女子二人の前に立った。そうして安全地帯が確保されると、そこに身を隠すようにして二つの槍が突き出され、お尻を刺された猪が怒りの声を上げた。

 グルンと勢いよく振り返った猪。そのまま盾に牙を撃ち当てる。重い衝撃が腕から身体へと伝わるが、この盾の重量は一〇〇キロくらいはある。びくともしないとまでは言えないが、なんとか攻撃をしのぎ切った後に、もう一度猪は怒りの声を上げた。騎士が後方から攻撃を加えたんだ。


 その後、猪が息絶えるまで三〇分ほども時間が掛かり、第一戦目を終えた僕らは既に疲労困憊といった様相ようそうとなっていた。そこに、怒り心頭な様子の女性騎士が目の前に立った。


「この、馬鹿!」

「痛っ」


 拳骨げんこつが脳天に落ちたが当然だ。初戦がいきなり巨大猪で運が悪かったとも言えるが仲間を危険に晒したのは僕の責任だ。それを甘んじて受け入れ、皆に謝罪の言葉を述べた。


「いいっすか?アンタがしっかりしないとこのパーティは全滅っす。いや、アタシなら一人でも帰れるっすけど、私が一人で帰ってもそれは全滅したも同義っす。その辺をちゃんと理解して真面目にやって欲しいっす」

「……はい。次は、そうします」

「本当っすか?信じていいっすか?大丈夫なんすか?」


 そう言って、口調がガラリと崩れている女性騎士は女子二人に同意を求めように視線を向ける。


「……ダッサ」

「……」


 吉澤さんは心底呆れたといった様子だが、立花さんは不機嫌そうな表情のまま何も言葉にはしなかった。話す価値もない。そう言いたげな視線を受け、僕は折れそうになる心を、なけなしの気合いでどうにか保たせた。そんな頃。


「……これだけ大物だと、良い魔力水晶が採れるかもっすね」


 女性騎士の目は既に違う物を見ていた。


「魔力水晶?」


 そう言ったのは吉澤さんだった。


「ああ、魔物の体内にまれに生成される宝石みたいなヤツっすね。大きさとか、純度とか、色とかで値段は変わりますが、そこそこの値段で売れるっすよ」

「へえ……って、それを取り出すのって」

「解体しないとっすね。まあ、今日はそれが目的じゃないでこのまま放置でも良いっすけど……どうしますか?」

「え、いや……どうって言われても」


 騎士と会話をしていた吉澤さんは僕と立花さんを見て肩を一度持ち上げる。そんな僕らを見ていた女性騎士は得意気な顔でこう言った。


「まあ、何事も知ることは大事っす。一度やってみせるんで見てて下さい」


 そう言って大振りなナイフを手に、騎士は手慣れた様子で解体を始めた。その顔が終始楽しそうだったのは、僕らに解体の実演を見せれるほまれや誇らしさから、ではなく、現金収入が期待できるからだろう。


「うわ、ぐっろ。見てられないわ」

「肉も美味いんすよ?そうだ、昼食はコイツを食いましょう」


 そんなことを言いつつ、騎士は時折、猪の身体に手を当てて何かを探るような仕草を見せていた。聞けば魔力水晶なるモノは固定の位置にできるようなモノではなく、個体によって大きく位置が違うモノになるらしい。


 完全に引ききった様子の女子二人とは違い、僕はその解体作業を近くで見守っていた。確かにグロいと表現できる光景ではあるが、何度か動画で鹿の解体の様子などは観たことがある。グロ耐性はそこそこあったようだ。


「お?解体とかやったことありました?」

「いや、ないですよ」

「そうっすか。でも、手伝ってくれたら助かるっす」

「指示してもらえれば」

「じゃあ、脚を持ってもらっていいっすか?上に開く感じで」

「はい」


 そうして解体作業は暫く続き、僕らは魔力水晶なるモノを初めて目にする機会を得た。


 それはピンポン球サイズの、ちょっと歪な形状をした物体だった。

 中心部は透明度が高くて、表面は透明度が無い螺旋状らせんじょうの模様が走るような、色は赤というか生のレバーのような色合いのモノだ。


「なかなか良い魔力水晶っすね。売れば銀板ぎんばん一枚ってところでしょうか」

「銀板一枚って、たとえたらどのくらい?」

「そうっすね。節約すれば二〇日くらいは宿に泊まりつつ食事もれる程度っすかね。逆に一泊でその値段掛かる宿もザラにありますけど」

「ふうん。一泊五千円として二〇日で十万って感じ?」

「そうっすね。一泊はだいたい銅板どうばん三枚から四枚。これが節約した中でも良い宿の値段って感じになります。それ以下だと盗難とか色々あるんでそれくらいが妥当っすね。で、朝食しか付かないんで夕飯代として銅板一枚で一日って感じっすね」

「ふうん、銅板って千円くらいか」

「……ええっと、銅板は銅板っすね。銅貨どうかが十枚で銅板一枚になります」


 どうやら魔導具を経由すると千円という言葉が騎士には銅板と聞こえるらしいと、その会話から理解した僕は、銅貨は百円。銀貨が一万。その上の銀板が十万だと頭に入れておくことにした。そして更に通貨事情を把握すべく騎士に尋ねる。


「銅貨の下に硬貨ってあるんですか?」

銭鉄せんてつっていう硬貨があるっすね。価値は有って無いようなモンすけど」

「なるほど……十円か」

「そうっす。銭鉄っす。子供のお駄賃とかはそれで払うっす」


 そんな会話を挟み、肉と魔力水晶なるモノをゲットした僕らは、その後は比較的安全に魔物を狩っていけた。

 まあ、その秘訣が、盾を両手で抱え固定している僕を女性騎士が片手で抱えて盾代わりにするとかいう力技で行われていたことに目をつむれば、という話にはなるけど。

 もうそれなら盾を女性騎士が持って弱らせたところに僕らが、とは何故かいかなかった。そう進言すると「男は度胸っす」とかいう謎理論が返ってくるだけで、そんな無様な光景は何度も繰り広げられていた。


 猪とも二回戦ったけど最初のヤツより大きな個体はなく、正面から突進を受け切って、騎士が前脚を斬り飛ばし、倒れたところに二人が槍を突き、僕もワンタッチで着脱できる剣を取ってトドメを刺すといった行為を比較的に忌避感きひかんなくやり遂げることができた。


 昆虫系の魔物とも戦ったけど女子二人は一切手を出そうとしなかったのでたおすのは僕の役目だった。


 そうして、狩りを続けて昼時ひるどきを迎えた僕らは、森を出て平地へと移動した。


 僕が必死にかき集めたまきを使い、騎士がおこした焚火たきびに、騎士が切り分けた肉に岩塩を刷り込み、それを火に掛け、モンハンみたいな骨付き肉を四人で切り分けて食べるといった感じだ。付け合わせは石みたいに硬いパンを水に浸して柔らかくしたモノと硬い干し肉となる。猪の肉以外は騎士が遠征時えんせいじに摂る食料と同じ物になる。


 食事をするのに森を出たのは危険を避ける為だ。随分ずいぶんと移動してから食事を摂ったので、肉の焼ける匂いに釣られて魔物や野生生物が寄って来る、といった危機は避けることができている。そうして昼食を終えた僕らは再び森へと向かった。


 午後からの狩りはレベルの調整も気を使ったものに変わった。

 今回の目標到達レベルは最低でも五だ。残念ながらレベルが上がってもHPやMPが全回復する様なことがないので体感として実感はできない。なので、これまでの状況から判断して、僕ら三人が平均的になるよう騎士の指示を受けながら指定された人が魔物を斃すといった方法で行われた。

 とはいえ、昆虫系は午前中からずっと全てが僕の担当だった。なので、動物系を譲り続けた結果、陽が傾き始めた頃には二人よりも若干、僕が出遅れているような感じになっていた。


 その埋め合わせをしようと、僕らは森を東へと進んでいた。森といっても深入りはせず、すぐそこに平地が見える位置を移動していた。

 一度通った道だが、これまでに残して来た死骸は一度も見かけなかった。その理由は野生生物や他の魔物が死骸しがいを運んだからになる。

 それは事前に予測されたことだった。なので、本来は森に入らずに平地を大きく迂回するような形で進む手筈てはずだったのだけど、僕が最低合格ラインに達していない懸念がどうしても払拭できないようで、後一頭は斃した方がいいと主張する騎士の意見に従って、僕らは気の抜けない場所を慎重に進み続けているといった状況だった。


 そうして、森の奥から僕らを目掛けて突進して来た猪を、何とか怪我もなく無事に斃し終えて、僕らはホッと息を吐き出した。


 直後。


 気の抜けたような顔に薄い笑みを浮かべていた騎士の顔を見ながら、僕の右耳は不穏な音を明確に捉えていた。それは、地面を蹴る軽い足音だった。


 僕らは猪を斃す過程かていで少し低い窪地くぼちに居た。そうなったのは猪が斜面を転げ落ちたから仕方がなかったのだが、そのせいで森の奥側にギリギリ視線が届かない低さとなる位置に居たことになる。

 足音が聞こえるのは森の奥側からだ。しかもそれは、素人の僕でも耳で拾えるほどに近い場所から聞こえていた。


 ハッと上を見た僕に釣られて騎士も顔を上げる。

 その視界に黒く大きな影が現れ、騎士は緊迫した声を上げた。


「狼はやばいっす!群れが来る!」


 最後に、タタッと軽やかな音をかなでて僕らの上空を飛翔ひしょうした狼は空中で器用に体勢を制御して着地した時にはこちらに正面を向けていた。

 その後の騎士の反応は素早く、既に狼に斬り掛かっていた。しかし、それを予測していたように狼は素早く跳び退がって距離を取った。

 唸る喉。対峙する両者。油断なく剣を構えながら顔だけを此方こちらに向けた騎士が言葉を発しようと口を開く——その前に、大きく両目が見開かれたのを見て、僕は最悪な事態を頭に想い浮かべていた。


 剣を握りしめながら振り返った視界には、既に一匹の狼の姿があった。

 飛翔するやじりの如く、低い角度で迫るその身体は既に獲物となるモノを捉えている。


 それを悟った瞬間、僕は盾を捨てて跳び出していた。

 柔らかな左肩を左手で突き飛ばす。その視界に飛び込んで来た開かれた大きな顎門あぎとが僕の左腕を包む様を驚愕と恐怖に彩られたまなこでまざまざと見ていることしかできなかった。


 まるで全身に電気が走ったみたいだった。目からも電気が出たんじゃないかってくらい、痛覚が一気に全身を駆け巡っていた。

 それでも、奥歯を食い縛り、チカチカと明滅するような視界を無視して右手に握った剣を下から突き上げていた。

 したたかな手答えが手に伝わる。同時に左腕に鋭い痛みが走る。痛さと恐怖で身体が震えるが、全身に駆け巡っていた怒りのような感情を起爆剤にした原動力でなんとか恐怖心を跳ね除ける。


 目の前の標的から視線を外す。腕に喰い付いた狼の勢いで身体は左方向へと流されている。その勢いを左脚を軸にすることで回転させる力へと変え、半回転して後方へと素早く視線走らせた。その一瞬で現状を正確に把握すると、右手の剣を狼から引き抜いた直後にそれを投擲とうてきした。無我夢中で投げた剣は刺さりこそはしなかったが狼に当てることができ、一瞬の隙が生まれていた。けれど、その軌道は吉澤さんを明確に捉える軌道のままだった。

 地面を蹴る。左腕に食い付いたままの狼を痛みを我慢して思い切り振り抜き、吉澤さんを襲おうとしていたその軌道にどうにか割り込ませた。そうして吉澤さんの腕を引き寄せてからそのまま後方へと突き放すと目の前で着地する体勢になっていた狼の顎を下から思い切り蹴り上げた。


「よくやったっす!」


 吹き抜ける風ように騎士の身体が舞う。斬撃音と上がる血飛沫ちしぶきを置き去りにして騎士が五体の狼を瞬く間に斬り伏せた。

 騎士の声を認識したのは、静止したような光景が再び動き始めてからだった。


「こっちは任せるっす!二人は怪我人の手当を!」


 万力まんりきのように閉じて開かない狼の口。突き刺さる牙は骨まで確実に食い込んでいる。まだ息のある狼は僕だけは道連れにするぞと、その眼を見開き喉を鳴らして意気込んでいた。そんな狼に素早くトドメを刺したのは立花さんだった。体重を掛けて突き刺した槍を捨て、狼の顔に手を伸ばすと鋭い牙が並ぶ口にその手を掛ける。

 その手を、僕は掴んで止めた。どう見ても冷静さを欠いていたように見えたからだ。


「大丈夫、自分でやる」


 それだけ言って彼女の手を遠ざけ、鼻先に手を掛けて食い込んだ牙を引き剥がした。そこから大量の血が溢れて出すように流れ始めた。

 流れ続ける血の量を見て恐怖で心拍数は上がり、頭からは血の気が引いていた。それでも冷静にと奥歯を食い縛りながら水を掛け傷口を洗う。そうしてから事前に配られていた布を使って傷口を縛り上げていく。布はみるみると赤く染まり、結び終える頃には真っ赤な布へと変わっていた。


 それを見て、女子二人は震えていた。今まで怪我らしい怪我も負わずに順調過ぎたがゆえの恐怖心だろう。

 僕は真っ赤な布を頭の上に上げる。そうして血流を少しでも遅らせた状態で、集合場所へと向かって歩いた。



 結局、僕のレベルは四止まりだった。女子二人は五に達していて、高田くんと大塚くんに至ってはレベル七という結構な上昇具合をみせていた。


 怪我の治療自体は、すぐに終わった。傷痕きずあとも殆ど残らなかったが、あの時感じた恐怖は今も僕の中に在り続けている。


 あの女性騎士曰く、最初に飛び出した一頭の狼は囮だったらしい。前方に気を引いたところに後方からの波状攻撃を仕掛ける予定だったようだが、騎士がそのことに気付いてくれて本当に良かった。あと少しでも振り返るのが遅ければ、僕ら三人は死んでいたかもしれない。それくらいギリギリのところで危機を回避できた訳だが、やはりその恐怖心は払拭されない確かなものへと変わった。

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