第6話 悶々
俺は今、春香さんの部屋に一人でいる。
風呂から出て部屋に戻ると、今度は春香さんが「私もお風呂入ってきちゃうね」と言って行ってしまったのだ。
なんか妄想が膨らんでしまうセリフだったな……。
春香さんが戻ってくるまで一人で勉強を進めるつもりだったのだが、俺の心の中がそれどころではなかった。
だって。
女の人の部屋だぞ。しかもそこに一人なんだぞ?
ドキドキするだろ。
春香さんがいつも使っているベッドも、洋服が入っているであろうクローゼットも、いろんなものが気になって仕方ない。
まあ、もちろん勝手に触ったりとか、そんな非常識なことはしない。
だが、この内側からこみ上げてくる感情を抑えるのは非常に困難だ。
俺がそんな葛藤と戦っていると、ガチャリと部屋のドアが開く。
「お待たせ。お勉強は進んでるかな?」
「え、ええ、まあ」
誤魔化す。
進んでなかったら何か変なことをしていたと誤解されかねないからな。
それだけは我慢したのだからそんな誤解だけはゴメンである。
「これ、食べる?」
春香さんが手に持っていたアイスクリームを渡してくる。夏樹と帰りに買ってきたものだ。
「ありがとうございます」
「お風呂上がりのアイスは格別に美味しいよね」
そう。
お風呂上がり。
今、俺の目の前にいるのはお風呂上がりの春香さんだ。
体が火照っているからほんのり紅くなった頬、ふわりと香るシャンプーのかおり、そして着崩されたぶかぶかのシャツと短パン。
普段見ることのない格好にドキドキしてしまう。
さらに、フルーツアイスをちろちろと舐める春香さんから視線を逸らす。
あれ無意識でやってるのだとしたら天然が過ぎる。天然通り越してもう小悪魔だよ。
「けどあれだね、まだ数日しか見てないけど以前に比べて問題解けるようになったよね」
俺が悶々としていると、春香さんがそんな話を振ってくる。
「それは春香さんの教え方が上手いからですよ」
「そうかなー?」
「ほんとですよ。何ならこれからも教えてほしいくらい。それならきっと、もう赤点とか取らなくなりますね」
はは、と俺は笑いながら言ってみる。
こちらの側に立って、分からない人目線で教えてくれる分、学校の先生より分かりやすいのだ。
学校ではどうしても全員を一斉に教えることから、レベルを合わせるということが難しい。
先生の実力、というよりは学校のシステム上仕方ないことなのだ。
「圭一くんが持ってきてくれる答案次第では考えてあげようかな」
春香さんも冗談混じりに言う。
本来ならこんなレベルの家庭教師はお金を払わなければならないだろう。
それをこの先もというのは、さすがに我儘が過ぎる。それは俺だって分かっている。
この関係は、テストの結果がどうあれあと僅かなのだ。
「さて、それじゃ再開しよっか。テストまで残り時間はあと僅かだし、眠たくなる前に追い込んじゃわないとね」
そうだ。
全ては赤点を回避し留年を避けるため。
そのために俺は今まで頑張ってきたのだ。普段やらない分、頭を使うとすごい疲れたけど、それでも無理して勉強を続けた。
それは明日からのテストで結果を残すためだ。
「明日のテストは何なの?」
「数学と英語、それから日本史ですね」
「ふむ。苦手な数学が一番の難所だね。日本史は暗記するだけだし、英語は英単語と文法を覚えれば何とかなる、つまり暗記だね」
「数学も公式を覚える暗記なのでは?」
それを言い出すと勉強なんて全部暗記だという話だが。
「うん、そうだね。でも……これは英語にも言えることだけど、覚えるだけで解ける暗記系と違って、数学とかは反復練習が物を言うのよ」
「反復練習?」
「そう。つまり繰り返し、ひたすらに問題を解いて、問題を解く力を身につけるの。公式を覚えただけでは数学はできないよ?」
「そうなのか」
「英語もどれだけ早く英文を訳せるかがポイントだからね」
「確かに」
数学と英語はあまり得意ではない。逆に日本史はそこそこできる。俺レベルのそこそこなので平均以下であることは確かだが、覚えれば回答できる分点数がまだマシなのだ。
「それじゃ、数学から始めよっか」
静かな部屋の中で授業が始まる。
聞こえてくるのは春香さんの声だけ。問題を解いている間は彼女も喋らないので、時計の秒針が動く音が聞こえてくる。
それくらい静かな空間の中で、時折夏樹の声が聞こえてきた時は笑えてしまう。
春香さんの勉強机を借り、問題を解く。イスがないので春香さんは床に座って俺が問題を解くのを待つ。
問題が解けたら答え合わせをしてもらい、間違った問題を春香さんの解説と共に振り返る。
俺の隣に春香さんが立つと、いいにおいが香ってくる。同じシャンプーを使っているはずなのに、どうしてこうもにおいが違うのか不思議でならない。
春香さんが前屈みになると、大きめのシャツが垂れ、胸元がちらと見える。
絶妙に中が見えないようになっているのはたまたまだろうが、それが俺の煩悩を刺激する。
集中しなければならないのに、集中力を欠いてくる。それを乗り越えることで、真の集中力を手に入れることができるに違いない。
これは謂わば試練だ。
今そんなものを見なくても、赤点を回避されすれば……。
「春香さん、問題解けまし……た」
問題を解き、顔を上げて春香さんを呼びながら彼女を振り返る。すると、テーブルに突っ伏してすやすやと寝息を立てていた。
時計を見るともう日が変わっていた。
結構、集中してたんだな。
「……俺もそろそろ寝るか」
寝坊なんて洒落にならないしな。
その後、春香さんを起こし、一言断ってから俺は夏樹の元へと戻った。夏樹は既に寝ていたが、しっかり俺の布団は敷かれていた。
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