第4話 何でも一つ


「圭一くんのお願い、何でも一つきいてあげる」


 その言葉を聞いたとき、一瞬周りの音が全て遮断され、俺の脳内はその言葉だけがぐるぐると回っていた。


「何でも、ですか?」


「うん。けど、もちろん私にできる範囲で、だけどね」


 それって一体どこまでは許されるということなのだろうか。

 例えばゲームくらいなら買ってくれたりするのか? 大学生だしバイトとかはやってるだろうから、我々高校生よりはお金もあるかもだし。


 それかご飯くらい奢ってもらえたり? でもその場合、春香さんと二人でご飯行くことになるのか? そんなデートみたいなこと俺にできるのか?

 ていうか許される範囲なのか?


 なんてことを考えていると、俺はふと夏樹の言葉を思い出してしまう。


『つまり、彼女作ってデートとかしたいし、何ならエロゲみたいなこともきちんとやりたいと?』


 デート……。

 エロゲみたいなこと。


 その時、俺の視線はふと春香さんの大きな双丘へと落ちていく。

 ゲームの中では何度も見たものだが、当然現実世界において俺が女性のそんなところを見る機会などなく、もちろん触れるなんて夢のまた夢だ。


 ましてや。

 春香さんのように綺麗な人の、大きな胸を触る機会なんて、多分俺のこの先の人生ではきっとないだろう。


「……あ、あの圭一くん?」


 春香さんに名前を呼ばれて、俺はハッとして顔を上げる。


 改めて春香さんの顔を見ると、何だかムッとしたような表情をしている。心なしか少し頬が朱いような……。


 て、まさか胸見てたのバレた?


「は、はい?」


 動揺して声が上ずってしまった。

 後ろめたい気もちがこみ上げてきて春香さんの顔を直視できない。


「えっと、さっきどこを見てたのかな?」


「うえ゛!?」


 変な声出た。

 やばいやばいやばいやばい。

 せっかく善意で言ってくれてるのにこっちがそんなこと思ってるとバレたら終わる。

 いろいろ終わる。


「あ、いや、えっと、それは、ですね」


 何も出てこねえ。

 こんなときパッと適当な言い訳思いつく奴頭の回転速すぎるだろ。羨ましいわ。


「まあ、圭一くんも男の子だからね。そういうことに興味を持っても仕方ないよね」


「あ、はは。そですね。健全な男子高校生としては、脳内は煩悩で満たされてますから」


「煩悩、ね」


 にんまり、と目を細めて春香さんは口角を上げる。

 何というか、さっきまでの優しい笑みとは印象が違い、いたずらっ子の笑い方のような。


「圭一くんは、何を考えていたのかな? 私の、胸をじっと見て」


「え、と」


 完全にバレてる。

 女性は自分への視線に敏感だっていうけど、あれ本当なんだな。クラスとかで見るのは止めよう。

 秒でクラスで病原菌扱いされる。赤城菌という言葉が流行してしまう。


「ん?」


 にたーっと笑ったまま、春香さんは俺の顔を覗き込んでくる。


「その、まあ、深くは考えてはないけど、この先の人生で春香さんみたいな綺麗な人の体に触れるようなことはないんだろうな、とか」


 頭が真っ白になって、ついそのまま言葉にしてしまってから、自分の言ったことがめちゃくちゃ気持ち悪いことだということに気づく。


 俺はハッとしてすぐさま弁明しようと口を開く。


「いや、あの、ただ思っただけで決して触りたいとかそんなんじゃなくて! 何ならゲームとか欲しいし! やりたいゲームすごいあって!」


 人間追い込まれると何言うか分からないな。俺はテンパると嘘とかつけないタイプなのかもしれない。

 ミステリとかで内緒の事情を全て打ち明かして足を引っ張るキャラクターだ。


「ふぅん」


 意味深に呟いた春香さんは一度俯く。なので彼女の表情は伺えない。

 引かれた?

 そりゃそうか。俺でも引くし。

 怒られる?

 いや追い出されるかも。ビンタとかされるのかな? 今のうちにメガネだけでも外しておこうかな。

 急にこられたら外せないし、メガネ壊れると困るし。


 俯いた春香さんは小さく何かを呟いた。その言葉は聞き取れなかったが、顔を上げた春香さんは立ち上がり、ベッドに背中を預ける俺の横に移動してきた。


 隣に座った春香さんは、真面目な顔で俺を見つめてくる。

 そんなじっと見られると照れるんですけど。

 というか、俺の刑は?

 情状酌量の余地ありか? それとも死刑執行か。


「なら、圭一くん」


 隣にいるからか、それとも部屋の中が静かだからか、春香さんの声がクリアに聞こえる。


「なん、ですか」


 ぴた、と肩が触れ合う。

 それを避けることもできずに、ただ体を反応させてしまうだけ。電車とかでこれくらい普通にあるのに、緊張感が全く違う。


「圭一くんの好きなゲーム何でも一つ買ってあげる。限定品とかのすごく高いやつでもいいよ」


「あ、はい」


 いろんなことを水に流してくれたのか、春香さんは俺にそんな提案をしてきた。

 ただただ俺にとって、これ以上ないような最高の提案だった。

 頷く以外の選択肢が見当たらない。


 と、思ったその時だ。


「でも、それじゃなくて、さっきのお願いを叶えてあげてもいいって言ったら?」


「え」


 春香さんの言葉を上手く理解できなかった。

 聞き間違いか?

 そもそも、さっきのお願いって何だ? 俺が候補としてあげたお願いって言ったら……。


 俺が脳内をフル稼働させて考えていると、春香さんの顔が俺の耳元に近づいてくる。

 咄嗟のことで俺は動けなかった。


「私の体に触れたいっていう」


 ぽしょり、と。

 耳元で囁くように放たれたその言葉はどこか艶めかしくて、俺は思わず生唾を飲み込んでしまう。


 今、なんて?


 俺は驚きのあまり、春香さんの方を向く。

 もともと耳元に顔を寄せていた春香さんの顔が至近距離にあった。

 あと少し顔を動かせば、唇が触れてしまいそうなくらいの距離で、俺はそんな近くに女の人の顔を見ることがなかったので当然のように照れてしまう。


「どっちか一つだけ、きいてあげるよ? どっちにする?」


 それってつまり。

 俺は恐る恐る視線を下に落とす。そこにはさっきと変わらない大きな胸がある。

 今ここで、俺がそれを選べば、あれを触ることができる、のか?


 そんなことがあっていいのか?

 選んだ瞬間にビンタが飛んでくるとか、そういうパターンの選択肢なのか?

 でも。

 よく分かんないけどこの雰囲気の中でそんな展開になる? エロゲならベッドイン不可避なんだけど。


 でもこれは現実。

 選択肢を一つ誤ればバッドエンドに一直線。しかもやり直しは決して効かない。


「俺は――」


 俺は恐る恐る答えを口にする。

 もうどうなってもいい。煩悩だらけの思春期男子にこんな迫り方して、普通の返事が来ると思う方がおかしいよ。

 俺は。


 男として、正しい選択をした。

 これでバッドエンドへ向かうことになっても、後悔はない。


「そっか」


 俺の返事を聞いて、春香さんは短く呟いた。

 そして、再びにこりと俺に笑いかけてくる。それはさっきのものと違う、優しく包み込むような笑顔。


「じゃあ、ご褒美のために頑張ろっか」


 こうして。

 学年末テストにおいて、赤点回避をして留年の危機を乗り越えるというゲームが始まる。

 その先に待つを目指して。

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