第2話 友達のお姉さん
俺の家と夏樹の家は徒歩一〇分かからない距離にある。
一度家に帰って準備するという手段もあったが、帰ってしまうと気持ちの糸が切れる可能性もあったので、俺はそのまま夏樹の家にお邪魔した。
「おじさんは仕事?」
「ああ」
「春香さんは?」
「さあ。出掛けてなければ部屋にいるんじゃねえか? 最近は春休みだとかでずっと家にいるぜ。いいよな、大学生は休みが長くて」
夏樹は父姉との三人家族。
お母さんは夏樹が中学生のときに病気だったかで亡くなったのだ。
当時はいろいろと大変だったみたいだけど、時間が経ち、気持ちが落ち着き、今では昔と変わりなく過ごしている。
「先に部屋行っててくれ。飲み物用意していくから」
「ありがと」
夏樹の家には子供の頃から何度も来ているので部屋の場所を聞くまでもない。
マンションの一室である夏樹の家は部屋が三つとリビング、キッチンにバスルーム。
部屋は夏樹、春香さん、おじさんそれぞれが使っている。
玄関からリビングに続く廊下に春香さんの部屋の扉、それからトイレとバスルーム。
リビングの隣に夏樹の部屋とおじさんの寝室がある。
俺は先に夏樹の部屋に行き、カバンを置いて適当に座る。
俺を呼ぶつもりがなかったからか部屋は少し散らかっていた。
ベッドとタンス。勉強机の上にはノートやらが広がっている。カーペットの上にテーブルがあり、俺はそこにノートを広げる。
が。
部屋の散らかり具合が少し気になったので夏樹が来るまでの間にささっと片付けてしまう。
「お、悪いな」
俺が片付けをしているところにお盆を持った夏樹が入ってくる。
ジュースの入ったコップと、それから何故かケーキが乗っていた。
ホイップクリームといちごのショートケーキだ。
「何そのケーキ」
「昨日春香が作ったのがまだ残ってたから」
「勝手に食べていいのか?」
「残りもんだし大丈夫だよ。暇潰しに作っただけのもんさ」
「暇潰しに作ったわりにはクオリティ高いな」
「そんだけ暇だったってことだろ」
夏樹はテーブルの上にジュースとケーキを置く。
「これ食ったら勉強開始な」
「おけ」
腹が減っては戦は出来ない。
昔からよく使われる言葉だが的を射た的確な言葉であると思う。
俺はケーキにパクつく。美味い。
これが手作りだということに驚く。普通にお店とかで売られててもいいレベルだ。
しかもこれ暇潰しで作ったんだろ?
春香さんマジパネェです。
二人で楽しいティータイムを過ごしていたその時、夏樹の携帯に着信が入る。
「悪い、ちょっと出てくる」
「んー」
部屋を出て行く夏樹に軽く手を振りながら俺はケーキを口に運ぶ。
ケーキを食べ終えてもまだ夏樹は戻ってこないので、俺は一度片付けた勉強道具一式を取り出す。
ケーキまで食っちまったからな。
気合い入れて勉強するとしますかね。
「……」
難しい。
そもそも。
点数が悪い人間の多くは勉強ができないわけではなく、勉強の仕方が分かっていないだけなのだ。
誰だって効率のいい勉強方法を身に着ければそれなりの点数は取れるだろうさ。
分からない問題と数分間向き合っていると徐々にやる気が失われてしまう。
このままではマズイ。
何か手はないか?
「おまたせー」
そんな時。
救世主が戻ってきた。
「おお、いいところに戻ってきたな。お前を救世主に認定してやる」
「……何言ってんだ?」
俺の脳内事情を把握していない夏樹は若干引いたような視線を俺に向ける。
「いや、それより圭一」
「ん?」
「悪いけど、俺急用ができたからちょっと出てくるわ」
「ん?」
夏樹のセリフに驚き、俺は思わず同じリアクションを取ってしまった。リアクション芸人なら今ので仕事減ってしまう。
「さっきの電話?」
「ああ、そう。彼女」
「絶体絶命の友達より彼女を取るとは薄情な奴よのう」
「問題ない。ちゃんと代替案は考えてある」
パチリ、とウインクを決めながら夏樹は親指を立てる。このキザな仕草をここまで使いこなせる男を俺は他に知らない。
「代替案?」
「そ。まあ、準備終わったら来ると思うからちょっと待ってろよ。あ、俺のケーキ食っちまってくれ」
じゃな、と手を上げてそのまま部屋を出ていってしまう。
一人残された俺はどうしていいのか分からず、とりあえずケーキを食べることにする。
「……うま」
* * *
夏樹の分のケーキを食べ終え、食器を片付けた俺はどうしていいか分からないまま勉強を再開した。
教師役の夏樹がどこかへ旅立ってしまったので自力で勉強するしかなくなったからな。
友達の部屋で友達いないのに一人で勉強するって状況がもうわけ分かんねえな。
今日はもう分かんないことだらけだ。
いろんなことに俺が頭を抱えていたその時だ。
スーッと襖が開けられた。
夏樹の奴、ようやく帰ってきたのか。
「どこ行ってたんだよ、こっちは一人で大変だった……ん、だ、ぞ?」
驚きを隠せなかった。
なぜ言葉が電波の悪いところのように途切れ途切れになり最終的に疑問形になったのかと言うと、襖を開けたのが夏樹ではなかったからだ。
「ご、ごめんね。待たせちゃったかな?」
申し訳無さそうに、恐る恐る顔を出してこちらの様子を伺っているのは女の人。
くるみ色の長い髪、ぱちりと開いた大きな瞳とそれを縁取る長いまつ毛。
小さな鼻とさくら色の唇。素材を活かしたナチュラルメイク。
俺はこの人を知っている。
「春香、さん?」
蒼井春香。
夏樹の三つ上のお姉さんだ。
「うん」
俺の疑問に春香さんは控えめに頷く。
「えっと、入ってもいいかな?」
「あ、はい。ていうか俺の部屋じゃないし」
何故か固くなってしまう。
変な意味じゃなくて、普通に体がという意味で。
けれど、まあ。
固くなってもおかしくはないんだけれど。
最後に春香さんを見たのは確か高校生の時だった。あの時はまだ黒髪で、その時点でスタイルがよく、まさに理想の女性って感じだった。
俺の視線はちらと彼女の胸元に吸い寄せられる。
記憶は曖昧だけど、あの時よりさらに大きくなっているのではないだろうか。
春香さんが歩くと、ゆさゆさと大きな胸が揺れる。それを見ていると顔が赤くなりそうなので俺は咄嗟に視線を上げる。
「じゃあ、ちょっと失礼するね」
薄めの長袖シャツにロングスカート。部屋着感はあまり感じさせないが、ゆるさはしっかりと残っている。
素材がいい人は何着ても似合うって本当なんだな。
「えっと、あの」
突然の姉襲来に俺は早速キョドっている。
キョドると分かっていてもキョドっているのだからもう回避不可だ。
「あ、もしかして私のこと分かんないかな? 春香、なんだけど」
「あ、いや、それは分かります」
「ほんと? 髪とか染めたから雰囲気変わったでしょ?」
春香さんは毛先を持って、どうかな? と俺の方を見てくる。
どうかな、と聞かれましても。
「よくお似合いかと」
まあ、本音をぶっちゃけると黒髪ロングの方が好きではあった。
でも茶髪が似合っているのも本当だ。
「そう? ありがと」
えへへ、と恥ずかしそうにはにかむ春香さんは歳上感を思わせない幼さがあった。
「て、そうじゃなかった。夏樹に頼まれて、圭一くんの勉強を見ることになったんだけど」
「へ?」
いや、そんなさらっと。
ていうか、今なんて? と俺は表情だけで春香さんに伝える。
「んっとね、圭一くんのお勉強を見ることになりました」
あ、表情だけで上手く伝わったらしい。
いやいや。
そんなこと言ってる場合じゃない。
「……へ?」
自分のボキャブラリーの少なさに嫌気がさした。
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