第19話 手紙

 マスターの店に着いた僕は何か違和感を感じた。

 店の扉にはCLOSEのプレートがかかったままだし、カーテンで店内の様子はうかがえない。

 マスター、定休日でもないのにどうしたんだろう?

 僕は裏に回るとチャイムを鳴らした。こっちから入るの久しぶりかもしれない。

 ドアが開き、疲れた顔のマスターが顔をだした。

「マスター、風邪ですか?」

「……シン」

 顔色が良くない、風邪でもひいたんだろうか?

 マスターは無言のまま奥へと戻っていった。

 僕は追いかけるように中に入るとドアの鍵をかけた。

 店内はすっかりクリスマスの装飾で飾られている。エアコンも丁度いいくらいでかかっている。どうやら、マスターはカウンターでコーヒーを飲んでいたようだ。コーヒーカップが湯気を立てていた。

「マスター、大丈夫ですか?」

「……すまん」

 カウンターに座るとマスターは深々と頭を下げた。

「どうしたんです?……ヒロミは?」

「……いないんだ」

 苦痛に顔を歪めるようにそう言うと僕から顔をそむける。

「実家の方ですか?……今日は戻ってくるんですよね?ヒロミのお母さん苦手なんですよ」

 重い空気を消すために、僕は肩をすくめてみせた。

「シン……ヒロミはもう帰ってこない」

 夢の映像が頭をよぎる。

「……何があったんですか?」

「……」

 マスターは黙ったままだ。

「マスター……そんな事ないですよね?」

 聞きたくない……現実であってほしくない。

「…戻る事はない。……葬儀も何もかも……終わった」

 苦しそうにマスターはそうつぶやいた。

 嘘だ!嘘だ!!嘘だ!!!

「……何で連絡してくれなかったんですか?」

 不思議と悲しみはなかった。どこかで感情の糸が切れてしまったんだろうか?

 静かに僕はマスターに問いかけていた。

 現実として受け入れたくないだけなのかもしれない。悪い夢を見ているような気分だった。

「葬儀にお前が参列するのを妹が嫌がったからだよ。……俺が参列するのもな。……誰かを責めなくちゃ怒りがやりきれなかったんだと思う」

 ……怒り?

「ヒロミのお母さんが?」

「……そうだよ。妹を責めないでほしい。連絡しなかったのは……京香に連絡しないように頼んだのも俺だ」

「そんな……」

「……シン……本当にすまない。何度詫びてもヒロミは帰ってこない。……でもな俺はお前に頭を下げる事しかできない」

 カウンターに擦りつけるようにマスターは頭を下げた。

「マスター……顔、上げてくださいよ」

 僕はそう言うと、何が起きてしまったのかを訊ねた。



 マスターは苦しそうに、少しずつ何があったのかを話してくれた。


 ヒロミは僕がいなくても大丈夫だという事を証明したかったのだという。

 近所の買い物ぐらいなら一人で出かけるようになっていたそうだ。

「イヴまでにプレゼントを用意したい」

 そんな事ばかり言っていたそうだ。

「シンをビックリさせるんだ」

 それが口癖になっていたそうだ。

 彼女は再び不幸に襲われ……自ら長い眠りに……目覚める事のない……永い永い眠りについてしまった。



 僕はマスターにヒロミの部屋に入ることを許してもらうと、彼女の部屋に向かった。

 主がいなくなったというのに……部屋の様子は、京ちゃんと三人で話したあの日と何も変わらない……店で働いているヒロミの姿が目に浮かぶ。僕は何をするでもなく、ただ、その場に立ち尽くしていた。


「何してるの?シンのH!」

 そうヒロミが咎める事はもうないのだ。

 僕は自分の部屋へと向かった。


 一緒に眠っていたベッド……小説を書いていた机……僕がこの部屋にいる理由も……もうない。

 やりきれない気持ちが胸にこみ上げる。

 原稿を持ち帰る為に引出しを開いた。

「!?」

 ルーズリーフの上に小さな包みが置かれていた。

 それを手に取ると、僕はベッドに腰を下ろした。

 包みを開く、サンタのイラストが描かれたクリスマスカードだ。

 中には一冊の本と手紙が入っていた。

 ソレは、僕が探していた本だった。……ヒロミと初めて出会ったあの日、探していた本だ。

 この本の事をどうしてヒロミが……?……そういう事なのか?

 僕は便箋を取り出すと手紙に目をやった。

 見なれたヒロミの字が並んでいた……それを見た瞬間、僕の瞳から涙がとめどもなくあふれた。

 もうこの字を書く者はいない……声を押し殺し、僕はただただ涙を流した。


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