第8話 ぬぐえぬ闇…… 前編

 彼女の望むままに、マスターの家に泊まる事が増えていった。無論、休日前に限るのだが……そした彼女と共に眠るのである。彼女に対する気持ちは伝える事ができぬまま……。

 身体のつながりは何一つなかったが、右腕の重みと彼女の温もりがただ愛しかった。

 僕の仕事の休みに合わせて、ヒロミが休めるよう、マスターは都合をつけてくれていた。

 そのため、休みの前日から一緒に過ごす時間は日増しに増えていった。

 そんな穏やかな日々が続いたある日の事だった。


「シン……お願いがあるんだけど」

 僕の隣で横になったままヒロミが小さくつぶやいた。

「何?」

「あのね……明日なんだけど」

「何しようか?……何かしたい事がある?」

「うん……映画観に行きたいんだけど……ダメかな?」

「別に構わないよ。今って何が上映してるんだっけ?」

「わかんない……ただ、何か映画が観たいだけなの」

 暗がりをあれほど恐れてるのに……大丈夫なのかな?

「行ってから決めるのか?……その方が動きやすいし、その方がいいかもな」

「いいの?」

「元々決めてなかったんだもん、良いに決まってんじゃん」

 平日だし、人ごみは避けれるだろうけど……暗闇を克服できるんだろうか?

「ありがと……おやすみ」

 小さくお礼を言うとヒロミは瞳を閉じた。

「うん、おやすみ」こうしてる時が一番安心できるのかな……。

 その頃、彼女が普段は睡眠薬服用して眠ってる事をマスターに聞いていた。それでも、眠れない夜を彼女は過ごしている…。

 ヒロミが寝息をたて始めたのを確認して、僕も眠りについた。



 ピピピピピピッ

 目覚ましの電子音で目が覚めた。

 スイッチをOFFにするとヒロミに声をかける。

「おはよ……ヒロミ、朝だよ」

 安心しきってるんだろうな……これなら映画、大丈夫かな。

「……ぅ……ぅうぅん」

 まだ眠たそうだ。

「映画観に行かないのか?起きないと午前中に観れないぞ」

「……うん、おはよぅ」

 まだしっかりとは目覚めていないみたいだけど、ヒロミは上半身を起こした。

 パジャマが乱れてブラが視界に入ってくる。

 なんでこうも、警戒心がないんだろうな……目のやり場に困る。

「……ヒロミ」

「……ぅうん?何?」

「……ブラ見えてるんだけどさ」

「え?……シンのH!!」

 慌てて布団に潜り込む。

「見えてたから注意したんじゃんか……目のやり場に困るだろ?早く着替えてこいよ、仕度できたら出かけよう。もちろん、通勤ラッシュは避けて乗るけどね」

「こっち見ないでよ」

 布団の中で何やらモゾモゾと動いてる。

「見ないよ」

 ため息が出そうになる。自分からきといて……僕の身にもなってほしいよ。

「シン、用意したら呼びにくるね」

 ヒロミはそう言うと自分の部屋に戻っていった。

「わかったよ」扉が閉まると同時に大きなため息がこぼれ落ちた。



「シン、用意できた?」

 ノックの音と共にヒロミが廊下から僕を呼ぶ声が聞こえた。

「できてるよ。マスターに声かけたら出かけよ」

 部屋を出るとヒロミをうながした。

「うん」

 店に下り、マスターに出かける事を伝えると、僕らは駅に向かって歩き出した。


 再会してから、初めてのデート(?)らしいデート(?)だった。

 僕は気持ちを伝えていないし、ヒロミがどんな気持ちで僕と接しているのかなんて、わかるわけもなかった。

 二人で遊びに行ける。お使いなんかじゃなく、デート(?)という形で……それが嬉しかった。

 手をつなぐでもなく、腕を組むでもなく、僕らはただ並んで歩いた。

 出会って間もない頃の記憶が不意に頭をよぎり、なんだか無性に恥ずかしいのを我慢して駅へと歩いた。

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