第6話 穏やかな日々 中編
いつものように閉店後、夕食をマスターに作ってもらう。まるで、家族のようにマスターは接してくれていた。それは、父のいない僕には新鮮な温かさだった。
「マスター、ごちそうさまでした」
「食後にコーヒーいれるけど、シンはどうする?」
「ヒロミが淹れてくれたのなら、飲みます」
少し申し訳なく答えると、嬉しそうにヒロミが豆を挽きはじめた。
「俺のはダメなのか?」
からかうようにマスターがつぶやく。
「マスター、知ってるじゃないですか、僕がコーヒーあんまり好きじゃないの……」
「珍しいなと思うからさ。苦いのがダメなのか?」
「口に残る酸味が、どうも好きになれないんですよ」
「シンはね、味覚がお子様なのよ。甘くしたら飲めるんだもん」
茶化すようにヒロミがからかう。
「仕方ないだろ?どうにも好きになれないんだからさ」
「ブレンドの仕方次第だと思うんだけどなぁ」
「ヒロミにできるのかぁ?」
「絶対に美味しいって言わせるからね」
瞳が少しムキになってる。
「ふーん、楽しみにしてるよ。ヒロミ特製のブレンドをね」
これ以上、文句言わない方が良さそうだな。
「俺が淹れてやろうか?」
「ダメ!!私が淹れるの!!」
「冗談だよ」
困ったようにマスターが僕を見た。
こうしてると、あの頃のヒロミと何も変わらないのにな……付き合ってた頃のヒロミと……でも、今の僕は恋人じゃない。……友達、か。
「お待たせ。早く飲んで感想を聞かせてよ」
「そう急かすなよ。香りは好きなんだからさ…」
淹れたばかりのコーヒーの香りを少し楽しむと、カップに口をつけた。僕の様子をじっとヒロミが見つめている。
「どう?」
不安そうに訊ねる。
「美味しいよ。……もう少し酸味がないともっと美味しいと思うけどね」
「まだ気になるの?」
「香りは好きなんだけどね……」
「これだからお子様は困るのよ。絶対に美味しいとしか言えないの、淹れてあげるからね」
「楽しみにしてるよ」
「任せといてよ」
とても嬉しそうに微笑むと、何かをメモしてる。ブレンドの比率なのかな?……時間が戻ればいいのに。
ふと時計を見ると11時を指そうとしていた。
「あ!?もうこんな時間なの?」
「シンが寝てるからよ」この日も、寝入ってしまったのだ。
「ヒロミだって寝てたじゃんか」
いつもの事になっていたが、目覚めると横にヒロミが寝ていた。安らかな寝顔で……。そんな状況に、慣れることなどできないのだが、口にはしなかった。僕を信頼してくれ、頼ってくれている証拠だと思っていたからだ。
「シン、連絡しなくて大丈夫なのか?」
「明日は仕事も休みだし大丈夫ですよ。お袋も休みなのは知ってますから、夜遊びしてるぐらいで済みますよ。マスター、いつもごちそうさまです」
「送っていこうか?」
「大丈夫ですよ。……ヒロミ、また明日ね」
「………うん」
何か言いたそうに、僕を見つめる。
遅くなった日の別れ際は、いつも寂しそうで、何か伝えるのを我慢しているようだった。
「どうかしたのか?」
マスターも不思議そうに思っていたのか、ヒロミに問い掛けた。
「……遅いし、泊まっていけばいいのに……」
小さな声で、恥ずかしそうにつぶやく。
寂しいのかな?どうせ、朝には来るんだし……。
「シンを困らせちゃダメだよ、ヒロミ」
「あの……マスター……いいですか?泊めてもらっても?」
「いいのか?俺は別に構わないが……」
「お願いします。あとパジャマになるようなの、あれば貸してもらえませんか?」
「お袋さんに連絡しなきゃマズイだろ?」
「大丈夫ですよ。下手な事言うと後が面倒なんで……」
「そうか。ヒロミ、新しいスウェットがあるから、出してあげるんだ。……わがままばかり言っちゃダメだぞ」
「わかってるよ。……シン、部屋に持っていくね」
さっきまで翳りのあった表情に明るさが戻る。
ヒロミは食器を片付けると、2階へと上がっていった。
「シン、すまないな」
マスターが頭を下げる。
「やめてくださいよ。図々しく泊めてって言ってるのは、僕の方なんですから。それに、明日は朝から店手伝いにくる予定でしたから」
「俺は残りの片付け済ましたら眠るから、先に休んでくれていいよ」
「手伝いますよ」
「明日しっかり働いてもらうから、今日はもう休んでいいよ。ヒロミが待ってるしな」
早く上に上がるよう、天井を指差す。
「すいません」
マスターに頭を下げると、自分の部屋に向かった。
ドアを開けると、ヒロミがスウェットを膝に抱えてベットに腰掛けていた。
「シン、ありがとう」
ヒロミからスウェットを受け取る。
「何が?遅いから泊めてもらうだけだぞ?」
「……」
寂しげにヒロミがうつむく。
一緒に少しでもいたいからだよ。そんなの……伝えられないじゃんか。
「ヒロミ……」
「……何?」
「着替えたいんだけど?」
「着替えたらいいじゃない」
瞳が少し怒ってる。
「見たいのか?」
「気になる?」
悪戯っぽく微笑む。
「当たり前だろ」
「気にしない、気にしない。パパっと着替えちゃいなよ」
ベットに腰掛けたまま、僕を見つめる。
「わかったよ」
おもむろに服を脱ぎ、ベルトを緩める。
「!?本当に脱がないでよ!シンのH!」
「どっちがだよ」
ヒロミは慌てた様子で部屋を出ていった。
ドアが閉まるのを確認すると、覗かれないように急いで着替えを終えた。
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