犬の友達

鶴森はり

犬の友達

 選択授業。綾は教室を移動して、いつも通り隅の席を選んだ。

 授業開始まで余裕がある。携帯電話を取り出すと同時。話したことのない女子生徒が、気怠げに欠伸をしつつ隣に腰を下ろした。人気がない教科、場所は沢山余っている。

 何故わざわざ。

 女子の顔を凝視した瞬間、鋭く冷たい印象の瞳に射貫かれ、冷や汗が滲み出た。凍り付いた綾に彼女が唇を開く。

「教科書、忘れたの。見せてくれる?」

 威圧的な雰囲気に呑まれた人見知りの綾は、愛想笑いを浮かべて了承した。

 教科書を真ん中に広げるのを眺めて彼女は、さして興味もなさそうに指摘した。

「犬を描いてるけど、好きなの?」

「う、うん。うち、家にいて」

 教科書の落書きを見られた羞恥心に言葉が上擦った。

 だが綾の様子など一切気にも留めない。

 綾は余裕などなく、急いで画像を表示させる。

「柴犬? かわいいわね」

「あり、がとう」

 弟のように可愛がっている子だ。褒めて貰うのは嬉しい。何より優しげな声音になった彼女に、幾分か緊張が和らいだ。

 綾は写真を見つめる。見慣れた弟に気が緩み、思わず、以前からの悩みを吐露した。

「犬の友達がいないんだ。本人はどうか分からないけど、もしかしたら寂しいのかなって」

 綾と写る弟の思いを正確に知る術はない。

 自分自身は知人すら少なくて良いという考えではある。

 だが一匹ぐらい犬同士の友達がいた方が楽しいのではないか。相性の他にも色々な問題があるので、作るべきとは断言出来ないが。

「あの子も可愛いのよ」

 心を読んだかのように彼女が呟いた。

 顔を上げた綾に、先程の凍てつく視線が嘘だったと錯覚させる程、柔らかい表情で続けた。

「写真はないんだけど。茶色で、くるんとした黒目の子。寂しがり屋。新しい友達が欲しいんだけど、どうかしら?」

 首を傾げて尋ねる彼女に、一拍おいて綾は頷いた。

 つまり休日に親しくない女子相手と遊ぶという約束になる。

 綾は一瞬躊躇したが、あの子に友達が出来る期待に背中を押された。

「連絡先、交換しましょ」

 予鈴が鳴る一分前。手早く済ませた。表示された美也という字で漸く名前を知る。

 教師が入ってくるのを視認し、後で詳細を決めようと小声で話を打ち切った。




 日曜の午後。時間通りに近場の公園で待ち合わせしていた。

 広い芝生に喜ぶ愛犬。目の前には冷たさを感じる美人な彼女。そして。

「茶色。寂しがり屋の人間よ。よろしくね」

「予想外すぎて、帰りたい」

 明るめの茶髪に大きな瞳をした、同じクラスの男子生徒だった。

 気恥ずかしげに俯き、綾から距離を取っている。

 騙されたと嘆くべきか怒るべきかと、頭を抱える。確かに犬とは言明していなかった。

「うそうそ。冗談よ。犬もいるわ」

 逃げようと背を向けた綾に、待ったをかけた。

 美也が言った通り、男子に意識を奪われていたが、彼の足元、隠れるように座る影。

 小型犬のパピヨン。白黒の可愛い子は、やがて意を決したのか近づいてきた。

 警戒するように観察し合い。犬特有の挨拶を交わした。

 綾は固唾を呑んで見守る。

 沈黙すること数十秒、恐れていた事態にはならず、勢いよく走り出した。

 時折立ち止まり、寄り添ってじゃれ合う二匹はまるで旧友のような恋人のような空気である。

 初めての犬同士の友達だ、綾は感極まって泣きそうになった。

 犬が大好きな人間として、この光景は幸せに溢れていた。

「ほら、あんたも」

 美也の苛立ちが混じった声に振り向けば、彼も感激に震えていた。

 同類の気配を感じ取ったが、自分から近付く勇気はない。

 恐らく飼い主であろう男は、目線を彷徨わせた。

「実は、朝に、よく散歩してる君を見かけて。……その、仲良くなりたくて」

 急に話しかけるより、同姓を通じて頼めば良いと判断した結果らしい。美也も男子の名前を言うより、騙す一歩手前の誘い文句の方が呼び出しやすいと思ったそうだ。

 確かに、突然男子の愛犬の話が出れば綾は拒絶しただろう。

 そうしていたら、愛犬の喜ぶ姿は見られなかった。

 初対面だと感じさせない恋人のような二匹。少々気になる部分もあるが、些細な問題。

 来た甲斐があると納得すれば自然と頬が緩んだ。

「ありがとう、うちの子に会いたがってくれて。おかげで、あの子も楽しそう」

 えっ。間抜けな返答が彼の口からこぼれた。暫しの沈黙の末、ぎこちなく笑顔を返す。

「二匹みたいに、すぐってのは無理そうね」

 美也が、何故か呆れたような様子で呟いた。

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犬の友達 鶴森はり @sakuramori_mako

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