第447話 ジャンと共同経営

「畜生……小麦が値上がりすると思ったのに」


 先の東方戦争でルテティア王国軍に従軍したジャン。

 無事に生還し復員。退役時に多額の給与と一時金を貰っていた。

 極寒地獄のような戦場に行く様な思いを二度としないよう、支給された俸給、手当、退役一時金全てを小麦投機につぎ込んだ。

 小麦は品薄になっており天候不順で生育も悪く生産量も少ない。夏頃の予測では秋になっても高く売れると思っていたからだ。

 特に輸送力が小さいリグニア本土周辺では品薄になると予想して買い込んだ。

 だがリグニア国鉄が大量の小麦をルテティアから運んできてしまった為にあっという間に暴落。

 ジャンの資産は大幅に減ってしまった。


「仕方ねえ、株で稼ぐか」


 そう言って帝都の株式市場にやってきたが、過去のことを思い出して止めた。


「また詐欺に遭うのはゴメンだな」


 過去にミシシッピ鉄道に投資したが実体の無いペーパーカンパニーで金だけ集めて創設者が消えてしまった。

 だから株式投資にジャンは慎重だった。

 しかし、ジャンの頭に一つの考えがひらめいた。


「そうだ俺が経営に関われば問題無い」


 経営に直接関わればペーパーか否かが解る。

 それどころか経営者としての報酬も入ってくるはずだ。

 金を出すだけより安全で多額の金を得られる。

 幸いルテティア王国鉄道で働き鉄道の事は多少なりとも分かる。従軍していた時も鉄道に関わったので知識も経験もある。


「鉄道の知識と経験があれば俺でも活躍出来る」


 変な自信を持ったジャンは帝都の株式市場に入り設立準備中で株式を募っている会社を探し始めた。


「さて何処が良いかな。鉄道の技術者を求めている所は無いかな」


「済みません」


 その時、ジャンの後ろから声を掛ける身なりの良い男がいた。


「私投資家のジョン・ローと申します。この度新規の鉄道会社を設立しようと考えていたのですが、どうでしょう一緒にやりませんか?」


「え、いいんですか」


「はい、恥ずかしながら資金も技術者も足りなくて困っておりますが」


「あ、それなら私が投資として一部出しますよ。それに技術なら大丈夫。私ルテティア王国鉄道で働いていましたし、軍でも鉄道関係をしていましたから」


 下っ端だったことを隠しつつジャンは答えた。嘘は言っていないが多少盛っても問題は無いと思っていた。

 そうしたら相手は強く食いついた。


「それは素晴らしい。経歴は証明できますか?」


「は、はい在職証明書と軍の従軍記録があります」


 国鉄では技術者が他の私鉄へ移るときの指標になるように在職時の経歴を希望者に渡している。軍での記録も同様だ。

 何かの役に立つと思ってジャンは発行して貰っていた。


「ほお、これは本当に素晴らしい」


 ローはジャンの経歴を見て大げさに言った。


「実は技術者が不足していまして是非技師長として入って欲しいのですが。勿論、共同経営者としても」


「是非」


「ありがとうございます」


 そう言ってローはジャンと固い握手を交わした。


「では早速皆さんの元に向かいましょう」


 いきなりローに引っ張られて連れて行かれるジャン。振りほどこうとしたがローの勢いに飲まれ引きずられるだけだ。

 そんな中でジャンは一言だけ尋ねた。


「どこへ?」


「鉄道を求めている方々の元にです」


 ローの答えにジャンは再び尋ねる。


「どういうことですか?」


「ああ、まだ話しておりませんでしたね。実は帝国本土北方にあるルシニア州で鉄道を求めている方達が居りました。私は投資家兼代理人として資金と人を集めて敷設しルシニアを豊かにしてそこから少しの利益を報酬として貰おうと考えております。是非ご協力を。特にあなたの鉄道に関する技術と経験には大いに期待しています。是非とも我が社の設立に参加してください」


「はあ、なるほど。そうしえば鉄道会社の名前は?」


「マーネエラプセ鉄道です。良い名前でしょう」


「そうですね響きが良いです」


 適当に相づちを打ったジャンは直ぐにルシニアの方々、それも辺境に位置する町や村の有力者と引き合わされた。


「皆さん、御紹介します。この度共同経営者兼技師長としてマーネエラプセ鉄道に参加して下さるジャンです。彼はルテティア王国鉄道の創生期から入社し建設、敷設、運転、機関車製造など鉄道のあらゆる部門を歴任した優秀な方です。測量を行い、線路を敷設し、機関車を動かし、貨車の連結を行い、ホームで駅員業務をこなした希有な方です。その豊富な経験を我々の鉄道会社に提供していただけることとなり会社の成功は一〇〇パーセントから二〇〇パーセントとなりました。成功から大成功へジャン氏が導いてくれます。どうか彼に温かい拍手で迎えて下さい」


 室内で数十人が拍手を持ってジャンを迎えた。


「ど、どうもジャンです」


 ジャンが頭を下げると部屋にいた人々が次々と駆け寄ってきた。


「ありがとうございます。鉄道の開通は我らの悲願でした」


「首府まで国鉄が来ているんですがその先はまだ出来ていないのです。国鉄に延伸を頼んでも数年先だと言われてしまい困っていました」


「これで我々も帝都のように繁栄できます」


「どうか鉄道をお願いします」


「さあさ、どうぞ遠慮無くお飲み下さい」


 口々に感謝を表明すると自分たちの地酒を注いでいった。

 ルシニアの地酒は蒸留酒だ。寒い地方で寒さに負けないために強烈な酒精の酒を飲む。

 しかも一杯を一気に飲み干す。

 飲めば喉が熱くなり胃はボイラーのように燃えさかる強力な酒だ。

 そんな酒を何杯も勧められた。

 それでもルシニアの人々は注ぐのを止めない。それどころか念願の鉄道が建設されることが嬉しくてジャンに注いだ何倍もの酒を自らあおって祝った。

 そのためジョン・ローが袖に隠したゴム管から酒を懐のゴム袋に捨てていることに誰も気が付かない。

 深夜まで祝宴は続き最後には全員が酔いつぶれて眠ってしまった。翌朝いや昼過ぎになってようやく目覚めた時、ジョン・ローは集まった資金と共に消え去った。




「このジョン・ローって奴、ミシシッピー鉄道にいたような気がするんだが」


 ルテティア王国時代の鉄道ブームで多数の鉄道会社が乱立したが、多くは実態の無いペーパーカンパニー、要するに出資金詐欺の道具だった。

 鉄道が儲かっているので鉄道を作ると言って相手から資金を出させて、そのまま金貨の入った袋を持って逃げていく。そのための道具だった。

 勿論、この名前は偽名だろうし他の名前を使っていたかもしれないが筆跡が似ていた。

 何より書類の作成の仕方、雰囲気というか、言い回しや調達方法、必要資金の計算などが似ていた。

 文章鑑定法、文章の構成、書き方から当人か否かを判定する方法に類似するやり方で昭弥は誰が書いたかを判断していた。

 鉄道雑誌を読んでいるとライターごとに記事の癖というのがあり名前を見なくても誰が書いたか雰囲気で解るようになった。それを応用しての事であり専門家のような大した技能では無い。それでも仕事上は役に立つ。


「少し調べて見ましたがいくつかの偽名を使っているようです。詐欺罪で警察に伝えますか?」


 情報を収集してきたセバスチャンが報告する。


「動いてくれるかな」


 報告を聞きながらも昭弥は難しいと結論づけていた。

 現行犯ならともかく疑わしい段階で捕まえてくれるだろうか。詐欺というのは立件が難しい。

 何より内務省管轄の警察が鉄道省からの情報提供に真摯に向き合うか疑問だった。

 帝国全土の警察権力を握ろうとしている内務省警察局にとって独自に鉄道内の捜査権を持つ鉄道公安部はライバル、いや警察局が持つべき権限を持つ敵対組織だ。

 そんなところから提供された情報を犯人を捕まえるなど、鉄道公安部の存在意義を認めるに等しい。

 被害者が被害届を警察に提出するまで放置する事も考えられる。

 例え詐欺犯が逃亡し迷宮入りになろうともだ。権力奪取の為にそこまでやるだろう。


「でしたら別件逮捕ですね。逃走時に鉄道を利用したとき逮捕するのはどうでしょう」


 ある犯罪、殺人や大規模破壊活動などの恐れがあるとき別の犯罪、旅館法違反、軽犯罪法違反などで逮捕して取り調べたり拘束することを別件逮捕という。

 日本でも左翼運動が盛んな時に良く行われた警察の常套手段で、名人級の刑事になると相手が少し触れただけで本当に吹っ飛ばされたように転び公務執行妨害で現行犯逮捕して拘束してしまう。

 帝国でも似たような事を起こして逮捕している。

 そして幸か不幸か現在の帝国は鉄道国家であり長距離移動には必ずと言って良いほど鉄道が利用される。

 それを利用してジョン・ローなる人物が駅や列車などの鉄道施設に入ったところで鉄道公安部が職質を掛けて別件逮捕する事が出来る。


「それしかないか。これ以上被害を出さないように頼む」


「では早速。しかし金は取り戻せないかもしれませんね」


「そこまでは面倒見切れないよ」


「それでこのマーネエラプセ鉄道の事業計画書はどうしますか? 認可しますか?」


「再提出を命令するよ。経営者が雲隠れしては認める訳にはいかないからね。齟齬が無いか確認して問題無いなら承認、無ければ認める。それだけだ」


「では担当者にそのように伝えます」


 こうしてマーネエラプセ鉄道は一度突き返された。

 ただ、昭弥は後に却下にしなかったことを後悔する事になった。

 担当範囲が帝国全土に広がり、流石に自ら足を伸ばすことは少なくなった。何より後進育成の為にも現場に出張ることは極力抑えるようにしていた。

 ルシニアが辺境にあり出張が長期に渡るため、今回は昭弥自ら行くのは止めて指示を出すだけにした。

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