44.異世界言語問題

 旧市街をどんよりと流れるドブ川のほとり。川からは、相も変わらず酷い臭いが立ち込めているが、今や、俺の鼻はすっかりこの臭いに馴れてしまったようだ。ドブの臭いに対する不快感というよりも『ああ、ドブの臭いがするなぁ』という単純な感想だけが、横に文字が流れるタイプの電光掲示板のように、脳裏でリピート再生されている。


 基本的に、この街のドブ川は、道路よりも数メートル低い位置にあって、運河のようになっているので、その岸辺といえば、大体は建物の壁や道路を支える石垣――つまり、絶壁か、そこから川まで降りてくる階段、あるいは、階段を降りた先に設けられた木製の桟橋だ。

 しかし、たまに、崩れた建物の残骸や石ころ等が堆積した場所があって、まるで元から河原だったかのような地形と化している。まさに、俺たちの現在地が《そこ》だ。


「……よし! 我ながら、良い出来映えだわ。あとは付呪エンチャントね」


 小さなナイフを片手に、先ほど買った――というか、俺が買わされた木の杖の先端を削り、彫刻か何かを施していた様子のアニー。どうやら大方作業が終わったようで、宙に浮かぶ魔法の箒から飛び降り、杖をかざして彫刻の出来映えを眺めながら、満足げな表情を浮かべている。はいはい、自己満乙。


 ……で、俺の方はというと、その傍らで、河原の瓦礫を使って炉を組み、アニーから使い方を教えてもらった火打ち石で火を起こす練習をしているのだが、燃料として掻き集めた杖の削りカスに火が点く様子は一向に無く、今もなお、やきもきしているところだ。


「なんか知らんけど、上手に出来たみてーで、良かったですねぇ。俺の方は、全然ダメだわ」


「不器用ねぇ。それ、ちょっと良い炭燧石コールフリントなんだから、小さな子供だって火が起こせるくらい簡単なはずよ?」


 杖を河原に置き、俺の手から火打ち石を掠め取るアニー。隣にしゃがみ込んだ彼女が、ナイフの背で火打ち石を擦ると、”バチバチ”と目映い火花がほとばしり、あっという間に、削りカスに煌々と火が点る。そして、あっという間に、燃え尽きる。


「ねっ。簡単でしょ?」


「ぐぬぬ……。いや、俺が不器用なんじゃ無くて、お前のナイフに特殊な細工か何かしてあるんだろJK常識的に考えて


「してません。何なら、あなたが買ったナイフと交換してみる? どっちも大して変わらないわよ」 


 俺は、アニーの提案が聞こえないフリをしながら、彼女が河原に置いた杖を拾い上げ、彫刻の出来映えを眺めてみる。

 

 ……すご。なんだこれ。

 俺の肩くらいまでの長さがある木の杖の先端には、杖と一緒に買わされた真っ黒な水晶が填め込まれており、水晶が填め込まれた窪みの周辺には、花、植物の茎、根、葉、そしてハート柄などを巧みに象った魔方陣のような紋様が刻まれていた。それはまるで、前衛的かつ繊細な美術品のようにも見えてくるほどの美しさである。


「可愛いでしょ。デザイン料の代わりに、お褒めの言葉をくれてもいいけど?」


「……悔しいけど、めっちゃセンスあるなコレ。ネットにうpしたら、バズりそう」


「はい?」


「おっとっとォ!? い、いや……最後のは、その……俺の国の褒め言葉の、方言みたいなアレで……」


「あら、そう? それがどの程度の褒め言葉なのか知らないけれど、どうもありがとう。素直に嬉しいわ」


 アニーの声のトーンが上がり、少し早口になる。彼女が『杖を貸して』と訴えるかのように両手を差し出すので、手渡してやると、先ほどよりも一層満足そうな表情で自分が彫った魔方陣を鼻歌交じりに眺め始める。不覚にも、そんな彼女の姿に萌えてしまう俺。

 ……いやいや。漏れには、セトメたんという心に決めたその人がだな――


「ところで、それってどこの国の褒め言葉?」

「ア-↓ハァン↑!? こまけぇこたぁ気にすんな!!(食い気味)」


 ここで、思いも寄らぬ追撃。好奇心旺盛なアニーの質問を全力で阻止しようと試みる壮亮。喜ぶアニーの姿に、ふにゃふにゃした薄ら笑みを浮かべていたが、咄嗟にデ○ーク東郷ばりの険しい表情で凄む。


 ヤバイヤバイ。この世界に来てからというものの、つい絶対に現実世界でしか伝わらない表現を使ってしまい、こんな風に周囲への釈明に追われることがちょくちょくあるんだよなぁ。


 ……そして。


 そもそも、今までは深く考える余裕が無かったけれども、改めて考えてみると、なぜ俺は、この異世界の住人たちと普通に会話することが出来ているんだ?


 ネルヘルム王国。王都レムゼルク。公用語は……よくわからんけど、ネルヘルム語? 多分、そんな感じだろう。おそらく、日本語とは全然違う。英語でも無い。文字は、少しだけアルファベットに似ている。

 俺が、この世界に来てから言葉を話すときなんだが、『自分は普通に日本語を喋っているつもりだ』と思えば、そんな気もするし『実は喋れたんです、異世界語』みたいな感じもする。 

 つまり、俺が《何か》を喋れば、相手には、この世界の言葉として伝わり、反対に誰かから話しかけられれば、相手の喋っている《何か》が、俺には日本語《のように》理解出来るという、何とも奇妙な感覚である。深く考えれば考えるほど、混乱してしまい、頭と口が回らなくなりそうだ――


「――ねぇ、ソースケったら!」


「うわっ……!?」


「大丈夫? 急に石みたいに固まって、どうしたの?」


「えっ、あっ、いや……な、なんでもないよ……気にすんな」


 明らかに動揺を隠し切れていない壮亮をアニーが訝しげに観察する。しばらくすると、彼女は小さくため息をつき、彫刻を施した杖を気怠げに手渡してきた。


「寝不足か、まだ二日酔いを引きずっているのか、知らないけれど、シャキッとして。今から、とっても大事なことを教えてあげるから。もしも一歩間違えば、最悪――」


「――死ぬわよ」


 ……。


 ……はて、聞き間違いだろうか。


 …………死ぬ。


 ……えっ? ウソ??


 何が、始まるんです……!? 

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