39.レラの目覚め
水滴が滴り、通路を風が吹き抜ける音。
聞き慣れた雑音が、既に朧気な夢の世界の記憶を掻き消し、あたしを現実へと引き戻す。
昨夜見たのも、よくある悪夢。暗くて不気味な城と、陰気な人間、恐ろしい怪物、置き去りにされる自分……あとは覚えていない。おかげさまで、今朝も目覚めの気分は最悪だ。あたしは、不快に満ちた小さな呻き声を上げ、何度か寝返りを打つ。
そうしているうちに、気怠い眠気が徐々に醒めていく。下層街の朝は、意外にも冷え込むもんだなぁ、と、あたしはいつも思う。ここで暮らし始めてからずいぶん経つが、今だにこの寒さには慣れないし、いつだって寒いのは苦手だ。
通路を歩く人の足音。一人通り過ぎれば、またもう一人。皆、下層街の穴ぐらから旧市街へと上がっていく足音ばかり。……ああ、今日もまた、退屈で不愉快な一日が始まったのか。どうせ、何も楽しいことなんて有りやしない。上等のカモを引っ掛けたり、上手いことかっぱらった金目のモンを売り払ったりして稼いだ金で、欲しい物を買って浮かれたって、美味い飯を
そんな、つまらなくて最低な人生でも、あたしは、一日でも長く生き長らえたい。理由なんて単純だ。『死にたくない』からだ。生きていたって、何にも良いことなんて無いけれど、死ぬよか遥かにマシだ。どんなに飢えようと、どんなにひどく腹を壊そうと、果てはどんなに鞭で打たれようと『死んだ方がマシ』なんて、あたしは一度も思ったことが無いし、これからも無い。
あたしは、『夢』とか、『希望』とか、胡散臭い売り文句が大嫌いだ。『諦めなければ、いつか救われる』――何を根拠に? 一体、こんなクソみたいな世の中で、誰があたしみたいなクズを救ってくれるっていうのさ。むしろ、馬鹿げた夢や希望にすがりながら、クソみたいな現実との落差に苦しむのなら、現実を受け入れて、まともな人生を諦めちまった方が気楽だろうに。
「んん……」
──と、あたしはここで、同じ毛布の中で
そうか。昨夜は、《コイツ》を家に泊めたんだったな。元々は、行きずりのカモだったこの男は、えっと……ナントカソースケとかいう、どこの国のボンボンだか知らねーけど、何やらご立派なお名前をお持ちの……まぁ、ちょいとばかし借りがある余所者のにーちゃんだ。
信じられないことに、このお人好しは、あたしがヘマやらかして、ブタ箱にぶち込まれたとき、三万何某イェンほどの罰金を気前よく肩代わりしてくれた。建前じゃ、あたしがたまたま耳にした儲け話に関する《口止め料》ってことにはなっているが、そんなもん、あたしを地下牢に置き去りにするか、あるいはぶっ殺して川に捨てるなり、どこかに埋めるなりしてしまえば、済むだけの話だ。ある日突然、あたしみたいなクズが一人、
下層街の早朝の冷え込みに震えながら、おそらくは彼女の記憶の彼方にも存在するであろう他人の温もりを身体で感じるレラ。更なる温もりを求め、本能的にその方向へ寝返りを打つ。
……意外と、悪いもんじゃないな。誰かと寝床を共にするってのも。一度は殺し合ったみてーな関係のあたしとコイツだけど、そんな喧嘩の恨み辛みも、これでチャラかね。仕事も、行くアテも無いみてーだし、もう何日かなら、泊めてやってもいいかな。
珍しいもの見たさで、自分の隣で無防備に寝息を立てる相手の寝顔を覗き込むレラ。そして、何故か戦慄する羽目になる。
「すぅ……すぅ……うぅん……先生……? やっぱり、先生だったんですかぁ……? でも、アレは先生の魔法じゃ……ぐぅ……」
……いや、待って? 誰だよ、この女。えっ、なんで。誰、こわ。
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