37.超えちゃいけないラインの定義

 どうやら、店主への当て付けで、完全にただの悪ふざけをした壮亮へ、神の鉄槌が下ったようだ。

 二千イェンと引き換えに手渡された――ショットグラスを満たす暗褐色の高級酒『ストランク・ズィーロ』。まるで消毒用の高純度アルコールを濃縮して爆発させたかのような、噎び返るほどのアルコール臭が、壮亮の鼻をメッタ刺しにする。


「おれのしってるやつとちがう」


 あの缶酎ハイを飲んだことは無いが、ネットの画像とか、コンビニとかスーパーで現物を見たことはある。そして、多分――いや、絶対にあの五百ミリリットルサイズのアルミ缶の中身は、こんないかにもヤバそうな色で、しかも酒とは違う刺激臭のする液体ではないはずだ。


「おっと! そりゃあ、可哀想に。きっと、今まで、本物のストランク・ズィーロを飲んだことが無かったんだな……。だが、喜べ! こいつは、正真正銘のホンモノ……だぞ? ここだけの話、レムゼルクじゃウチくらいしか置いてねぇ」


 スキンヘッドで、おしゃれな口ひげを生やした店主が、ムカつくキメ顔でサムズアップする。

 親指の先で、クイクイと口元を指す仕草は『一気に飲み干せ』という意味なのだろう。

 殺す気か。こんなん、絶対ヤバイ。


「それは……人間ヒトの飲み物ですか?」


 気が付くと、俺のすぐ横で、セトメたんが眉間に皺を寄せながら、ストロングゼ○(亜種)の入ったグラスを覗き込んでいた。

 ここで初めて、同行者のことをすっぽかして、とりあえず一人で酒を飲むという、どう考えても不自然極まりない事態に気が付き、冷や汗をかきながら焦る俺。

 やば。何のために一人でこんな得体の知れない飲み物を注文したんだ俺は。これじゃ、本末転倒では。


「あっ、これは、その……ごめ、えっと」


 しどろもどろ。なお、英語で言うと『SHIDORO・MODORO』。


「はっはっは! 女の前となりゃあ、こりゃもう覚悟決めて飲み干すしかねーわな!」


 店主が手を叩いて大笑いする。

 またもや自分が壮亮の恋人と勘違いされたことに気が付いたセトメは、慌てて誤解を解こうとするが、ここは草木も眠る深夜の下層街。欲望渦巻くこの街を男女が二人――どう弁解したところで、聞き入れてはもらえない状況にあると、気が付いたようで、不服そうな顔の頬を淡く染めたまま、突拍子も無い行動に出る。


「サクマさん」


「ハ、ハイ?」


 それは、何故かむくれているセトメたんからの、謎に包まれた無言のエール。例の、両拳を胸の前で握る『ガンバレ』ポーズである。なんでやねん。

 ……はぁ。そうですか。なんにせよ、これじゃあ、ハゲの言うとおり、後には引けねーわな。

 ま、そうだな。俺が最後に言い残す言葉としては――


「もうどうにでもなぁーれ」


 飲み干す。目を瞑り、息を止め、天を仰ぎながら、一気にグラスを呷る。


 ……もう瞼は開けた。しかし、目の前の景色は見えない。


 ……いや、見えてはいるのかもしれないが、それが景色なのか、瞼の裏側なのかがハッキリしない。少なくとも、世界はひっくり返って見えている。


 誰かが、俺の名前を呼んでいる。……いいや? 呼ばれているような、気がする。


 そして、確実に、意識が遠のいていく。


 あ……? もしかして……オレ……


 まタ……死……ぬ……のカ……?


 …………



× × ×

 

 まどろむ世界で反響する、豪快な、低い笑い声。


「ハッハッハッ……。そいじゃあ、こいつで契約成立ってワケだな…………」


 ぐだを巻く、女の声。


「……はぁ?? あのさぁ、だぁいたぁいねぇ? そんな簡単にいうけどぉ、あなたたち、正気ぃ?そもそも、あの火山の歴史もロクに知らないクセにぃ…………」


 ……この声は、誰だ?


「なぁオイ。あんたら、飲み過ぎだよ。もう店仕舞いにさしてくれや。な?」


 これは、知っている声。好きだ。


「サクマさん……サクマさん……」


 ……うん、うん。聞いてるよ。


 ……でも、俺は眠いんだ。寝る。


× × ×


 …………


 ……ん。朝か?


 いや、夕方か。昨夜は、朝までゲームをして寝落ちしたんだから、流石に次の日の朝まで寝過ごすことは無いと思う。


 ところで、睡眠不足はもちろん身体に悪いが、寝過ぎるのは、もっと身体に悪いらしい。

 だとすれば、今の俺はただでさえ昼夜が逆転して、睡眠不足のところに、朝から夕方まで――10時間以上寝たりするのだから、身体に悪いアンド身体に悪いのダブルパンチで、自律神経あたりがズタボロになっていることに、違いない。


 だから、不登校で、学校に通えなかった?


 いや、それは後天的な理由であって、そもそもの理由は違ったはずだ。

 

 それは? 何だったっけ。もう忘れてしまった。


 ……あーあ。毎回だな。眠って目が覚めると、決まって昔のことばかり考えてしまう。さっさとベッドから起き上がればいいのに、瞼が重いからって、つい、いつまでもゴロゴロ寝転がっていると、コレだ。


自分で勝手に思い起こしたことではあるが、昔のことについて考えても、良い気はしない。


 だから、そんなことより、今日は何をしようかな。ていうか、本当に日付、変わってる?なんだか瞼の向こう側にあまり光を感じないし、まだ夜中かもしれない。


 ……まぁいいか。ニートの俺に、日付や時間はさほど関係のないことだ。やっぱ、ゲームの続きか? 昨日は確か……えっと……


 あのRPGロールプレイングゲーム、どこまでやったんだっけ?


 ……?


 さあ、そろそろ重い瞼を開けなければ。そのうちまひろがカーテンを開けに来る前に、少しでも光に慣れておいた方が、ダメージが少なくて済む……。


「あっ」


 ……


 ……えっ? 誰か、いるのか? まひろ? いや、あいつなら、とっくに布団を剥ごうとしているはずだ。じゃあ、誰が……?


 重たい瞼を開け、目の前の景色が露わになる。そこは、カーテンの隙間から夕日が差し込む見慣れたマイルーム兼マイオフィスでは無く、薄暗い物置小屋のような場所で、オイルランプの温かくて優しい灯火が揺らめいている。

 そして俺は、その空間の大半を占める木製のシングルベッドの上で、少しごわごわした毛皮か何かを被り、誰かと二人で身を寄せ合いながら、眠っていたようだ。


 そして、その《誰か》と、真っ直ぐに目が合う。俺の腕の中で小さく震える誰かが、震えながら、居心地が悪そうに身動みじろぎしている。


「……」


 目の前の彼女は、特に何を言うでも無く、静かに、自身の鼻先へと、片手の人差し指を運ぶ。

 そして、吸い込まれるような瞳を潤ませ、恥ずかしさのあまり今にも泣き出しそうな表情で、顔を真っ赤にしながら――


「しーっ……」


 ……

 

 そうか……そうだな……これは、ゲームなんかじゃない。

 ここがどこなのか、そして、どうしてこうなったのかすら覚えていない俺も、それだけは、思い出したよ。


 ……ああ、そうだ。そうさ、この世界は辛く、不安で、恐ろしく、そして君は、狂おしいほどに愛おしい。


 だけど、今は何より……猛烈に、頭が痛い。


 心も、身体も……。色んな意味で、《頭痛が痛い》。

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