28.深夜営業の裏メニュー

“チリンチリン”


 セトメが鍵穴に鍵を差し込み、戸を開けると、ドアに取り付けられたカウベルが小さく鳴る。

 

「どうぞ。店主はもうニ階で休んでいますから、どうかお静かに……」


「どうも……。でも、いいんすか?店の主に黙って」


 壮亮がそう尋ねると、セトメは──


「しーっ」


 自身の鼻先に人差し指を立て、まるで、いたずら好きな少年のような笑みを浮かべながら、ずる賢さに溢れた目配せする。 

 どちらかといえば、一見して真面目でカタブツな雰囲気のあるセトメなのだが、時折このような茶目っ気に溢れるあざとい表情と仕草をして見せるものだから、そのたびに佐久間少年の胸はギャップ萌えに、萌え萌えキュンしてしまう。


「大丈夫ですよ。店を閉めた後は、自由に料理の練習や研究をして良いと言われていますから。今日はもう、かまどの火を落としてしまったので、自慢のお米料理は作れませんが……」


 期待していたお茶漬けは食べられそうにないかと、少しだけ肩を竦める壮亮だが、食事を振る舞ってもらえて、ありがたいことに変わりは無いので、文句を言ったりはしない。


 大きな水瓶からひしゃくで水をすくい、手先を清めるセトメ。ほんのり、モノクロア温泉の香りが店内を漂う。

 壁に掛けられた手拭いで丁寧に手先の水気をとると、棚のカゴから濃い色のパンを手に取り、波刃のナイフで“サクサク”と手際よくニ等分する。

 次に、天井から吊されている茶色の丸太のような塊に、先ほどとは別のナイフを宛てがい、三回ほど刃を滑らせる。

 すると、茶色の丸太の表面が薄紅色に変化し、今度は店内に、ねっとりとした肉の臭いが微かに立ちこめる。

 

「え。それ、食べ物だったの?」


「ええ。ケイブ・ブーブーのプロシュットですよ。ひょっとして、切り分ける前に見るのは初めてですか?」


「あー、なるほど……。まぁ……そーっすね」


 それを見るのも、ケイブなんとかとかいう生き物の名前を聞くのも初めてですとも。

 なにせ、幾分文明の発達した異世界から転生してきたものでして。

 しかし、空きっ腹に、この野性味溢れる肉の匂いはなかなか応えるものがある。


「仕上げに、ミンクスペッパーの実をちりばめて……と。はい、お待たせしましたっ」


 木製の皿に載せられたセトメの手料理が、カウンター越しに給仕される。

 思わず、生唾を飲み込む壮亮。 

 はるばる異世界からやって来てしまった彼も知っている料理。

 その料理の見た目は、完璧なほどに、美味しそうな生ハムのサンドイッチであった。


「ランタンベリーの実を使ったカワセミ亭特製ベリービネガーソースが自慢の一品です。まだ試作段階ですが、どうぞお召し上がりください」


 なんだかもう、知っているようで知らない単語だらけで、正直得体が知れないのだが、こんなもの、美味しくないワケがないだろう。


「いただきますっ」


 両手でサンドイッチを掴み、まじまじと観察してみる壮亮。

 まるで、気取った大学生が窓際の席に陣取ってノートパソコンを広げているおしゃれなコーヒー屋で売られているようなサンドイッチに見える。

 毒が入っているのではないかとか、タダでご馳走してくれるみたいな雰囲気を醸し出しといて、あとでぼったくられるのではないだろうかだとか、散々この世界で酷い目に遭って学習したはずの警戒心を露わにする余裕もなく、本能が求めるままに、かぶりつく。


「……!」


 しっかりとした穀物の味がするパンの歯ごたえの向こうで、濃厚な豚肉の味わいとハムの塩味が広がり、空腹の壮亮を唸らせる。

 その旨味に、思わず、すぐさまもう一口かぶりつく壮亮。


「……!!」


 今度は、肉の旨味の上に、甘酸っぱくて深みのある大人味の特製ソースが絡みついてくる。

 さらに、肉の上にちりばめられていた赤い小さな木の実の粒が、パチリとはじける度に、スパイシーな風味が舌の上で踊る。

 水気の少ないパンにソースと微かな肉汁とスパイシーな風味が染み込んで、最後はその味が壮亮の舌の髄まで染み渡る。

 

 保存食品が主な材料であり、着席から、ものの3分もかからずにサーブされた即席サンドイッチではあるが、その出来映えは、見た目に華やかさこそ無いものの、決して粗末ではなく、むしろ絶品である。


 美味い。


 美味すぎるのだ。


 空腹というスパイスがかかっていることを鑑みても、下手すると、文明の発達した元の世界よりも、シンプルな異世界の飯の方が美味いかもしれないと、余韻を噛みしめる壮亮。


「キューリのピクルスも切ったのでお口直しに……って、もう食べてしまったんですか!?」


 セトメが野菜の漬け物の小皿を差し出したとき、サンドイッチが載っていた皿の上にはすでに何も無く、口の周りにパンくずとソースをつけた幸せそうな壮亮が頬袋を作っているのみであった。


「もぐ……ごくん。いやぁ、あんまり美味しいもんで、つい早食いになっちゃって。んめ、んめ」


「ふふ。お口に合ったのでしたら、嬉しいです。ありがとうございます」


「ゴクン……!こ、こちらこそ!ありがと……フヒッ」


 セトメが満足そうに微笑み、壮亮が笑い方をしくじって気持ち悪い声を出す。

 異性慣れしておらず、惚れっぽいヒキニートの壮亮は『可愛くて、料理上手で、そのうえ礼儀正しいとか……。セトメ!俺だ!!結婚してくれ!!!』と、心の中でだけ絶叫する。


 微笑むセトメにつられて、ついニヤけてしまいそうになったので、慌てて小皿の漬け物に目を落とし、ひとくち、ふたくちと、つまんで口に運び、誤魔化す壮亮。


 これまた、甘酸っぱくて良いお味。

 

「こ、こんなに美味しいリョーリ、タダじゃ申し訳ないカラ、お金、払ウヨ」


 カタコト気味に、誠実さをアピールする壮亮。

 それは別として、そこそこお金は持っているのだし、ただ飯食いでは、やはり申し訳ないという素直な気持ちもある。


「いえいえ!ご馳走すると言ったのはこちらですし、閉店後に見習いの私が作ったものですので、お代は頂けません」


「じ、じゃあ!セトメさんのポケットにしまっちゃいましょう!そっ、それもダメなら……っ!」


 耳を真っ赤にして、口籠る壮亮。

 もともとそんなつもりはなかったのだが、勢いで、この後セトメをどこかへ誘う口説き文句を考え込んでしまう。

 無論、元の世界で誰かとデートをしたことも無ければ、デートに誘ったことも無いので、そう簡単には思いつかない。


「で、ですからそんな……私、困ります……」


 その台詞は、壮亮が元いた世界で最後にプレイしたエッチなゲーム『Home Maid~ボクとメイドの秘密の撮影会~』中で、普段は真面目だが実はとっても淫らな性格のヒロインが、主人公にソファーに押し倒され、迫られたときに発した《最後の抵抗》を彷彿とさせる。


 静かに、そして勝手に、感情の高まりを覚える壮亮。

 

 み な ぎ っ て き た 。


「いやぁ……でもさぁ……サンドイッチ、本当に美味しかったし……どうしてもお金がダメなら、何かこう……」


 何かこう、どこかへ誘い出してお礼に食事をご馳走するだとか……。でも、ここがそもそも食堂だし、相手は腕利きのシェフだし……。よくある『お茶でもどうですか』っていう時間じゃあないし……。

 などと、経験が無いなりの知識網で必死に打開策を見出そうと努力してみる壮亮。しかし、どうにもこうにも上手い言葉が見つからず、ギクシャクとした空気が流れ出してきて……。


 勢いよく、店の扉が開く乱暴な音で、その場の雰囲気が一転する。


「あ-らぁ、こんな時間までお客の相手なんて、商売繁盛大盛況なのねぇ、セトメちゃぁん!」


 言い方は悪いが、鼻につく意地の悪い女の声だ。

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